-5章-
猛虎、相対



 むかしむかし、あるところに願いを叶えてくれる竜がいました。

その竜に会うためには、

――(中略)――

その少年はついに願いを叶えて貰い、幸せに暮らしましたとさ。

―fin―


 ありふれた夢物語童話の一つである。
 子供はそれを読むことで、夢を得る。その夢がもとになって、これからの人生を歩んでいくものなのだ。小さい頃に読み漁った絵本や童話などが、『自分』を形成していく一つの材料なのかもしれない。
 それは深層意識的なものであり、時が経てば忘れてしまうであろう。
 しかし、今まさに読み終えたばかりの子供は、目を輝かせてこう言った。
「か、かっこいい…………」
 その本を抱えて、彼は悦に入っていた。
 クラエス=トドゴン、5歳の頃である。

 時が経てば忘れてしまう、ということは誰にでもあることなのだ。思い出そうとすればそういえば、ということは多々ある。つまり子供のころに読んだ物語を心に常駐させておくことは難しいのだ。
 彼も――クラエス(5歳)も時が経てばいずれ夢物語は夢でしかないということに気付くだろう。
 そう。一年、二年、三年、四年と経ち……。

「オレは願いを叶えてくれる竜を探すんだ!」

 十年も経った今、彼はまだ架空の話の夢を追い続けていた……。


 純真な子供の心を忘れないことは素晴らしいと思うが、それがそのまま何も変わっていないというのもいささか問題があるだろう。もちろん彼には常識的な思考も存在するが、目標や夢は幼い子供の頃と全く変わっていない。すなわち、童話に出てくる竜を探し出し、願いを叶えてもらって幸せになろうということだ。
「オレは必ず、竜を探しだしてみせるぜー!」
 常識的な思考も存在するが……やはりどうだろう。街中で一人大声を出して宣言するのはやはり問題がある。
 彼は故郷を出て、辿り着いた初めての別の町ということで興奮しているのだ。
 夢も行動も子供のままで微笑ましいのだが――。
「な!? は、はなせ! なんだよ、おい、やめ、はなせぇっ……!」
 見た目は大人なので衛兵に怪しまれて捕まってしまった。

「君は、この国の者ではないね?」
 簡易的な詰め所に連行され、最初に訊かれたことだ。
 クラエスは肌黒で、上半身の露出が多く、南大陸出身者を思わせる。実際に彼は第三南大陸フレイアルの民であった。見た目はまだ少年と言っても差し支えないのだが、彼の右腕には魔物殺(モンスターバスター)の紋章が存在している。
 冒険者と魔物殺は年齢に関係なく成人として認められるので、あえて見た目は大人とさせてもらった。
「さっき着いたからな。それがどうしたんだ?」
「今、この国では厳重な警備体制を取っている。入国審査などを特に気をつけているはずだ。審査を通った人には通行証を預けているのだが……君は持っていないのだろう」
「持っていないな。審査とやらで忙しそうだったから、オレはこっそり入ってアンタらの仕事を一つ減らしてやったんだ」
「それは密入国ということになり、こうして身柄を捕らえられているはめになっていることの自覚は?」
「一応、ある」
 クラエスは両手を縄で縛られているのだから、さすがにそこまでは解かっている。
「今からでも遅くは無い。正規の入国手続きをしてくれれば、君の身柄を解放しよう」
「えー。面倒だなぁ」
「面倒でもやってもらわねばな。こんな時期でなければ、このようなことはしなくてもよかったのだが……ああいや、なんでもない」
 嘆息交じりに言った衛兵は、すぐに言葉を正し、忘れてくれと言った。
「何か起きてるのか?」
 それを聞き逃すほど、クラエスとて好奇心がないわけではない。縛られているにも関わらず、身を乗り出してその衛兵に訊ねた。
「……東大陸を荒らしまわっている大盗賊カンダタが、この国に訪れたのだ。奴を捕まえるために、警備を厳しくしているのだよ。よりによって盗みを予告したのが今日だ。どんなに小さな不穏因子でも逃すわけにもいかない」
「ああ、だからオレは捕まったのか」
「その通り。普段なら、入国審査もいらないし、街の真ん中で叫びまくっても注意するだけだ。捕らえたりせんよ」
「なら仕方ない。いいよ、その入国手続きを――ん?」
 受ける、と言おうとしてクラエスは言葉を切った。
「今、東大陸って言ったか?」
「それがどうしたのかね」
 クラエスの顔に明らかな失望の色が浮かんだ。
「乗る船、間違えた……」
 ちなみに彼は中央大陸に来たつもりだったのだ。
「この町の水路の多さを見れば普通は分かるぞ」
 東大陸は分断大陸と呼ばれ、その所以は島々で成り立っており、さらに内陸でも川が多いことである。この国にもそこかしこに水路があり、それが東大陸の象徴でもあるのだ。
「けど――」
 何かを言いかけたクラエスが、また言葉を切る。彼の相手をしていた衛兵が怪訝な顔をする前に、それは聞こえてきた。
「鐘の音?」
「……緊急事態だ、どうやらカンダタが現れたらしい」
 そもそも入国審査はカンダタを捕まえられたら幸運として行っていたため、肝心の盗賊が現れてしまっては意味が無い。だから、衛兵はクラエスを放って出て行ってしまった。
「縄、ほどいていけよ……」
 クラエスの文句は虚しく、兵士姿の人間が慌ただしく詰め所を出て行く。
「まあいいけどさ」
 そう言って、クラエスは立ち上がった。縄が、するりと地面に落ちる。相手も固く縛っていたわけではないし、クラエス自身、縄抜けの技術は身につけていたのだ。
「ついでだ。その大盗賊とやらを捕まえてやる」
 大盗賊と名乗るくらいなら、情報も豊富だろう。願いを叶えてくれる竜についても何か知っているかもしれない。この国のためにではなく、あくまでクラエス自身の為に彼は行動を開始した。
 連行された時と逆の道を辿り、まずは外に出る。偶然か必然か、ちょうど噂の盗賊が屋根伝いにこちらへ向かってきているようだ。
「あれか――ってなんだぁ、二人いる?」
 一人かと思っていたのだが、衛兵たちは屋根を走っている二つの影を追いかけているので、どうやら当たりらしい。とりあえず自分も追いかけようと走り出した。
 するとどうだろう、追いかけていた衛兵が一人、また一人と欠落していく。別に追いかけている影は何もしていない。ただ、衛兵たちの限界が来ているのだ。そりゃあ、重い鎧を着たまま素早い影を全力で追いかけていたら息も切れるだろう。
 そしてついには、クラエス一人になってしまった。
「なんだよ、根性ねぇなぁ」
「そういうきさんは根性あるとね?」
 追いかけていた影の一つが、いつの間にか目の前にいた。覆面で顔を覆っているが、それがなければ、なかなかの好青年を思わせる声である。
「おー、どうした」
 先行していた影が声をかける。目の前の男と比べて、なんだか渋い声だ。
「ガイゼルは先に行きよってー。自分はこのしちこいさんば、ぼてくりこかしてから行くけん」
「そうか。気をつけろよぉ」
 渋い声を出すガイゼルと呼ばれた影は、のんびりとした口調で去っていった。
 盗賊カンダタを捕らえたかったクラエスとしては逃したくなかったが、片方を捕まえれば片方も何とかできるという考えで目の前の相手に集中することにした。
「オレのために降伏しろ」
 戦闘態勢を取りつつ、無茶な要求と分かっていても念のために言っておいた。
「嫌に決まっとぉやろ」
「だったら武力行使!」
 唐突に、何も考えずクラエスは地を蹴って襲い掛かった。
「髪型といい戦い方といい、虎みたいな奴やねえ」
 クラエスは魔物殺(モンスターバスター)だ。武器は特に所持しておらず、武器といえるのは己の拳である。対して、相手は目の前に光を発し、それを具現化させた。――武具召還を可能とする冒険者だ。
「正拳突きぃ!」
 武闘家の技で高威力を放つのだが、相手が召還した盾によって防がれてしまった。
「まだまだー!」
 防がれたからといって、一旦引いて態勢を立て直すということはせず、クラエスはそのまま突っ込んだ。これには相手も驚いたのか、防戦一方になり、猛々しい攻撃に後退して行く。
 そして――。
「でぇりゃああ!」
「ちょ、待ちんしゃい――!」
 相手の忠告など聞かずに、クラエスは押し切れると信じてさらに踏み込んだ。
 その瞬間、二人は宙を舞った。
 ――この辺りは水路が多く、川も多数存在する。彼らが戦闘を行っていた場所は、運悪く落下防止の手すりがない場所であり、相手は後一歩で川に落ちるところまで追い込まれていた。
 そこにクラエスが更に踏み込み、強引に押したものだから二人揃って川の中へ落ちてしまった。
 しかも、運が悪い事に――。
「うぼあぁ! オレ、泳げな……」
 クラエスは金槌であり。
「なっ、自分も泳げんとに……」
 相手もどうやら金槌であったらしい。


 これが、クラエスとホイミンの、最初の出会いだったりする……。


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