2020年11月1日 メッセージ要旨
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                     貧しい人たちは幸いです

                                            ルカの福音書 6章20~26節
                                                                                                                                   
     
  貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。
                                          ルカの福音書 6章20節(抜粋)
 
 旧約の時代には、罪のためのいけにえとして、身分に応じて牛や羊、やぎなどが献げられていました。大祭司は若い雄牛を、族長は雄やぎを、民衆は雌の子羊かやぎを罪のためのいけにえとして献げるよう定められていました。貧しくてやぎや羊を買う余裕のない人は、山鳩あるいは家鳩のひな二羽を、それすらも手に入れることのできない人は、小麦粉10分の1エパ(2.3リットル)を献げました(レビ記4章1節~5章13節)

 しかし、本来、人はみな神の御前には何を献げても罪を償うことのできない貧しい者なのです。十字架の上で人々の罪を負われたキリストの尊い血によって、罪赦されるための代価が支払われたので、信じて悔い改める人はみな罪赦され、神との平和な親しい関係を回復するのです。

 しかし、自分が貧しい者であることを知らなければ、その恵みを求めようとはしません。多くの世人が、神の御前に貧しい者であることを知らずに、良い暮らしをしていることに満足しています。私たちは、自分の貧しさを知っているでしょうか(ヨハネの黙示録3章17節)

 自分が弱く、無力で、頼るべきものが何もない貧しい者であることを知る人は、神に拠り頼み、永遠の御国にあずかるので、幸いです(20節)

 飢えや悲しみや侮辱は、神の救いを求めさせ、満ち足りた御国を仰がせます(21~22節)。神が私たちに苦難をお与えになるのは、神を求めさせるためなのです。

 反対に、自分に頼るところのある富む人は、神に拠り頼もうとしません。富んでいる人はこの世で慰めをすでに受けているので、御国の慰めを求めようとはしないのです(24節)

 この世で飢えや悲しみを味わっている人は、神の国に望みを抱くので、やがて満ち足りた御国で喜びを味わいます(21節)

 反対に、この世で満腹し、笑って、享楽に耽る人は、この世に望みを置いているので、この世が滅び去るときに、飢えて泣き悲しむようになるのです(25節)

 私たちは、神の恵みとあわれみがなければ生きていけない貧しい者として、神に拠り頼み、幸いな神の国にあずかることができるよう、歩んでまいりましょう