-57章-
邂逅する者



 流れゆく雲、波に揺れる船上で、心地よい潮風が駆け抜ける。
 その甲板で、エンはぼんやりと水平線を眺めていた。隣には同じく水平線を眺めているルイナ。こうして二人でいると、人間界(ルビスフィア)で初めて船に乗った時の事を思い出す。
 厳密に言えば、この船に乗っている仲間はルイナだけではなく、ホイミンとしびおも一緒だ。とはいえ、魔物の姿二人は目立たない所にいる。いくら仲間の魔物とはいえ、変な誤解が生まれかねない。
 だからこの場はエンとルイナの二人きりということなり、あの頃と全く同じというわけだ。
 全く同じという事は、つまり――。
「……暇だ」
「そう、ですね」
 以前と同じくエンは船旅に飽きかけていた。
 前はこうして暇を持て余している時に、劇に出てほしいという依頼があったのである。
「あの〜……」
 そう、こうして後ろから呼ばれて、それが劇団の団長で、その劇団が経験のない冒険者に主役を演じてもらうという変な方針を持っているがために、エンたちが選ばれたのだ。
 それも随分と前の事で、懐かしい。
「あの〜〜……」
 前は呼ばれていてもあえて無視していた。知り合いなどほとんどいない状況で、呼ばれることなんてないだろうと思っていたし、呼ばれているとしたら何かしらの厄介事に巻き込まれる危険があったのだ。
「あの、ちょっと! エンさん!!」
「って、え?」
 感傷に浸って、本当に呼ばれていることに気付いていなかった。しかし、名指しで呼ばれて、ようやく振り返った。
 そこには多数の色を着込んだ、中年太りの男性が立っているではないか。エンとルイナはその人物に見覚えがある。むしろつい先ほどまでその人物との関わりを思い出して懐かしがっていたところだ。
「テルス?!」
 かつてエンたちに演劇の出演を依頼した『メーテル劇団』の団長、メルメル・メーテルスその一人である。
「あぁ! やっぱりエンさんとルイナさんだ! 雰囲気が変わっていたので別人かと思いましたよ」
 にこやかに挨拶するテルスは相変わらずで、あの時とほとんど変わっていない。変わっているとしたら、服装の色が更に増えていることくらいか。
「なんでこんなところに?」
「何でって……船上で演劇をするのが私たちの仕事みたいなものですよ。むしろこちらがお聞きしたいくらいです。あなた方の活動拠点は、北大陸ではなかったのですか?」
 それもそうだ。メーテル劇団は世界全国を転々としながら劇をやっているため、船に乗ったら出会える可能性があるのだ。そして今この船は、中央大陸へ向かう船である。疑問に思うのはテルスの方だ。
「オレたちは、ちょっと中央大陸のストルードに用があるんだよ」
「あの政治国家にですか?」
 きょとんとしたテルスに、エンは軽く頷いた。
「それはともかく、また劇に出てほしいとか言わないだろうな?」
「いえいえ、そんなことは言えませんよ。今やあなたがた『炎水龍具』は北大陸最強と噂される冒険者。私の劇団の方針としては、そんな有名な冒険者を使うわけにはいきません」
 経験の浅い冒険者を主役にするという変な方針は変わっていないらしい。
 ちなみに『炎水龍具』とは、エン、ルイナ、エード、ミレド、ファイマの五人の冒険者チームの名前である。今では世界一の冒険者を決定する大会からも声がかかる程の名声を得ており、今や知らない者の方が少ないくらいである。
「それに――」
「あ、テルスさーん、こんな所にいたんですか」
 テルスが何かを言いかけたが、別の声がそれを遮った。
 声の方向を見れば、エンと同じくらいの年頃だろうか、シルバーメイルを着込んだ中肉中背の優男が駆け寄ってきた。
「おや、トチェスさん。ちょうどよかった!」
 テルスが手招きすると、トチェスと呼ばれた男は不審がりながらもテルスの横に立った。
「エンさん、ご紹介します。今回の主役のトチェス=リールさんです」
「やあ、お客さんでしたか。どうも、トチェスです」
「オレはエンだ。隣はルイナ」
 どうやら主役は決定済みで、今回は予定していた主役が船酔いでダウン、ということはないようだ。
「エンさんに……ルイナさん……? もしかして、あの『炎水龍具』の!?」
 トチェスが二人の名前を復唱すると、途端に驚きと喜びと期待が入り混じった顔になった。
「オレたちも人気者になったもんなんだな」
「そう、ですね」
 名乗っただけで特定されてしまうというのは冒険者として誇らしいことなのだろうが、エンとしてはこそばゆいだけだ。
「うわぁ! 感激です! 憧れていた北大陸最強と噂される冒険者に出会えるなんて!!」
 こうして他の冒険者の憧れになってしまうとは、なんとも気恥かしい。かつて世界を救った『英雄四戦士』がもういないため、今の時代の冒険者として有名になってしまっているのだ。
「あなたがたのおかげで私の劇団もますます人気になりましてね。今話題の『炎水龍具』のリーダー、エンがメーテル劇団で活躍したことがあるってことがかなり効いています」
「オレは餌かよ……」
 エンが苦笑すると、テルスはふふと笑った。
「有効利用させてもらっていますよ」
 悪意のないだけに何とも言えず、エンは複雑な気持ちになってしまう。
「やはり私の目に狂いはなかった! きっと有名な冒険者になると信じていましたよ!」
 そういえば、あの時もそのように言われていたのだ。まさか本当に有名になるとは思ってもいなかったが。
「今夜、この船でトチェスさんが主役の劇をやる予定なんです。是非、見て行って下さいよ」
「いいぜ、どうせ中央大陸に着くまで暇だし」
 自分たちがやらないというのなら、気楽に見て行けるというものだ。隣に立つルイナも興味がわいたのかゆっくりと頷いた。
「あんたも頑張れよ」
「は、はい!」
 憧れていた冒険者の声援を受けた為か、トチェスは元気よく返事した。


 ――あの後。
 ラーミアが飛び去り、さてこれからどうしたものかと話した末に、エンたちは二手に分かれた。イサとラグドは、一度故郷のウィードを様子見に。
 エンとルイナは、まずは、人間界(ルビスフィア)に残した仲間たちと合流しようと考えたのだ。冒険者ギルドには全国共通の伝言メッセージを残すことができるサービスがあり、冒険者『炎水龍具』の中で何かメッセージがないかを確認すると、「ストルードにて待つ」という伝言があったのだ。そのため、こうして中央大陸のストルードを目指すことにした。
 ホイミンとしびおもついてきたのは、それぞれの理由がある。最初は面白うそうだからの一言でついてこようとしていたホイミンにストルードを目指す旨を伝えたら、ホイミンが自ら案内を買って出たのである。しびおは、竜界への帰還方法を探す為、『龍具』使いであるエンとルイナに同行することになった。
 ――そして、今。


 甲板の中央に照明を当てて、劇は滞りなく進められた。
 エンたちがやった時のように、予定外の魔物が襲ってくるという事故もなく、最後のシーンまで予定通りだった。
 内容は、主人公の生みの親と育ての親が違うがために発生した葛藤を描くものであった。
 育ての親のもとで大成した主人公に対して、それを知った生みの親が引き取りたいと言い出した。もともと主人公は育ての親と決別し、いつか生みの親のもとへ帰りたいと願いながら生きていた。しかし年月は情を生み、育ててもらった親への恩を返したいと思うようになっていたのだ。
 生みの親が好条件を出し、育ての親がそれを却下する。かと思えば、育ての親が主人公を手放したくない一心で、主人公が心変わりせぬように生みの親の悪口を吹き込む。それを知った生みの親が、こっそりと主人公に育ての親の酷さを語る。
 主人公はどちらもそんなことをするはずがないと信じていたが、主人公の知らない所で争いはさらに増す。
 主人公は苦悩し、その悩んでいる所を魔物が狙った。
 魔物が囁く。いっその事、親が両方ともいなくなってしまえば悩みは消える、と。
 疲れ切った精神の主人公は、ついその言葉に乗せられてしまう。
 二人の親の屍を見て、主人公は正気に戻るのだ。
 そして、涙を流しながら自分の命も断つ。
「もし……ここではないどこかで生まれ、この人たちではない誰かに育てられていたら、運命は変わっていたのだろうか」
 という言葉を残しながら。
 終幕。


 拍手が渦巻き、演劇は無事に終了。
 経験の浅い冒険者であるはずのトチェスは、立派に役割を果たしていた。
 その後、エンたちはテルスが泊まっている部屋に呼ばれていたので、こうしてお邪魔しているのが現状だ。
 この場にはエンとルイナ、テルスと主役を務めたトチェスがテーブルを囲んでいた。
「大成功だったな」
 そう言うと、トチェスは照れた笑みを浮かべた。
「エンさんたちが観ていると思うと、緊張しましたけどね」
「いやいや、トチェスさんは立派にやってくれましたよ。最後の最後まで! ちょっとヒヤヒヤしていましたから」
 経験の浅い冒険者に主役をやらせておいてヒヤヒヤしていたはないだろう、と思ったが、どうやら表向きになっていない事故があったらしい。
「実は、台本が一部、間違っていましてね。最後の台詞がなかったかもしれなかったんです」
 最後に主人公の最期を締めくくる台詞だったのだが、トチェスに渡された台本にそれが載っていなかったのだ。劇中のラストシーンをやっている時に、裏方の劇団員が片付けをしている時に分かったらしく、途中でトチェスに伝える術もない。最後に一言が無ければ、どうにも不自然に終わってしまう。どうしたものかと悩んでいたが、トチェス自身がアドリブで最後の台詞を言ったらしい。
「じゃあ、あれはトチェスがその場で考えたのか」
「ええ、主人公を演じているうちに、最期はこう言うだろうと思いましてね」
 それだとしたら、なかなかの演技力である。初めての演劇で、その場にあったアドリブを言えるとはたいしたものだ。
「すげぇな」
 エンは自分ではまずできないだろうと思った。そもそも演劇の依頼を受けた時も台本を覚えきれず、ルイナの調合薬に頼ったのだ。アドリブで締めくくるなどできるはずがない。
「それで? オレたちが呼ばれた理由は?」
 まさかトチェスの凄さを語る為、というはずがなく、お願いしたい事があると言われていたのだ。
「ああそうでした。エンさんたちは、ストルードへ行かれるのですよね。実は、トチェスさんもストルードへ行く所だったらしいのですよ。それで、よければ同行させてもらえませんか?」
「なんだ、そんなことか。別にいいぜ」
 内心、今日活躍したトチェスとエンたちのダブルキャストで演劇を依頼してくるのでは、と思っていただけにほっとした。
「ルイナも構わないよな」
「はい」
 と、ルイナも同意を得る。後は仲間二人(匹?)のことだが、大丈夫だろう。
「よかった! よろしくお願いします!」
 憧れの冒険者と一緒に旅ができるのが嬉しいのか、トチェスは円満の笑みで頭を下げた。
「そういや、テルスはどうするんだ?」
「私たちは港でまた別の冒険者に仕事を依頼して、別の船で公演するのですよ」
 メーテル劇団は船上での公演が多く、世界を転々としているらしい。船に乗り合わせた客があちこちの旅先でメーテル劇団のことを話すことで、またその知名度を上げていくというわけだ。
「そっか。じゃあストルードに行くのはトチェスだけなんだな」
 もしかしたらストルードで公演の予定があるのではと思っていたが、どうやら違うらしい。
「そうなりますね」
「ま、よろしくな」
「はい!」
 こうして、旅の仲間が一人増えたのであった。


 中央大陸(クルスティカ)の有名所を上げるとすれば、大賢者リリナの出身地である三魔江、水の精霊が眠るとされる聖水国家ウォータン、そして政治国家ストルード。他にも幾つもの国が存在するが、多くの人がまっ先に出て来る場所はこの三つである。
 そしてエンたちがやってきたのは、そのうちの一つ、政治国家ストルードだ。
 ストルードは街の中心にストルード城が存在し、それを囲うように街の風景が広がっている。街のどこからでも見上げれば城が見える、というのはエシルリムでも同じであったが、さすがに塔と呼ぶほど高くは無い。ただ、街の中心になるにつれて地層が高くなっており、城が最も高い所にある為、エシルリムとは違った形で城が見えるのだ。
 港からストルード国までは徒歩で数日かかる距離だったが、それもあっという間に過ぎてしまった。
 トチェスは武具召還が行える冒険者であり、冒険職は剣士だという。出会った頃、装備が鎧だけだったので魔物殺(モンスターバスター)ではなく冒険者だということは薄々感じていたが、剣士というのも見た目からして納得できる風貌だ。
 道中、魔物に襲われるということもあったが、エンとルイナは魔界まで乗り込んだほどである。そこらの魔物に後れを取る筈がなかった。
 また、トチェスも剣士としての腕前は高く、上級の武器も召還できるほどだ。経験が浅いとはいえ、才能があったのだろう。
「それでは、皆さんありがとうございました」
 トチェスは深々と頭を下げながら言った。
「ああ、またどこかで会おうな」
「はい!」
 笑顔で見送り、トチェスは雑踏に消えていく。
 ストルードに着くなり、トチェスが別行動を申し出たのだ。もともと彼もストルードで用事があったのだし、これから先は一人で行かないと甘えてしまいそうだとトチェスは苦笑交じりに言っていた。
 エンたちとて無理やりに付き合わせる理由もないので、その場で別れることになった。
「さて、オレたちはオレたちで……まずは飯だな」
「エンさんって食いしん坊だよね〜」
「お前に言われたくねぇよ」
 ホイミンがからかうのを、エンが頬をつまみながら返す。港からストルードへの道中、食糧の減り具合が速かったのはエンとホイミンのせいである。
「ともかく行こうぜ」
 とエンが促し、他の皆がそれに続く。
 石畳の上を人々が行き交い、賑やかではあるもののどこか違和感があった。
「……何だろうな、この街」
 大きな街は何度か訪れたことがある。そこにある賑わいと大差ないはずなのに、何かが違う。
「ルイナはどう思う?」
 食事を提供してくれる酒場がないか辺りを見ながら、隣を歩くルイナに聞いて見た。
 エンが感じている違和感を、ルイナなら何かはっきりとさせてくれるのではないかと思ったのだ。
「雰囲気が、違い、ますね」
 淡々と答えるルイナ。言われてみると、確かにそうだ。どこか雰囲気が異質なのだ。
「ホイミンはどうなんだ?」
 ストルードへの案内役を買って出た本人だ。この国のことをよく知っているはずである。
「うーんと、う〜んとね、わからない。てへ♪」
「なんで楽しそうに言うんだよ……」
 しびおにも聞いてみようとしたが、その貼りついた笑顔には無言ながらも「わかりません」と顔に書いているかのようだった。
 妙な空気を感じながら、とくかくまずは飯だ、とエンは考えを切り替える。
 そして見つけた『ユニコーンの蹄亭』という看板を掲げた酒場が一つ。
 空腹の具合からどこでもいいという判断が出てきた為、そこの扉をくぐった。
 中は客が少なく、店自体はあまり繁盛していないようだった。
 旅人向け用の店らしいが、その旅人自体が少ないのだろう。
「あ、いらっしゃいませ」
 エンたちに気付いたウェイトレスも暇を持て余していたのか、嬉々として飛びついて来た。
「なんか食べるもの適当に。とりあえず六人分」
「後からいらっしゃるのですか?」
「いや、オレが六人分食うんだよ」
 その言葉にウェイトレスも驚いたようだが、構わずルイナやホイミンとしびおもそれぞれの注文を済ませた。
 注文を奥の厨房に伝えたウェイトレスが、エンたちのテーブルに再び戻って、愛想の良い笑顔で首を傾げる。
「本当に良いんですか。六人分も」
「構いやしねぇよ。それより聞きたいことあるんだけど」
「そうでしょうね。料金、明らかに多かったですから」
 酒場での情報の売り買いに関してはミレドの方が一番手っ取り早いのだが、そのミレドたちの再会するためにストルードまでやってきたのだ。ストルード広く、そこからどこかにいるはずの相手を探すのはさすがに難しい。
「まずは、そうだな。この街、何かおかしくないか? 雰囲気とか」
 表通りを歩いている時に感じた異質な雰囲気の正体。酒場の娘が知っているのかどうかは怪しいが、聞かないよりはましだ。
「うーん、そうですね。多分、住んでいる人たちの気質というか、なんというか。私も、初めてこの街に来た時はそれを感じましたよ」
 このウェイトレスはストルード出身ではなく、近隣からここに引っ越してきたのだという。その頃、エンたちと同じく違和感があった。
「気質?」
「はい」
 あまり外には聞こえてほしくないのか、ウェイトレスの声が小さくなった。
「考え方、っていうのかな。貴族の皆さんは、誰よりも自分が偉いって思っていますからね」
 自分自身を高貴な存在として疑っておらず、それ以外は下等だという考えがこの街に根付いているらしい。
「ああ、なるほどな」
 それでようやく分かった気がする。要は、国の貴族全てがエンたち旅人の存在を見下しているのだ。他の国ならば旅人はお金を落としていく貴重な存在だ。だから店の者は全力で客を引きいれようとする。しかし、この国では店を経営する者ならともかく、貴族はそれを下等な存在としか見ていない。貴族たちは暮らしが潤っているので必死になることもないのだから当然か。
 そのような目で見られていると知ってしまえば、異質な空気も納得がいく。
「そういや、あいつも出会った頃はそんな感じだったな」
 仲間のエードのことである。彼はこのストルード出身だ。出会った頃の彼は自分を高貴な存在としていたし、エンを見下している面もあった。今でもそのような感じを見せる時もあるが、最初の頃ほどではない。
「あとは……ああ、そうだ。この近くに冒険者ギルドはないのか?」
 どこの国にも冒険者ギルドはさすがに存在しているはずである。しかしここまでの道のり、案内板すら見なかったのである。
「この近くは無いですねぇ。東側にならあったはずですけど」
 エンたちがいるのはストルードの西側に位置している。どうやらストルード城を通り越して反対側まで行く必要があるらしい。
「あ、そろそろ料理上がるみたい。ちょっとお待ちください♪」
 そう言ってウェイトレスが厨房の奥まで下がった。
 すぐに戻ってくるだろうし次は何を聞いておこうかな、と考えてみるが、エンは考えるのが苦手な方なので、ぱっと思いつく事は無かった。ここでミレドならどう考えたのかな、と想像してみるが、「テメーで考えろ、バカ」とけなされる図が浮かんだので何だか情けなくなってしまった。
 とりあえず食べてから考えるか、と何とも単純な答えに行きついた矢先である。
「おほ、可愛い子ちゃん見っけた」
「な?!」
 気配すら感じさせず、それは一瞬の出来事であった。
 エンもルイナも、ホイミンとしびおも気付かなかった。
 どこからともなく現れた白髪の老人が、椅子に座っていたルイナに背後からいきなり抱きついたのだ。
「良い感触じゃ」
 さらにはその老人の手はルイナの胸を鷲掴みにし、抱きつかれた本人は何が起きたのかわからず目を丸くするばかりだったが、ようやく状況がわかってくると表情は変わらないまま顔が一瞬で赤くなった。
「なんだぁこのじいさん?!」
 唐突な出来事にエンもわけがわからず、火龍の斧を召還して切っ先を向けた。
「うぉい、そんな物騒なもん向けんじぇねぇよ」
 さすがに老人も命の危険を感じ取ったのかルイナから離れ、両腕を上げて敵意がないことを見せる。
「大丈夫か、ルイナ」
「…………」
 相変わらず無表情だが、エンはその雰囲気でわかった。そして、かなりまずいということも。
「(やべぇ、完全に怒ってる)」
「……マヒャ」
「だぁあぁ! 待て待て! 落ちつけ! 気持ちは分かるがそれだけはやめろ!!」
 こともあろうに極大冷気呪文(マヒャド)を放とうとしたのである。広い場所ならともかく、ルイナのマヒャドは海を凍らせるほどの威力がある為、こんな酒場で使ったら崩壊どころでは済まない。ルイナに魔力が集束しつつあったので、止めていなかったら危なかった。
「……」
 無理やり止められ、ルイナはエンを見た。ならばこの怒りをどうしてくれようかと訴えているのである。さすがにこのような形で怒ったルイナは初めてなのでエンもどうしたら良いのかわからず慌ててしまう。
「そう怒るなよ。無理か? 無理だよな。えっと、そうだ! オレが代わりに『ビッグ・バン』をぶち込んでやるから!!」
 わけがわからないまま相当物騒なことを口走るエン。
「それもダメだよぉ!!」
 ホイミンがつっこんだ。もう一度言おう。あのホイミンがツッコミをいれたのだ。
 ホイミンでさえつっこんだということが、エンたちを落ち着かせた。
 もしエンが本当に『ビッグ・バン』を放っていたら、ストルードそのものが崩壊していたかもしれない。
「――それで、じいさん何者なんだ?」
 さすがに火龍の斧は消して、しかし警戒は解かないままエンが聞いた。
「俺? 俺か? 俺は世の中のカワイ子ちゃんと仲良くなろうとしているマハリ=T=ユニウォッカという者だ。マハリと呼んでくれ」
 マハリと名乗った老人は、見た目の老齢さよりも声や表情は若々しく生気に満ちている。
 さすがに向こうも名乗ったのだからこちらも名乗るべきかなとエンが考え、しかし口に出すよりも早く、別の音がそれを邪魔した。
 酒場の扉が、勢い良く開いて盛大な音を立てたのだ。その盛大な音を立てた張本人を見て、エンは目を見張った。
 痩躯を黒装束で包み、バンダナを巻いた黒髪の男。目つきは悪く不良を連想させる。
「マハリのジジイ! こんな所にいやがったのか!!」
 ずかずかとマハリの前まで歩く姿も、その声も、全てが懐かしく思えた。
「……ミレド?!」
「あぁ!?」
 マハリしか見ておらず、他は眼中になかったミレドは、ちょうど苛ついていたのか己の名前を呼ばれて喧嘩腰に返事をした。しかしその呼んだ本人の姿を認めると、さすがそのナイフの様に鋭い目つきも丸くなった。
「エンに、ルイナ様……こんな所でなにしてんだ?」
 相変わらずルイナにだけは様をつけることは忘れていないミレドはいつも通りで、エンたちがここにいることに驚くどころか呆れているかのようだ。
 久々の再会だというのに、案外呆気ないものになってしまった。

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