-64章-
誇り高き剣



 身体が浮遊するような感覚は、転移呪文(ルーラ)と似ているようで違う。そして屋内でも移動ができると言うのは、転移呪文(ルーラ)にはない利点だ。
 景色が一瞬で変わり、そこは大聖堂ではなくここ数日で見なれたエードの屋敷である。
 だが、全員の目前に、見慣れてはいないものがそこにあった。
「さすがルイナだな」
 エンが強がるように言ったが、内心驚いているのだ。ちょうど目の前に立ち塞がるように、目的の相手がそこにいたのだから。
 見た目ばかりは神々しい翼を生やした魔物。まさに屋敷に侵入した瞬間だったのだろう。窓硝子がその辺りに飛び散っており、そこから横殴りに降っている雨が入ってきているが、床はそこまで濡れていない。
「ってあれ? 小さい?!」
 目の前にいたのは、暴走体から生み出された分身体である。
 三界分戦の遺産という強大な力に引き寄せられたなら、本体が来ていてもおかしくはない。ストルード城のほうが、より強力な力を持っているということなのだろうか。ともかくここに分身体がいるということは、暴走体の本体はストルード城ということになる。
「父上?!」
 エードの悲鳴にも似た声に振り向くと、エードの父親が硝子の破片ごと壁に叩きつけられていた。分身体が侵入したところに、ちょうど立っていたらしい。
「ポピュニュルペか……」
「……」
 意識はあるようだが流れている血は軽傷とは言い難い。エードが慌てて回復呪文(ベホイミ)を唱える。流れた血はそのままなので傷は治っても痛々しい姿は変わらず、エードは複雑な表情になってしまった。あれほど恐れていた父が、このような姿になってしまったのだから無理もない。
「大丈夫ですか?」
「……」
 エードの問いかけに、ペロンは仏頂面で正面を見た。その先にいるのは、無礼にも窓硝子を突き破ってきた魔物の姿。
「おい、どういうことだよ。本体がこっちに来てるんじゃないのか」
 言いながらも、エンが火龍の斧を構える。
「むぅ、どうやら本体はストルード城のようじゃな」
 暴走体がどのような特性を持つか分からないので、ファイマはバスタードソードを召還した。魔力を持つ武器ではないが、何が効果的か分からない相手に対しては無難な剣である。
「あいつらだけで大丈夫なのか」
 エンの言うあいつらとは、ミレドとマハリのことである。エンやファイマに比べたら、ミレドは戦闘能力の面では劣っている。いくら盗賊ギルド幹部クラスのマハリと一緒とはいえ、魔書暴走体の本体では分が悪い。
「何人かはストルード城へ行った方が良いな」
「何人かって……って!」
 何人だよ、と文句を言うより早く、エンはその場から飛び離れた。同時に、立っていた場所に氷の柱が立ち上る。あのままじっとしていたら氷の中に閉じ込められていたかもしれない。
 見れば、分身体が青い光を纏っている。どうやら冷気系の呪文を発動させたらしい。
「危ねぇな」
 火龍の斧を召還したことで分身体が最も身近にある『脅威』として認識したのだろう。
「……本体よりは、ずっと劣っている、ようです」
 呟くように言ったのはルイナである。
「そうなのか?」
 エンが問いかけると、こくり、と頷いた。
 確かに、先ほど暴走体と一緒にいた時よりは感じる魔力が随分と小さい。同じように感じていたのは、本体と一緒にいたからか。
「ふむ、本体との距離も関係しておるのじゃろう」
 ファイマの分析が正しければ、本体とずいぶん離れた分身体は大した力は持っていないようだ。とはいえ、曲がりなりにも暴走体から生み出されたものだ。そう簡単にはいかないだろう。
「えぇい、何をしている! 早く斃さないか!」
 意外な所から激昂が飛んできた。エンたちの背後からである。
「あんたは」
「お前たち下民はこういう時にいるのだろう! 私の家に入り込みまでしたのだから、それ相応の働きを見せよ!」
 エードの父、ペロンである。
「私を守り、早くそこの魔物を斃すのだ!」
「父上……?」
 言っていることは自分本位だが、ペロンは少しでも分身体から離れようとしており、その身体は小刻みに震えているではないか。
「警備はどうした!」
 ペロンの呼びかけに応えて、というわけではないのだろうが、ようやく館の警備兵がこの場に姿を現した。
「ペロン様!」
 警備兵たちが一度踏み止まったのも無理はない。賊の侵入かと思いきや、魔物の姿がそこにあるのだから。
「ペロン様をお守りせよ!」
 状況を把握したのか、分身体を脅威と判断し警備兵たちが一斉に分身体へ攻めかかる。
「あ、おい、よせ!!」
 警備兵はエンの制止も聞かず、警備兵たちは止まらない。
 叫び声すらなかった。
 ただほんの一瞬の出来事である。
 分身体の目が怪しく光り、その光を目の当たりにした警備兵たち全員が地に伏せることになっていた。
 どうやら強力な催眠術か何かの様で、死んではいないようだが気を失っている。
「何をやっている!? 早く、早く立ち上がり私を守れぇ!」
 ペロンが警備兵たちに怒鳴るが、起き上がる様子は一向に無い。
「父上……」
 未だに守れと指示を出し続けるペロンに対して、エードが複雑な思いで父を呼ぶ。
「早く、私をぉ」
「父上!!」
 エードの彼らしからぬ恫喝に、ペロンを含めて一同の視線が集まる。
「その姿が、コリエード家の誇るべき姿なのですか? 震え、自分の命さえ他人に守らせることが、誇り高きコリエード家の長として取るべき行動なのですか? 私から言わせれば……いや、誰が見ても情けない姿でしかありません! あなたが常日頃から言っている『コリエード家として』という誇りとは、私たちに押し付けようとしていたものとは、そんなに臆病で脆弱なものだったのですか?!」
 エードはペロンを睨みつけ、その表情は怒りと悔しさが入り混じっていた。
「ポピュニュルペ……」
「私をその名で呼ぶなぁ!!」
 逆らい難い一喝で放たれたエードの言葉にペロンはびくりと肩を震わせた。
「私はエードだ! あなたがつけた名前の、あなたの言うコリエード家の、ポピュニュルペ=コリエードになどなりたくはない! 私が信じる誇りを持つ、私自身のコリエード家の人間だ!」
 父から視線を外し、エードは白金剣(プラチナソード)を分身体へ向けた。
「私はあなたとは違う。私は誇り高き騎士だ。自分の命も、大切な者も、自分自身で守り、闘い抜いて見せる!」
 エードはもうペロンを見ていなかったが、ペロンは毒気を抜かれたようにその場にへたり込んだ。まるで魂を抜かれたかのように、先ほどまでの傲慢な態度を取っていた者とは思えないほどである。
「エンよ。お主はルイナと共にストルード城へ向かえ」
 ファイマの提案にエンが怪訝な顔をする。
「何で?」
「お主も今のエードの啖呵を見たじゃろう。ここはワシらで充分じゃ。それよりも、本体が向かったストルード城の方が気にかかる。ミレドとマハリ殿だけでは、荷が重かろうて」
 確かに、今のエードになら任せても大丈夫だと思えた。それにファイマもついているのだから、心配はないだろう。
「ケン、行って来い!」
 エードもそれを聞いていたのか、顔を向けずそれだけを言った。こんな時にでもわざと名前を間違えるのだから、エードも大したものだ。
「オレはエンだって言ってるだろ! ここは任せたからな!」
 とりあえず訂正しておきながら、エンは走り出した。ルイナがそれを追う。
 この場から離脱する者を、分身体は眺めるだけで追いかけようとはしなかった。
 エンたちの姿が見えなくなっても、分身体はこちらに注意を向けているのか警戒して動こうとしない。
 不気味な沈黙を保つ分身体と、それに刃を向けているエード。その二つが、ペロンの視界に入ってきている。ふと、倒れた警備兵たちが持っていた剣が、すぐ近くに転がっていることに気付いた。
「……」
 ペロンがおもむろに剣を取り、立ち上がる。そして、エードの横に並んだ。
「後ろでびくびくと怯えていて良いのですよ。冒険者の紋章も、魔物殺(モンスターバスター)の紋章も持たない一般人は、戦闘においては邪魔ですから」
 横目で睨みながら、あえて辛辣な言葉を選んだ。
「コリエード家は、剣術も一流だ」
 と、ペロンは対抗して言ったがその声が震えているので説得力は皆無だ。
「それでも邪魔です。下がっていて下さい」
「我が子にあそこまで言われて、引けるものか」
「妙なプライドこそ命を落とし易い。それに、ここで座ったままなら私は絶望したでしょうが、あなたは立ち上がった。それだけで、私は心置きなく戦える」
 聖騎士は他者を守り、祈りの力で戦う。ペロンがへたりこんだままだったら、その姿を守りたいとは思えなかっただろう。だが、ペロンは立ち上がった。自分自身にも誇りがあることを見せつけてくれた。エードにとって、それは守りたいと思えるに値するものだ。だから戦える。だからこの力を際限なく使える。
 いくら剣術を習っているとはいえ、魔物との戦闘に置いて一般人が邪魔になるというのも事実ではあったが。
「私を信じ、勝利を祈っていて下さい。それこそが、私の力になる!」



 ――激しい雨の中、エンとルイナは走っていた。
 威勢よくエードの屋敷を飛び出したまではよかったものの、一つ重大な問題が発覚した。
「そういやオレ、ストルード城の場所知らないんだけど!」
 例え場所を知っていても、この雨で視界が悪く、曖昧な記憶を頼りに辿り着く自信はない。
 だがそれを解決したのは、ルイナであった。
「そこ、右です」
「わかるのか?」
「前に、行ったことが、あります」
 聞けば、マハリの潔白裁判前夜にマハリを捜索するため外に出た時、ルイナはストルード城まで行っていたという。ルイナの記憶ならまず間違いないだろうし、この雨音の激しいこの中でもルイナの声ならば確実にエンへ届く。
「よし、任せた」
「はい」
 そこからはルイナの指示によって道を右へ左へと走りぬけて行った。
 この雨ではさすがに外には誰も出ておらず、だからだろうか、向かいから誰かが走ってくるのがわかった瞬間、警戒しながら速度を緩めた。
 向こうもこの雨の中を走る奇妙な二人組がいることに気付いたらしい。
 相変わらず雨が激しすぎてかなり近付かないと、互いの顔も分からぬ程だ。
 ようやく顔が判別できるくらいに近付き、エンと相手はお互いにあっと声をあげる。
「トチェス?!」
「エンさん?!」
 向こう側から走ってきたのは、剣士風の優男、トチェス=リールだったのである。
「何やってんだよ、この雨の中で?」
 それはまさしくエンたちも同じことを言われても不思議ではないのだが。
 だがトチェスは意を決したような顔をして答えた。
「……魔書の暴走体を追っています」
 その言葉に今度はエンが訝しむ。
「なんでそれを? ってそれを聞くのもおかしいか」
 トチェスは戦いを生業とする冒険者である。まだまだ未熟とはいえ、一般人とは違う。
 潔白証明裁判の場にいたなら、魔書の暴走体の事を知っていてもおかしくはない。
 だから正しく聞くべきは。
「なんでお前が暴走体を追っているんだ?」
 いくら魔書の暴走体を目の当たりにしたからといって、トチェスの実力で何とかなるレベルではない。エンたちと同じようにこの街で仲間と合流し、その仲間たちと共に、というわけでもなさそうである。
 今度はさすがのトチェスも言うのを渋ったように俯いたが、やがて顔を上げた。
「仇討、ですよ」
「仇って……?」
「『白爪派』代表のドレシック=ラーフスンは、僕の父親でした」
 トチェスの言葉に、エンも息を飲んだ。
「父の仇を討ちたいんです」
「……あの場にいたの、トチェスだったんだな」
 一瞬だけ、エンがドレシックの後ろに見かけた人影。
 確かに誰かがいたようだったが、他の皆は見ていないと言っていた。だが、本当はいたのだ。
 トチェスは黙って目を伏せたが、否定もしないということはやはりそういうことなのだろう。
 彼は誰にも気付かれることもなく潜み、エンたちの会話を聞いた。暴走体の本体が、コリエード家の屋敷に向かったということを。だから一瞬で移動したエンたちとは違い、彼は自身の足でコリエード家に向かっていたのだ。
「暴走体の本体は、どうしたんですか?」
 最早隠す気はないのか、トチェスは真剣な眼差しでエンに問うた。
「……エードの家にいたのは分身体だ。仲間に任せてきた。オレとルイナは暴走体がいるはずのストルード城へ向かっている」
「僕も行きます」
「今から行くと、オレの仲間と一緒に闘うことになるぞ」
 エンの仲間――ミレドは『黒羽派』である。『白爪派』の代表を父親に持つトチェスも、同じく『白爪派』だろう。互いを嫌っている派閥同士の者が同時に戦線に立って、余計な感情を持たないとも限らない。
「構いませんよ。こんな時に、ギルドの派閥なんて関係ない」
 盗賊ギルドは規律が厳しいと聞いていたが、どうやらいくら盗賊ギルドの人間でも人の子ということらしい。エンもどうやら深く考えすぎていたようだ。
「よし、分かった。行くぞ!」
 再びエンはストルード城を目指し始めた。
 向かう人数は、三人。


 時は、少し遡る。
 エンたちにコリエード家の屋敷を任せた後、ミレドとマハリはストルード城へと向かっていた。
 激しい雨の中、しかし彼らはその動きを鈍らせることなく進む。
「ミレド、ちぃと待ちな」
 途端に、マハリが足を止めた。
「あぁ? どうした」
 ミレドも足を止めて振り返る。
「いやなに、確認しときてぇことがあってよ」
 雨に濡れながら、不敵の笑みを浮かべているマハリをミレドは怪訝そうな顔で見た。
「『全てを視る者』も死んでしまったな」
 何を今更、と言わんばかりにミレドは不機嫌そうな顔を作る。
「そうだな。あんたの潔白を証明できることはできなくなっちまったってことだ」
 これから先ずっと、マハリは『死神の心臓』を持つ疑いを持ったまま生きていかなければならない。『全てを見る者』と同じ魔法を会得した者が現れない限り、もう『死神の心臓』を持っていないことを証明することができないのだ。
「実に下らねぇと思わないか。たった一人の老人の死が、ギルドの派閥に大きな影響を与えるなんてよ」
「俺様にとったら、魔書が暴走したこんな緊急事態にそんな話をするアンタのほうが下らねぇと思うがな」
「はっ。言うねぇ」
 と、マハリは軽く笑った。
 その笑みも、すぐさま真剣な眼差しに変わる。
 まるで違う表情の変化に、ミレドも驚くばかりだ。
「ミレドよ。テメェ、俺を殺せ」
「な……はぁ?!」
 あまりにわけが分からず、ミレドは呆れるどころか混乱さえしそうになった。
「何言ってやがる」
「聞こえなかったわけじゃあるまい」
 声の低さも、冗談を言っているようには思えない。だからこそ、ミレドは戸惑った。
「俺様はあんたを殺したいわけじゃない。それに、今はそれどころじゃねぇだろ」
 魔書の暴走体を止めるのが最優先のはずだ。こうなったのも、盗賊ギルドの不祥事である。ギルドの責任は、ギルド員がかたをつけなければならない。
「今だからこそ、だ」
「どういう――」
「ミレドよ」
 言いかけたミレドの言葉を遮って、マハリは名を呼んだ。
「ギルドにいる時と比べて、冒険者やっている時のほうが楽しいか?」
 質問の意図が分からず、むしろ殺せだの言いだした挙句にこんな質問をし出したマハリの真意が読めず、ミレドは戸惑いながらも返答するしかなかった。
「楽しいってわけじゃねぇさ。ギルドの中だと息が詰まるからな。あいつらと一緒にいたほうがマシだ」
「それを楽しいっていうんだよ」
 そう言ってマハリは、にやりと笑った。
「だから、俺を殺せ」
「わっけわかんねぇ! 死にたきゃ足でも滑らせて勝手に死ねよ」
 今はマハリをどうにかしている場合ではないのだ。それマハリ自身もわかっているはずである。
「お前が俺を殺さなければ、俺がお前を殺すと言ってもか」
「は?」
 いきなり何の冗談を言い出すのかと思ったが、マハリの表情は真剣そのものだ。
 それこそ、今にも人の命を奪わんとする人間の眼をしている。
 だから自然にミレドも身構えた。
「無駄だ。どれだけ警戒しようと、な」
「『呪殺』……?!」
 死を念じるだけで、相手の命を断つ呪い。しかしそれは『死神の心臓』を持つ人間だけが扱えるはずだ。
「『死神の心臓』を持つ人間の特権だな」
 マハリが本当に『死神の心臓』の所持者ならば、『呪殺』を使うことは可能で、あっさりとミレドの命も奪える。
 だが、ミレドはそれが実現することはないと確信していた。
「アンタは『死神の心臓』なんて、持っちゃいねぇんだろ」
 今までずっと監視していて、至った結論である。
 そんなもの存在していない。実に下らないと分かり切っていたからこそ、今日の潔白裁判までのんびり構えていたのだ。
「甘ぇな。俺らは嘘の世界で生きているもんだろうが。お前に俺が『死神の心臓』を持っていないと思わせることに成功していただけに過ぎない」
「だったらそれこそ嘘だろ。嘘の世界だ、アンタが俺を『呪殺』で殺すなんてことも嘘だ」
「試してみるか」
「やれるもんならやって見やがれ」
 ここまで来たらミレドもむきになっていた。
 はっきりとした証拠でもない限り、信じてたまるかと言わんばかりである。
 だが、その証拠になるのは即ち『呪殺』が発動してミレドの命が断たれる時だ。
「殺さないと俺様を殺すとわけわかんねぇこと言いやがって。そんなに殺されたいのかよ」
「……そうだ」
「な……」
 マハリの返答に、ミレドは絶句した。
「ただ俺はな、お前の手によって殺されたいんだ。だからな――」
 ミレドの動揺など見てないかのようにマハリは続ける。
 その表情は、どことなく懇願しているかのようだ。
「だからミレドよ、お前が俺を殺してくれ」
 マハリは再びそう言った。
 雨が、より激しくなった。

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