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 去って行った千尋とは逆に、 行き場を失った手をじっと見つめ、ハクは茫然としている。
 こんなこと一度も無かった。 彼女がこんないとも簡単に自分の腕の中からすり抜けてしまうなど。
 まるで、豪華な料理が出てきたものの、 「隣の部屋と間違えました」と言われて、 目の前を去っていたときのような気分である。

「いいザマだな、ハク様」

 開け放たれた扉に、いつの間にかリンが立っていた。 皮肉をこめて様づけで呼んで、そう言い放つ。

「リン……」

 何とも説明しがたい空しさを隅に追いやって、 つとめて冷静を装うハク。

「何故ここにいる」

 氷のような眼差しでリンを突き刺し、咎める口調で言った。

「フンっ、もちろん邪魔するためさ」

 しかし、どんなに冷たい視線や口調でも、 先程の茫然とした面持ちの彼を見てしまえば、 また男の心理を知っていれば、ハリボテのように見えてしまう。
 悠々と言い放つと、組んでいた腕を解いた。

「どんなに押さえつけたって、センは行く。そういうヤツさ。 だからちょっと後をつけて来てね、いーところで邪魔しようと思ったんだけど」

 チラリ、と意地悪くハクを見やる。

「その必要はなかったなぁ!!!!」

 カラカラと高らかに笑い、 勝利に酔いしれた。

(この女っ……)

 屈辱に唇を噛むが、これはどう考えても自分の負けである。 それは認めるが、この笑い声が気に障る。

「センに好かれてるからって、余裕こいてんじゃねぇよ。 今日みたいなことがいつあるか、わかんねぇんだからよ」

 一通り笑ってから言った言葉は、 決してハクを思いやるものではない。 どこからどこまでも皮肉の言葉なのだ。

「じゃぁな」

 と踵を返して去っていくリンの姿を、 黙って見送ることしかハクにはできなかった。



 日曜日のお昼過ぎに元の世界に戻り、 月曜日にはいつも通り学校へと向かう。
 放課後には「あれ」を求めて街をうろついていた。
 やっと思いついたハクへのプレゼントは、 なかなかに特殊なもので、何処を探せばいいのか分からなかった。
 しかしクリスマスまでのほんの短い時間、 街中を探し回って、ぎりぎりで発見することができたのだ。

(クリスマスプレゼントには、ヘンだったかな)

 手のひらに乗る千代紙でつくられた袋を見て、苦笑する。

(でも…これが一番いいから)

 いつも使ってくれて、ハクに似合うもの。
 満面の笑みでそれを大切そうに鞄の中に忍ばせ、 スキップに近い足取りで家に向かって歩く。
 あとはこれをクリスマス当日にハクに渡せばいいだけ。 これを差し出したら、ハクはどんな顔をするだろうか? どんな言葉をかけてくれるだろうか?
 それを考えると、とてもクリスマスが待ち遠しく思うのだった。




 そして。
 その日はやって来た。
 不思議の世界へ行く直前まで、 プレゼントを忘れていないか何度も何度も確かめていた。

(忘れてない)

 今日何度目か分からない確認を終えて、 トンネルを潜り終える。
 いつもの草原、けれどその日は違っていた。 緑の海の中に佇む、一人の青年。ハクだ。

「ハク!!」

 千尋は喜びに顔を綻ばせ、 手を大きく振って駆け出す。
 その姿を認めると、ハクは笑ってそれに応えた。
 久しぶりのお出迎えである。 仕事に暇ができた時など、よく迎えに来てくれるのだ。

「あ……」

 あまりの嬉しさに忘れていたが、 あの日突然部屋を飛び出してしまったことを思い出して、 歩みを緩めた。

「どうしたのだ?」

 少しの間を取って立ち止まってしまった少女に、やさしく声を掛ける。

「あの、ハク、ごめんね。 この間は突然、飛び出して行っちゃって」

 あの日のことを思い出して、少しだけ赤面しながらも、千尋は謝罪した。

「ああ、気にしてないよ」

 というのは、はっきり言って嘘である。
 どちらかといえば、千尋が飛び出していったことよりも、 その後のことが今でも彼のなかで大きなしこりとして残っている。
 けれどそれを臆面にも出さず、平然と言った。

「でも…、どうしてあんなに慌てていったのか、理由を聞きたい」

 微笑みながら、ゆっくりと彼女に歩み寄った。

「あ、うん……」

 頷き、ハクを見上げる。
(今がチャンスかも)

 湯屋へ行ったら忙しいだろうし、 リンに申し訳ない行動もまたとってしまうかもしれない。でも今だったら……。

「あのね、これ」

 鞄の中を探り、一つの袋を取り出し、ハクに差し出した。

「これは?」

 千尋と袋を見比べる。

「クリスマスプレゼント。 ずっと何にしようか悩んでて…。そうしたらあの日、偶然思いついてね。 これだ!って思ったらいてもたってもいられなかったの」

 クリスマスのことも、サンタクロースという存在が、 子供たちにプレゼントを贈るという話があることも、 千尋から聞いてハクは知っていた。
 けれどただ一つ、恋人や友達など、 親しい間柄の人々がプレゼントを贈りあうということだけ知らなかったのだ。

「あ、クリスマスプレゼントっていうのはね……」

 きょとんとしているハクに、分かりやすいよう言葉を選んで説明する。

「つまり、自分にとって大切な者に贈り物をするんだね?」

 説明を聞き終え、ハクは納得して微笑んだ。
 千尋は照れながら、「うん」と頷く。

「私、ハクのこと、大切に思ってるから」

 ハクにとって、その一言が何ものにも代えがたい、「プレゼント」である。 そしてその気持ちの具現でもある贈り物を、千尋の手から受け取った。

「ありがとう、千尋。嬉しいよ」
「開けてみて!」

 ハクの喜ぶ顔がもっと見たいとばかりに、 瞳を輝かせて見上げてくる。
 ハクは頷き、細い指で袋を開けた。 手の中に滑り落ちたのは、漆塗りの櫛。

「これは……」
「ヘンかなって思ったんだけど…。 いつも使ってもらうものにしたくて」

 はにかみながら千尋は言う。

「ハクの髪、綺麗でしょ? いつも手入れとか大変そうだなぁって思ったら、これが思い浮かんだの」

(ああ、それで……)

 あの時、彼女が「髪!」と叫んで飛び出していった意味を、 ここで知る。

「やっぱり、ヘンだよね。男に人に櫛を贈るなんて」

 感慨にふけって黙り込んでしまったハクを見て、 勘違いした千尋はがっくりと肩を落として、 消え入りそうな声で呟いた。

「そんなことないよ」

 ハクは慌てて否定して、櫛をぎゅっと握るとこれ以上ない笑顔を彼女に向けた。

「千尋から貰うものなら、何でも嬉しい」

 それは本心だった。 この櫛は千尋が必死になって考えて、思いついたものなのだろう。 そんな強い想いが篭ったものが、嬉しくないはずが無い。

「本当?」
「うん、本当。毎日使わせてもらうよ」

 おずおずと問い掛けてくる少女に、 ハクは強く櫛を握りしめたまま答えた。
 千尋は「よかったぁ」と胸をなでおろして、いつもの笑顔に戻る。

「では私も、千尋に何か贈らないとだね」

 少しだけ考え込む仕草をしてから、何かを思いついたらしく、 千尋の腕をとった。

「来て」

 そして彼女が来た方向、つまりトンネルに向かって走り出したのだった。
「ハ、ハク!どこへ行くの?!」

 もちろんトンネルを戻っていくわけだから、現実の世界へと行くのだろうが、 突然の行動に千尋は混乱した。

「それに……仕事は……!!」

 数年前、細い路地を通り不思議の街を駆け抜けたあの日のことが、 ふいに思い出される。 あの日、この世界に紛れ込まなかったら、 今ハクはこの手を握ってはいなかっただろう。

「休めばいい」

 思いもよらない言葉と、さすがに息切れがしてきたこともあって、口を閉ざした。
 トンネルを通り抜け、元の世界に戻るものの、ハクの足は止まらない。




「ハクっ、…私もう……息…が…」

 林を抜け、坂を駆け上がり、どこをどう走ったか分からなくなり始めた頃、 やっと歩みがゆるくなった。
 あえぐ千尋を見やって、優しく背に手を廻し息を整えるのを手伝ってやる。

「ごめん。でも見て、千尋」

 そこは丘の上。薄曇りの空の下、目前に広がる町並みは、どこか寒そうであった。 けれど眺めはとても良く、遠くの方にはビルの森の他に、視線を横に流せば 山も見える。

「わぁ……いい眺め」

 白い息を吐き出して、千尋は感嘆の声を上げた。

「見ていて」

 竜の青年はそれだけ言って、右手をスッと上げ、 簡単な印を結んだ指で空を軽く撫でた。
 千尋はその動作を不思議そうに見つめている。 「それ」に気付いたのは、彼が腕を下ろした時だった。

 ちらっ…

 千尋の目の前に何かが舞う。

 ちらっ…ちらっ…

 白い綿毛かと思った。 千尋は数を増す白いものにそっと手を差し伸ばす。 手のひらに舞い落ちた「それ」は、じわっと溶けて水と化した。
 雪だ。

「わっ…わっ…わぁ!!!」

 興奮のあまり言葉にならない声を上げて、 千尋は天を仰ぎ見た。 次から次と、白い雪は舞い落ちてくる。

「こちらの世界では、 クリスマスに雪が降るのはいい事だと聞いたからね」

 天を仰いだまま両手を広げ、はしゃいでいる少女に、 ハクは声を掛けた。

「うん!ホワイトクリスマスっていうんだよ!」

 とてもうれしそうに答える千尋に、 こちらの頬も緩んでしまう。
 はしゃぎつづけている少女をしばらく温かい瞳で見守っていたが、 微笑んで彼女の手を取り、引き寄せ、抱きしめた。

「この雪を、千尋のために」








はい、完結です。
どうしてもクリスマスに間に合わせたかったので、
焦りで文が乱暴になってしまいました(^^;)
しかも段落分けがなってない(--;)
その日下書きあがったものから
更新していったためです……
とにかく支離滅裂(;0;)

以上、いいわけでした(苦笑)




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