-53章-
英雄の決意



 ――声。
 どこから聞こえているのか、分からない声。
 どこから? そんな疑問は吹き飛んだ。きっと、そこから。
自分を見ている、何かが目に映る。
「――は、もう……だ」
「しかし――ならば…………であろう」
 二人。そこに二人いる。何を話しているのだろうか。分からない。
 その声は意味を持って聞きとることができない。
 もっと大きく聞こえれば、もしかしたら意味を理解できるかもしれない。
 大きく、もっと大きく、もっと、もっと、もっと。
 聞こえろ。
 あぁ、聞こえてきた。

 これは、なんだろう。


 人が、泣いている。
 子供だろうか。いや、違う。
 泣きわめいているのは子供だが、泣いているのは、人々であり、大地であり、この世界である。
 瓦礫に背を預け、俯いているだけの自分に聞こえてくるのは、止まない泣き声。

 ――助けて。
 ――どうしてこんなことに。
 ――我々が何をしたというのか。
 ――もうお終いだ。

 数々の嘆きが聞こえてくる。
「……」
 虚ろな目で聞こえてくる声に耳を傾ける。
 世界は終わりに近付いているのだ。
 むしろ、終わってしまった。
 昨日まで平和だった自分たちの世界は、呆気もなく簡単に崩れ去ってしまった。
 静かに、平和に暮らしていた人間の街。しかし今では、建物は廃墟と化し、人々の嘆きが止まない場所になってしまった。
「うるさい……」
 耳を塞いでも、目をきつく閉じても聞こえてくる嘆きの声。
 本当に声を発しているわけではなく、その心の声が嫌でも聞こえてくるのだ。
 だから、少年の呟きは他から見れば唐突な独り言にしか思えなかった。
 当の少年は、聞こえてくる嘆きの声に文句をつけたのだが。
「……」
 やがて、顔を上げる。
 『声』が聞こえなくなったからではなない。声はむしろ、一層うるさくなるばかりである。ならば何故、顔を上げたのか。目の前に人の気配を感じたからだ。
「つまらなそうな顔をしているな。ここで終わりという顔だ」
 少年の虚ろな瞳に映るのは、見た事のない人間の顔だった。街の人間ではない。小さな街だったので、一通りの顔は見知っているはずだが、目の前にある顔は知らなかった。
「しかしここでは終わらない。終わらせたくない。終わる筈がないのだよ」
 その人間は、少年に手を差し伸べた。無気力にただ見上げるだけだった少年の心に吸い込ませるかのように、その声は重く聞こえる。
 煩く聞こえてくる世界の嘆きの中で、唐突に現れた別の声。
 それは自分という世界を一変させるほどの、まるで魔法のような言葉。
「立ち上がれ。『運命の意思』は、君を選んだのだよ」
 何を言っているのかわからなかった。だが、自然と少年は差し伸べられた手を取ろうとしていた。この手を取らなければ、このまま死んでいくだけだと解っていたから。このまま無意味に生きるよりは死ぬ方を選んだかもしれない。選んだはずだ。
 死んでも良いとさえ思っていた。死ぬしかないと思っていた。世界の嘆きを聞きながら、自分のその嘆きの一部に淘汰されるのだと思っていた。
 しかし心の奥底では、それを拒んでいたのだ。諦めてたまるか。こんな所で、終わってたまるものか。
 だからだろうか、その手を掴んだ時に、虚ろな瞳は光を宿した。
「僕は……」
 何かを言おうとする前に、手を差し伸べていた人間が力を入れて無理やり少年を立たせた。
「立ち上がったな」
 にぃ、とその人間は笑う。
「後は『運命の意思』に従え」
 その瞬間、少年は、はっとした。
 少年に声をかけた人間が、目の前からいなくなっていたのだ。
 声は確かに聞こえたし、顔もしっかりと見ている。値踏みをするような視線と、少年が立ちあがった時に浮かべた笑み。だが、見たはずの顔はどこかおぼろげで、つい今しがたの事であったのに思い出す事が出来ない。
 声も確かに聞いた。人の声だ。だが、男性の声なのか女性の声なのか、若い人の声だったのか、老人めいた声だったのかが、解らない。聞いた時にはしっかりとどのような声だったかが感じ取れていたというのに。
 差し伸べられた手を掴んだ時の感触も、温もりも、確かに感じた。
 その人の存在が確かに感じられた――はずだった。人? 本当に人間の声だったのか。本当に人間の手だったのか。それすら本当にそうだったのか怪しく思えてきた。
 目の前にいたはずのその『何か』がいなくなっているのが、より少年の心を惑わす。
 ただ、掴んだことは確かなのだ。それだけは変わらない事実。
 少年は絶望の渦の中から立ち上がり、掴んだ。希望という、世界を変えるための物を。
「これは……?」
 掴んだ右手に、少年の手にすっぽりと収まる程の丸っこい石が握られていた。つい先ほど、少年に声をかけた人物の手を取ったはずの右手は、その不思議な石を最初から持っていたかのように手に馴染んでいる。
 この石に宿る何かが、少年に声をかけたのだろうか。
 正体は解らない。それでも、少年は感謝した。
 嘆きの一部分になり消えていく、そんな人生は嫌だったのだと、気付く事が出来たのだから。
 嫌だからと言って、何もしなければ意味がない。他と同じように消えていくだけだ。
 だから、立ち上がる必要がある。
 光が宿った少年の瞳に、強い意思が生まれた。
 少年の名は、ロトル=ディアティス。後に伝説に語られる英雄である。


「こりゃあ、オリハルコンだな。神々の奇跡が宿る鉱石だよ」
「神々の?」
 鍛冶士の言葉に、ロトルは聞き返した。
 ロトルは既に少年ではなく、青年と呼ばれる域に達していた。
「あぁそうさ。ワシも見るのは初めてだがな、間違いない。どうしたのだ、こんなもの」
 腰まで届くのではないかというのほど伸びている顎ヒゲをさすりながら、鍛冶士は言った。鍛冶士はロトルの腰くらいまでしか身長がないが、これでも既に成人しているのである。身長が低いのは、彼がドワーフであるからだ。基本的にドワーフは人の半分ほどしか身長が伸びない。
 しかし彼らは手先が器用で力も強く、鍛冶士としての腕はどの種族よりも優れている。
「うん……その、貰ったんだ」
 ロトルはどう話したものかと少し悩んでそう答えた。人の手を掴んだはずが気付いたらそれを持っていた、というのが正しいのだが、自分でも半信半疑なのだ。
「ふぅん。だが、それをワシに任せてくれるというのかい」
 ロトルは彼に武器を依頼しようとして、ついでにこの石の事を聞いて見たのだ。長年、何だったのか解らなかったこの石だが、意外な所から答えは返ってくるものである。
今まで解った事と言えば、この石を加工すれば、良い武器が作れるかもしれないという他のドワーフの意見ぐらいだったのだ。
 もともとこの石を加工して貰おうと思っていたのだが、最後に正体が知れてよかった。
「君が一番の鍛冶士だと信じているからね」
「ふはっ。嬉しい事を言うじゃないか」
 鍛冶氏のドワーフ――マセマンというのが彼の名だ――は、笑いをしながら、ばんばんとロトルの背中を叩いた。照れ隠しなのだろうが、ドワーフの力強さで叩かれるとロトルも苦笑いを浮かべるしかない。
「頼めるかい、マセマン?」
「他ならねぇロトルの頼みだ。やってやるよ」
 ぐっと力こぶを見せてマセマンは不敵の笑みを見せた。
 それに全てを任せようと、ロトルはオリハルコンを彼に手渡した。
「しばらくかかるだろうが、大丈夫か?」
「うん、問題ない」
 頼んだよ、と言ってロトルは作業場を出た。
 外に出ると、赤い髪をしたロトルと同年代の男性が、腕を組んでそこらの木にもたれかかっていた。
「どうだった?」
「やってくれるってさ。それに、あの石の正体も解ったよ」
「何だったんだ」
「何だったと思う?」
 ロトルの問いかけに、赤髪の彼はあからさまに嫌そうな顔をした。
「俺にそれが解かるわけがないだろう」
 一度、ロトルは彼に石のことを相談している。その時は結局わからず終いだったのだから、今でも分かる筈がない。
「オリハルコンだってさ。神の奇跡が宿ると言われているらしい」
「神の?」
 マセマンから聞いた時と全く同じ反応を彼は示した。それもそうだろう。突拍子もなく神の力が宿っていると言われて、すぐにその意味を理解できるはずがない。
「ともかく、良い武具が手に入りそうだ」
「なんて言ってもマセマン製だからな」
 ロトルが彼を最高の鍛冶士と言ったのは、あながち嘘ではない。今この時代にある武器で、最高峰とされるのは全てマセマンが作った武具なのだ。彼が言ったように、それはマセマン製という一つの銘柄と化している。
 もともと、マセマンに会って良い武具を作ってもらおうとやってきたのだが、タイミングが悪かったのか魔族が辺り一帯を占拠していた。
 今の時代、魔族が別種族の住民を占拠するなど珍しくもなんともない。だからと言って、ただ指をくわえて見ているわけにはいないのだ。ロトルたちは戦い、ドワーフたちを解放することに成功した。
 魔族に日々恐怖していたドワーフたちはいたく感謝し、こうして友好的に武具を作ってくれる約束もしてくれたのだ。
「おう、ロトルよ。マセマンはどうだった?」
 二人で談笑していると、違う人物が会話に割って入った。マセマンと同じように背が低い、彼もドワーフである。
「うん、協力してくれるってさ」
「そりゃそうだ。ワシらドワーフは恩を忘れない。ワシからも改めて感謝するよ、皆を救ってくれてありがとう」
 そう言ってドワーフの彼は頭を下げた。
「僕一人の力じゃない。皆の力があったからこそだよ。なぁ、フェアーゴ?」
 ロトルは談笑していた相手――フェアーゴに笑いかけた。
「あぁそうだな。今回も俺をこき使いやがったしな」
 と、フェアーゴが凝った肩を回しながら言った。からかいあっているのだ。
「それでも、本当に助かったんだ。ワシは他の皆とは違う生き方をしている。けど、やっぱり同族は心配になるもんだな。きっと、他のやつらもそうだろうよ」
 彼の言う『他の皆』とは、ドワーフたちのことだろう。
 そして最後に言った『他のやつら』とは、ロトルの仲間たちのことだ。彼はちょっとした言い方で色々と区別しているのだが、それが解るまで少し時間がかかったものだ。今はこうして意味を理解できるのだから、その分、共にいる時間が長かったのだろう。
「僕たち、けっこうごちゃ混ぜだもんな」
 と、ロトルは苦笑する。
 人間に、ドワーフ。それだけではないのだ。
 エルフもいれば、ホビットもいる。皆が皆、今この世界で起きている争いを終結させようというロトルの意思の下に集まったのだ。
 最初は小さな光だった。小さな光は、所々に散らばっていた。それぞれが心の奥底では立ち向かおうとしていた。しかしどの光も、立ち上がる勇気がなかった。
 その中に、光を集めようとした光が出てきた。一人の、勇気を持った少年は、小さな光達を拾い集めて行った。ほんの少しの勇気を分け与えただけだが、それでも立ち上がろうとした光達が奮い立つには充分だった。
 やがて光は集まり、戦えるだけの力を手に入れたのだ。
 全ては、この世界の戦争を終わらせる為だ。


 それから、一週間が過ぎた。
「まだ出てこないのか?」
「うん……。さすがに心配だよ」
 マセマンが作業部屋に入ったまま、出てこないのだ。中から金属を打つ音が響いているので、中で倒れているというわけではないのだろうが、この一週間、その音が途絶えることはなかった。睡眠も食事もろくに取らず、マセマンはつきっきりでオリハルコンを鍛えているのだ。
「他のドワーフは心配ないって言っていたけど、ドワーフってそういうものなのかな」
 人間の生活リズムと違う感覚で生きているとも言っていたし、何かにのめり込むとこれくらいは普通らしい。とはいえ、それに慣れていないロトルたちは心配する一方ではあったが。
「まあ気長に待とうぜ。あと数日で世界が滅ぶってわけでもないんだし」
 フェアーゴの言葉に対して、ロトルは素直に頷けなかった。神々と魔族の戦いは激化する一方だ。いずれ、世界全体が消滅するような力が発動するかもしれない。その『いずれ』は、もしかしたらすぐかもしれないのだ。
 そんな考えをしていたからだろうか、トルナードが血相を変えて走ってきた時に、まさか、と思ってしまった。
「いた! ロトル、フェアーゴ!」
 トルナードは翠髪のツインテールを激しく揺らしながら走り、その速度は女性とは思えないほど早い。
「どうしたんだい?」
 トルナードがようやくロトルたちの前に着いたころには汗だくで、肩で息をするほど呼吸が荒くなっていた。
「まっ、はぁ、はぁ、が! はぁ、はぁ」
「少し落ち着けよ。何を言っているか解らないぜ」
 フェアーゴの言葉に、トルナードはぶんぶんと首を横に振った。
 トルナードが息を切らしているのは、全速力で走ってきたからだけではない。彼女自身が恐慌しているのだ。
「魔族が襲ってきたの!」
 少し呼吸が整った所で、叫ぶようにトルナードは言った。
「なんだって!?」
「ここら辺はもう安全じゃなかったのかよ」
 ロトルたちはドワーフの居住区を占拠していた魔族を斃した。その魔族は近辺を統率しているような魔族で、その魔族が打倒されたことにより近辺の他の魔族は逃げ出したはずだった。
「ここを占拠していたやつが斃されたってことを聞いて、違う方面からやってきたらしいのよ。斃したのが私たちだということで、ならば簡単に勝てるだろうと思ったに違いないわ」
「ふざけやがって! 返り討ちにしてやる!!」
 ばしっ、とフェアーゴが拳を己の掌に打ち付ける。
「もう皆は応戦しているのか」
「うん。私はロトルへ伝える為に、一時離脱してきた」
 トルナードは誰よりも速い。走る速度も、戦闘をする際の素早さも、彼女が一番なのである。最速で事態を伝えるには適任だった。
「よし、僕らも向かおう」
「ロトル、待て!!」
 トルナードが走ってきた方向を目指そうとした瞬間、フェアーゴが制止の声をかける。
 一体どうしたというのか、と問いかける前に、ロトルも顔つきが変わる。
「こんな所にまで……」
 そう呟いたのはトルナードである。三人の視線の先には、人一人くらい飲みこめるのでは思えるほど大きな犬がいた。ただし犬と言っても首は三つあり、背中には禍々しい翼を生やしている。魔族の眷族、魔獣に分類されるそれは、低い唸り声を上げながら飛びかかる機会を窺っていた。
「まだマセマンは中だろ。やべぇんじゃねぇか」
「……皆を信じよう。僕たちは、ここを守り抜く」
 そう言ってロトルは使い古した鋼の剣を抜いた。
 これもマセマン製で、実は魔力が付与されているのだ。
「俺も付き合うぜ」
「私も」
 フェアーゴとトルナードが、それぞれの武器を構える。
「頼りにしているよ!」
 ロトルの言葉が合図にでもなったかのように、魔獣は飛びかかってきた。


 辺りには魔獣の死体が重なっているが、いつかこの中に仲間入りしてしまうかを考えるとぞっとしてしまう。
「また、来たみたいだね」
「少しは、休ませろ、っての」
 フェアーゴの言葉が途切れ途切れなのは、荒い呼吸の中、強がりで喋っているからだ。
「同感……」
 トルナードの体力も既に限界だろう。男二人と比べると、やはりその辺りは劣ってしまう。
 魔獣を一体斃す頃には別の魔獣が近寄っており、マセマンの作業場入り口を守るだけで精一杯だった。しかも、まだ魔獣はあちこちにいるらしく、その出現頻度も増してきているように思えた。
「やっぱり、こいつらここを狙っているのかな」
 フェアーゴには、魔獣たちは背後にあるマセマンの作業場へ入りこもうとしているかのように見えたのだ。
「そんなことが……」
 ロトルが否定しようとして、ふと気付く。マセマンが今加工しているのは、神の力が宿るという金属だ。魔族は神が持つ神器を手に入れようとし、神々は魔族が扱う魔術を使えるようにしているらしい。ならば、神の金属たるオリハルコンが狙われるのは、当然とも言えるわけだ。
 フェアーゴの予想通り、魔獣たちはマセマンを狙っている。
「尚更、ここを離れるわけにはいかないね」
 ロトルはそう言って、鋼の剣を持つ手に力を込めた。
「否! そこは離れてもらわなければ困る!!」
 ロトルを否定したのは、妙に甲高い声であった。
「なに!?」
 声の主は、背丈がロトルの倍はあり、しかし痩躯で、羽織っている厚手の黒ローブがなければそうとう貧弱な身体をさらすのではないかと思われるほどだ。人の形をしているが、目は顔の中心に一つあるだけであり、手にある錫杖は禍々しく、何より全身から発せられる魔力と瘴気が人間であることを否定している。
 その姿形からして、声の主は魔族である。
 そして、その魔族が悠々と歩いてきた方向は、トルナードが走ってきた道と同じだった。
「まさか……」
 嫌な予感が、当たってほしくない予想が、脳裏を過ぎる。
 他の仲間たちが魔族と応戦している、とトルナードは言った。しかしその方向から訪れたのは、その魔族だ。
「そこにあるのはオリハルコン・ムグルだな。たかが人間が持つには分不相応である」
 発せられる声はやはり妙に甲高く、思わず顔をしかめてしまう。
「オリハルコン・ムグル?」
 魔族の言葉に含まれていた単語を、トルナードが復唱する。
「ただのオリハルコンじゃないっていうのか……」
「そんなことは、どうでもいい!」
ロトルが叫ぶように言った。今はオリハルコンの正体など、気にしている場合ではない。
「他の皆はどうしたんだ!」
 ロトルたちがここで戦っている間も、仲間たちは戦っていたはずである。トルナードは伝令役として一足早くこの場に着いたが、他の者は一切見ていない。
「解っているのであろう。私がここに訪れたのは必然であるぞ。か弱き者どもならば、一掃してやったわ」
「そんな!」
 救ったドワーフたちや、他の仲間たち。その全てが、この魔族の手に落ちたというのか。
 目の前にいる魔族は、ロトルから仲間を奪った。集まってきてくれた仲間を、大切な仲間を。
 怒りと悲しみがロトルに、フェアーゴに、トルナードに圧しかかる。制御できないほどの感情に震えながらも、ロトルは鋼の剣を構えた。
「ふん、私と闘う気か。よろしい、ならば貴様も仲間たちの元へ送ってやろう」
 と魔族は言って、錫杖を地面に突き付けた。そこから光の線が走り、魔法陣を描いていく。
「魔術か?!」
 魔族が操る、魔力を用いた呪術。その効力は、恐るべきものだ。
「灰塵と化すがいい!!」
 魔法陣が完成すると、そこから巨大な火の玉が打ち出された。勢い良く迫る火球をなんとか躱すと、その数種前まで立っていた場所に火球は着地し、火柱がその場で渦を巻く。その近くにいるだけで体力をごっそりと奪われてしまい、もち直撃していたら跡形もなく燃え散ったことだろう。
「く!」
 魔術を使われると、やはり魔術を持たない者が不利となる。その不利を逆転できてきたのは、仲間たちがいたからだ。しかし今では、十何人といた仲間は、トルナードとフェアーゴだけになってしまった。
「――俺が囮になる。ロトルはその隙に……」
 フェアーゴがロトルとトルナードだけに聞こえるような声で言った。
「馬鹿なこと言うなよ」
 いくらフェアーゴがロトルに次ぐ実力とは言え、敵の魔術を受けてはひとたまりもない。
「そうよ、囮なら、私がやるわ」
 と言ったのは、素早さならフェアーゴやロトルにも勝るトルナードである。
「そうじゃないだろ。そんなこと、二人にさせられるわけないだろ」
 これ以上、仲間を失う危険はおかしたくない。
「けどよ、そうでもしねぇと――」
 フェアーゴが最後まで言い切る前に、三人は魔族の方に意識を向けた。見れば、再び魔法陣が光を放っているではないか。
 それが意味する事は、当然次の攻撃が来ると言う事。
「死ぬ順番でも話し合ったか。だが安心しろ、まとめてあの世へ送ってやろう」
 先ほどよりも巨大で、数が多い火球が浮かび上がり、一斉にロトルたちへ襲い掛かった。
 最初の一撃は火球も一つで、なんとか避けることができたが、複数に打ち出された火球を避ける術はない。
 ロトルも、フェアーゴも、トルナードも分かってしまった。逃れる事はできない、と。

 ああ、ここで死んでしまうのか

 そう思った瞬間である。
 ロトルたちと魔族の間――正確には、ロトルたちと火球の間に一つの物体が投げ込まれた。
「なんだ!?」
 誰が発した言葉なのか、誰もが混乱して誰が言っても不思議ではない。
 それというのも、火球はその物体に向かい、そしてそれを中心に左右へ弾かれた。ロトルたちは無傷で、代わりに周囲だけが焦げている
 ロトルたちの間に割り込んだ物体、それは盾であった。不死鳥を模した紋様が描かれた、不思議な力を感じされる盾。
「完成したぞ」
 その言葉はロトルたちの背後からかけられた。
 見れば、そこには不敵の笑みを浮かべたマセマンの顔があった。目には深い隈ができており、疲労感に溢れているが、口元はこれ以上にないくらいの笑みが作られている。
「ロトルよぉ、何が起きたかは大体察しがついている。なぁに、一度はおめぇに救われた命だ。お前の為に散らせられるなら皆も本望だろうよ」
 皆が戦ってくれなければ、魔族は早々にこの場に現れていただろう。マセマンが作業を終えるよりも速く、魔族はロトルたちに魔法を放っていただろう。マセマンが武具を作り終えることができたのは、皆のおかげである。
「だから、これでおめぇは世界を救え!」
 そう言って、マセマンは手に持っていた剣をロトルに投げ渡した。
「これは!」
 受け取った瞬間、ロトルは体中が震えるのを感じた。体中の血が沸騰したかのように熱く滾り、その剣はまるで自分の身体の一部であるかように思えるほどだ。不死鳥を模した柄から伸びる刀身は、光を浴びて煌めいた。
「まさか、オリハルコン・ムグルを加工したというのか?!」
 魔族が初めて狼狽した。そんなことは不可能であるかのように。
「わしを誰だと思っている。世界一の鍛冶士、マセマンだぞ」
 マセマンのしたり顔に対して、魔族はロトルとは別種の震えを見せる。
 底知れない怒りから来る、憎悪の震えだ。
「ならばその加工したものを頂いていきましょう!」
 魔族の足元に描かれている魔法陣が、再び光を放つ。
 魔族の怒りに連動でもしているのか先ほどよりも多く、強力な火球が幾つも打ち出された。
「おおおぉおぉおぉ!」
 対するロトルは、持ったばかりの剣を振るう。手に持った瞬間、この剣に備わっている力が理解できたのだ。まるで、昔から知っているかのように。
 ゴォオオォォォ、と鋭い風の音が轟いた。剣から発生した風の渦は、大きく交差し、魔族の打ち出した火球をあっさりと弾いてしまった。しかも、それだけではない。
「な、にが……?」
 甲高い魔族の声が、また別種の震えから絞り出される。それは生命が尽きかけ、しかしそのことにすら気付けずにいるためのもので、魔族の身体はロトルが発生させた風に裂かれていたのだ。
 たかが人間に傷をつけられることが、信じられなかったのだろう。その事実を認めないまま、魔族はその場に倒れ、灰と化した。
 統率していた魔族がいなくなった途端、他の魔獣たちはいきなり逃げ出した。本能的に危険だと悟ったのだ。それほどまでに、ロトルが持った剣は強力なものなのである。
「――ハァッ、ハァ……!」
 無我夢中だったため、思った以上に体力を消費していた。激しく呼吸を繰り返すロトルは、しかし手に持った剣を手放すことはなかった。
「ロトル!」
 フェアーゴとトルナードとマセマンがロトルに駆け寄る。
「みんな……」
 やっと呼吸が落ち着いてきたが、まだ胸の鼓動は早いままだ。
 ロトルは、黙祷を捧げるかのように目を閉じ、剣を今一度強く握りしめる。
 魔族を斃すことはできたが、魔族にやられた皆が復活するわけではないのだ。
 それが解っているから、フェアーゴもトルナードも、なんと声をかければいいかすぐには出てこなかった。
 沈黙が場を制すかと思われたが、最初に口を開いたのはトルナードだ。
「……私が、魔族の襲撃を知らせる時にね。みんな、言っていたよ。『ロトルを頼む』って……。みんなはロトルに希望を抱いているの。だから――」
 立ち止まらないで。残酷なことだが、それがみんなの死に報いることになるのだから。
 それでもロトルは他の三人に振り返る事はなかった。
「ロトル――」
「…………聞いている。いや、聞こえているよ」
 言い直した意味を問うより先に、ロトルは剣を掲げた。
 不死鳥を模した柄から伸びる刃は美しく、この世に斬れぬものはないと言っても過言ではないのではないだろうか。
 聖なる力が込められた、勇者の剣。
「僕はこの剣に誓う。ここで散った仲間たちの想いを乗せて、戦うよ。そして、争いを終わらせる!」
 その時が来るまで任せろ、とでも言うかのように勇者の剣がきらりと輝いた。


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