-35章-
闘王、対峙



 ラグドたちとデュランが初めて会ったあの部屋の隅には、大の男が広々と使ってもまだ余りそうな面積を持つソファが設置されている。それに身を沈め、デュランは己の手にあるそれを見た。
 一度見るたびに興奮が脳を刺激し、思わず口の端を笑みで歪めてしまう。
 あと少し。あと、少しなのだ。
 復活の宝珠は全てで六つ。
 デュランの持つイエロー・オーブ。それに従うルイナのブルー・オーブ。
 その仲間の持つレッド・オーブは、ルイナがしくじらなければ手に入るだろう。
 そして、今デュランの手で翠の輝きを放つ、グリーン・オーブ。
「考えてみれば、恐ろしい。この短期間で、長年求め続けた復活の宝珠が一度に四つも揃ったのだから=v
 デュランはグリーン・オーブを細目で見ながら、そう独白した。
 残る二つの所在は判らないままだが、今の調子だと案外近くにあるのかもしれない。オーブ同士は導き合い、復活の時が近づけは自然と一箇所に集まるというのだから。

 デュランに会談を申し込んだのは、人間の若者であった。一目見ただけで強者と判断し、共に闘わないかと持ちかけたのだが、当然のように断られた。あそこまでの戦力が外部に漏れるのは惜しい。
 ラグドの時と同じように捕らえるか、どこかに属する前に潰すか。デュランはそのどちらも考えなかった。
 理由は至極簡単。そういうことができる相手ではないと直感したからだ。己の限界を出したとしても、まるで勝てる気がしなかった。総戦力を増大させ、そのほとんどを費やさなければならないという考えさえ浮かぶ。
 若者は言った。
「このオーブはあげるよ。その代わり、今この世界には四人の人間とそれに協力する魔物が来ているはずだから、そいつらを抹殺しておいてくれ」
 深い理由は言わなかったが、用件を言うだけ言って、グリーン・オーブをデュランに預けて早々に立ち去った。
 去り際に名を聞くと、デュランは先ほどの考えですら甘いということを知った。
 若者が名乗った名は、ロトル=ディアティス。デュランとて三界分戦の勇者の名前は知っている。そしてそれが今の時代に生きているということが、どういうことかも。
「ま、せいぜいオーブ集めを頑張りなよ」
 最後に笑って出て行ったが、あれは間違いなく無知を嘲るような笑みだった。
 もし、デュランが新たにオーブを得たことの昂ぶりを完全に抑えきれていたら、その笑みの予測もできただろう。しかし、デュランを包む興奮は、重要な嘲笑を、気のせいという曖昧なものへと変えてしまったのだった。

「これでお前が私と共に闘うことを誓えば、我が野望は大きく前進する=v
 ようやくグリーン・オーブから眼を離し、視線を部屋の中央に佇む者へと移した。
 色を除けば聖職者の法衣と同じ服装を纏い、金色の髪をストレートに流した人間。見た目こそ美青年のようだが、その正体は別の空間世界で魔物を束ねていた『主』である。
「デュランよ。私はもう、争いたく無いのだ」
 その人間の姿をした魔族――ムドーが哀しげな表情で言う。
「対立をしない代わりに、そちらの世界の部分には干渉しない……だったか?=v
 ムドーは単身、デュランの元へとやってきていた。部下から結合した世界の『主』がデュランである事を知り、交渉を持ちかけに来たのだ。
「長年の月日はお前の脳を腐らせたか。我々は闘う運命にあるのだよ。どちらがより強者であるかを示し、世界を拡大させる。それが今、最優先されることだ=v
 デュランの掌に闇が渦巻く。それは別次元に繋がっており、そこへグリーン・オーブを納めると代わりに別のオーブを取り出した。大地を現す光が宿る、イエロー・オーブがデュランの手に握られる。
「これの持ち主も、似たようなことを言っていた。長年の平和に毒されてしまっていてなぁ……世界の主導権を渡すから放っておいてくれとほざいたのだ=v
 イエロー・オーブの存在を見て、ムドーは驚愕で眼を見開いた。
「それは、グラコスの」
「奴は死んだ。私との一騎打ちに敗れてな=v
 ムドーの言葉に割り込み、デュランが悲哀の事実を告げる。
「なんということを」
「貴様も同じだろう。ジャミラスを斃し、世界の力を増大させた=v
「我々の世界を守るために仕方の無かったことだ」
「詭弁だな。理由はどうあれ、結果は同じだ=v
 実際にジャミラスを死に至らしめたのは、デュランの持つグリーン・オーブを持ち去った本人なのだが、それでもムドーがジャミラスと戦うことを決意したのは変わりない。何を言っても、それは言葉にしか過ぎないのだ。
「デュランよ。我々は本当に闘う運命にあるのだろうか。あの時は、誰一人欠けてはならない存在だった。それが今や、自らその数を減らそうなど」
「時は流れるものだ。あの時とは違う。もう、互いが互いを支えるような時期は過ぎたのだ=v
 ムドーは過去を懐旧しながら今を悲しみ、デュランは過去を恥として今を喜びとしている。どうにも、二人は正反対であった。
「これ以上の話し合いは無駄だ。お前とは、時がどれだけ流れようと意見が一致しそうにない=v
 デュランがようやく腰を上げ、オーブを闇次元へ仕舞うと、今度は大剣をそこから引き出した。
「ここらで、どちらが今の世界の『主』に相応しいかを決めようではないか=v
「私は闘いに来たのではない!」
「我が地に踏み入った時点で、その行為そのものが果たし状となるのだよ=v
 静まっていたデュランの闘気が、徐々に膨れ上がる。だがムドーはそれに気圧されることはなかった。ただ、その瞳は悲しみを湛えていた。
「デュラン……」
 搾り出すように苦く、闘王の名を口にする。
 ムドー、デュラン、ジャミラス、そしてグラコス。

 それらは、かつての仲間だった。

 彼らは通常の魔物の群からの、はみ出し者だった。群意識のある魔物でも、仲間内で生まれた突然変異の魔物は仲間として認識されない。それ故に、生まればかりの四人は下級の別の魔物に襲われるだけで瀕死するほど弱小といえた。
 それでも生き延び、四人は出会い、同じ境遇の魔物として手を取り合ったのだ。
 その時代こそ、今となってはムドーが懐旧し、デュランにとっては他の者の手を借りなければ生きていけないという恥だった。
 四人を引き裂いたのは、魔界の性質だった。いつしか四人は他の魔物よりも群を抜いた強さを有していたのだ。また、その魔界空間に魔物が増えすぎたため、世界が分裂を起し、新たな世界に魔物を追いやった。
 新たな世界に一人飛ばされ、また一人、また一人といなくなった。
 だがそれぞれはその実力を持って、いつしか世界の主となっていた。

 今、再び出会った彼は互いを潰し合うようになってしまっている。
 世界の頂点を目指すために。かつての仲間を、手にかけている。
「さぁ、決着の時だ=v
 デュランが求めるのは強者。己と共に進む者であっても、闘う相手であっても、強き者を好む。彼はムドーの潜在能力を認めているためか、これから期待できる戦闘に意欲を燃やし、その表情は歓喜に満ちていた。
 ムドーは、交渉の余地がないことを悔やみ、その場に立ち尽くす。
「そのまま死ぬ気か?=v
 その問いに、返事はなかった。ムドーただ眼を閉じ、何かに祈るようにするだけだ。
 戦意なき相手にデュランはつまらなそうな顔をしたが、それでもその刃を納めることはない。世界の主の資格が、あっさりと手に入るというだけだ。
「――!=v
 デュランが大剣を振り下ろそうとする前だ。開け放たれたままの大扉から、火球が連続で放たれた。その軌道は、まっすぐデュランの背中へと伸びている。
 咄嗟にふり返り、大剣で薙ぎ払う。火級のほとんどが掻き消されたが、幾つか消し損ねたのだろう、小さな震動が身体を揺らした。ダメージこそほぼないけれど、その際に出来た焦げ目を忌々しげに一瞥し、大扉の方を見やる。
「よぉ、また会ったな」
 そこには、仲間同士で倒されているべき人間がいた。
 それだけではない。従っていたはずの人間までもが、その赤髪の男の横に立っているではないか。顔は無表情であるが、揺らぎない敵意を感じさせて。

 こうして向かい合うのは二度目だ。
 デュランの姿を初めて見たのはほんの少し前だが、最初とは比べ物にならない。
 こうして視線を受けるだけで嫌な汗が流れそうになる。その理由は、彼の怒気が直接、エンに向けられているからだろう。ムドーを斃し損ねたからか、それともルイナがエンたちと共にいるからか、どちらにせよデュランの怒りは簡単には収まりそうに無い。
 ――貴様の存在か――
 心に直接響くような声。しかし心の中に住まう精霊とは異なり、相手を押さえつけるような重さを持っている。気を抜いてしまえば、思わず膝を屈してしまいそうだ。
「(……これが話しに聞いてたやつか)」
 あの時、ルイナも同じことを経験していた。ルイナが突然、理由も無くデュランに従うはずがない。デュランとルイナの二人のみの精神間による会話が行われ、その結果が、ルイナの行動ということになる。
「ルイナから聞いたぜ。そうやって、フィンってやつを操ってたんだろ」
 こうして会話が成立しているのも、エンたちの精神は四大精霊と同化しているからだ。一般人ならば、声の重さに耐え切れずに心を打ち砕かれてしまう。崩された精神を意のままにすることなど、デュランにとって容易いことなのだ。
 ラグドたちから走り去ったフィンの様子が変わったのも、これのせいだった。フィンはデュランの命令に従う人形と化してしまっていた。
 ――ならば知っているだろう。それとも、同じことを貴様に問いかけようか――
 ルイナがデュランに従い、水の精霊スベリアスも、ヴァルグラッドの呼びかけに応えなくなった理由。それは、デュランが提示した、たった一つの言葉が全てを物語っていた。
 ――我に従え。さもなくば、フィンという人間をこの場で殺す――
 完全服従の状態にあるフィンは、デュランが「死ね」と命じたらそれを忠実にこなす。そしてデュランはただの脅しではなく、その言葉を実行に移すだろう。弱者を嫌う彼にとって、あっさりと操り人形になったフィンを斬り捨てたい気持ちでいっぱいなのだから。
 何の罪も無い、むしろ自分達が巻き込ませてしまった人間を、みすみす殺してしまうような事はできない。だからこそルイナはデュランに従い、スベリアスも沈黙を保っていた。何かを伝えようにも、デュランに筒抜けなのだからそれ以外に方法は無かったのだ。
 もし、何の準備も無ければ、エンもデュランの言葉に戸惑い、身を引いていただろう。
「同じ手が、何度も通用するかよ」
 微笑さえ浮かべながら、エンは言い返した。もしただの虚勢であれば、心の中を見ているデュランはすぐに気付く。だからこそ、エンがはったりで言っているのではないことに、否が応でも知ることになった。
 ――貴様……――
 デュランの怒りの感情が更に膨れ上がる。この場にいる人間は四人。エンとルイナ、そしてイサとラグドだ。ホイミンとしびおの姿が、ここにはない。
「これで縛り付ける鎖はなくなったぜ」
 確認自体はできていないが、既にあの二人がフィンを救出しているはずだ。デュランの忌々しそうな形相を見ると、成功している確率は高い。
「――そうか。もう、貴様らを生かしておく理由は何一つ無いというわけか=v
 エンたちやムドーはデュランに従わず、気にかけていた壁画の謎は解読済みだ。強者を失うのは惜しいが、それでも敵対するのならば戦わなければならない。そうやって築いた屍の向こうに、デュランが求めるものがあるのだから。
 デュランを中心に、闇の渦が部屋全体を包み込んだ。移動や物を持ってくるくらいにしか使われていなかった闇が拡大し、一瞬でエンたちから視界を奪う。とはいえそれも一瞬のことで、そこには鎧の魔人と戦った時の空間と同じような闇が広がっていた。
「ここは?!」
「ここならば思う存分に闘えるだろう。貴様らはここから逃げ出すこともできずに、死に行くのだ=v
 鎧の魔人のときと全く同じというわけではないのだろうか。押しかかる闇の質量が、全く違う。ふと周りを見回すと、エンたち人間は全てこの空間につれて来られているが、ムドーだけがいない。
「まずは貴様らからだ。四つの首を持っていけば、ムドーの首も縦に降らせることができるやもしれん=v
 あくまでムドーは仲間に引き込みたいのか、どちらにせよ勝たなければならない。
「我は闘王デュラン、参る!=v
 デュランの目がぎらりと光る。それは闘いに己の価値を見出し、滾り、何事よりも勝る喜びへと向かう光だ。
 デュランにとって、敵対する者は全て斃すべき相手である。だがそれがなくとも、闘うことを純粋に好んでいる。
「行くぞ!」
 負けじと、エンが声を張り上げた。
 仲間たちがそれに応え、それを合図に戦闘が始まった。


 一方、こちらはまた違う静けさに満ちていた。
 地下のひんやりとした空気が彼の頬を撫でる。心地よい温度に身を任せると、つい眠ってしまいそうになる。
 ルイナが解読した壁画がある部屋の、さらに奥深く。最深部にあたるそこは、地下とは思えないほどの広さを有している。その地下にすっぽりと収まっている建造物が一つ。大理石で造られた神々しい建物は、一見すると神殿という言葉が連想できる。
 事実、この建造物は神殿である。
 その入り口たる短い会談に腰掛け、彼はひたすらに黙って待っていた。目を瞑っているので眠っているようにも、黙祷を捧げているようにも見える。
 そんな彼の様子が、あることをきっかけに急変した。
 無表情といえた顔が、口の端を持ち上げることで笑みを形作る。満足そうな、期待が叶った笑みだ。
「果報は寝て待て、というけど……確かにその通りだ」
 神殿が収まっているこの階に訪れるための、唯一の出入り口から現れた相手に、腰掛けていた彼は悠然と言葉をかける。
「のんびり眠っていたというわけではないだろう」
 この場に現れた者が言葉を返す。こちらは逆に、厳しい表情で相手を睨み据えており、言葉も刺々しい。
「言葉の例えだよ」
「わかっている」
「でも、眠っていたのはあながち間違えじゃないかもしれない」
 妙な言い回しに、険しい表情から更に眉を寄せた。
「何が言いたいんだ?」
「何を言っていると思う?」
 互いが問いかけると、二人の合間で見えない何かがぶつかり合った。もしここに第三者が端から見ていれば、それだけで身を震わせていただろう。
 地下の静けさが、二人を包み込む。
 この場に流れるのは、地下独特の、砂漠の中とは思えないひんやりとした空気のみ。


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