-58章-
復活させるべき者




 恐らく、先ほどの地震は魔王城が浮遊する際に起きたものだろう。
 そして浮かび上がった魔王城には妙な気が発せられていた。
「聖なる気と邪悪な気が、混ざり合った変な感覚だな」
 自分の言葉に、思い当たるものがあってロベルはハッとする。
 聖邪の宝珠オーブ
 強いその『力』は、あらゆるモノの不可能を可能にする。全ての法則を無視するほどの力。空を飛ぶなど容易なことだろう。
「……どこへ行く気だ」
 誰に聞くわけでもなく、ロベルはぽつりと呟いた。
 その言葉に反応して、というわけではないだろうが、魔王城は行き先をコチラへと向けた。いや、正確に言えば、進路を西へと変えただけだろう。
 それでも、やはりこの島を通るのだが、魔王城は自分達を無視してさらに進んで行った。あの巨大さからは想像できない移動速度である。聖邪の宝珠がそれを可能にしているのだろう。

 空を滑るように移動した先。
 魔王城から直接、外を見下ろせる場所にエルマートンは立っていた。手には禍々しい剣が握られている。
「覇魔牙の剣か。久々だな」
 黒い刃、黒い鍔、填め込まれた黒い宝玉、黒い柄。全て黒で統率されてはいるが、それぞれが違う黒である。それは多くの闇を表しているようだ。
 かつて、魔物だったころに愛用していた剣である。今では聖邪の宝珠の力により、さらに剣を強力にしてある。
 試し斬りは、すぐそこで行われる。
 真上でも真空の刃が渦巻く、死と守りの大嵐デスバリアストーム
 エルマートンは停止した魔王城の外に出て、死壁嵐デスバリアストームを見下ろす。どのような攻撃を仕掛けてもびくともしなかったこの大嵐を、打ち破ることができるかもしれないのだ。この剣と新たな力によって。
 剣を振りかぶり、闘気を剣に集中させる。
「ハァッ!!」
 振り下ろすと同時に、剣から巨大な闇色の衝撃波が発生した。
 デスバリアストームをも飲み込むほどの衝撃波が。


「ねぇ、帰ったら何しようか?」
 翠髪をした小柄な少女が、右隣を歩く大男に問い掛けた。
「まずは、ご報告ですな」
 六人組の冒険者が、ウィード城近辺へと続く道を歩いている。そのうち二人は魔物だ。
 翠色の髪をした、少年のような少女はにこやかに右隣を歩く大男に声をかけたが、真面目すぎる答えが返ってきて不満顔をする。だがそれくらいで諦めるほどではない。
「そういうのは抜きで! 久々にさ、城下町で遊ぼうよ」
「遊ぶの好き〜〜」
 それに答えたのは、少女の左隣にいる魔物の一匹――ホイミスライムである。
「お前はいつも遊んでいるようなものだろう。今回でも……」
 大男が呆れた声でホイミスライムを窘める。
「ま、とりあえずいいんじゃない? 冒険も成功したし」
 長い説教が始まりそうだったので、大男の右隣を歩いていた銀髪の女性が慌てて仲裁に入った。
「そうっす。姐御の言う通りっす」
 毛皮の外套を纏った女性がそれに便乗する。今回の冒険で最も辛い思いをしたはずの彼女は、しかしいつも通りであった。
「あ、ほら! 風が見えてきたよ」
 六人組の冒険者は、やがて開けた道に出た。少女の言う風とは、死壁嵐デスバリアストームのことである。
 自分達の故郷だ。
 その故郷が、しかし目の前でいきなり消えた。


「良い剣だ。一振りで風は去り、炎は絶え、大地は崩れ、水は淀む。四大精霊エレメンタルどもをも斬り裂く剣、か」
 漆黒の刃を見つめ、感嘆の言葉を漏らす。
 下に見える光景は、廃墟だった。
 つい今さっきまで存在していたウィード城。そこでは確かな人の営みががあった。繰り返されていた。
 だが、今ではただの廃墟。城は崩れ、家は砕け、人間たちは跡形すら残っていない。建物の中にいた人間達は、闇に引き千切れ、闇に押し潰され、そして闇の中へ消滅していることだろう。
 それを成したのは、自分の剣であり、自分の意思だ。
 不思議な高揚感が溢れ出てくる。良い気分だ。破壊行動が、このように清々しいなどとは思いもしなかった。また、達成感も感じられる。巨大な敵を一つ、しかも自分一人で滅ぼした、という。これは、誇りというものなのかもしれない。

 これも聖邪の宝珠のおかげである。
 自分を異世界へ送り込む際、勇者たちに見つからぬように、所有していた極邪の宝珠も、精神力と化して送り込んだ。
 幸い、エンの精神力に宝珠の情報が全て入っていたので、極邪の宝珠を取りだし、持っていた極聖の宝珠と融合させた。
 炎の斧バーニングアックスと火龍の斧の宝玉が、本来紅かったものが朱色だった理由はこれである。邪悪な力に侵食され、純粋な赤とならずに朱色と化したのだ。
 そして、ついに完成したのだ。究極の力を秘める聖邪のオーブが。


 ウィード城崩壊の事件は、すぐにロベルたちに伝わった。作戦会議、というわけでもないが、全員が動ける状態にあるので、話を始めることにする。
「さて、まずはどうするかじゃ」
 組んだ手に顎を乗せて、ファイマが最初に決めることを提案する。思っている答えは、全員同じだった。
「エンを元に戻すことはできないだろうか?」
 全員を代表するかのように、ロベルがそれを言葉にする。
「精神をかなり侵食されているようだから、エンという人格が自然に元に戻ることは無理。でも、方法がないわけではないわ。例えば、相手の精神界に入り込めることができたなら、エンという精神人格を刺激することで、もしかしたらエルマートンの精神力を上回って逆支配できるかもしれない。けど、コレは無理ね、相手の精神界に入り込むなんて不可能だわ」
 ペラペラと説明を終えたリリナは満足そうにしている。残りの者たちは、要約することに必死であろう。
 つまり、エンの精神が崩されてエルマートンが出てきたのだから、エンの精神を復活させ、エルマートンの精神力を上回れば、今度はエルマートンの精神人格を消滅させられるかもしれない、ということらしい。
 完全に理解しきったわけではないが、リリナの言いたいことは大体解かったのは数分してからだ。
「……あるぞ。相手の精神界に入り込む魔法道具が」
 ファイマが洩らしたその言葉に、リリナはもちろん全員が驚いた。そんな夢のような道具があるとは、誰一人思っていなかったのだ。
「『心霊神歌』と言う、神々が世界に降臨していたころの遺産じゃよ」
 かつて、この世界は神々が暮らしていたという説話が幾つもある。
 神々の天敵、すなわち魔族との戦いのせいで、互いが互いにこの世界にいられなくなってしまった。そして神界と魔界に住処を変えたのだ。神々は魔族を倒そうと、様々な道具を作り出した。また、魔族は神々を倒そうと、様々な法を作り出した。そうして創り出されたのが魔法道具であり、魔法であったりするという伝説も在る。
「それはどこに、あるの、ですか」
 珍しく、積極的にルイナが聞いてきた。端から見ると、いつもより取り乱しているようにも見えるのだが、それほどエンのことがかなり心配なのであろう。
「ワシの故郷、エルデルス山脈に師匠がその道具を保管しているはずじゃ」
「ブーキーが? 全く、彼の収集活動は衰えていなかったのか……」
 既にこの世にいない戦友の弟子に、そのまま彼に言うかのように不満をもらす。実際、彼と旅をしているときの収集意欲は並ではなかったのだ。現役を退いた後でもそのような伝説道具を収集するとは思ってもいなかった。
「今すぐ行こうぜ。手遅れにならねぇうちにな」
 これまた珍しく、ミレドがエンを助けるつもりの発言をする。彼の場合、エンはどうでもいい存在なのだ。恐らく、忠誠を誓ったルイナが悲しむことを阻止したいのだろう。
「……わ、私は……」
 最後までオロオロしていたエードがやっと発言する。この中で、最もやる気がないのは間違いなく彼だ。
 だからといって、ここに残るのも、今から一人旅に出るのも寂しいし悔しい。どうせなら、愛しているルイナのためになるよう、少しでも努力すべきだという結論を下す。
「……私も、行かせてもらうぞ。ケンを元に戻さないと世界が危険らしい」
 名前を、やはりわざと間違えながら、それらしい理由を言って席を立つ。
 出発の準備はすぐにできた。

 エードの移転呪文で、一瞬にしてエルデルス山脈に到着する。
 リリナに使ってもらえばよかったのでは、という疑問を当然エードは持ったのだが、その質問を本人に直接聞けるほど大胆な者ではない。
「では、取ってくるとしよう」
 ファイマだけが武器仙人の酒場へと入り、残りは外で待機する。今はちょうど吹雪いてもないし、ぞろぞろと皆で行ったとしても邪魔になるだけだ。どうせなら、暖かいコーヒーや酒が欲しかったのだが、今更言っても遅い。そのようなことを頼める雰囲気ではないのだ。

「……師匠、戻りました」
 武器仙人がいた部屋の前で、ファイマは一礼する。だが、彼はもう感づいている。
 自分の師が、既にこの世にいないことを。
 それでも、挨拶は交わすことにする。それは自分に溜まっている悲しみを和らげるための現実逃避でもあるのかもしれない。
「お借りします」
 一束になっている鍵を持ち、部屋を離れる。そのまま地下室へと行き、コレクションルームの鍵を開けて扉を開ける。重い音を立てながら、扉は簡単に開いた。
「心霊神歌、これか」
 それは二つの丸薬のようなものだった。
 先にそれを飲んだ者が、後に飲んだ者への精神界へと一時的に入り込めるという効果があったはずだ。それを掴み、すぐに部屋を出る。
「戻ってきたばかりじゃが、また行かせてもらいますぞ。師匠との約束を果たすために」
 会話の相手はいない。この部屋の主人はいないのだ。
 ――エンを頼む。
 そう言われて、結局はエンを闇道へと落としてしまった。それは自分が弱かったからだと思っている。だからこそ、強くなろうと思った。
 今以上に強く。自分に秘められている『力』を完全に制御するほど、つよく、つよく、強く。

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