-2章-
戦士、帰郷



 木造が半分以上を占めている家々。しかし煙が立ち上っている煙突などはさすがに石造りで、見た目のほとんどが石造りになっているウィードの城下町と比べると、森に囲まれた村として相応しい雰囲気を醸し出していた。
 そして、エンは間違いなく言った。自分とルイナの故郷だ、と。
「ここが……?」
 二人の故郷、ヒアイ村。その名称は、イサ達は魔書の情報で既に知っている。
 だが故郷の村を前にして、エンは踏み入ろうとしない。不安と、ちょっとした期待とがせめぎ合い、圧倒的な不安が彼の足を止めているのだろう。
 村を見渡すと、今は誰も出歩いていないのでエンとルイナに気づく者はいない。
 ここですぐそばにある家の扉が開いてエンたちの知り合いが出てくる――ということが起きれば話が進むのだが、実際はそんな都合良くいくものではない。しかしこのままでは話がなかなか進みそうにないので、都合良く出てきてもらうとしよう。
 エンたちが立っていた位置から近い場所に建っている家の扉が開き、エンと同じくらいの青年が出てきた。相手はこちらの気配を感じたのだろう、もしくはエンが目立ったのかもしれない。イサやラグドの翠と茶の髪はともかく、ここで赤い色の髪というのは嫌でも目立つものだ。
 彼は訝しげに眉を寄せた後、表情が驚愕の二文字に支配されていく過程をくっくりと見せた。
 それに対して、エンはどう反応したらいいのかわからず苦笑を浮かべ、ルイナは普段通りの無表情である。
「エン……? エンなのか?!」
「よ、よぉ。久しぶり」
 青年は今にも転びそうに駆けつけ、エンの手を取った。
「どこ行ってたんだ! ルイナもいるじゃないか! 今までどうしてたんだ? 村長には会ったのか? お前たちがいなくて村中が大騒ぎだったんだぞ! そっちの二人は? 腹減ってないか? また前みたいに狩り勝負しような!」
「おいナグ、ちょっと待ってくれ。そんなに言われたら何を答えればいいかわからねぇ」
 ナグと呼ばれた青年はそれでも興奮が収まらぬようで、笑顔を絶やさずに質問なのか言いたかったことなのかを更に言い募ろうとした。
 結局、ナグに対する返答はなにもできないまま、とりあえず村長の所に行って話をしようということになり、そうすることが決まった途端にナグは村中を駆け回った。
「エンとルイナが帰ってきたぞぉー!」
 もちろんこれを聞いた村中の皆が真偽を確かめるために外に出てきて、エンとルイナはあっという間に人々の壁に囲まれてしまった。
「なんだか、羨ましく思えちゃうね」
「そうですね」
 イサとラグドはまるでいないものとして扱われてしまい、人々の輪から外れてしまっている。二人はこの村とはなんの関係もないのだから仕方が無いとはいえ、帰ってくるだけであれだけ大騒ぎにして温かく迎えてくれるというのが、見ていて羨ましかったのだ。
「どこに行ってたんだ?」
「今までどうしたんだ?」
「お前達が消えたから村中大騒ぎで……」
「髪、伸びたな?」
「見違えた!」
「おうルイナ、また飲み比べしような!」
 ナグと似たような質問攻めに、エンは嬉しそうに困っていた。ルイナも無表情ながらどこか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「だからそんなに聞かれちゃ答えられねぇって!」
 話は村長の所に行ってから、ということで二人はようやく村長宅に辿り着くことができた。歩いた距離はそれほどでもないというのに、エンは一つのダンジョンでも抜け出したような開放感があるようで、悠々と歩いてきたイサとラグドは彼を労わるように微笑んだ。
「でも、私たちが入ってもいいのかな?」
 イサとラグドは、言うなれば部外者だ。村の人々の目には、この二人はほとんど入っていなかった。
「はぁ? 当たり前だろ。早く来いよ」
 しかしそんな考えなどあっさりと打ち消された。むしろエンは何でそんなことを言うのか解からない、と言いたげだ。ルイナも同様である。
 ようやくのことで村長宅の一室に入ったとき、相手は今か今かと待ち望んでいたのか、扉を開けた瞬間に襲い掛かってきた!――と思わせるほどの勢いで近づいて……むしろ飛び掛ってきたので、思わずエンとイサは一歩ほど後ずさってしまった。ルイナとラグドはさすがに動じていない。
「どこに行っておったのじゃ! 今までどうしておった? お前たちがいなくて村中が――」
「もういい!!」
 ナグや村の皆と同じことをまた言われそうだったのでエンは早急に言葉を打ち切らせた。


 久しい村長の部屋には、村長の他に占い師の老婆、そしてナグが集まった。
「村長と占いのばっちゃんはわかるけどさ、なんでナグがいるんだ?」
 エンとナグは最も仲がいい友人関係にあるとはいえ、この場に彼だけがいるというのは妙であった。
「ふっふっふ。聞いて驚け、お前たちがいない間に俺が次期村長候補に選ばれたんだ!」
「マジか! すげぇな」
 確かに次期村長になるかもしれない人間ならば、この場に居合わせてもおかしくはない。しかし本来の候補はエンかルイナのどちらかであり、二人が消えた故にナグが繰り上がったのだ。本人の二人は知らないだろうが、その辺りを承知しているナグにとっては少々複雑な面もある。
「では、本題に入ろうか」
 このままではいつまで経っても話が戻らないと思ったのか、占い師の老婆が咳払いを一つして話を促した。
「でも、何を話せばいいんだ?」
「とりあえず、お主たちが何処へ行っていたのか、だな。儂の占いを用いても捗々しい効果は得られなかった」
 村長ではなく占い師が話を進めてしまうので、立場として情けないと思ったのか、村長も身を乗り出した。
「いったい、何処へ行っておったのだ?」
「……その前に一つ聞きたいんだ。オレたちの、この世界。ここは何なんだ?」
「何なんだ、とは……」
「オレとルイナは、ルビスフィアって世界に飛ばされた。魔法や、魔物がたくさんいる世界だった」
 ヒアイ村では魔物というとスライムくらいしかおらず、魔法という存在も御伽噺に出てくるくらいだ。この二つは、夢物語に近い。だが二人がずっと夢を見ていたなどと思うはずもなく、それを真実として受け止めた村長と占い師は驚いたように口を開きかけて、また閉じた。
「何か知っているのか?」
「……そうか、やはりそこへ行っていたか」
 沈痛な面持ちで、村長が言った。
「やはりって……どういうことだよ」
 エンとルイナ、そしてこの場に居合わせたナグも村長の言葉に驚きを隠せなかった。唯一、占い師だけは村長と同じような顔つきだ。ついでにいうなら、イサとラグドはどうしたものかと迷っているのか会話に参加せずに部屋の隅で目立たないようにしている。
「儂のような占い師、そして代々の村長にのみ伝えられる真実があったのだ。いつから伝わっているのかは解からぬ。ただ、それは世代が変わるにつれて薄れて行き、儂らの代で伝えるのを止めようと決めた……。もしかしたら、炎の神がそれを知ってお怒りになり、お主らをその世界に飛ばしてしまったのかもしれぬと何度も考えたものだ」
 実際は魔王ジャルートがエンとルイナに埋め込んだエルマートンの魂を回収するために呼び寄せたのだが、その辺りの事情をこの場で知っているのは本人の二人と、魔書でそれを知ったイサとラグドだけだ。
「占い師と、村長に伝えられてきたことって?」
「それはワシが話そう」
 ここぞとばかりに村長が真っ先に顔を引き締めた。
「かつて、ワシらの住む世界は一つの大きな世界じゃったらしい。しかし、何千年前に起きた戦争により、世界そのものに亀裂が走り、三つに分断されてしまった……」
「それって……!」
 ルビスフィアで聞いた話に、似たものがあった。むしろ同じなのだろう。
「三界分戦……」
 イサが呟き、ラグドが頷いた。イサの呟きは彼にしか聞こえていないようで、エンはその大戦の名前を忘れたらしく必死に思い出そうとしているようだ。
  三界分戦――かつて神族と魔族と人間たちによる全面戦争だ。
「でも何だかオレが向こうで聞いたのと少し違うような」
 ファイマから説明を受けた時は、神界、魔界、が人間界と別の場所に誕生したと云われている。
 しかし村長が言うには、世界そのものが分断されたらしい。神族と魔族がそれぞれの世界に束縛されたとして伝わっているにも関わらず、魔界に人間がいるというのだから村長の説のほうが納得できる。だがそれが正しいとも限らない。
「(どういうことだ、メイテオギル?)」
 当の三界分戦に参戦した炎の精霊に問いかけた。自身の心の奥底に眠っている炎の精霊王は、すぐに答えてくれた。
「知らん=v
「(そうか……って、は?)」
 あっさりと、しかも堂々と言われたので危うく聞き流してしまいそうだった。
「三界分戦での決戦時。確かに強大な力がぶつかり合い、世界を揺るがした。そこで三界分戦は終了したのだが、我々は力を使い果たし、深い眠りについたのだ。世界を構成するのは普通の精霊に任せておけばいいからな。そして眠りから覚めたとき、デルド村の者たちが炎の精霊を守護する者としてそこにいた。それを知った故に、オレは再び永遠とも思える眠りについたのだ。眠っている間の事は一つも知らぬ=v
 平和な世の中にこの力は不要だからな、と自嘲気味に答えられ、これ以上は得られる情報がなさそうだ。
「(でも、普通はなんか気付くだろ。世界が縮んだー、とか。街が減ったー、とか……)」
「確かに生物は数を少なくしていたが、戦争の影響で消え去ったのだろう=v
 確かに三種族の全面戦争が起きたのならば、無事でないほうが少ないはずだ。
 ルイナの方を見ると、彼女の心に在るスベリアスも似たような返答を返したらしい。イサとラグドも同様である。
「……まさか、本当にその世界に行っていたとはな」
 村長と占い師にはルビスフィアの知識はあっても、行く手段もなければ、ただ口伝で受け継がれてきた伝説だ。ただ予想が当たっただけにしか過ぎない。
「あぁ、オレたちはそこで旅をしてきた。そんで、これからも旅を続けなきゃいけない」
「せっかく帰ってきたのに、か?」
 ここでナグが割り込んできた。まだこの場に参加するだけに意義がある立場にある彼でも、発言権がないわけではない。
「…………そうだ」
 ナグの問いかけに、エンは間を空けて返した。それだけで、エンには躊躇いがあると確信できたのは全員だ。何の心配もないならもっとはっきり答えるはずなのに、それがなかった。
「オレは向こうの世界で力を得た。だから、オレは旅をやり通す」
 言っていることはいつものエンだが、やはり表情はやや曇っていた。
「(そんな顔するなよ。心配してしまうだろ……)」
 とナグは言いかけたが、せいぜい心の中で呟くに留めた。
「そうか……。しかし――いや、今日はやめておこう。見たところ、だいぶ疲れているようじゃからな。もう休め、明日にまた話をしよう」
 イサとラグドはともかく、エンとルイナは魔界に辿り着く前は『死神』と戦っていたのだ。言われて初めて溜っていた疲労に気が付き、緊張がほぐれたせいか疲れの波が押し寄せてきた。
 久々の故郷だ。良い夢が見られることを、エンは強く願った。


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