家庭礼拝

2025年3月2日

御言葉

預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の 言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。(ペテロの第二の手紙1章19節)

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主の祈り、使徒信条、聖書、奨励は、ページの下にございます。スクロールしてお読みください。

黙 祷    

讃美歌   197

主の祈り

讃美歌   436

聖 書   ペテロの第二の手紙1章12節~21節(新約聖書P.372)

讃美歌   460(1節~4節)

奨 励   「暗やみに輝くともしび」

讃美歌   475

頌 栄    24

主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。国とちからと栄えとは限りなくなんじのものなればなり。 アーメン (1880年訳)

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまへり、かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン

聖書 ペテロの第二の手紙1章12節~21節(口語訳)

 それだから、あなたがたは既にこれらのことを知っており、また、いま持っている真理に堅く立ってはいるが、わたしは、これらのことをいつも、あなたがたに 思い起させたいのである。わたしがこの幕屋にいる間、あなたがたに思い起させて、奮い立たせることが適当と思う。それは、わたしたちの主イエス・キリストもわたしに示して下さったように、わたしのこの幕屋を脱ぎ去る時が間近であることを知っているからである。わたしが世を去った後にも、これらのことを、あなたがたにいつも思い出させるように努めよう。わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、わたしたちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。わたしたちが、そのご威 光の目撃者なのだからである。イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになったが、その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、「これはわたしの愛する子、 わたしの心にかなう者である」。わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から出たこの声を聞いたのである。こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の 言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。

奨励〔要約〕

 ペテロの手紙は各地に離散し寄留しているユダヤ人に向けて書かれています(Ⅰペテロ1:1)。迫害だけでなく、にせ預言者、にせ教師の活動が猛威をふるっていました(2:1)。この問題は「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう」(Ⅱテモテ4:3)とあり、教える側、受け取る側、相互の問題なのです。ペテロは殉教が近いことをふまえ、救いを確信し、尊い約束を確認し、イエス様が再び来られる日をいつも心に留めていることの大切さを教えました(1~11節)。にせ預言者たちの活動は、悪魔の誘惑と同じです。何の備えもなければ、神様から離れさせる危険が潜んでいるのです。イエス様がエルサレムに入城した時、大歓声で迎えた人々は、数日で十字架につけよと心が変わっているのです。現代は、SNSの活用によって、偽情報でさえ急速に拡散します。ペテロはイエス様が病人を癒し、悪霊を追い出し、水の上を歩かれ、嵐を静め、死人のよみがえりなどの御業を見た証人でした。何よりも、変貌山(マタイ17:1~3)の出来事は、「預言の言葉」を確信するものとなったのです。この世は悪魔の支配下にあり、大切なものが何も見えない暗やみの中にあります。にせ予言者たちは、巧みな作り話を吹聴して、心を迷わせ、信仰を揺さぶり、神様から離れさせようとしていました。そんな中、巧みな作り話に対して「預言の言葉」は「暗やみに輝くともしび」として、道を誤らない大きな力になることを教えました。イエス様ご自身も悪魔の誘惑を経験された時、御言葉によって悪魔の誘惑をはねのけています(マタイ4:1~11)。ともしびの光は弱そうに見えても、目に優しく、自分の足下を照らし、危険なものを示し、進むべき安全な道を見いだすのに役立ちます。また、パウロも悪魔の働きに対して「…御霊の剣、すなわち、神の言葉を取りなさい…」(エペソ6:14~18)と教え、防御する力があることを教えています。神様の口から出た御言葉(Ⅱテモテ3:16)は、どんな状況でも「あなたのみ言葉は、わが足のともしび、わが道の光です」(詩篇119:105)となるのです。

讃美歌のメロディーは、google、Yahooなどで〔讃美歌21 ○○○〕(○○○は讃美歌番号)を入力すると、You Tube などで聞くことができます。