-59章-
復活を願う者




 気が付けば、そこは闇の中だった。
 遠くから、声が響く。誰の声だろうか。
しぶといな。まだ残っていやがったか……
 遠くで聞こえている声はしかし、耳元で囁かれているようでもあった。
完全に消滅してしまえ。そうすれば、オレは俺になる
 声が途絶えた。その途端に、多数の魔物たちらしきものが溢れ出した。暗闇でわからないが、殺気と気配でそれが解った。
 それと、自分の格好……鎧をつけている。手には斧を持っている。
 この状況で考えられることはただ一つ。
 この闇から抜けるためには、周囲の魔物を一匹残らず叩き斬るのだ。


 心霊神歌は手に入れ、残るは、エンという精神人格が完全に失われていないことを祈ることと、なんとかエルマートンとの接触を実行するだけだ。
 エンの人格が失われていなくても、本当に元に戻るか解からないのだが、できることは何でもしておきたい、というのが今の状況である。
 問題は幾つかある。誰が精神界に入り込むか、空を移動する魔王城にどうやったら移動できるか、仮に魔王城に入れてエルマートンと接触できるか、などだ。
「エンは、いやエルマートンは人間なんだろ? なんで同じ人間を殺してんだ?」
 ミレドがふと思った疑問を口にする。それは少し考えれば解かる疑問だった。
「対象が変わっただけじゃよ。ワシらは魔物を斃そうとしているようなもの。そして人間を守ろうとしている。それが変わって、魔物を守ろうとし、人間を斃そうとしておる」
 だから、やっていることは自分たちと同じなのだ。ただ対象が違うだけで、しっかりと人間的思考で行動しているのだろう。
 ミレドの疑問はそれで終了し、本題に入る。まずは誰が精神界に入り込むかだ。
「私が行き、ます」
 危険ではあるが、ルイナが適任であることは誰もが(エードを除く)思っていた。あとは、エルマートンとの接触方法である。
「ルーラで直接魔王城に……は駄目だな」
 常に移動している魔王城に移転呪文で行くには無理がある。ルーラは定まった地にしか行けないのだ。目に見えていたら別ではあるが。
「いや、行けるかもしれんぞ」
 またもやファイマの言葉に全員が驚かされた。
「ここに虹色のキメラの翼がある。特殊な翼でな、願う場所にならどこへでも行けるはずじゃ」
 師の珍品宝庫室コレクションルームにあった珍品の一つだ。何かの役に立つと思い持ってきたのだが、今すぐにでも役に立つことが判明した。
 問題は、それは使用者が移動できないので、誰かがここに残らねばならないのだ。
「で、では、私が……」
「あたしでいいわよね?」
 エードが遠慮がちに申し出ようとしたところを、リリナが遮って同意を求める。ロベルは頷いているが、他の者たちは唖然としてした。当然ルイナは除いて。
「何故、貴方は行かないのですか?」
 本来、大賢者と呼ばれるほどの実力をリリナは必要なはずである。その人物が魔法を全く使わなかったり、今回の戦闘にも参加する勢いは見せないのだ。期待外れにもほどがある。
「しょうがないでしょ! あたしが行っても意味無いの!!」
 エードはさらに何かを言い募ろうとしたが、リリナがそっぽを向いてしまったため、黙ることにした。もしかしたら、後ろを向いて呪文の詠唱をしているのではないかというほどの殺気を放っていたようにも見えたからだ。
「とりあえず急ごう」
 ロベルが促し、全員が気持ちを切り替えた。魔王城のどこにエルマートンがいるか分からないが、虹色のキメラの翼を使用すれば、もしかしたら行けることができるかもしれないのだ。ならば少しでも急ぐべきだろう。
 表に出て虹色のキメラの翼をリリナが掲げる。
「魔王城へ!!」
 その一言で翼は輝き、ロベルたち五人の身体は薄れ、一瞬で消える。
 残ったのは、効果通りリリナ一人だけだった。
 一人になってやっと気付く。
「どうやって帰ろうかしら?」
 エルデルス山脈の気温は、リリナにとって寒すぎた。


「『魔王城へ』か。どうせなら『エルマートンの所へ』って言って欲しかったな」
 ロベルが嘆息混じりにロトルの剣を召還する。周りにいるのは魔物、魔物、魔物、魔物、魔物、魔物、魔物。当たり前だが魔物だらけである。
「しかし、こやつらどこかで……」
 見た覚えがあると言いかけて、ファイマはその表情が険しくなる。魔物と魔物を組み合わせたような魔物。数日前に戦ったシャキスの姿が見られた。
 だが、シャキスにしてはやや形が違うし、全体の色も違う。何よりあれだけ礼儀正しかった言葉はただの鳴き声でしかない。量産型、という考えが頭に浮かんだ。
 それと同時に、シャキスが言った最後の言葉を思い出した。
 もし、同じ姿をしたものを見つけたなら、全て葬ってくれと――。
「……フージ、なのか?」
 ロベルも、先日の空間で戦った相手を見つけたようだ。
 やはり違和感があるのか疑うような口調だったが。
 他の三人も、顔を厳しくしてそれぞれ特定の魔物を見ている。
「……一気に行くよ」
 戦いの勘を取り戻した今なら、負ける気がしなかった。
「光牙神流奥義――緋雷空斬破ひらいくうざんは!!」
 前方に無数の雷と真空破が流れ、突進するかのような剣の物理攻撃が一瞬で行われた。
 それだけで、フージに似た魔物は斃れていく。
「どうした! フージの方がまだ強かったぞ」
 フージより強くても困るのだが。
「よし、ワシらも行くぞ」
 ロベルに続こうとして、しかし身体に妙な違和感があるのに気付く。
 身体が闇に飲み込まれようとしているのだ。
「な、なんだ?!」
 ミレドのそれに答える者はおらず、闇は一瞬にしてそれぞれの身体を取り込んだ。
 闇が消えるころには、誰もいなかった。量産型の魔物たちが、いきなり消えた人間達のいた場所を不思議に眺めるだけである。

 水音が三つ。
「また、海かよ」
 ミレドが海面に上がって不満を漏らす。真上に魔王城が見えるのだが、直接真下の海に叩き落されたようだ。
「ロベル殿と、ルイナがおらぬぞ!」
 隣にいるのは、不満を漏らすミレドと、重い鎧のせいで溺れかけているエードだけだ。
 溺れかけているエードは、このような状況でわけの解かるような解からないような考えをしていた。
「(今度、水に浮く鎧を買おう……)」と。


「こ、ここは?」
 先日ここに来た時、休憩を取った部屋だ。エンは睡眠、ルイナは薬品調合、ミレドは金勘定、エードは剣の手入れ、自分は瞑想、ファイマはどこから出したのか分からないコーヒーセットで寛いでいた。
 そして、さらに前の過去、死魔将軍の最後の将と戦った場所でもある。
「よぉ、まさかあんな所にあんな場所があったなんてな。お前らが勝手に入ってくれたおかげで、ネクロの野郎の秘密部屋も少しだけ発見できたぜ」
 気軽に話しかけてきた魔物の、気配がなかった。もしかしたら、自分が動揺していただけかもしれないが。
 とにかく、それはそこに立っており、その声には聞き覚えがあった。姿形こそ違うが、この雰囲気は知っているものだ。目の前のそれは、かつて四人で斃したはずの相手だった。
「フォル、リード?」
 整った顔立ち、黄色い髪の毛、銀色の瞳などの姿そのものは人間である。
「人間の強き心とは、こうも心地が良いとはな」
 どうやら、聖邪のオーブは魔物に人間の強き心を合成させ、さらには死者さえ復活させることが可能らしい。だが、そのような行為が許されるはずが無い。この世の法則を無視するような力とはいえ、無視するにもほどがあるというものだ。
「あの時の恨みはまだ残っている。今からその恨みを果たすとしよう」
 フォルリードは剣を抜いた。どこで手に入れた代物か、それは『伝説級』として名高い雷鳴の剣だった。勇者で無くとも、剣に認められたものは聖なる雷を操られるという。
「僕たちに斃されたことかい?」
 ロベルはもとからロトルの剣を召還していたので、それを構えるだけの形となる。
「それもある。だが、ジャルート様への通過点としてしか見ていなかったあの目、言動! それら全てが俺を怒らせた!!」
 殺気篭もった銀色の瞳で睨みつけ、フォルリードは剣を握る力を増幅させる。
「そして、今もだ! 俺を斃せばいいだけと思っている!」
 確かに、ロベルの心境はそうである。死より蘇った雷魔将軍を斃せば、皆と合流できるかもしれないし、ここからの脱出も可能だろうと考えている。
「今度は、お前が死ね。勇者ロベル!」
 地を蹴って、最強である勇者の若者に斬りかかって行った。


 ルイナは暗い部屋に飛ばされていた。どうやらまた移動させられたらしい。前と同じく、進んで行けば皆と合流できると思い、歩を進める。
 だが、今回は違う。皆とも合流できなかったし、特別な部屋でもないようだ。唯一特別なことと言えば、エルマートンが待ち構えていたことだろう。

「来たな。片割れ」
 覇魔牙の剣を握ったまま、ルイナを値踏みするような視線で見つめる。言葉通り、ルイナに少しエルマートンの精神が分割されているため、今の状態だとエルマートンは完璧な精神力を取り戻せていないのだ。故に、まだ勝機はある。
「…………」
 当然ルイナは無言で、水龍の鞭を召還した。
「お前さえ取り込めば、俺は完璧になる」
 どうやって取り込むのか、と聞きたくなるほどだったが、今はそれどころではない。手遅れにならないうちに、コチラから仕掛けるしかないのだ。
 ルイナは心霊神歌の片方の飲み込み、片方を手に持つ。まだエンの癖を残しているのなら、ルイナは確実に薬を彼に飲ませることができるだろう。
「さて、物は相談なんだが……取り引きをしねぇか?」
 ニヤリと笑ったままエルマートンが話を進めようとするが、ルイナは聞いていなかった。いきなり、水龍の鞭を使って攻撃を仕掛けたのだ。
「おいおい。こっちは話し合いで解決ようとしているんだぜ?」
 確かに、向こうの方が正論のように聞こえるのだが、こちらにはコチラの事情があるのだ。魔法でも使ったか、と思わせるほどの移動速度でエルマートンとの距離を縮める。
 エンの癖が残っているならば、二呼吸後に口を開くはずだ。
 一、二。
「オ――!」
 オイ! とでも言おうとしたのだろう。一瞬口が開かれた。だがルイナにとって、その一瞬があれば十分だ。
 心霊神歌の片方をエルマートンに飲ませることに成功したのだ。
 ルイナの意識が急激に奪われつつあった。強制的に眠らされる感触、そんな感覚の中、エルマートンが先に倒れるのを確認した。


 ――暗い。先ほどまでいた部屋も暗かったが、この場所は格段に暗いのだ。そして、足元には変な感触がある。柔らかくて硬く、湿っている。生温かいような、冷たいような。身体全体の感覚は夢を見ているかのようなものだが、意識的に体を動かすことはできる。
 それでも足元の感触がしっかと伝わってくるので、妙な場所だということ、ここが普通の空間ではないということを実感できるというものだ。
 それにしても暗い。エンの精神界ならばもっと明るいのではないかと思えたが、数歩先は何も見えないほどの暗さだった。
 目がその闇に慣れる、というのがこの空間内では無いのだろうか、全く視界が広がらない。立っているだけでは埒があかないので、とりあえず進んでみる。
 足元の感覚は、歩くたびに不快な感触を伝えた。臭いこそないけれど、とてつもない異臭が漂っている気がするのだ。道は上下が激しく、歩きにくかった。
「…………エン?」
 歩き続けた先に、紅いシルバーメイルだったものを着ている若者を発見した。その鎧はボロボロに崩れ、取ったほうが邪魔にならないのではというほどである。
 手には火龍の斧が握られている。
「……また、か」
 ただ呆然と立ち尽くしていた。エンが、虚ろな目でこちらを見てきた。顔もやつれており、この若者がエンかという判断を鈍らせる。
 その判断を更に鈍らせるのは、エンらしき若者の行動である。
 いきなり火龍の斧を振りかざし、ルイナに斬りかかってきたのだ。
「――!?」
 なんとかそれを躱し、ルイナは水龍の鞭の召還を試みる。問題は召還できるかどうかだ。ここはエン(あるいはエルマートン)の精神界なのである。精神力を武器と化する武器召還ウェコールが、相手の精神界の中で成功するのか。
 結果は失敗だった。
 相手の精神界の影響下にいるせいだろう。自分の武器を召還することなど不可能らしい。
 二度目の攻撃をかわしたとき、エンらしき若者の笑い声が響いた。
「今回は、強い魔物だな。こいつを斃せば、ここから出られるかもな!」
 その言葉に、ルイナの瞳が大きく揺れた。間違いなく目の前にいる若者はエンだ。精神界の中に捕われ、魔物を全て斃したらここから出られると信じているのだろう。
 そして、その言葉を意味するのは足元のそれらだ。
 それは数多くの魔物の死骸。湿りは血で、冷え切ったものと、まだ温かいものなど。柔らかいのは魔物の肉で、硬いのは骨だったのだろう。歩きにくいわけだ。地面全てが魔物の死骸なのだから。
「死ねぇっ!」
 ルイナは信じられない光景を見ていた。エンが自分に攻撃を仕掛けてくるなど、思ったことなどなかったのだ。それ故、自分を失いかけるほど悲しみがルイナを襲った。
「エン!!」
 かなり取り乱しているのだろう。自分でも信じられないほどの大声で、若者の名を叫ぶ。
 それも、無駄であった。
 目が見えていないのか、瞳の色は擦れ、焦点も定まっていない。それでも正確な位置に斧が来るのだから、天才的な戦闘センスといえよう。
 三度、躱した。しかし次も避けられる保証はない。どちらかというと、一撃目よりも狙いが定まっているのだ。このまま攻撃を受ければ、次にでも腕が飛ぶかもしれない。
「がぁぁあぁぁぁっ!!!」
 獣の咆哮かのような雄叫びを上げて、四度目の攻撃が来た。
 その攻撃が来るのは分かっていた。分かっていても、避けられるということはない。だからこそか、それとも無意識的にか、ルイナはエンの懐に入り込んだ。
 肩が裂けて、血が吹き出る。精神界でも、痛みはあるのだなと考えつつルイナはエンに抱き付いた。
 両手を封じ込めたわけではあるが、蹴りが来たらお終いである。だがそれすらせずに、エンは暴れているだけだ。ルイナをどかそうと努力しているのだ。もはや、何も考えずに突進するだけの獣でしかない。
「エン……もうやめて、ください」
 エンは行動を止めず、再度ルイナの腕から脱出するように暴れる。
「エンっ!!」
 再び、自分でも信じられない叫び声にも似た大声で名を呼ぶ。

 ピタリと、エンの動きが止んでいた

「……エン?」
 数十秒ほど経っただろうか。急に静まった腕の中にいる若者の名を不思議そうに呼んでみた。
「……お前でも、そんな表情する時ってあるんだな」
 暴れるわけでもなく、自然にエンの腕が自由になる。その腕から伸びる手を、ルイナの頭の上に置いた。その下の顔には、涙の筋ができている。ルイナも言われて初めて気付いた。無意識に涙を流していたらしい。
「もう、大丈夫だ。ありがとな」
 微笑を浮かべて、礼を言う。すぐさま、肩の傷の詫びも述べた。
「…………エン」
 安心したように若者の名を呼んで、若者の胸に全身を預ける。
 正気に戻ったエンは、それをしっかりと受けとめた。

「俺の精神界で、勝手な行動しては困るな」
 エンと同じ声が、二人にかけられる。
「何言ってんだ。本当は、オレの場所だぜ? ここは」
 ルイナをどかして、その声の方向へ向く。エルマートンが立っていた。どのような手段を使ったかは知らないが、どうやら彼も己の精神界へと入ってきたらしい。
「精神界に二つの人格はいらない」
 今はある意味、三つではあるのだが。
「消えるのは、お前だろ」
 ――?
 ルイナは何か不思議な感覚をエンに抱いた。焦るのではなく、なにか余裕を持って会話をしているのだ。緊張するという行為を全く見せないのだ。
「ふん。やはり、俺が直々に殺しやるしかないようだ」
「やってみろよ」
 その言葉に怒って、というわけでもないだろうが、エルマートンが攻撃を仕掛けてきた。
「オレが負けるわけないだろ」
 彼の言葉を、ルイナはすぐに理解できなかった。これほどの自信が、どこから出てくるというのだろうか。だが、それを信じさせるほどの意思が、彼にはあるのだ。
「ふざけるな! 死んでここから立ち去れぇぇ!!」
 邪気を撒き散らし、エルマートンの剣がエンを捕らえそうになった。
「……『瞬・連・水』! フレアード・スラッシュ!!」
 その瞬間に何が起きたのか、ルイナの目には見えなかった。
 エンがF・Sフレアード・スラッシュを放ったのは分かる。分からないのは、エルマートンの身体が一瞬でボロボロに斬り裂かれている理由である。連携F・Sも、エルマートンが使っていたものと違う言い方をしていた。
「な。オレの勝ちだろ?」
 すでに、エルマートンという人格は消滅していた。

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