-4章-
長男、家出



 さて、彼ら彼女らが北へ向かう最中、少し過去の話をしておこう。


 ――そこに、不自由はなかった。
 腹が空いたと言えば食事が用意され、眠いと言えば寝室の準備ができており、夜が寂しいと言えば美しい侍女が添い寝をしてくれる。暇だと言えば誰かが相手になり、新しい服が欲しいと言えば何着も用意される。金が必要だと言えば大金が出てきて、酔いたい気分だと言えば高級酒が出てくる。
 将来のことも特に考える事などせず、父の跡を継げば安泰。結婚相手も苦労することなく決まってしまう。
 その他のことも合わせて、そんな不自由の無い生活の中。
 不自由はないそこの生活に、唯一『自由』がなかった。

 憮然とした表情でホイミン=コリエードは歩いていた。不自由なき生活ができる貴族の家の長男に生まれ、恵まれているはずだが、今は全く不満を隠そうとしていない。
「まだ怒っとぉとか?」
 そんなホイミンの横を歩くのは彼の親友、フォブである。家名はない。
 色白で銀の髪にも艶があり、服の材質も一級品という一目見て貴族と解かる風貌のホイミンとは間逆に、フォブは身がずぼらで一目で下層階級の人間と分かってしまう。そんな組み合わせでこの政治国家ストルードを歩くのは嫌でも人の目を集めてしまう。それも冷たい視線で、だ。
 しかしそれは表通りだけで、今二人が歩いている裏街道では確かに人目を集めてしまうが、不思議そうな視線ばかりである。これでも表通りを歩いているよりはよほどましだ。
「別に怒っとらん」
 ホイミンは明らかに怒気を含んだ返答を返した。これでは怒っていますと告げているようなものだ。
「やっぱ怒っとぉやん。また親父さんと喧嘩したっちゃろ、そんくらい俺にも解かる」
 フォブの言葉に、ホイミンは酢を飲んだような顔つきになる。どうやら、言った事は的を射ていたらしく、さらには余計なことまで思い出してしまったらしい。
 ホイミンのコリエード家は由緒正しい上流階級である。そのため、生活するには不自由のない幸せな日々を送ることが出来る。だが、『コリエード家として』という束縛がホイミンにつきまとうことがよくある。
 コリエード家は貧富の激しいストルードの中でも富豪の部類であり、さらにその上位を競う家柄だ。そして彼が最も憤っているのは、今の状態に対して父親がとやかく言うことである。
「あんなん父親じゃなか」
 と言い捨てるが、これがどうしたものか正真正銘の親子であるからどうしようもない。
 ホイミンの父親は厳格で、自分は間違っていないと信じ込めばとことん信じるタイプなのだ。そしてその父親はストルードの貴族意識に依属している。つまり、上流階級を立派な人間として扱い、下層階級は人間として意識していないのである。
 だから、ホイミンが下層階級のフォブと親しくしているのを目の敵にしている。
 今日もそのことで親子はぶつかり合い、ホイミンは家を飛び出してきたのだ。ここまできたらホイミンは何日か帰らないつもりだが、優しい母親に心配をかけたくないので、なるべく短い期間で帰宅するのがいつものことだ。
「ほら、着いたばい」
 二人はただ呆然と歩いていたわけではない。目的地に辿り着き、その扉を開ける。その食堂は真昼だというのに人気は少なく、客と呼べる人間はいなかった。少なく感じた人の気配は、店員のものである。
 テーブルがいくつか置いてあるにも関わらず、二人はカウンター席に座った。
「おいちゃん、いつもの」
「自分も」
「あぁ? どうしたぁホイミン、元気ねぇなぁ」
 この店の主人は作業に取り掛かりながら、すぐさまホイミンの機嫌の悪さに気付いた。
「まぁた親父さんと喧嘩したらしっちゃん」
「おいこら、フォブ!」
 余計な事を言うな、と言いたかったがもう遅い。おいちゃんも自分の苛立ちの理由に気付いたからだ。
「なぁホイミンよぉ、お前が、俺らを上層階級の奴らが人間扱いしないことを怒ってくれるのは嬉しいがよぉ、そんでもやっぱり、なぁ?」
「わかっとぅ……」
 おいちゃんの寂しそうな笑みを直視しないように、ホイミンは顔を背けた。ここのおいちゃんは、息子を上層階級の人間のせいで失った。そんなことが普通になってしまっているのだ、この国には。
「そんじゃぁ、これでも食え」
 まだ数分も経っていないというのに料理は出てきた。
 豚の骨からダシを取ったラーメンであり、独特の臭みがたまらない。
 ホイミンとフォブはここでこれを食べるのは日課のようなものであり、こんなにおいしい物を食べられるから上層階級に生まれなくて良かった、とフォブはよく言う。
「いつか……とても遠い、いつか、このラーメンを皆でうまかーって言いながら食べられる日が来るとよかねぇ」
 何気なく言ったフォブの言葉は、深く、ホイミンの心に刻まれた。
 それが実現できると良いと自分も思っている。そして、それを二人で成したいとも。
 だが――。


 上と下。
 表と裏。
 人と人。
 政治国家ストルードの実体は、貧富の激しい非常に不安定な国だ。上層階級の人間は下層階級の人間を人間としてみなさず、それでも成り立ってしまっている、それが普通になってしまっているこの国を憂いているのは、上層階級ではホイミンだけだろう。
 他の人間はこの国の意識に固執するかのように依属しており、ホイミンは異端であった。
 それでも良い。こんな成り立ちは間違っている。
 同じ人が、どうしてこうも違う扱いを受けねばならないのだろうか。
 そして上層階級の人間は、下層階級の人間と接することを恥にすらしている。
 このような状態の国を嘆き、何も知らないホイミンの弟は貴族意識に凝り固まってしまったようである。
 何も知らなければ幸せなことなのだろう。
「なぁフォブ……自分は、旅に出る。こげな国、こげな家、自分は愛せんもん」
 ホイミンは物言わぬフォブに語りかけた。
 ついこの間まで、フォブは元気にやっていた。それが、今では生気のない顔で横たわっている。
 これ以上、彼の亡骸を見ていたら乾いたはずの涙が溢れてしまいそうだった。
 ただの寿命や、事故ならばこんな気持ちにはならなかった。
 フォブは、自ら命を絶ったのだ。彼は簡単に自殺するような人間ではない。
 それだというのに目の前にあるのは確かにフォブの遺体である。
 ホイミンの父親が、裏で手を回していたのは明らかであった。
 彼を自殺に追い込み、他界という形でホイミンと手を切らせたのだ。
「一緒に行こう。そんで、強くなろ。この国を変えることのできるほどに」
 自らの右腕にそっと触れた。そこには、冒険者の紋章が刻まれている。
 その紋章が輝き、ホイミンの目の前に光が溢れ出た。
 武具召還。冒険者の精神力を具現化して武器とする能力。それは発動者の心の強さにより、生まれ出る武具も強力なものになる。
 ホイミンが召還したのは一本の剣である。ホイミンの意志を現すが如く、その剣は強大な力を秘めているようであった。力強く、真っ直ぐで、純真にして、しかし奥底には暴れ狂う怒りと哀しみがある。
「それじゃ、自分は行くけんね、フォブ。さよなら」
 あとの事はラーメン屋のおいちゃんがやってくれる。
 遺体に別れを告げて、ホイミンはストルードを出た。
 コリエードの名を棄てて、ただの冒険者のホイミンとしての旅はこうして始まった。


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