-6章-
昔と、今と



 移り往く毎日が交差する光と影の中、彼は影にいた。
 暗闇の中、彼は傷ついていた。
 誰も手を差し伸べず、誰も声をかけず、誰も気にかけはしない。
 気にするべきことは、彼が立ち上がるかそのまま倒れるかの、二つに一つである。
 彼はそれが悔しかった。痛む全身、心のほうは痛みが麻痺しているのか痛くは無い。

 ――だって、これが当然なんだろ。この世界では、よ――

 何かがある度に心を痛めていたら、気が狂ってしまう。これが常識。それが真実。
 だから、立ち上がった。
 その先に、鋭い眼光の老人が立ち塞がっている。その眼から発せられる殺気は、それだけで人の命を奪いかねない。その老人が『眼殺』の異名を取る所以である。
「これで任務完了だ。さっさと戻るぞ」
 傷つきながらも立ち上がった自分を労わるわけでもなく、面倒な事になる前に立ち去ろうとする。しかし彼が立ち上がるのを待っていたところを見ると、もしかしたら少し期待されていたのかもしれない。本来なら、傷ついた者など平気で切り捨ててもいいはずだ。
「わかってらぁ」
 そう答え、彼は苦痛の表情をおくびにも出さず、『眼殺』の後に続いた。
 彼の――ミレドの立ち去った跡には、彼と戦闘を繰り広げた者が、物言わぬ屍となってぽつねんと取り残されていた。
「(テメェも不幸だったよな)」
 その屍は、盗賊ギルドを敵に回した人間だった。しかしその行動も粛清された今では、もう敵対することなどできはしない。
 ミレドの仕事はこの人間の暗殺の手伝いとして『眼殺』の老人と共に任務へ赴いていた。さすがに盗賊ギルドを敵に回しているだけあって相手も用心していたらしく、ミレドが対決するはめになってしまったのだ。『眼殺』が手を下せばすぐに済んだであろうに、あくまでミレドにやらせた。
 それに不満を言うつもりはない。もともと、今回は暗殺者への昇格試験のようなものであったからだ。ここで標的に返り討ちにあうくらいなら、暗殺者は務まらない。むしろ、『眼殺』があえて標的とミレドを闘わせる様に仕向けたのではないかとさえ思ってしまう。
「……」
 立ち去る前に一度、ちらりと亡骸を見やる。人の命を奪ったという罪悪感は、あるのだろうか。それが自分自身で分からない。
「(まあいいや。別にこれが初めてってわけでもねぇしな)」
 盗賊ギルドで育てられたミレドは、幼い頃、その容姿を利用した使い捨て要員の一人だった。その頃に奪った命、奪った真実、奪った人生――しばらくやっていなかっただけだ。そう言い聞かせて、ミレドは立ち去った。

 そもそも、ミレドが正式に盗賊ギルドに配属されてからは随分と好き勝手にやっていた。
 盗賊ギルドでは、子飼いの中からそのまま正式配属されるということはまるでないわけでもないが、たいていは使い捨てで、人生そのものを幼い頃に終えてしまうのが大半だ。ミレドはその中で生き残り、尚且つ『眼殺』に目をかけられたゆえである。
 『眼殺』はその時からギルド内の幹部クラスで、それに目をかけられているということでミレドは注目を浴びた。だが全員が、『眼殺』の弟子としか見ず、ミレドを一人の人間として見るものは誰もいなかったのだ。
 それが、彼にとっては苦痛だった。良い成績を出せば、まず出てくる言葉は「さすが『眼殺』の弟子」であり、悪い成績を出せば「『眼殺』の教え子のくせに」と言われる。
 嫌気の差したミレドは、中の上程度の実力を保ち続けた。
 これが自分自身だ、と遠回しに自己主張をしたかったのかもしれない。
 しかしその思いも、流れる日々の中で薄くなったのか、全てが面倒になっていった。ギルドを抜けるつもりはないものの、幹部にはならずにてきとうな盗賊人生を歩もうと思っていたのだ。

 ――だというのに。

 ある日、彼はソルディング大会に興味本位で出場する事になった。
 もちろん、賞金につられてないというわけではない。それに、日々溜る鬱憤を晴らしたいという思いもあった。
 そして――彼は二回戦目で負けた。
 ある意味では、それが人生で初めて敗北を味わったことになった。彼はもちまえの実力で成績を左右することが出来たのだから、負けた時は「負けてやっている」というものだった。それが、わけの分からない、しかも酒の飲み方も知らないバカに負けた。
 おそらく、それがきっかけになったのだろう。
 燻っていた闘争心に火がついたのか、ミレドはそのバカに復讐するかのように修練を積んだ。
 『眼殺』に戦闘を鍛えなおしてもらい、暗殺者に昇格してもらえるように計らってもらいもした。
 そうして実力を着け、周囲が何を言おうとがむしゃらになっていた。盗賊ギルド直伝の『道具召還』は扱える人間も少なく、それを習得していることからも彼の実力の大きさが窺える。
 暗殺者に昇格し、盗賊ギルドお達しのシルフの町に滞在していた時のことだ。――その日、彼の運命は変わったのかもしれなかった。
 ソルディング大会でミレドを打ち負かしたバカ、炎戦士エンとの再会。これにはミレドも驚いたが、信じていない神に感謝した。恨みを晴らす好機だったのだから。
 彼はエンのことを徹底的に調べつくしていた。ちなみに、悪い過去があるならそれを利用して潰してやろうと思っていたのだが、ソルディング大会前の記録は残っておらず断念していた。
 だからこそ実力で――と思っていたら……。
 確実にミレドの実力はソルディング大会時のエンより上回っていたのだ。
 しかしエンはその上を行っていた。『龍具』という至高の武器を引っさげて。
 後に分かった事だが、彼は異空間で一年分は修行したらしい。それに対してこちらは一月も経っていない。その短い間でミレドはよく頑張った方だろう。
 それでもエンのほうが上だったのは、仕方なかったというしかない。  その場しのぎでつい、ルイナと契約を結んでしまったのは――自分でもどうしてだかは分からない。
 ただ、今なら言える。

 後悔はしていない。

 あのバカの仲間になったことで、ミレドは一人の人間の『ミレド』として見られていた。
 盗賊ギルドの、というものでもなく、『風殺』の、という称号でもなく、『眼殺』の弟子、ということは知りもしない。
 それが、たったそれだけのことが彼には心地よかった。


 だから――。こんな所で死ぬわけにはいかない。


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