家庭礼拝

2024年9月1日

御言葉

神の国で食事をする人は、さいわいです。(ルカによる福音書14章15節)

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主の祈り、使徒信条、聖書、奨励は、ページの下にございます。スクロールしてお読みください。

黙 祷    

讃美歌    81

主の祈り

讃美歌   198

聖 書   ルカによる福音書14章15節~24節(新約聖書P.114)

讃美歌   457

奨 励   「招きの応答」

讃美歌   459

頌 栄    24


主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。国とちからと栄えとは限りなくなんじのものなればなり。 アーメン (1880年訳)

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまへり、かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン

聖書 ルカによる福音書14章15節~24節(口語訳)

 列席者のひとりがこれを聞いてイエスに「神の国で食事をする人は、さいわいです」と言った。そこでイエスが言われた、「ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた。晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕を送って、『さあ、おいでください。もう準備ができましたから』と言わせた。ところが、みんな一様に断りはじめた。最初の人は、『わたしは土地を買いましたので、行って見なければなりません。どうぞ、おゆるしください』と言った。ほかの人は、『わたしは五対の牛を買いましたので、それをしらべに行くところです。どうぞ、おゆるしください』、もうひとりの人は、『わたしは妻をめとりましたので、参ることができません』と言った。僕は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕に言った、『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧しい人、体の不自由な人、 目の見えない人、足の悪い人などを、ここへ連れてきなさい』。僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』。主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい。あなたがたに言って置くが、招かれた人で、わたしの晩餐にあずかる者はひとりもないであろう』」。

奨励〔要約〕

 ユダヤ人は、自分の家にお客様を招き食事をする習慣がありました。救い主が来られた時の祝宴(イザヤ25:6)を覚えてのことでしょう。招く側は、献立から席次に至るまで、気を配って準備しましたが、宴会は、自分の力を誇示し、人の誉れを受けるものとなり、招かれた側は、返礼も必要だったのです(13:1~14)。イエス様は、このような宴会の様子をご覧になって、貧困や障害のために返礼のできない人を招くなら、神様からの報いを得ることを教えられました。この話を聞いた一人が、口から「神の国で食事をする人は、さいわいです」と言葉が出たのです。これを聞いて、イエス様は、たとえを用いて盛大な晩餐会への招きの応答について教えて下さいました。晩餐会に招待された人は、準備をして待つのが普通です。晩餐会に出かけ、食事を頂くことは難しいことでなく、喜びの時ですが、僕がつかわされた時、彼らは「みんな一様(他訳:口実をもうけて)に断りはじめた」のです。“口実”は、自分の立場を守り、心の痛みを軽くするための理由づけです。各々、土地を買った、5対の牛を買った、妻をめとったと、人生の中でも重要な出来事をあげていますが、どの言い訳も晩餐会を断る理由ではありません。土地は有益か、代価に見合うか、よく見て買うものです。牛を買う時は、前もって健康状態を調べるでしょう。妻を娶ったことの言い訳は、戦争が行われている時の特例(申命記24:25)をあげています。晩餐会の招きを断る理由とはならないのです。招かれた人たちは、御言葉に親しんでいたユダヤ人たちでした。彼らは、神様を信じ、律法を守る努力をしていましたが、神の国の晩餐会よりも、自分にとって価値のあることや好ましいものを求めたのです。主の招きに答え、主の晩餐に預かったのは、ユダヤ人からさげすまれた貧しい人、差別された人、異邦人たちでした。彼らは、救い主の愛の招きを信じ、招きを心から喜びました。自分の無力さ、罪深さ、社会から疎外された悲しさを知っていたからです。主の招きに答え、その食卓で御言葉に満たされたのです。イエス様は「わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)と言われたことを心に留めて応答したいのです。

讃美歌のメロディーは、google、Yahooなどで〔讃美歌21 ○○○〕(○○○は讃美歌番号)を入力すると、You Tube などで聞くことができます。