会員の声 次頁へ
・平成19年2月 男性会員より
「キーワードは黒」
「こりゃええわ!!来て見て触って体験しよう!〜視覚障害者のための
生活情報展示会〜」(長いタイトルですねぇ)
と称する在広視覚障害者団体合同の展示会で、私は日用品・共用品部門の
展示品説明を担当していました。
私自身弱視ですが、身の回りにそれと意識した物品を、
ほとんど持ち合わせておらず、慣れない展示品の説明に四苦八苦しました。
数ある展示品の中で、来訪者の方々が首をかしげられるのが、
『黒い』色をした展示品の数々です。
黒字に白抜き文字の物さし、黒い茶碗、しゃもじ、
極めつけは真っ黒の紙が束ねられたノート・・・。
これらは主として、まぶしさを感じる弱視者向けに、まぶしさを抑え、
黒と白とのコントラストを高めることによって、視認性を高めたものです。
黒い茶碗に白いご飯つぶが残っているとわかりやすいし、
黒い紙には白色マーカーで黒板と同じ原理で記述することで、
書きやすくまた読みやすくなります。
私自身も、パソコンは黒地に白抜き文字表示にしています。
通常筆記は、普通の紙にマジックで大丈夫ですけど、出先などでいきなり
黒い紙に白色マーカーで、メモを取り始めたりすると
事情を知らない人が見たら、度肝をぬかれるんでしょうね。
・女性会員より
近頃では、リハビリとかリハビリテーションといえば
誰でも知っている耳慣れた言葉になっています。
それは病気や怪我でダメージを負ったときに、機能回復訓練を
おこなっていくことだと思われているのが一般的ですね。
ところが、視覚障害者のリハビリテーション(縮めて視障リハといいます)
というのは、医療の現場ですら知られていないのが実情です。
それは何故なのか?という疑問は、視覚障害者のこれからを考えると
決して無関心ではいられない問題です。
あれは1980年代の半ば頃だったでしょうか。
新潟県のある内科医(糖尿病専門)が診ておられた網膜症の患者さんが
自殺されるという深刻な事態が契機となって、
この病院では視覚障害者のリハビリ専門外来をスタートさせました。
眼科医や歩行訓練士など リハの指導者を中心にした合同スタッフで取り組んで
多くの中途失明者が入院中から身の回りの処理ができるようになり、
退院後の自立への新たな一歩を踏み出されたとの嬉しいニュースが
伝わってきました。
振り返ってみると、20数年前にはここ広島でも、難病・成人病
生活習慣病・事故等により、人生半ばで目が不自由になってしまう人が
増え始めていました。
頼みとする相談窓口も情報もなく、家族ともども医者から医者へと
右往左往するばかりという悩みを抱えた人たちが出会い、交流も始まっていました。
その頃の私は、網膜色素変性症という視野が狭くなる難病と告知されていて
通勤するのが危なくなったので、会社も辞めざるを得ませんでした。
「徐々に見えなくなる、治療の方法はない。」 と言われたことが頭から離れない。
きっと、暗い顔をしていたことでしょう。
当然のことながら、小さな胸を痛めていたのは子ども達でした。
そんなある日、小学生の息子がボソッとこう言ったのです。
「母ちゃん、ブラックジャックみたいなお医者さん探してきて頼もうや。
そしたら治るかも・・・」と。
今思うと、この声かけは思考が前に向かって動き始めるきっかけになった
気がしますね。
前進しようにも、我が心のギヤは間違いなくバックに入っていたんですもの。
このようなことからも中途視覚障害者にとっては、
心のケアがとても大切なんだと感じました。
個人差はあるものの、自立へ向かう一歩のところですから。
視障リハの普及については、まだ認められていない医療(診療)報酬を
速やかに認められることが求められています。
その意義については、視覚障害者のもつ能力を呼び覚まし開花させるという
人間の尊厳に結びついた問題なので、広く広くご理解をいただきたい。
40代で視障リハを体験し、その恩恵に浴した私は、
すでに還暦も過ぎましたが、
あの時期の猛訓練で単独歩行ができるようになったこと、
点字の触読ができるようになったこと等々、
タイトルどおり 視障リハで我が人生はよみがえりと実感して生きています。
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