-3章-
戦士、出立



「うわぁ……」
 なんとも感情の無い声で、エンは呆れ果てていた。
 至るところに酒瓶や皿や食べかけやゴミや人などなどが転がっているのだ。目を覚まして最初に見た光景がコレなのだから呆れてしまうのも無理はない。
 昨夜、久々にエンとルイナが帰ってきたという名目で村中の皆が食べ物や酒やらを持ち込んで宴会騒ぎになり、片付けもせずにみんな眠ってしまったらしい。エンは疲労が溜っていたのか早々に眠りについたはずだが、話題の主役がいなくても『エンとルイナの帰郷祝い』ということで好き勝手にやっていたようだ。
 二人が消えていた期間は、二人がルビスフィアにいた期間とほぼ同様らしく、浦島太郎にならずに済んだ。
「これ、オレが片付けるのか?!」
 転がっている人間は宴会に参加した人数より少ないが、だからと言ってこれはあんまりである。
「手伝い、ましょうか」
 声をかけたのはエンと同じく目を覚ましたばかりらしいルイナだ。
「ああ頼む。ルイナは、寝転がってる奴らを起こしてくれよ。掃除はオレがしておくから」
「はい」
 早速ルイナは手近な人を揺り起こし、なかなか起きないようなら懐から怪しげな液体を取り出してはこっそり口の中に流し込んでいる。流し込まれた方は短い悲鳴を上げながら飛び起きている……というのは気のせいということにしておこう。
「にしても……まったく、みんな浮かれすぎだろ。火祭りの日でもないのにさ」
 手早く片づけを始めながらエンはぼやいた。眠る前に良い夢が観られることを強く願った割にその願いは叶わなかったし、目が覚めたら覚めたで後片付けをするはめになっている。
 ちなみに火祭りとは、ヒアイ村で年に一度だけ行われる祭りのことである。
「今日の分の仕事、大丈夫なのか――って、うぉっ?!」
 重ねた皿で足元が良く見えず、何かを踏んづけてしまった。危うく転んでしまうところだったが、幸いにも皿を落とさずに済んだし転びもしなかった。何を踏んでしまったのかと確認すると、それは人の腹だったようで、しかもそれはナグのものだ。
「あ、わりぃ」
 気軽に誤ってみたが、反応がない。いくら深い眠りについていても、あれで起きないのはおかしいし、何より短い呻きも聞こえた。
「おい、ナグ?」
 持っていた皿を置いて、ナグを揺り起こしてみる。眠っているようだが、全く起きる気配が無い。
「ナ〜グ〜?」
 頬をつねる。鼻をつまむ。耳を引っ張る。その他もろもろを試してみるが、やはり起きない。
 ここまで来て起きないのなら、もしかして無理やりにでも寝ているのではないか。
 そう考えたエンは、ナグの耳元で囁いた。
「あの事、スニラにばらすぞ」
「うわぁぁあぁぁ! すまん! 許せ!」
 やはり狸寝入りだったのか、ナグは飛び起きた。昔からの友人というのは何かしら相手の弱みを握っているもので、エンはそれを使ってみたのだがうまくいったようだ。ちなみにスニラとは、ナグが密かに思いを寄せている女性の名前だ。どうやら未だ進展はないようで、イメージダウンになることは避けたい様子。
「何なんだ、お前……」
 何故寝たふりをしてまで眠っていたのかがわからない。
「いやな、ほら、ルイナってなかなかの美人だろ。そんな女性に朝を起こしてもらえるなんて、幸せじゃないか。いつもはお前かもしれないけどさ、これくらいの役得、この機会にってな」
 見渡すと、寝転がっているやつらは全員男だ。
「もしかしてこいつら全員?」
「まさか! でも、半分くらいは同じ目的のはずだ」
 これもスニラに告げ口してやろうかと思ったが、それよりも今だ。
「ってことは、それが目的の奴らは、本当は起きているんだな」
「たぶんな」
「それじゃあ手っ取り早く」
 エンはにやりと笑い、ルイナに声をかけた。
「ルイナ! そこら辺に寝転がっている奴に、眠気が吹き飛ぶような薬を試してやってくれよ」
 寝転がっている連中の数人が、ぴくりと動いた。
 それでもまだ起きないということは、ルイナがそれに従うかどうかの反応を待っているのだろう。なかなか強情だ。
「…………はい」
 肯定。
「「「「すみませんでした!」」」」
「お前ら全員かよ!!」
 ナグの予想していた半分ではなく、全員がわざとであったらしい。
 その全員に片付けの手伝いを指示したあと、エンはふと周囲を見渡した。
「あれ? あいつらはどこ行ったんだ?」
 イサとラグドがいない。昨晩はこの家に泊めたはずだ。どこで寝たのかはともかく、こうも見当たらないのは不自然だ。
「まあいいか」
 エンはあくまで今は片付けを優先させることにした。

 そして当の二人は、ヒアイ村の中を散歩していた。
 魔書で知識はあったものの、やはり実際に見てみると全く違うものだ。百聞は一見に如かず、という言葉を今まさに身をもって体感している。
「良い所ね」
 イサは前を歩く老婆にそう声をかけた。二人の案内人役となっているのはあの占い師の老婆である。
「そうかね」
「うん。なんだか温かい」
「この村は年中温暖気候にあるからな」
「そういう意味じゃないんだけど……」
 人の温もり、というのだろうか。一人がみんなのために在り、みんなが一人のために在る。ウィードではそれがなかったというわけではないが、この村ではそれが一層濃いのだ。
 だが、占い師の言うとおり温暖気候にあるのも、少しはその連想に関わっているのかもしれない。
「ところで、散策の案内役を買って出てくれたのは、我々の事を聞きたいからではないのですか?」
 一通り村を見て回り、そろそろエンの家に戻ろうかとしたところにラグドが口を開いた。話を振られでもしない限り自ら話そうとはしていなかったため、その言葉には重みがあった。
「ふむ、なかなか勘の鋭いようで。もちろん、お主たちの世界……ルビスフィア、であったか。その事を聞きたいのが半分じゃて」
「半分?」
「まあよかろう。さて、そのルビスフィアとやらは今、どうなっているのだ?」
「どうなっているって言われても……」
「エンとルイナがその世界に引き寄せられた事、そしてここに帰ってきた事、エンは旅を続けると云うた事……これらには何か意味があるのではないかな」
 この人はこの人なりに、二人のことを心配しているのだ。そう悟ったイサは空を仰いだ。澄み切った朝の空が視界に入る。ルビスフィアとはまた違う、美しいとさえ言える空だ。
「何年か前、ジャルートっていう魔王が現れたの。その魔王は勇者によって倒されたけど、復活してしまった。そのせいで、私たちの故郷も滅ぼされてしまって……。これ以上の破壊の進行を食い止めるため、私たちは旅をしている」
「エンとルイナもか?」
「動悸は違うけど、目的は同じ。『魔王を斃す』ということ」
 どこまで語っていいものか。魔書で大抵のことは知っているが、エンとルイナの中に潜んでいたエルマートンのことまで話すべきなのだろうか。知らない方がいいのではないか。
「エンはな、やり遂げていないことを途中で投げ出すのができない性格なのだよ」
 唐突に老婆はエンの昔の話をしはじめた。魔書では知り得なかった、彼のルビスフィアに来る以前の経歴。どんなことでも諦めなかったこと、子供時代に迫害されても決してくじけなかったこと……。
 何故、そんな話をするのだろうかと思った途端、老婆がにまりと笑った。
「何故そんな話をするのだろうかとい顔をしておるな」
 顔に出ていたらしい。
「エンが続けるといったら迷いなく突っ走るはずなのだが、昨日は明らかに迷っておった。あのエンが、止まりかけておる」
 そういえばそうだ。エンは躊躇っていた。そしてルイナはいつもエンの後を追う。彼が止まれば、彼女も止まってしまう。何が彼の足枷になっているというのだろう。
「あ、心当たりならあるわ」
 エンが旅を続ける事を躊躇う理由。もしかしたらそれは、かつての経験が影響しているのではないだろうか。
 彼は魔王の精神攻撃により、自分の村が守ることさえ出来ずに消えていく所を何度も見せ付けられた。それは何度も繰り返され、自身の精神が崩壊してしまうほどの地獄であった。今は失われた心を取り戻しているが、記憶からそれが消えたということはない。
 エンは、不安なのだ。ここが魔王の存在する魔界である以上、またヒアイ村が襲われるかもしれない。守ることのできる力はあるが、この場にいないことにはどうしようもない。故郷を守りたい、みんなを守りたい、しかし旅の最中に襲撃を受けてしまうと、それは叶わない。イサが、ウィードを失ったと同様に。
「そうか、なるほど……エンのやつめ。嬉しくて馬鹿々々しいことじゃて」
 憂いの表情の中に微笑を見せ、占い師は顔を隠すように俯いた。
「残りの半分は、それですかな」
 ラグドが言うと、占い師は頷き、引き締めた表情で二人を見た。
「エンが旅を続けるつもりなら――旅の中でよい、背を押してくださらんか」
「もちろん良いけど、それは私たちの役目じゃないかもしれない」
 イサは、占い師でもラグドでもない方向に視線を向けていた。その視線に気付いたのだろう、慌てて人が去っていく。
「む、あれは……」
 ほんのちらりとしか見えなかったが、占い師にはそれが誰だかすぐにわかった。
「何をしておったのだ、ナグのやつは?」

 片付けの手伝いをこっそりと抜け出したナグは、偶然にもイサたちの話を聞いていた。偶然というのはあくまでナグの主張であり、物陰に隠れて聞き耳を立てていたのでは偶然とは言い難い。
 しかしそれは些細な事だ。ナグは、虚空を睨みながら、その虚空にある人物を描いていた。
「バカ野郎が」
 その呟きを聞いたものは、誰一人としていない。


 再び村長の家に全員――エンとルイナ、イサとラグド、村長と占い師、そしてナグ――が集まり、昨日の話の続き、ということになった。
「話し合うことなんてあまりない。オレは、旅を続けていくよ」
 最初に発言したのはエンで、話を促そうとしていた村長は目を丸くした。
「そ、そうか」
「ああ、でも今からどこに行けばいいのか分からないんだ。占い師のばあちゃんに占ってもらいたいんだけど」
 占い師は静かな表情でエンを見た。イサの話は本当なのだろう、平静を装っていても、エンにはまだ不安が残っている。ナグもそれに気付いているのか、憮然とした表情で会話に参加する様子を見せていない。
「儂の占いはあくまで傾向を観る物。正しいとは限らんぞ」
「それでもいいさ」
「そうかい」
 占い師はおもむろに席を離れ、どこからか包みを持ってきた。
「旅の占いならもうすでにやっておったわい。これを持ち、北へ進め」
 今度はエンが目を丸くする番で、村長は目が飛び出るのではないかというほど驚愕の表情を見せていた。
「それは!」
「エンの旅に必要になると思うたからな」
「しかしそれはお主らの――! ……いや、よそう。必要とする者の手に在るべき、じゃな」
 包みを開けると、炎を象徴するような赤色をした宝珠だった。
「儂ら占い師に代々伝わってきた炎神の宝珠(レッド・オーブ)。どうやらお主の手にあったほうが為になるようだ」
「これ、何に使うんだ?」
 持ってみると手にすっぽり収まるくらいの大きさで、同じ大きさのものならあと二つは片手で持てそうだ。
「知らん」
 即答。
「知らんって……」
「言ったであろう。儂の占いはあくまで傾向、答えではない」
 北へ向かえ、というのもその方角が吉という結果からだ。
「そっか、そうだよな。でもありがとう、そろそろ行くよ」
 レッド・オーブを再び包み、道具袋に入れてエンは立ち上がった。イサとの会話もあったせいだろう、やはりエンは何処となく躊躇っているように見えた。だがその躊躇いをなくすのは自分では不可能だ。何を言っても、言葉でしかない。そしてその言葉だけでエンの悩みを解消できる自分ではないのだ。
「村の者達に別れを告げなくていいのか?」
「ああ、村長のほうから言っといてくれよ」
 村長はまだ何かを言いかけたが、これではエンの決意を鈍らせるばかりなので占い師は見えないところで彼の足を踏みつけ黙らせた。

 なるべく人に会いたくなかったのか、別れは急ぎであった。見送ったのは、村長と占い師、そしてナグの三人だけである。村の出口までは付き添い、そこからは、彼らの道だ。
 エンとルイナは別れを告げ、イサとラグドは一泊の礼を言って旅立った。
 またしばらくは、二人がこの村に帰ってくることはないだろう。
 だから、だろうか。ナグはエンたちが見えなくなった途端に、走り出した。
 その方向は、北。


「よかったの、ですか?」
 もう振り返ってもヒアイ村が見えない辺りで、ルイナがそう聞いた。
「……まあな」
 どことなく生返事を返し、本当にこれでよかったのかと思わせる口ぶりだ。
「ねえ、あれって、あなたのお友達じゃない?」
 イサの言葉に、エンは足を止めた。そんなはずはないと思っていたのだろう、イサは他の事を聞いてきたのだろう、幻聴だったのだろう、そんな懸念が他の誰よりもエンを最も遅く振り返らせた。
「ナ――!!!」
 しかい確かに人が走ってくる足音がしたから、エンは振り返った。そして目に映ったのは、ナグの姿であり、驚く前に――殴られた。
 油断していたこともあったのだろう、エンはナグの拳をまともに受けて、吹っ飛びはしなかったものの倒れてしまった。
「いってぇ……なにすんだよ、ナグ」
 殴られた頬を押さえながら、エンは立ち上がった。口の中には血の匂いが充満し、もしかしたら歯が折れているのかもしれない。
「なんだ、この、程度、か!」
 全力で走ってきたのだろう、随分と息を切らせながらもナグは律儀に答えた。
「なに!?」
「何が、向こうの世界で力を手に入れた、だ。オレなんかに、殴り飛ばされやがって」
 油断しなければ躱すことは可能だった。それにこれだけで死ぬというわけでもない。今からでも反撃したなら、エンは易々とナグを倒すことも可能だ。皮肉にも同じ場所を殴ってもいい。
しかし、それを許さないものがあった。
ナグは今にも泣きそうな顔で、エンの胸倉を強引に掴むと、言った。
「心配しなくてもなぁ! お前を殴り飛ばせる奴がこの村にはいるんだよ!! だから……だから、行って来い!!」
 エンは目を丸くしてナグの息切れが収まるのを待った。もう落ち着いて、言う事は言ったからだろう、ナグはエンから手を離し、まっすぐ見つめた。
「あぁ……ああ。……ああ!」
 嬉しそうに、泣きそうに、エンは笑顔で拳を突き出した。ナグがにやりと笑い、それに己の拳を重ねる。
「行って、帰ってくる!」
 戦士の、身体の旅立ちは村を出た時点で成立した。
 戦士の、心の旅立ちは今まさに始まったのだった。


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