-19章-
魔城、突入



「いっ……てぇ〜!」
「大丈夫?」
 よく痛いだけで済んだものである。エンとイサは、地表で魔物相手に戦っていたはずだが、急に地面がなくなり、ここに落ちたのだ。それなりの高さがあったにも関わらず、エンは重傷というわけではないらしい。
「お前はいいよな。オレもしびおの近くにいればよかった……」
 まだ痛むところを擦りながら、エンは恨みがましい目でイサとしびおを見た。イサもエンと同じくして落とし穴にかかったのだが、たまたま隣にいたしびおの触手を無意識のうちに掴んでいた。
 しびおはもともと宙に浮いているが、さすがに人一人分の体重は支えきれず、しかし急落下することはなく、無事に着地できたのだ。
「さすがにエンさんが加わると、私も浮いていられませんよ」
「わかってるよ。冗談だ冗談」
「それよりも、ここどこ?」
 イサがくるりと辺りを見回すが、やたら暗く、肌寒い。鉄の匂いが充満しており、よく見れば床や壁が鉄製だ。
「どこって……そりゃ建物の中だろうな」
 いくらなんでもここが地面の中というわけでもない。
「いひ、いひひ……客かぁ=v
 暗がりの奥から、聞き取りにくい低音の声が聞こえた。
 まだ目が慣れていないので声の主の姿は判別できないが、声だけならまっとうな相手ではないことだけは理解できた。
 だが、エンが目を凝らして注意深く見た途端、その顔から血の気が引き、蒼白となった。
「お、おいイサ……」
「なによ――って、どうしたの?」
 イサが呆れるのも当然で、エンは冷や汗をかいて後退りを始めていたのだ。
「ここ、任せていいか? つーか任せた! オレは別の所に行く!!」
 言うだけ言って、エンは唐突に声のした方向と真逆に走り始めた。他の通路でも見つけていたのか、その走りっぷりには迷いが無い。
「ちょっと、どうしたの!」
 イサの呼びかけには気にも留めず、エンは暗がりの中へと消えていった。
「なんだったの……?」
「いひひ、仲間に、置いていかれたか=v
 改めてイサは声の主の方を向いた。ようやくこの暗がりに目が慣れてきたらしく、声の主の姿が薄っすらとだが判別できるようになった。
 そこにあるのは、骸骨だった。人間のものではないようだが、骸骨が喋っているのだ。
「骸骨が喋っていることが恐くて逃げたってわけじゃないよね」
 いくら何でもエンはそんなものを恐がるような人間ではなかったはずだ。
 更に目を凝らしてみると、ようやくイサは納得した。
「なるほどね。エンが逃げるわけだ」
 骸骨の胴体は丸っこく、そこから八本の長い足が生えている。
 足が八本だからといってタコではない。それは巨大な蜘蛛の身体をしている骸骨だったのだ。
「確か、骸骨蜘蛛(スカルスパイダー)……」
「いひひ。正解だ、正解。我が名は、ガリウロ。そこいらのスカルスパイダーと同じにするな、いひ=v
 虫の魔物の中でもかなりの力を持つ魔物だとイサは記憶していたが、実物を見るのは初めてである。それに、ガリウロと名乗ったスカルスパイダーの言葉からして、何かしらの力を秘めているのだろう。
 がしん、と低い音がしたかと思うと、辺りが照らされた。天井そのものが光っているらしく、明かりが点いたことによりガリウロの全貌が容易に見て取れるようになった。
 魔書によれば、エンはそれを見るだけで気絶するほどの蜘蛛嫌いだった。イサよりも早くに暗闇に目が慣れて、ガリウロの姿を見てしまったのだろう。だから慌てて逃げ出したのだ。
「いひひ、ここへの侵入者は、排除せよとの命令が、下されている。いひ、いひひ。お前、運が悪い。あいつみたいに、すぐ、逃げていればよかった、いひひ。もう遅い=v
 ふと背後を見ると、エンが駆け出していった通路が、塞がれている。照明と同時に出口をなくしたのだろう。
「こっちはここにある魔法装置を止めに来たの。何か知らない?」
 逃げ道がなくなったところで、イサはどうとも思わなかった。ガリウロとしては、ただのか弱い人間の少女が一人取り残されて泣き喚くことを想像していたのだろうが、イサは違う。
「いひ、いひひひ、いしゃしゃしゃしゃ! お前のような人間の小娘が、あれを止めに来た? 面白い! 人間の冗談がここまで面白いとは思わなかった! いしゃしゃしゃしゃ!=v
 聞くだけで悪寒の走る不気味な笑声は聞き流し、イサは構えた。魔法装置の在り処を知っていることは間違いなさそうなので、あとは聞き出すだけだ。
「もう一度聞くけど、魔法装置はどこ?」
「お前が知るのは無意味というもの。今から、お前は、死ぬから=v
 急に大笑いを止めた途端、ガリウロの周囲の空間が一瞬だけ歪んだ。その歪みから、次々と霧が吹き出たかと思うと、霧は一つ一つ固体を作るように集合し始めた。
「魔物――!?」
 霧状の魔物――だが、イサが知っているどの霧の魔物も、目の前の魔物には当てはまらない。むしろ、あらゆる霧の魔物をごちゃ混ぜにして新たな魔物としたように見えた。
 合成魔獣、という単語が脳裏をよぎる。
「いひひひ。我が創りし子らよ、侵入者を排除せよ=v
 霧の魔物たちが、声なき声をあげた。


 どこをどう走ってきたのか、自分でもよくわかっていなかった。無我夢中だったので来た道などは覚えていない。戻ろうにも戻れないのならば、ただ進むだけだとエンは構わず走り続けた。
「なんだ、ここ?」
 走っていた通路が、いきなり幅広くなったのだ。どこかの部屋というわけでもなく、大きな通路のようだ。そしてエンが不思議に思ったのは、その通路の壁である。
 透明な壁の奥に巨大な質量を持つ何かがそこに安置されており、それを中心に全角度から見下ろせるように今の通路が伸びているらしい。
「でけぇな」
「なんでしょうかね?」
「さぁ?」
 と、エンは返事をしておいてふと気付く。
「しびお?! お前いたのか」
 エンはずっと一人でここまで来たと思っていたのだ。気配がまるでしなかったので、彼が喋るまで全く気付かなかった。
「それよりも」
 しびおは至って冷静で、それを見下ろした。エンもそれに続いて改めてそれを見る。
 巨大な質量を持つそれは、何かの顔のようだ。胴体はあるのだろうが、見える範囲でそれは確認できない。生物ではないだろうが、もしこれが動き出したらと思うと身が震える。
 エンでさえ、それの目の大きさくらいしかないではないだろうか。
「古代兵器ってのは、これだろうな」
 まず間違いないだろう。そうなると、ムドーの言っていた魔法装置はこれの開発――というよりも、これを起動させるためのもののはずだ。起動さえしなければ、ただの鉄くずのようなものだ。
「あちらに、強い魔力を感じます」
 しびおが示したのは、エンたちが走ってきたものとは違う通路だ。
「なら、行くか」
 ここでじっとしても何もないので、エンはしびおの言葉を信じて進むことにした。

 その通路はすぐに終わり、エンとしびおは、いかにも怪しい扉に辿り着いた。
「この先です」
「よっしゃ、行くぞ」
 エンは精神を集中させ、武具を召還した。炎を模した斧――火龍の斧がエンの手に握られる。
「せぇい!」
 気合とともに一閃、頑丈そうな扉は音を立てて崩れ去った。
 扉の先は広い部屋で、とは言っても先ほどの巨大兵器が置かれていた場所に比べれば小さい。
「ギギ、物騒ナ奴ダ。ピピ、ソノ扉、普通ニ開ク=v
 機械的な電子音は、しっかりと言葉として出されていた。
「そりゃ悪かったな。けど、修理費は出さねぇぞ」
 エンが火龍の斧を構えながら言った。電子音を出しているのは、身体が機械で出来た魔物だ。顔らしい部分には赤い眼点が一つ灯っており、手には剣と鉄棍棒が装着されている。キラーマジンガという魔物なのだが、あいにくエンは魔物について詳しくなく、ただの敵としか認識しなかった。
「ピピピ、侵入者ハ、排除スル=v
「エンさん、大変です」
 キラーマジンガがゆっくりと動き出した途端に、しびおがいつもと変わらない表情で言った。
「なんだよ」
「私が感じた力、あの者が発生源のようです」
「……魔法装置はここじゃないのか」
 キラーマジンガが魔法装置を守る番人かと思っていたのだがどうやら違うらしく、しびおはすんなり頷いた。
「おい! 古代兵器を起動させる魔法装置はどこだ!」
 相手が素直に喋るとは思わなかったが、少ない可能性にかけてエンはキラーマジンガに聞いた。
「ギギ、邪神ノ機械兵(エビルエスターク)カ。オ前、知ル必要ナイ。ココデ、死ヌカラ=v
 やはり魔法装置の所在地を知ることはできなかったが、代わりに一つの単語が気になった。
邪神の機械兵(エビルエスターク)? それがあれの名前か」
 エンたちは古代兵器の名前すら知らなかったのだ。そこまではさすがに相手も思っていなかったらしく、妙な音を連続して出している。
「オ前、消ス=v
 赤い眼点が明滅したか思うと、唐突に激しく発光し出した。
「戦闘モード移行 ピー=v
 機械なので感情や気というのがないはずだが、キラーマジンガから確かな殺気と威圧が感じられた。気がつけば、エンの額に汗が伝っている。
「しびお……魔法装置がありそうな場所、わかるか」
 まだキラーマジンガとの距離が充分あることを確認して、ちらりとしびおを見やる。
「もう一つ、強い力を感じます。魔法装置は恐らくそちらかと」
「よし、ここは任せろ。お前は魔法装置を止めに行ってくれ」
「了解しました」
 くるりと身体を反転させ、しびおはここに入ってきた通路を戻って行く。さきほどエンが派手に壊したから、扉が急に閉じて、閉じ込められるということはないだろう。後は目の前の敵を倒して、しびおを追うだけだ。
「逃がさない=v
 さすがにここから出て行く者を優先して阻止しようとしているのか、標的がしびおになっている。
「させねぇよ!」
 キラーマジンガの目の前に立ちはだかり、エンは火龍の斧を一閃させた。


 ムドーの館は、これほどにないほど慌ただしくなっていた。
「部隊の編成はそれでいい。配置も……仕方あるまい。優先事項は奴らの跳梁を許さぬことだ。逃げるものは追うな」
 統治者であるムドーは人間の姿のままであったが、魔物たちは素直に指示に従っている。
「よし、行け!」
 指示が伝えられた魔物たちが一斉に持ち場へと向かう。それを見送るムドーの顔には疲労が色濃く見えていた。人間の姿をしている以上、それが顔に出てしまうらしい。
「やはり、来ましたね=v
 側近のスターキメラが、嘆息するように言った。
「ふ……あの者たちを送り込んだ時点で、決戦の狼煙となっておったわ」
 苦笑を浮かべ、ムドーがそれに答える。その一問答のあとは沈黙が続いた。
「……どう思う?」
 沈黙を破ったのはムドーで、しかしスターキメラには問いの真意が伝わらなかったようだ。
「魔物が、平和という言葉を口にするのは、やはりおかしいか」
 ムドーは自分自身を蔑むように見つめた。
 長い年月と共に、争う相手がおらず、ムドーは魔物が本来持っている殺戮本能が薄れていった。今では、何事も無く、平穏にこの世界を見守っていたいとさえ思ってしまう。
「それは……=v
 スターキメラは返答に困り、言葉が詰まってしまった。だが、このスターキメラも、薄々と似た感情を持っていた。
 平和に慣れてしまった今の自分達が、まともに戦えるとは思えない。だが、もし勝利し、今までどおりに暮らしていくことが出来れば、どれほど嬉しいだろうか。それを、魔物の本来持つ、絶望を快楽とすることよりも欲してしまう。
「今は、我々が生きることを考えましょう=v
 スターキメラの言葉に、ムドーが頷く。
「我々のもとに現れた人間達。これは何かの導きかも知れぬ」
 ムドーは窓から外を真っ直ぐに見つめ、己の手を右胸に当てた。
 もうすぐ雨でも降るのだろうか、外は暗くどんよりと重かった。


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