2020年10月11日 メッセージ要旨 | ||||
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御国を求めなさい ルカの福音書 12章13~34節 |
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むしろ、あなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます。 ルカの福音書 12章31節 |
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イエス様のたとえ話の中で、ある金持ちは穀物や財産を倉にしまい(18節)、これから先何年も悠々自適に暮らせると言います(19節)。
しかし、この金持ちの蓄えた財産は、彼を生かすことはできませんでした(15節)。彼の命を神が取り去ってしまわれたからです(20節)。そのように、人に命を与え、生かしておられるのは、ほかでもない神なのです。 神が命を取り去られるとき、富は何の役にも立ちません。神がすべての物を人に与えて生かしておられるのです。富に信頼すると、神への信頼が妨げられます。だれも二人の主人に仕えることはできないからです。頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くべきなのです(テモテの手紙第一6章17節)。 心配することへの忠告(22節以下)は、一見、貪欲に対する警告(21節まで)とは別の話のように見えます。しかし、両者とも、物質的なものを頼みとする点で共通しています。物に頼るので、一方で貪欲に富を蓄え、他方で欠乏することを心配するのです。 神は、納屋も倉もない、全く蓄えのない烏を養っていてくださいます。まして、鳥よりも大きな価値のある神の子どもたちである私たちを、神が養ってくださらないことなどないのです(24節)。 御子キリストは、十字架の上で私たちの罪を負われ、私たちが罪赦されるための贖いの代価として、ご自分のいのちを与えてくださいました。御子のいのちを与えてくださった神が、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことなどないのです(ローマ人への手紙8章32節)。神は私たちに必要なものを知っておられます(30節)。ですから、心配しなくてもよいのです。 私たちが求めるべきなのは、世にあるものではなく、御国です(31節)。御国を求める人生だけが、物に執着しない心を育て、富を神のために用いて施しをし、天に宝を積んで未来に備える生活を築くのです(33節)。 私たちは小さな群れです。しかし、その貧しさに心配して恐れることはないのです。神は喜んで私たちに御国を与えてくださいます(32節)。 私たちは御国を求め、その輝きが私たちに映し出される歩みをしてまいりましょう。そうすれば、神は私たちを祝福し、必要を満たしてくださるのです(31節) |
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