-58章-
死神の心臓



 ミレドと再会したエンたちは、とりあえずその酒場で話を、ということになった。
 頼んだ料理を無駄にしたくなかった、というのが本音だ。
 まずはエンたちの話だ。
 魔王を斃すために魔界へ赴き、そして勝利した。
 しかし同時に精霊の声は聞こえなくなり、人間界が今どうなっているかを確かめるべく、まずは仲間たちと合流しようとしていたことを伝えた。
 ホイミンとしびおについては、とりあえず仲間だということを伝えておく。
 そして、今に至ることを。
「色々聞きたいことはあるけど……まずはこのじいさん誰だよ?」
 エンが指差したのはマハリである。もともとミレドはマハリを探していたらしく、この辺りでいそうなのはこの酒場くらいしかなかったという。
「俺様たちが受けている依頼の、護衛の対象だ」
「護衛? こんな街中で?」
 冒険者の護衛の依頼といえば、大抵は街から街への道中の護衛がほとんどだ。街中でのそのような仕事があるとは思えない。
「ああ、これでも命を狙われてやがるんだよ」
 と、物騒な事をさも当然というように言うミレド。彼が言うと違和感がないのが不思議だ。
「誰に?」
「いろんな奴にだよ」
 説明が面倒だと感じたのか、ミレドは嘆息してそれだけを答えた。
「ま、盗賊ギルドの面々からだな」
 マハリ本人がそう言った。
 それを聞いて、エンがまた目を瞬かせる。
「盗賊ギルドって……お前の所じゃねぇか」
 ミレドは正規の盗賊ギルドの一員である。ミレドが属している組織が狙っている人物を、自分自身で護衛しなければならないとは何とも不思議なものだ。
「だーかーらー、色々あるんだよ! めんどくせぇ」
 そう言いながら、ミレドは運ばれてきた料理に盛大にかぶりついた。
 ミレドのめんどくさい、には他の意味も含まれているらしく、マハリ本人の性格もまた面倒だった。
 先ほどルイナに抱きついたように、好みの女性をみかけると所構わずちょっかいを出すため、変な間違いをしでかさないか監視もしなければならない。警護兵に突きだしてやろうかと思ったが、それだと護衛の依頼を果たせなくなってしまう。
 マハリが落ち着いてくれない以上、ミレドたちで何とかするしかないのだ。
 当のマハリ本人は命を狙われている自覚はあるものの、それでも行動は盛んで、今もルイナの方を見てはにやにやしている。
 これ以上はミレドも説明してくれないだろうな、と思いエンは質問を変えた。
「ストルードへ来いって伝言を残したのは?」
「どっかを拠点にして活動する場所にしねぇと合流できないだろうが」
 冒険者は各地を転々としながら仕事を請け負うタイプもいれば、どこかの街を拠点にして活動するタイプもいる。エンたちはどちらかといえば前者だったが、それだと一度別れてしまえば足取りを掴むのが難しく、合流が難しくなるのだ。
 そのため、ミレドたちはストルードを拠点としてしばらく活動することに決めたのだと言う。
 何故ストルードにしたのか、というのは、ここが仲間の一人、エードの故郷だからだ。
 エードが魔界紋の島に持ち込んだ、魔法の大剣。それは元々ファイマが過去に作ったという剣であり、何故それがエードの所にあったのか、調査したいとファイマが言い出したのがきっかけである。
 そういうわけで、ストルードを拠点として冒険者活動を開始し、エンたちがもし魔界から戻ってきたらその情報が盗賊ギルドからミレドに伝わるようにしておいたのだ。
 また、エンたちの帰還を待つだけではなく、自分らも魔界へ乗り込む方法が無いか。その情報もこの街の盗賊ギルドの情報屋に頼んでいた。
 冒険者活動をしつつ情報が入るのを待っていたところ、冒険者ギルドから直々に依頼が来たらしい。
「それが、このじいさんの護衛ってことだ」
 護衛するべき相手を敬ったりするわけでもなく、ミレドは顎でマハリを示した。
「ふーん」
 と、生返事をしながらエンは料理に手をつけた。
「って聞いてるのかテメェ」
「聞いている。聞いているけど、今は飯を腹いっぱい食いたい!」
「……」
 ミレドは呆れてものも言えなく、ただ嘆息するしかなかった。
「だけど、それだと意味ないと思うなぁ」
「あぁ?」
 会話に割って入ってきたのはホイミンである。
 いきなり否定されて、ミレドとしては面白くない。
 そんなミレドの気持ちなど知らないかのように、いつもの貼りついた笑顔のままホイミンは続けた。
「ミレドさん、『黒羽派』でしょう。ストルードの盗賊ギルド、みんな『黒羽派』と見せかけた『白爪派』だもん。情報なんて入ってこないよ」
 ざわ――。
 一瞬、全身の血が凍りついたような感覚に陥った。
それは、異常なまでの殺気が間近から感じられたからだ。
「ミレド?!」
 次の瞬間、ミレドは音もなく魔風銀ナイフを召還し、その切っ先をホイミンの頬に触れさせた。少しでも力を入れれば、そのまま突き抜けそうな勢いだ。
 そしてミレドの眼は、いつでも人を殺せそうな暗殺者の眼をしていた。
「テメェ、何者だ。どこでその単語を知った?」
 返答によってはそのナイフで貫く、と言わんばかりの殺気に満ちた表情のミレドは逆に恐れもしているかのようだった。
「僕はホイミン。この街のことはよく知っているからね。それに、盗賊ギルドの幹部と仲間だったこともあるし」
「たかがホイミスライムが? ギルドの幹部と知り合いだぁ?」
 ミレドが疑うのも当然で、そんな珍事があれば嫌でもギルド員の耳には入ってくるはずである。しかし、誰かがホイミスライムと知り合いになっているなどという話は聞いたこともない。
「ホイミン? てぇことは東のカンダタのところか?」
 意外な所から声がかかった。マハリである。
「チッ、マジかよ」
 そして、ミレドは舌打ちしてあっさりとナイフを引いた。マハリが言った事も驚きだが、その一言でミレドが下がったのも驚きだった。
 どういうことだ、というような視線を投げかけると、ミレドは再び嘆息した。
「マハリのじいさんは、これでも盗賊ギルド幹部の一人だ。それに、東のカンダタもな」
 しかし、カンダタというのは通り名で、ギルド幹部の称号みたいなものである。世代というものがあるのだが、カンダタの名を持つ盗賊ギルドの幹部は数年前に死亡が確認されている。今、カンダタの名を受け継いだ者はギルドと無関係になっていることは、ギルド員ならば誰もが知っていることだ。
「もっとわからねぇ。盗賊ギルドの幹部を、盗賊ギルドが狙っているのか?」
 それは組織内の粛清ではないのか、と思ったのである。
「めんどくせぇ事情があるんだ」
「ミレド、話しちまって良いだろうよ。こいつらも俺を守ってくれるんだろう」
 また省略しようとしたミレドに対して、マハリが言った。
 マハリからの許可が出たからには説明するしかないという結論に至ったのか、ミレドは嫌そうな顔を浮かべて嘆息した。面倒なことになってもしらねぇぞ、と前置きして事情を話しだした。
「そもそもそこのホイミスライムが言ったように、盗賊ギルドは二つの派閥がある。『黒羽派』と『白爪派』だ」
 このことは外部に漏らすようなものではないのだが、幹部から直々に許可が出たのだ。説明しないわけにもいかない。
 『黒羽派』と『白爪派』の仲は良好ではなく、別の派閥の人間を糾弾することも珍しくない。日々、お互いの粗探しをしては何かと難癖をつけているのが常だ。そしてそれは幹部クラスも同じことが言える。派閥が分かれており、そこでも密やかに争いが繰り返されている。
 ちなみにミレドや、ミレドを育てた盗賊ギルドの人間は『黒羽派』であり、マハリはどちらにも属していない、中立の立場だと言う。
「その……『黒羽派』と『白爪派』で仲悪いことが、なんでそのじいさんを守ることになっているんだ?」
 聞いた限りでは、二つの派閥は毎日嫌がらせをけしかけるほど仲が悪いということ。実際に、この街で情報の仕入れを頼んだにも関わらず、例え情報が入ってもミレドの所には届かない。それは街のギルド員が『白爪派』であり、ミレドが『黒羽派』であるということだけで、だ。
 聞くだけだとただのギルド内のごたごたであるのに、マハリを護衛する理由と結びつかない。
「……それは、だな」
 淡々と説明していたミレドが、言葉に詰まった。解からないということではなく、言って良いものかどうか判断に迷ったのだ。
 ちらりとマハリを見やると、それを察したように頷いた。それを見たミレドは、嘆息して言葉を続けた。
「盗賊ギルドには、ある秘術が伝わっている」
「秘術?」
「そうだ。伝説に近いものだが、確かに存在している。まあ、『龍具』みたいなもんだと思えば良い」
 冒険者が召還できる武具の中で最高峰と言われる『伝説級』を超える『龍具』。誰もが伝説と言いながら、それは現実に存在する為に、誰もが求める。実際に、その『龍具』の使い手がこの場にいるのだから、ただの言い伝えで終わらせることはできない。
 それと同じようなものが、盗賊ギルドにあるのだ。
「『死神の心臓』って言うものだ。それを得た人間は、あらゆる生物を一瞬にして殺すことができる『呪殺』を使うことができる」
 ただ死を念じただけで相手を本当に死に至らしめる禁忌の呪術。それをいとも容易く発動できるようになるのだ。そのような力が本当にあるのかどうか怪しいものだが、事実あるらしい。
 『龍具』と同じというのはそういうことだ。ただの噂では片付けられない。
即死呪文(ザキ)とは違うのか?」
 その魔法効果により一瞬にして相手を死に至らせる呪文の名を上げてみるが、ミレドは横に首を振った。
「違う。あれは魔法力を必要とするし、魔力で対抗もできる。『呪殺』は魔法みてぇなもんだが、精霊魔法や魔術魔法じゃねぇんだ。まさに呪いみたいなもんだ」
 誰も抵抗する事は出来ず、それ故に恐ろしい。
 そして『龍具』と同じ点は、もう一つある。
「その『死神の心臓』ってのは、人から人に受け継がれるらしい。『死神の心臓』を持つ人間を殺した人間が、その力を得るんだ」
 『龍具』はこの世界に二つしか存在せず、別の人に受け継がれるまで使用者は変わらない。そして使用者はそれを手放すことによって死に至る。
「それとこのじいさんが狙われるのと、何が関係するんだ?」
「関係しまくりだ、バカ。マハリのじいさんが、『死神の心臓』を受け継いでいるかもしれねぇんだよ」
 首を捻ったエンに対して、ミレドが放った言葉は、その意味を理解するまで数秒を要した。
「……え?!」
 エンは慌てて身構えてマハリを見た。今の話が本当なら、マハリが相手の死を望めばその『呪殺』が発動してしまうのだ。こうして気を抜いている間に、一瞬で死ぬかもしれない。
「落ち着け。本当に危険なら俺様がこの場にいるわけねぇだろうが」
 そう言われて、それもそうかとエンは卓に着いた。
「それに、『かもしれない』って言っただろ。ちゃんと聞いてろ」
「そんなこと言ったって……」
 唇を尖らせながら、しかし運ばれてきた鳥のもも肉を口に運ぶ。
 マハリが『死神の心臓』を受け継いだかもしれないという噂は盗賊ギルド内に瞬く間に広まり、盗賊ギルドの幹部であろうとマハリの命を狙う者が現れ出した。もしも噂が本当で、マハリを殺すことで『死神の心臓』の伝説を宿すことができたら、それは何者にも縛られない強大な力を得ることになるのだ。
 今、盗賊ギルド同士で争いが起きようとしている中、もし『死神の心臓』を得ることができたならば、と考える輩は多い。
 挙句の果てに、マハリがどちらにの派閥にも属していないことが一番の問題だった。
 どちらの派閥からも狙われるようになり、結果、盗賊ギルド全体から命を狙われ始めたのだ。
 守ってくれるはずの盗賊ギルドにいながら、その盗賊ギルドに狙われる日々が始まり、マハリは今や賞金首みたいなものになっている。盗賊ギルドの人間を護衛につけようにも、その人間がマハリを狙っているかもしれないので意味がない。
 いくら別の幹部がマハリを狙うなと言っても、その幹部自身も『死神の心臓』を狙っている。心の奥底では、『黒羽派』も『白爪派』も、自分の派閥の人間が『死神の心臓』を手に入れたいと願っているのだ。
 元々、『黒羽派』と『白爪派』のギルド内での戦争は噂されていたことだが、このことが更に発破をかけた。
 もちろん、ギルド内で戦争が勃発することを快く思っていない者もいる。
 盗賊ギルドのギルド長もその一人で、ついに盗賊ギルドは冒険者ギルドに頼った。
 ここならば、盗賊ギルドとは別の人間がマハリを守ってくれる。
 護衛の依頼を受けた冒険者に、ミレドという盗賊ギルドの一員がいたが、幸いミレドは『死神の心臓』に興味は無く、こうして守る立場になっている。
「『死神の心臓』なんて持ってないって言えばいいじゃねぇか」
「そんな単純に行くかよ。それに、俺様たち盗賊ギルドは嘘の中で生きているようなものだ。口先だけで何を言っても無駄だろうよ」
 言葉の一つ一つに真偽を確かめないと信用できないのは日常茶飯だ。その中で、『死神の心臓』など持っていないと言いふらしただけで、誰が信用するものか。
「それだと、ずっとこのじいさんを守らなきゃいけねぇんじゃねぇか?」
 今やマハリが『死神の心臓』を持っているかもしれないという話は、盗賊ギルド内では周知の事実であり、収集がつかなくなっているほどだ。だから、冒険者ギルドに頼るまでに至ったのだが、依頼の期限が見えない。
「そのことなんだがな。あと三日で終わるはずだ」
「三日?」
 エンが問い返したのに対して、ミレドが軽く頷いた。
「三日後、この街で裁判が行われる。そこでマハリのじいさんが『死神の心臓』を持っていないことが証明されれば、この件は落ち着く」
 先ほどにもあったように、ただ言うだけでは誰も信じない。だが、ストルードは政治国家としては世界最高峰とされている。そこでの裁判で白という判決が下されたのならば、誰もが認めざるを得ないのだ。
「どうやって『死神の心臓』を持っていないって証明するんだ? まさか身体をかっさばいて見てみるとか……」
「俺を殺す気か」
 エンが想像したことをマハリも自身で想像したのか、嫌そうな顔をした。
「魔力を見通す力を持った奴がいるんだ。そいつはその人間を見るだけで持っている力の本質を『見る』ことができる。そいつがマハリを見て、裁判の場で『死神の心臓』を持っていないと言えば、それで決定ってことになるんだよ」
「そいつにさっさと来てもらって、さっさと持ってないって言ってもらえば良いじゃねぇか」
 命を狙われているというのに、裁判が三日後というのはなんとも悠長なことだ。
「問題が一つあるんだよ」
「問題?」
「確かにそいつはありとあらゆる力の本質を『見る』ことができる。そういう魔法を体得したらしいんだがな。だがその代償として、他のありとあらゆる魔法の影響を受けることができなくなってしまっただとよ」
 転移呪文(ルーラ)を使ってもその者だけは転移できず、傷を負っても回復呪文では癒すことができず、何かと不都合な身体になってしまったらしい。
 しかしそれらの代償が、ただ『見る』ことができるだけというのも、なんだか空しい気がする。
「けど、そいつが言ったからって皆は納得するのか?」
「だから、この街で裁判を行うんだよ」
 ただ言うだけでは、もちろん誰も納得しないだろう。そこで、ストルードで裁判を行う。ストルードの裁判結果は神の決定事項とまで言われるほどであり、誰もが認めざるを得ない。
 その場でマハリが『死神の心臓』を持っていないということが証明されれば、誰もが納得せざるを得ないのだ。もし、本当はマハリが『死神の心臓』を所持していたとしても、ここで白と言われれば白となる。
 今の状況とは、まるで逆に鳴るのだ。
 そのため、その裁判が行われ、結果が出ればマハリを襲う理由がなくなってしまう。マハリが『死神の心臓』を持っていると信じている輩にとっては、その裁判が行われる前に、何が何でもマハリを殺して『死神の心臓』を手に入れようと躍起になるだろう。
「ふ〜ん、よくわかんねぇけど、とりあえず残りの三日だけこのじいさんを守ればいいわけか」
「ま、そう思っとけ」
 エンに理解してもらおうというのが無理な話だと思ったので、ミレドは適当に流したのだった。


 とりあえずの食事も終え、エンたちはエードの家に行くことにした。
 ミレドたちはそこで宿泊しているので、ファイマもそこにいるだろう。エードは実家なのだから当然か。
 ただ、何故かホイミンはいつもの笑顔なのにどこか薄ら寒い笑みになっている。理由を聞いてもいいものかどうか迷っているうちに、一行は街の中央までやってきた。
「近くで見るとすげぇな」
 街の中心に建つ、ストルード城。その城を守るかのように佇む大聖堂が目の前にある。白亜の大理石は美しさを保ち、威厳と誇りを感じさせるストルードを象徴する建造物だ。三日後の裁判もここで行われ、確かにこのような壮大な場所で行われる裁判の結果は、神の決定事項と言われるのも納得が行く。
「言い忘れていたけどよ、『法賢者』について下手なこと言うんじゃねぇぞ」
「いやその前に『法賢者』って何だよ?」
「この大聖堂のトップだ。裁判長をやっている」
 説明するミレドは、何か嫌なことでも思い出したのか目つきがいつも以上に悪くなった。
「下手な事って……?」
「要は悪口を言うなってこった。変な事を言うと、貴族共が怒り狂って手のつけようがねぇ」
 既に似た経験があるのか、ますますミレドは不機嫌な顔つきになっていった。自分から話題を振っておいて機嫌を損ねるとは逆切れもいいところだが。
「この街では、『法賢者』が神様扱いされているのさ」
 ミレドに代わってマハリが説明を続けた。
 この街での最高の権力はもちろん国王が持っているが、その国王でさえ『法賢者』に依存している。『法賢者』が右を向けと言えば右を向くほどの勢いだ。国王は既に『法賢者』の操り人形になっているというのがマハリやミレドたち盗賊ギルドの考えである。
「『法賢者』、ねぇ……。ホイミンも知っているのか?」
 この街のことについては、ホイミンはミレドよりも詳しく知っているようだった。何気なく聞いて見ただけだが、すぐに返答はなく、むしろホイミンは呼ばれた事にすら気付いていないらしい。
「ホイミン?」
「え? なあに?」
 やはり気付いていなかったのか、いつも通りの表情なのにあからさまに様子がおかしい。
「いや、『法賢者』についてホイミンも何か知ってんのかなって」
「あ〜。ボクあの人は嫌いだなー♪」
 と、何故か楽しそうに言ったホイミンは、笑顔の下に静かな怒りを感じた。相当嫌っているようだ。
「なんで?」
 エンは『法賢者』がどういう人間なのか知らない。ミレドも嫌っているようだし、ホイミンに至っては言葉とその身体全体で物語っている。しかし街の人間がその『法賢者』とやらに依存しているというのだから、興味がわくのも当然だ。
「神様扱いされて、神様気分なんだもん。自分が一番上にいて当然みたいに考えているんだよ」
 いつものホイミンらしくはぐらかすかと思いきや、頬を膨らませながらホイミンが言った。どうやら、相当嫌っている、という次元ではないほど嫌っているらしい。
「そうなのか……」
「そろそろ黙っとけ。誰かに聞かれると面倒だ」
 ミレドが警告した後、大聖堂から何人も出てきた。今の会話が聞こえて飛び出て来た、というものではなく、単純に大聖堂での用事を済ませた人間が出てきているだけのようだ。
 出て来る人間は誰もが高そうな服で着飾っており、表情も同じような者ばかりだった。この街の貴族層の人間たちなのだろう。
「(……なんだろうな)」
 出て来る人間たちを見て、何かしらの違和感がエンを捉えた。それは、この街で酒場を探している時に似た感覚なのだが、それとはまた別の様な気がしたのだ。
 何か解かるかな、と期待して隣を歩くルイナに視線を送ってみるが、彼女は小首を傾げただけだ。
「(まあ、いっか)」
 謎の違和感を抱えたまま、エンたちはその場を後にした。


 場所は変わって、大聖堂の奥。
 豪奢だが純白の礼服を着た、白ひげの男が一人。髪も白く、肌の色もどちらかといえば白いほうだ。白づくしの男はそこまで体つきも大きくないのだが、その存在感は並ではない。
 『法賢者』と呼ばれるその男は、たった今、この大聖堂に集まった貴族たちに神の教えを説いたばかりである。貴族たちは説法をありがたく聞き、満悦して帰って行った。神の教えを聞く事が仕事のようにしている貴族たちは、もう残ってはいない。
 一仕事を終えた『法賢者』は、溜息をつくと共にその場に立ち尽くした。何かを、待つかのように。
「お勤め、ご苦労さん」
 不意に声がかかり、『法賢者』は声のした方を振り返った。
 そこには、剣士の格好をした優男が立っているではないか。『法賢者』は今まで出会った人々の中で該当する記憶を探るが、目の前に立つ男は記憶になかった。
「何者だ? ここは剣士風情が入ってよい場所ではないぞ」
 神の領域とまで呼ばれる場所に無断で入る事は、この国では大罪だ。衛兵を呼んで捉えられば、極刑は免れない。
「……ドレシックからの使い、って言えば納得してもらえるかな」
 優男の一言で、『法賢者』は警戒心を解いた。
「ふむ、奴の使いの者か」
「そうだ。そんでこれが……」
 優男は懐から分厚く布で包装された何かを取りだした。
 それを見た『法賢者』の目は輝き、口元が笑みを浮かべる。
「手に入ったのだな」
「俺が答えることじゃないね。中身を知らない」
「中身は見ていないのか?」
「上からの命令は絶対でね。見るなって言われている」
 優男は肩をすくめて言った。どうやら、本当に中身を知らないらしい。
「まあでも、あんたがこの場で開けてくれれば俺も見られるんだけどね」
「見るなと言われているのだろう?」
「俺が勝手に見るなってことさ。依頼人がどう使おうが自由なんだし、あんたが中身を確認するために開けたところをたまたま目撃したところで何も言われやしねぇよ」
 言いつつ、優男は『法賢者』にそれを渡した。
「確かに受け取った」
 言って、『法賢者』はそれをそのまま懐に仕舞う。
「中身は確認しないのか?」
 優男が訝しんで聞いた。正直な所、優男も中身が気になっていたのだ。
「中を見ずとも、手に取った瞬間に本物であることが分かった。開ける必要はない。それに、このことを知る人間は少ない方が良い」
「ふぅん」
 どうやらこれ以上は何を言っても中身を拝めそうにない、と優男は判断した。
 ならば、早々にここを立ち去るだけだ。
「小僧、御苦労であった。ドレシックに伝えておけ、お前たち『白爪派』がギルドを掌握できる日も近い、と」
「まさか小僧呼ばわりされるとは思いもしなかったが、伝えておく」
「おっと気に障ったか。しかし、私はお主の名前を知らぬのでな」
 『法賢者』が皮肉な笑みを浮かべる。優男も、それもそうかと肩をすくめながら首を振った。
「トチェス=リールだ」
「覚えておこう」
 絶対に覚えないだろうな、というような笑みを最後に見て、トチェスは大聖堂を後にしたのだった。

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