2020年10月4日 メッセージ要旨
メッセージ      Home
                                                              
                     主の雲に導かれる旅路

                                            出エジブト記 40章36~38節
                                                                                                                                   
     
 旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。
                                          出エジブト記 40章38節
 
 エジプトを脱出し、荒野を旅するイスラエルの民を、神は、昼は雲の柱、夜は火の柱によって導かれました。民は神の導きに従って、旅路にある間、雲が幕屋から上ったときに旅立ち(36節)、雲が上らないと、二日でも、一月でも、一年でも宿営を続けて旅立ちませんでした(37節. 民数記9章22節)。二日ぐらいなら良い休息になるでしょうが、一年もの長い間とどまっているのは忍耐を必要とするのではないでしょうか。

 民は約束の地カナンに一足飛びにたどり着いたわけではありません。進んではとどまり、進んではとどまりしながら、荒野の旅路を導かれていったのです。

神は、雲の柱、火の柱の中におられ、民から離れることなく荒野の旅を導かれました(38節. 13章21~22節)。民が進んで行くときや、明るい昼だけでなく、長くとどまっているときも、真っ暗な夜も、どんなときも神の導きの御手は民とともにあったのです。

 私たちの信仰の歩みも、イスラエルの民の荒野の旅路のように、進んではとどまり、進んではとどまりしながら、御国へと導かれていきます。順調に進んで行くときもあれば、長く停滞しているような成果の見られないときもあります。今はコロナ禍にあって、大勢の人が教会に集まるのは難しい状況にありますが、このようなときも、神の導きの御手は離れることなく、私たちとともにあるのです。

 信仰の父アブラハムは、約束の子イサクが与えられるまで、長い間待ち望みました。彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、多くの国民の父となったのです(ローマ人への手紙4章18節)。信じて待ち望んで行くなら、神は私たちの信仰の歩みにも、多くの実を結ばせてくださいます。

 荒野の旅路を導いた主の雲が、イスラエルの民から離れることがなかったように、進むにもとどまるにも、神の導きの御手は変わることなく私たちとともにあります。神はどのようなときも私たちとともにおられ、信仰の歩みを導いておられる、そのことを信じて歩んでまいりましょう。