-54章-
笑顔の為に
――声。
そこから聞こえているのに、分からない声。
自分を見ている、何かが目に映る。
「やはり『聞く者』――、……駄目――」
「――『受け皿』――使えるはず…………」
二人。そこにいる二人。その話は『私』の話なのか。そうなのであろう。
その声の意味を持って聞きとることはしたくない。
その意味を理解した瞬間、私は私であることを放棄したくなるからだ。
この意識でさえ、今あるこの私でさえそう思っているのだから。
二人が、こちらを向いた。
「さて――か」
「うむ。記憶……――?」
中途半端に聞こえてくる声。その声が言葉として繋がった瞬間、私は私でなくなる。
「――問題――……」
「ならば――……」
やめろ。私は、私は――。
私は、誰?
私は、もうずっとここにいる。
今日も、私はここで働かせられ、逃げる事など出来ずに、ただ、望まれるままに。
私の望みなどは当然なく、否、望みがあっても叶えられるはずがなく、しかし奴らの望みは叶えなければならず、毎日が過ぎていく。
私が人間であった頃は、いつだろう。私はいつでも、今でも人間だ。しかし、この知識は、この力は、本当に人間のものなのか。違うに決まっている。
同じ人間からは裏切り者と罵られ、助けを求めても裏切り者を助ける者などいない。
魔族からは奴隷として奉仕しなければならず、この身を持って尽くさなければならない。死ぬことも許されず、拒否することもできず、魔族と同じ側に立っている。
――ジャラ。
この手錠も、最初は冷たく痛かったが、今では痛みを感じない。痛いと感じるものは、とうの昔になくなってしまったらしい。
――ヒョウゥ。
冷たい風。作りが甘い牢獄なのだから、隙間風が流れ込んでくる。その風は冷たくて、だけどその冷たさも、冷たいとは思わない。冷たいと思わないのに冷たい風だと解ったのは、私がまだ人間と同じ位置に立っていたころに感じていたものと同じものだったからだ。
それが今では、冷たいとは感じないときた。
その感覚が、その思考が、ここから抜け出せないことを物語っている。
魔族の言いなりになって、魔族に奉仕して――ずっとこの状況が続くのだろう。
もし、変化があるとすれば、そのきっかけを作るとしたら、それは決して私ではない。なぜなら私はもう、諦めてしまっているから。もし、この世界に、諦めない心を持った人がいれば、その人に任せたい。
人任せなんて卑怯だろう。いいのだ。私はどうせ魔族の側に立ってしまっている。卑怯と罵られることなんて、いつものことだから。
ドォォ――。
低い地鳴り。これにも慣れて――。地鳴り?
そんなものは、知らない。
近付いてくる。
こんなものは、知らない。
けれども、近付いて来る物は解る。聖なる光。神々が襲撃してきたのだろうか。
けど、神々の気配ではない。
これは、これは――人間?
ガシャン。
牢獄の鍵が開く音。これは知っている。私が『使われる』時に聞こえる音だ。
私に役目が出来たのだろう。
「大丈夫か!」
「え……?」
いつも私を連れ出す魔族ではなかった。整った顔立ちの、黒髪の青年。
不死鳥を模した柄の剣に、その紋章を持つ蒼い鎧。
私を、牢獄から連れ出す魔族ではなく、私を呪縛ここから連れ出してくれる人。希望の子。
「あれ? ロトルは?」
野営地に戻ってきたフェアーゴが、辺りを見回すが目的の人物は見つからない。
「今日もあの子の所よ」
「随分と御執心なのですね」
フェアーゴの問いに答えたのは、トルナードとオチェアーノだ。二人は今日の作戦から早々に戻ってきており、既に寛いでいた。
「なんだよ。報告はしっかりとって言ったのはロトルだろ」
仲間が再び増えてきた事により、みんなをまとめあげるには統率された規律が必要になってくる。報告、連絡、相談の三原則を常に行うように伝えたのは、もちろんロトルだ。しかしその報告相手がいなければどうしようもない。
「だったらあの子の場所に行きなさいよ。そこにロトルもいるんだから」
トルナードの言い分も最もではあるが、フェアーゴはなんとも微妙な顔で頬を掻きつつ、うぅんと唸った。
「俺は別に良いんだけどさ、俺が行くとあの子が怯えるんだよなぁ」
そこまで強面でなはいと思っているのだが、生憎と相手はそう思ってくれないらしい。ロトルとは会話までしているというのに、フェアーゴを見た瞬間、後退りを始め、近付く度に同じ距離だけ下がろうとするのだ。そこまで拒否反応を見せられては、さすがに気まずい。
「だったらロトルが戻ってくるまで待ってなさいな。まだガイアーラも戻ってないし」
「それもそうか」
そう言って、フェアーゴはロトルと『彼女』がいるであろう方向を一度見て、諦めたかのようにその場に腰を下ろした。
彼女から話してくれたのは、まだ名前だけに等しい。いろいろと質問をしても、わからない、知らない、答えたくないのいずれかが返ってくることがほとんどである。
彼女の名前はフィア。魔族が占領していた街に捕らわれていた所を、ロトル達が助け出した。歳はロトルと同じくらいで、腰まで伸びた黒髪は洗えば綺麗になるだろうが、牢獄に入れられていた為か随分と痛んでいる。
「だからさ、フェアーゴはそんなに悪い奴じゃないんだ。僕が最も頼りにしている仲間でもあるしね」
ロトルの言葉に、フィアは頷く事もなく、興味を持って聞いているというわけでもない。
虚ろな目で、表情を変える事もなく、まるで冷たい人形だ。
それでも、ロトルはこうして毎日話しかけていた。色々な話題を出してはフィアの様子を見てみるが、反応した試しは今の所、ない。
「そろそろフェアーゴも戻ってくる頃合いだろうから、一度は彼の話も聞いてみなよ。随分と怖がっているみたいだけど、さっき言った通り、良い奴だよ」
今日の所はここまでかな、とロトルは心の中で思う。
一方的に話していることは毎日変わりないのだが、切りをつけないとどこまで話しても終わらない。なにせ、ロトルは彼女が自ら話し、笑ってくれるまで続けようとしているのだ。それが一朝一夕でどうにかなるものとは、ロトル自身も思っていない。
だから、今日は切り上げよう。そう思って腰上げた瞬間である。
「――……どうして?」
フィアのか細い声が、ロトルの耳に届いた。
「なにがだい?」
フィアが自ら問いかけてきた。その事実に、ロトルは嬉しそうに問い返した。フィアの『どうして』の真意は、ロトルが話していた内容ではないはずだ。
「どうして、私に構うの?」
やはり、とロトルは思った。人間不信になっていた彼女なら、その疑問は最もであるのだから。
「それは、君自身がよく解っているんじゃないか、フィア」
ロトルは彼女の名前を呼びながら、真っすぐにフィアを見つめた。
フィアはその視線を逸らそうとするが、溢れだした感情がそれを許さない。
「君の心の奥の願い。それを、叶えてあげようとしているんだよ」
「私の願い? なにそれ。私の、願いが叶うというのなら、こんなことじゃない。私の、私の願いは――」
普段からあまり喋らなかったせいで、うまく言葉が出てこない。言いたい事はたくさんあるのに、身体がそれに追いつかないのだ。それでも、フィアは続ける。
「私は死にたかった。あいつら魔族のせいで、それはできなかったけど、今は違う。もう魔族からは解放されたのに、まだ死ねないでいる。あなたが私の願いを叶えてくれるというのなら、私を殺してよ!!」
だんだんと声が高くなり、普段からは想像できないほど感情が爆発していることがわかる。今まで溜め込んで来たものが、何かをきっかけに一気に噴き出した。
「殺してくれとは、また随分と物騒な事を言うね」
フィアの言葉に驚くことなく、ロトルはむしろ困ったように微笑む。わがままを言う子どもを宥めるような表情で、肩をすくめた。
「私は人間の姿をした化け物なのよ。人間じゃない。だから――」
「君は人間だよ。僕たちと同じね」
フィアの言葉をロトルが遮る。
「それに、たとえ人間じゃなくても僕たちは受け入れる。実際に、僕たちは人間以外の種族もたくさんいるから」
「でも、魔族だったら?」
フィアの暗い声は真剣だ。
「君が魔族と同じだというのかい?」
「……」
問い返したロトルの言葉に答えず、フィアはゆっくりと腕を上げて近くにある人一人分くらいの大きさの岩を指差した。
何事かと見ていたロトルの目が、少し大きく見開かれる。フィアの指先に、光が灯ったのだ。それも、その光は魔族が魔術を使う時と同じ光である。
ドゥン――!
低い爆発音と共に、指差していた岩が木端微塵に砕けた。普通の人間が、そのようなことできるはずがない。
「魔術……」
「そうよ。これこそ私が人間ではない証拠。私が魔族の仲間であることの証明。私が、人間の裏切り者である事実」
これを見た人間は、みんな恐れた。裏切り者と蔑み、バケモノと罵り、悪魔であると決定付けた力。
それだというのに。
「凄いじゃないか」
――なんで、あなたは恐れずに、蔑まずに、罵らずに、笑顔を向けてくれるというの。
「なにが」
「人の身で魔術を扱える可能性を、君は見せてくれた。これからの世界では、魔を制するには魔を持つ必要があるんだ。君の存在は、それが可能であることを示してくれる」
いくら仲間たちと団結しても、魔族の操る魔術は強大で凶悪だ。それに対抗するには、やはりこちらも魔を制御できなければならない。
「私をどうしても、魔族として認めないつもり?」
違う。こんなことにむきになりたくはない。だけど、彼の優しさが、彼の笑顔が、自分自身に向けられているということ自体が、嬉しくて、嬉しくて、怖い。だから素直になれず、身構えてしまう。
「君は自分を魔族だと思っているのかい。だったら、それを否定してあげるよ。君が人間であることは変わらないからね」
魔族の元に捕らわれ、魔族の為に働かされていた。人間を殺すことにさえ、慣れてしまった自分は、人間ではいられない。
「私は、私は――!」
薄暗い牢屋に閉じ込められていた。牢屋から出られる時は、人でありながら魔術を使えるこの身が必要とされた時。そして人間の命をこの手で奪う時だった。
求められるのはこの身体。冷たい魔族の身体の感覚は、そう簡単には忘れないだろう。
だけど――。
「私は、人でいていいの?」
「当たり前だろ」
人であることが認められた。そのことが、どれだけ嬉しかったことか。ロトルの、人の手の、優しさと暖かさを知った。
嬉しかった。泣くほど嬉しかった。涙で顔がくしゃくしゃになっても、それでもよかった。
今更もう戻れない。そう思っていた。それを、ロトルはあっさりと否定した。
泣いた。声を出して泣いた。
枯れたと思った涙は止まることを知らずに流れ出る。
「……約束、するわ。私は、あなたの力になる」
思いっきり泣いた後、落ち着いたフィアの声はまだ震えていたが、ロトルは静かに頷いた。
恩人であるロトルのためならば、どんなことだってやってみせる。
いつでも、どんな時でも傍にいてあなたの助けになってみせる。
例え世界の全てが敵になったとしても、あなたの為の力になる。
フィアの確固たる信念は、ここで生まれた。
翌日。
様々な種族が、野営地の広場に集まっていた。
ドワーフに人間にエルフやホビットなどの様々な種族。皆、ロトルの仲間たちだ。
「みんな、朝からよく集まってくれた」
その種類雑多な種族の中心、ロトルは皆の前に立った。その隣にはフィアが静かに控えている。
フィアの存在は皆知っていたが、表に出て来ることがなかったため、そのことだけでざわめくのは当然と言えるだろう。
隣者同士で憶測を交わし合い、フィアのことをまるで珍しい動物か何かを見るような目で見ている。
その視線を受けても、フィアは物怖じしていない。
「聞いてくれ。これからの戦いは、もっと厳しくなってくるはずだ。魔族が扱う魔術に、神々が用いる神器。これらに対抗するには、我々も同じものを使うしかない!」
最近では、魔族が神器を奪い使用し、神々が魔術を取り入れたという噂が流れている。互いが互いの力を取りこんだ事で、更に戦いは激化している。こちらも同じことしなければ、勝つ見込みはなくなってしまう。
幸い、神器にあたるものはロトルたちも持っている。
ロトルの持つ、オリハルコンから作った武具だ。しかし、それだけでは足りない。
今まで魔術を使う魔族には対抗できていたが、魔族までも神器を用いるようになったのならば、それに打ち勝つ方法はないのだ。
それにみんなも気付いているのか、ざわめきが別のざわめきに変わる。
「そして! その魔術を我々も使うことは可能だ!!」
言うなり、ロトルは剣の切っ先を誰もいない方向に向けた。皆の視線が、自然とそこに集まる。
「爆裂せよイオ=I」
ドゥン――!
低い爆音と共に、剣の切っ先が示していた場所で小さな爆発が起きた。
ざめきが一瞬で静まり返る。
理解したのだ。ロトルが何をしたか。ロトルが何を行ったのか。
魔術を、使ったのだということを。
「フィアが教えてくれた。人の身でも、ドワーフもエルフも、魔術を使うことができると」
ロトルとフィア、そして爆発が起きた場所を、皆は何度も見比べた。幻ではないことを確かめるかのように。
「お、おぉ」
誰かが漏らした感嘆の息で、皆がこれは現実だと認識した。
「「「おおおおおぉぉおお!!!!」」」
後は熱狂した雄叫びとなって朝の広場を揺るがした。
「すげぇ! 俺も魔術が使えるのか」
「魔族や神族に目に物見せてやろうぜ!」
「わたしらがやられっぱなしじゃないって事をわからせてやる!」
皆が興奮し、口々に言う。
その様子を、フィアは目を丸くして見ていた。
「驚いているね」
フィアに気付いたのか、隣にいたロトルが話しかけてきた。
「当たり前でしょう。てっきり、また恐れられるかと思ったのに」
「ハハ、随分と卑屈になっていたんだね。僕らは戦争に勝ち続ける為、魔術が必要だったんだ。恐れるどころか、大歓迎だよ」
そしてその力を手に入れるきっかけができた。それはとても喜ばしい事だ。
「それにしてもあなたにも驚いたわ。いくら素質があったからって、たった一晩で爆発の魔術を使えるようになるなんて」
「フィアの教え方がよかったからね。他の皆にもよろしくご指導お願いするよ」
「……約束したからには、やるわ」
あなたの力になる。
そう決めた夜。それは、ロトルの仲間たちの為にもこの力を分け与えるということ。ロトル一人だけでは、この戦いは生き残れないから。
その後、フィアは魔術を皆に教えて行く度に打ち解けるようになっていった。最初はロトルにしか心を開かなかった少女は、その頃が嘘のように明るい女性となったのだ。
その笑顔を、守る為に。
ほんの少しでもいい。君が笑ってくれるのならば、僕はこの世界を、変えて見せる。
オォォォオオォォォオォオオオオオオ―――!!
雄叫びは轟音となって大地を揺るがしている。各地で起こっている爆音は、魔族が放った魔術なのか、神々が行使した魔法なのか、それとも人間たちの誰かなのだろうか。
誰が、など今はどうでもいい。
ついに、ここまで来たのだから。
今、ロトルの目の前には巨大な闇と光の塊が存在していた。
闇は魔族の王。光は神々の主。それぞれの最大勢力が、一か所に集まったのだ。
光が、天地が鳴動させ、放った聖なる雷が闇を襲う。
闇が、空間が歪曲させ、撃った闇の魔力が光を狙う。
その力が激突する度に、大地は割れ、爆風が渦巻き、水は汚れ、灯っていた炎が消え去ってしまう。
二つの勢力の争いにより、平穏に暮らしていたはずの世界は悲鳴をあげることになる。だから、ここで終わらせる。二つの勢力に対抗し、この戦争を終わらせる為に、どちらもこの世界から消して見せる。
魔族の王が、決着をさせるべく己の最大の魔力を放とうとする。
神々の主が、同じくして魔族を滅ぼす為の最大の力を発揮する。
そして、ロトルは。
「いつまでも人間たちが、怯え隠れるだけと思うな!」
魔書を取りだし、そこに封じられている禁呪を解く。
光と闇がそれに気付き、非力な人間と無視していたことにそれぞれが戦慄した。
それほどまでに、ロトルから発せられる魔力は尋常ではなかったのだ。
「ロトルーー!」
禁呪の魔書の力を解放しようとした瞬間、そこに現れたのは真っ赤な炎のような髪を持つ青年――フェアーゴである。彼は全身を汗と血で濡らしており、息も荒かった。どうやら、ここまであらゆる敵を蹴散らしながら全力疾走してきたらしい。
呼ばれたロトル本人は、まだ大声を出さないと声が聞こえないくらいの位置にいる彼を一瞥しただけで、すぐに前に向き直る。
「なんだ、あれ?」
フェアーゴは、明らかな異様を感じ取った。その違和感はロトルから、正確に言えばロトルの持つ魔書から感じ取れるものだ。
「あれが、ロトルの言っていた禁呪の魔書か」
今まさにその力を発動させようとしているのだろう。事前に聞いていたとはいえ、発動しかけている今の時点で、使ってはいけないという警報が本能的に鳴る。
「やめろ、ロトル――ぐ!」
その禁呪は使うな、と言いかけたが、フェアーゴはその場に崩れ落ち両膝をついた。
「(なんだ? 力が、はいらねぇ?!)」
全身の活力を一気に持って行かれたような感覚がフェアーゴを襲う。
疲労困憊で、限界が来たとか、そういう類ではない。確かに戦いながら全力疾走してきたとはいえ、これは異常なほどであった。
「フェアーゴ?!」
彼の名を呼んだのは、ロトルではない。
「みんな……?」
他の場所で待機していたはずの、四大精霊の力を得た仲間たちである。
オチェアーノ、トルナードとガイアーラの三人は、フェアーゴと同じくらいの傷や血の跡が目立った。
「どうして、ここが?」
驚きの声も、力が入らず苦しみを伴う。
「いきなりどっかに行ったのはあなたでしょ。ロトルの魔力は追えなかったけど、あなたはわかったから、それを追ってきたの」
その先に、ロトルもいるはずだから。
そう思ったのは正解で、確かにロトルはいた。
「今、回復を」
オチェアーノがフェアーゴの傍らに立ち、回復呪文を唱えようとした。
だが――。
「え」
がくり、とオチェアーノもその膝を折りまともに立つことができなくなってしまった。
「お前もか、オチェアーノ」
全身の力を奪われている感覚は、単なる疲労ではないことを示している。
こんな時に、ロトルが目の前で魔族と神々の王と闘おうとしているのに、身体が動かない。
「これは、一体……?」
オチェアーノは苦痛に顔を歪めながらも、回復の魔法を行使しようとした。
しかし、その努力は無駄に終わり、回復呪文はまるで何かに打ち消されかのように効果が発揮されなかった。
「どうしたっていうのよ――うわっ」
「むぅ?!」
続いて、トルナードとガイアーラまでもが地に伏せる。
全身に力が入らないどころか、見えない錘でも乗せられたかのように身体が重い。
敵の魔術かと思われたが、違う。
「ロトル……?」
フェアーゴが悔しそうに英雄の名を呟く。奪われた力は、ロトルに集束していた。
ロトルはこちらが皆倒れたというのに、まるでその事を知っているかのように振り向きもせず、勇者の剣を両手で掲げている。
魔書はその場で自立しているかのように浮いており、ページが次々と勝手にめくられているではないか。
「その斧、焔の龍神が宿りし火炎の斧。その斧、一度振られれば全てを焼き尽し――」
ロトルが魔書から脳内に直接流れ込む知識をもとに、詠唱を始める。
その一文で、フェアーゴが気を失い、辺りから炎が消えた。
「その槍、この世界が宿りし大地の槍。その槍、一度貫かれれば全てを揺るがし――」
その一文で、ガイアーラが気を失い、大地は割れた。
「その爪、三つの魂が宿りし風王の爪。その爪、一度裂かれれば全てを吹き消し――」
その一文で、トルナードが気を失い、風が止んだ。
「その鞭、水の龍王が宿りし無限の鞭。その鞭、一度打たれれば全てを癒し与え――」
その一文で、オチェアーノが気を失い、辺りの水は全て光の渦に飲み込まれた。
「その剣。希望と勇を束ねし英雄の剣。その剣、一度掲げたならば全ての力が集う――」
その一文で、勇者の剣に無限とも思える色彩の変化を見せる光が宿った。
禁呪の存在に気付いたのだろう。光の王と闇の王が、それぞれ最大の力を持って、ロトルを狙った。
不敵に笑って見せたロトルは、その光を纏った剣を放つ。
「発動せよ――」
そしてロトルは、最期の一文を唱えた。
最大の、三つの力がそこでぶつかり合い、全ては無限の色彩を放つ光に飲み込まれていく。
光の王が叫び、闇の王が悲鳴を上げ、ロトルは……。
無限の光の中で見た者は――。
本来なら、ここにいるはずがない者だった。安全な場所で、ロトルの帰りを待っているはずだった。
腰まで伸びた黒髪の女性が、何故か光の中心に立っていた。否、立っているというよりも、一つの彫像がそこに置かれているかのようにも見えてしまう。しかし本当に彫像ではなく、紛れもなく目に映るのは生身の人間だ。
「フィア……?」
ロトルの目が驚愕で見開かれる。
どうして、こんなところに。どうして、そんなところに。どうして、魔力の渦の中心で、その渦が彼女に集中している。
強大で強力な魔力は、光と闇に溶け、合わさった力は誰にも止めることができないものへと変わる。そんな力の中心にいて、無事であるはずがない。
こんなはずではなかった。この魔法の効力は把握していたし、神族にも魔族にも太刀打ちできるはずだった。しかし今はどうだ。フィアを中心し、三つの魔力がぐるりぐるりと溶け合っている。非常に不安定で、反発しあいながらも、無理やり一か所に集められたかのように、それは暴れ狂い始めた。
そして――。
そして、世界が分かれるほどの大爆発を起こしたのだった。
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