-63章-
狙われた者



 マナスティス・ゼニスの発動ともに放たれた光は天を貫き、天井を破壊していた。外は雨が既に降っていたのだろう、開いた天井から冷たい水が降り注ぐ。

 ――フシュゥゥ。

 蒸気の音にも似た呼吸音。かつて『法賢者』だった目の前の者は、最早人間ではない。
 遠くから見れば、神々しい翼はさぞ立派に見えるだろう。
 だが、間近で見ているエンは恐怖しか感じなかった。
「なんだ、こいつ」
 本能的に火龍の斧を構える。
 雨に濡れることを気にも留めず、『法賢者』だった者は、きょろきょろと辺りを見回し始めた。まるで、ここがどこなのかを知らないような素振りである。だがやがて視線が一点に定まる。
 向き先は、エンだ。
「!」
 いきなり手をエンに向けたかと思うと、そこから火の玉が打ち出された。身構えていたエンは咄嗟にそれを躱す。
 躱した火球は背後に着弾し、それと同時に何者をも焦がす火柱となった。
「メラゾーマか?!」
 いくら炎に耐性があるとはいえ、威力を見る限り直撃は致命傷になりかねない。
「いかん! その武器を戻せ!!」
「え?!」
 エンに指示を飛ばしたのはマハリである。裁判は始終大人しくしていた彼だが、この事態にじっとしているわけにはいかないと判断したのか、とっくに被告人席を離れていた。
「どういうことだよ」
「いまそいつは自分に害のあるものを排除しようとしている! 単純に強い力を見つけては、無差別に破壊するつもりだ!」
「そんなこと言ったって!」
 マハリの言う事が本当だとしても、今この場で『龍具』を手放すのはそうとうな覚悟がいる。もしマハリの言う事が間違いだったら、無防備な状態になってしまうのだ。
「バカかお前! 『龍具』以外にしろってことだ!」
 ミレドが盛大にエンを罵りながら傍聴席から飛び降りる。ここまで来たら盗賊ギルドの面子も責任も立場も関係ない。発動してしまったマナスティス・ゼニスは恐らく、人間の害にしかならない。
「あぁ、そうか」
 武具召還を行う時はずっと火龍の斧を召還していたので忘れていたが、他のものを召還することができるのだ。わざわざ精神に戻して再度召還するよりも、武具変換を行ったほうが手っ取り早い。
 久々すぎて瞬間的に武具変換、とまではいかなかったが、無事に鉄の盾に変換する。もう少し魔力防御のできるものを召還したかったが、防具に関する武具召還の修行は怠っていた為これがエンの限界である。皮の盾じゃないだけマシ、というのがエンの言い分だ。

 ――フゥゥ。

 マハリの言った通り、『法賢者』だった者はエンが火龍の斧を消した瞬間にエンへの興味を失くしたようだ。新たな獲物を探しているのか、また辺りを見回し始めた。
「ミレド、これどういうことだよ?!」
 隣まで走ってきたミレドにエンが説明を求めるが、ミレドはあからさまに嫌そうな顔をしている。
「話すと長ぇぞ」
「え、じゃあ短めに頼む」
「禁呪の魔書が見つかった。盗まれた。こいつが持ってた。使った。暴走した。以上だ」
「え、えーと」
 単純に事実だけを並べて見たが、それでもエンは理解が追い付かなかったようだ。
「禁呪が暴走したんだ」
「よしわかった。止めれば良いんだな!」
「そう思っとけ」
 最初からこう言うだけでよかったのか、とミレドは嘆息気味に呟いた。
「『法賢者』ぁ! 貴様、裏切ったな!!」
 ようやく事態が飲みこめたのか、ドレシックが怒鳴った。目は血走っており、そうとう怒り狂っているようだ。
「その魔書を渡した恩を忘れたかぁ!」
 ドレシックが『法賢者』だった者に向かいながら、右手に武具を召還する。『伝説級』に分類される獣王の爪である。
 きょときょと辺りを見回すだけだった『法賢者』だった者が、ぎ、と首をもたげたようにしながらも視線を一点に留まらせる。恐らく、ドレシックの獣王の爪に反応したのだろう。
 ドレシックはたかが魔書の暴走としか思っていないらしく、そこから発せられる強烈な魔力に気付いていない。
「裏切り者には制裁を! 覚悟し――」
 ドレシックの言葉は、最後まで続かなかった。
 ヒュン、と風を切るような音が過ぎ去ったかと思った次の瞬間、ドレシックの首は胴体から切り離され、上空に舞い上がったのだ。
 ぼとり、とドレシックの首が地面に落ちる。痛みを感じることがなかったのだろうか、怒った表情のままで、これをこのまま切り離された部分に置いても不自然ないのではとさえ思ってしまう。
「な……」
 何が起きたのか、一瞬わからなかった。
 『法賢者』だった者を見ると、片手をドレシックに突き出した態勢で止まっている。
 大聖堂に集まった貴族たちも、同じく何がどうなっているかまるでわかっていない。
 理解が浸透するよりも早く、『法賢者』だった者は更なる行動に移した。
 突き出した片手を、別の人物に向ける。それは、全てを『見る』ことのできる魔法を持つ者。
 その男は『法賢者』だった者を見ることで悟った。
 そこにある力が、どういうものであるか。そして、自身がどうなるかを。この力に狙われて、逃れられるはずがない。どうしても結果は同じである。これは諦めではない。当然の帰結でしかない。
 放たれた極炎の火球は『見る』者に直撃し、その熱さを絶叫するよりも早く喉を焼かれていった。踊るようにのたうったのもほんの一瞬で、全てを『見る』魔法を会得した者はあっさりと消滅してしまった。
 ドレシックの首が舞い、それが落ちて、ドレシックが死んでいることが浸透した瞬間。
 それから、『見る』者が炎に包まれて骨すら残さず消滅してしまったことが浸透した瞬間。
 それはほぼ同時だったのだろう。

 爆発した。

 会場内は悲鳴が重なり、叫び、我先にと出口へ急ごうとする。神々しいと思っていたものが、ようやく恐怖するべきものと理解した途端、次の行動は大混乱である。
 そんな恐慌の嵐に興味はないかのように、『法賢者』だった者は新たな獲物を探し始めている。
「エン……」
 名を呼びながら、ルイナもエンの隣まで走ってくる。その後ろには、ホイミンとしびおがついてきていた。
「ルイナ? 他の奴らは?」
「避難の、誘導に」
 ルイナだと人々を誘導するのには向かないし、ホイミンとしびおは仮にも魔物である。この大混乱では更にややこしいことになってしまう。
 傍聴席にいた貴族たちの避難は、エードとファイマに任せておけば何とかなるだろう。
 問題は、目の前の『法賢者』だった者をどうするかだ。
 武器を持てばそれに反応して攻撃してくる。恐らく魔法を使おうと魔力を集中させたら、それに反応するだろう。そして魔法を放つ前に、『法賢者』だった者は対象を排除しにかかる。
「どうすりゃ良いんだよ」
「……相手は、一人、です。複数方向から、同じだけの魔力を発生、させれば……」
「同じだけって……それむちゃくちゃ難しくないか」
 『法賢者』だった者は最も魔力高い相手を狙うだろう。それに、全く同じにしたところでどちらにするか迷うわけでもなく順番に排除しにかかるはずだ。
「要は、死ぬ前に斃すってことだろ」
 と、マハリがルイナの提案の意味を言った。
 しかし、その作戦も、無意味と化してしまった。
「なんだ?!」
 『法賢者』だった者が蹲るようにしたかと思うと、その背中がぼこぼこと泡立ち、ぐずりと別の何かが飛び出した。
「増えやがった……」
 『法賢者』だった者と比べれば小ぢんまりとしているが、内包している魔力は同等のものを感じる。
「おうおう、暴走体はいったいどこまでできるのかね」
 マハリがあまりにも自然に言ったので、聞き逃すところだったが、聞き慣れない単語に対して、エンはマハリを横目で見た。
「なんだよ、暴走体って」
 言葉からしてなんとなくわかるが、聞いておく。
「そのまんまだ。目の前の魔書を使って暴走したやつをそう呼ぶんだよ」
 つまりこれは『法賢者』ではなく、既に魔書の暴走体なのだ。
「どこまでってのは?」
 エンが重ねた質問に答えたのは、ミレドである。
「そもそもマナスティス・ゼニスって魔法自体がどんなもんか解明されてないからな。名前からして、神にその身を近付ける魔法らしいってことくらいしか解っていないんだ」
 もしかしたら今の暴走体が、本当はマナスティス・ゼニスの効力であっているかもしれない。
 だがどちらにせよ、無差別に攻撃をしかける相手を放っておくことはできない。
 自分の小さな暴走体を生みだした本体は、また視線をぐるりと彷徨わせている。
 その視線が、止まった。
 次の獲物でも見つけたのかとその視線を追うが、先にあるのはまだ壊れていない天井である。外に何かがあるということなのだろうか、確かめるよりも早く、暴走体の羽根が羽ばたいた。
「今度はなんだ!?」
 バサリ、と羽を一打ちしただけで、暴走体は破壊されていた天井よりも高く飛んでいた。
 それを追って、分身も舞い上がる。
 あまりにも唐突な動きに見ていることしかできなかった。
 暴走体と分身は、それぞれ別の場所へ飛んで行ったのだ。
「どこ行きやがった」
 あんな危険極まりない暴走体が街に出てしまっては大事だ。今は己の障害になるものしか破壊対象にないようだが、ずっとそれだけという保証はどこにもない。今まさに無差別に辺りを破壊しつく可能性もあるのだ。
ここから逃げ出している貴族たちは、その逃げようとしている対象が外に出ていることも気付いていない。
「憶測だが……コリエード家と、ストルード城だな」
 と、マハリが唸るように言った。
「わかるのか」
「ほれ、俺がコリエード家で面白いもん見つけたって言っただろう。あれな、三界分戦の遺産だったんだ」
 マハリがあまりにも気楽に言ったので、危うく聞き逃す所だった。
「な……三界分戦の遺産だぁ?!」
 三界分戦の遺産と言えば、エンは魔界で見たことがある。ジャミラスが蘇らせた、エビルエスタークという強大な機械兵である。それと全く同じというわけでもないだろうが、それと同等の力を持つであろうものが、人間界(ルビスフィア)の街中に転がっているというのか。
「あいつの家は代々変わっているからな、武具の収集癖のあったルルルルック=コリエードの代に入手していたらしい」
 もともとエードの家系はちょっと変わっているが、遡ってもそれはどうやら同じらしい。
「ストルード城は?」
「中央大陸の代表国家だからな。危ねぇもんの一つや二つは持っているだろう」
 それも三界分戦の遺産かどうかはわからないが、暴走体が反応するほどの力を秘めているということだろう。
「ともかく、止めねぇと……おい、エード、ファイマ! こっちに来てくれ!!」
 逃げ惑う貴族たちを誘導していた二人に呼びかけると、二人とも暴走体がいなくなっていることでなんとなく事情は飲みこめたようだ。ここから逃げ出しても、特に意味はない。せいぜい逃げ出す時に怪我をしないことを心配するくらいだ。
「暴走体はどこへ行ったのじゃ」
 貴族たちの避難の誘導を打ち切って駆け寄ってきたファイマが開口一番にそれを聞いた。ファイマはあれが魔書の暴走体ということをとっくに知っていたらしい。
「エードの家かストルード城かもしれないんだってさ」
「私の?!」
 エード自身が驚愕するのも無理はない。自分の家にあんな凶悪な暴走体が押し掛けてきたらと思うと、たまったものでないだろう。
「両方、かも、しれません……」
 ルイナが静かに言った。
「増えたもんな」
 暴走体から生まれた分身は本体より小さかったが、数は増えている。本体と分身体がそれぞれの場所へ向かっているはずだ。
「止めに行かないと! 私に家には母上が――!!」
 それを聞いた瞬間、エードが駆け出そうとした。
「待ちな。今から走って行っても暴走体に追いつけるはずがねぇ」
 マハリの制止に、ぴたりと止まってエードは悔しそうな顔で睨みつけた。
「しかし行かなければ止める事もできないでしょう! 早く行かないと!!」
 エードらしからぬ怒鳴り声に対して、ミレドがわざとらしく舌打ちした。
「他の移動手段で行くってことだ」
「他の……?」
「今まで違ってルイナ様がいるだろ」
 ルイナの持つ『龍具』である水龍の鞭。そこから旅の扉の泉の水を放出することで、瞬間的に移動する事が出来る。転移呪文(ルーラ)を使うよりよっぽど早い。
 今までエンたちと別行動をしていたせいか、それができることをすっかり忘れていたようだ。
「ルイナ、行けるか?」
 エンの聞くと、既に彼女は水龍の鞭を召還してそれを操っていた。
「俺様とマハリのじいさんでストルード城に行く。テメェらはエードの家に行け!」
「ミレド? どうして」
「三界分戦の遺産がエードの家にあるなら、本体はそっちに行ったはずだろ。分身体くらいなら俺様たちでなんとかならぁ」
 言うなり、ミレドは駆け出した。マハリがそれに続く。
 ストルード城は大聖堂を出たらすぐだ。転移呪文(ルーラ)やルイナの移動手段を使うまでもない。
 すぐに二人の姿も見えなくなってしまっていた。


 エードの父、ペロンはその日、書斎にいた。
 大聖堂ではストルード国民が注目しているマハリの潔白証明裁判が行われているのだろうが、あいにくと興味はなかった。
 息子のポピュニュルペに盗賊を追い出せと言ったにも関わらず、今日までついに実行しなかったことや、不愉快な程の曇り空がペロンを苛立たせていた。
 曇り空は雨雲に代わり、雨が殴るように降っている。窓硝子を煩く叩きつけ、書斎で書類に目を通していたペロンを余計に苛立たせた。
 憂うべきはコリエード家の存続だ。
 誇り高きこの家を、自分の代で終わらせるつもりは毛頭ない。
 家を出て行ってしまった長男はもう戻ってこないだろう。あのような別れ方をして、戻ってくるはずがない。だから、ポピュニュルペを長男とすることにした。最初から、長男はポピュニュルペだったことにすればよかったのだ。
 ポピュニュルペが兄を探す旅に出ると言った時、既に考えていたことだったが、世界を渡り歩き見聞を広めるのも立派な経験だ。それに、ポピュニュルペは実力が心許なく経験でも積まなければコリエード家を任せられるに至らなかった。
 だが、今や北大陸最強と歌われる冒険者チームの一員となった。それだけで、もう充分だ。そこまでの経験を積んだのならば、後は冒険者活動にうつつを抜かしている場合ではない。
 コリエード家の長男としての教育を、骨の髄まで仕込まなければならないのだから。
 ところが肝心のポピュニュルペは、盗賊を追い出せと言ったあの日から巧みに接触を避けており、ついに今日まで来てしまった。
 情に流されているのだろうが、それではまだわかっていない。
 コリエード家の跡継ぎとしての振る舞い、思想。その全てを叩き込まなければならない。
 そう考えれば考える程、雨音はうるさく窓を叩き、空は黒くなっていく。
 ただでさえ苛立っている気分がさらに暗くなりそうで、ペロンは書斎を出た。
 ティールームでお茶の一杯でも飲めば、少しは気が晴れるかもしれない。
 窓の外は相変わらず激しい雨だ。
 否、相変わらずではないものが見えた。
「なんだ?」
 それは光。
 大聖堂から立ち上った、神々しく、魅了されるような光。
 ついさっきの苛立ちを忘れるくらいに見惚れてしまった。
 天をも貫く光は消え去り、そんなものはなかったと言うかのように激しい雨の風景に戻る。
 確かに見た。大聖堂で何かが起きたのかは分からない。
 ペロンはしばらくそこに立っていた。もしかしたらまた何か起きるかと期待したからだ。
 されどもいつまで経っても何も起こらず、やはりさきほどの光は幻覚だったのではないだろうかとさえ疑い始めた頃、大聖堂から何かが飛び出した。
 先ほどのような光ではない。
 だがその光を小さくしたような点が、雨の中に浮かんでいる。
「あれは……?」
 目を凝らして見るが、雨のせいで視界は悪く、ただの光の粒にしか見えない。
 不規則に飛んでいるようだが、その正体までは分からない。
 分からないが、少しずつ大きく、そして近くになっているような気がする。
「(違う!)」
 大きなっている気がする、のではない。近くになっているような気がする、ではない。
 確かに近付いているのだ。それも高速で。
 それを理解したのと、飛来して来た光が窓硝子を突き破ったのは、ほぼ同時であった――。


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