-16章-
英雄、敵対



 ウミナリ村に戻っても、無事な人間は誰もいなかった。
 明日の生活の準備をしたままほったらかしにされた居住区は、廃墟とはまた違う薄ら寒さを感じる。
「さぁて、これからどうするかな」
 リビングデッドたちがまた現れることはなかった。彼らを創り出した存在――デスセイレスのミラが消滅したことにより、同時に全てが消滅したのだろう。
「まずはネカルクに報告だな。また船を捜そう」
 言うなりラグドが波止場に向かう。
 この村に妙な魔力が働いているということを察知し、それを調べてほしいと依頼を受けていたのだ。その原因はミラであることに間違いはないだろう。報告しないわけには行かない。
「お待ちしておりました」
 波止場に着くと、そこに間の抜けた顔を貼り付けたゼリーに触手をぶら下げたようなもの宙に浮かんでいた。
「ホイミン?!」
 真っ先に驚いたのはイサだ。それもそうだろう、諸事情によりルビスフィアに残った者がここにいるのだから。
「いえ、色が違います」
 見た目が酷似していたため、イサはすぐに気づけなかった。ホイミンは青いホイミスライムだが、目の前にいるのは白っぽい、しびれクラゲという魔物である。
「なんだぁ?」
 違う意味で驚いたのはエンだ。イサたちのことをよく知らないのもあるが、それよりもただの魔物が待っていたということに驚いたのだ。
「お前ら知り合い?」
「いや、ちょっと似ているのを知っているだけで……」
 しびれクラゲのほうは気にした様子もなくのほほんとしている。この辺りはやはりホイミンに似ている。
「おっと、これは申し遅れました。私、ネカルク様に仕えるしびれクラゲで、しびおと言う名を戴いております。ちなみに趣味は……」
 ふと、しびおはイサとルイナを見た。
「いえ、やはり趣味を語るのはやめましょう」
 貼り付けたような笑顔のままで、なんだか不気味に見えたのは気のせいか。
「ネカルク様がお呼びです。どうぞこちらへ」
 案内されたのは、意外にも普通の船だった。というよりも、夕べ乗り捨てたものと同じである。
 操船はまたルイナに任せて、また沖に出る。
 その間に、しびおからウミナリ村の妙な魔力が消えたことなどを聞くことができた。
「やっぱり原因はミラだったのか」
 確証はなかったが、どうやら問題自体は解決できたらしい。心なしか周囲の空気が良くなったように感じた。
「ええ。どこからともなく現れたデスセイレスが村人を操り、海の支配者の座を狙っていたようです」
 どうやら、正体を現したために大体のことがわかっているらしい。むしろエンたちより詳しいくらいだ。
 やがて沖に辿り着き、また泡に船全体が包まれた。
 空は相変わらずどんよりとしているが夜よりは明るく、エンの予想通り海中は見ものだった。
 いつまで沈んだか解らないほどの海底で、不意に船が止まる。

「汝らに感謝せねばらないな=v
 海の主――ネカルクの声が海底に響いた。その厳粛な雰囲気は相変わらずで、へらへら顔のしびおでさえ恐縮しているようにも見える。
「でも、誰も助けることはできなかった」
 村人を守るために、海に出てきてネカルクに会った。そこで海を守るために、ウミナリの村に戻った。その結果、海を守ることはできたが村人を守ることはできなかったのだ。最初はネカルクが強引に村ごと滅ぼそうとしていたことをさせないためにエンが引き受けたというのに、結果だけ見れば変わっていない。
 ここでネカルクに気にするな、といわれても気休めにすらならない。
「この海すべての命を守ったのだ。犠牲は止むを得なかったと割り切るしかあるまい=v
 ネカルクの話によると、ミラはウミナリ村の人間の魔力を抜き取り、不死の軍団を造った。それらを使い、海を支配するための算段を企てていたようだが、エンたちが阻もうとしたために正体を現さざるを得ない状況になったらしい。もともと、海の魔物が凶暴化したというのもミラのせいだったらしく、小さな争いはありつつも平穏な暮らしをネカルクたちは望んでいたのだ。
「して、これから汝らは何を成すつもりだ?=v
 旅の目的――もちろん魔王ジャルートを倒すためにこの魔界にやってきたのだが、レッドオーブに導かれてこの場に来たのだ。正直言って、自分たちでもどうしていいのかよくわかっていない。
「オレ達もよく解っていないんだけど……」
 うまくまとめきれないまま、エンたちは自分たちのことを話した。魔界へきた理由、レッドオーブに導かれてウミナリ村に着いたこと、これからどこに行けばいいのかよく解っていないこと。
「レッドオーブ?=v
「ああ、これだ」
 言うなり、エンはおもむろにレッドオーブを取り出した。相手に見えるかどうかはわからないが、それでもネカルクは何かを感じ取ったようだ。
「復活の宝珠か……=v
「復活の宝珠?」
 今度は、エンたちが聞き返した。
「混沌の不死鳥『ラーミア』の卵を孵すためのものだ=v
 また新たな単語に、エンたちは首をかしげた。
「この世界のどこかに、ラーミアの卵を守る神殿があるという伝説がある。卵に六つの宝珠を捧げるとラーミアは目覚め、複数ある世界を自由に移動できるというものだ=v
 ネカルクの説明で、エンたちの顔つきが変わった。
 現在、この魔界の空間そのものを移動する手段はほとんどない。ミカガミ村の時は宝珠に導かれてこの空間に飛ばされてきたが、自由自在に、となると方法は皆無に等しい。
 それならば、複数の空間世界をまたぐことのできるラーミアは必然となるだろう。
「これからの行動が決まったな」
 復活の宝珠を探すということ。その後は、どこかにあると云われるラーミアの卵を守る神殿を見つけなければならない。まずはそのことから始めれば良いだろう。
「あと四つ、ですね」
「四つ……? ってルイナ、それ持ってきてたのか」
 気が付けば彼女の手にブルーオーブが握られている。ウミナリの村で奉られていたものだが、それは何処か正しい持ち主の手に渡ったかの如く輝いているように見える。復活の宝珠の一つであることは間違いないようだ。
「オーブを探しに行くのか。ならば、そのしびおを共に連れて行ってもらえないか=v
 当のしびおは、動じた様子もなくただ笑い顔のままだ。
「そりゃ、別に構わねぇけど……良いのか?」
 これから先は、必ずしも海や水辺があるとは限らない。しびれクラゲという魔物にとっては、水が無いというのは酷な状況ではないのだろうか。
「私なら平気です。水が無くても生きていけますから」
 エンの懸念を悟ったのか、しびお自らが答えた。どうやら水無しでも平気らしいが、厳しい戦いの中に連れて行けるほどの実力があるのかどうか、ということもあった。
 しかしそれは、ネカルクの言葉によって解消された。
「しびおには多くの世界を学んできて欲しいのだ。その者は、それでも海の主を継ぐ第一候補なのだから=v
 なるほど、それならば真の実力も相当なものだろう、と納得しかけたが、ふと気付く。
「こいつがぁ?!」
 どこからどう見てもただのしびれクラゲにしか見えない。それが海を統べる者になり得るということが、どうしても信じられなかった。見た目で判断するのはよくないとは思うが、この場合は仕方がない。
「これからしばらくお世話になります」
「お、おう……」
 見た目はただのしびれクラゲとはいえ、次期海の主であることを本気で疑っていることを気にも留めず、しびおはぺこりと一礼。どうもマイペースで、この辺りはホイミンに似ているのかもしれないな、とやり取りを見ていたイサは思った。


 その後、エンたちは再び丘に戻り、ウミナリ村の北西の森を進んだ。しびおの話によると、その森の奥に使われない井戸があるらしく、もしかしたらまた空間を移動するための扉の一つかもしれないということでそれを目指すことにしたのだ。
 何故、しびおが井戸のことを知っているのかと訊くと、
「趣味の一環でたまたま見つけました」
 という答えが返ってきた。趣味は何か、というのはまた聞けず終いだったが、深く追求するほどでもない。
 井戸は思ったよりも村から遠く、確かに不思議な井戸であることには間違いないだろうが、暗くなってしまっては探すのも一苦労である。一旦、野宿で一夜を明かし、朝から探索再開ということになり、その日は終わった。
 ウミナリ村でいう魔物は海に関するものらしいが、陸にも魔物が出ないという保証は無いため、エンとラグドが交代で見張りをすることになった。
 先にラグドが軽く睡眠を取ることにし、エンは皆が寝静まった中、揺らめく焚き火の前でときたま思い出したように枝をかき混ぜ火が消えないようにする。
「考え事か?」
 唐突に声をかけられ、一瞬だけエンの肩がびくりと震えた。声をかけたのはラグドである。彼の問いには答えず、エンは聞き返した。
「……交代の時間だっけ」
「いや、ただ少し話をしておきたかっただけだ」
 言うなり、焚き火を挟んでエンの真正面に腰を下ろした。寝ずの番はラグドも慣れているため、軽い睡眠でも役目を果たすことが出来る。そのため、この機会にいろいろと確かめたい事などがあったのだ。
「話って?」
「俺とイサ様のことだ。お前は、俺たちのことをどう見ている?」
 魔界に来てからは慌ただしかったため、ゆっくりと話すことがなかった。エンたちが知っているのは、イサとラグドが四大精霊の風の精霊(ウィーザラー)大地の精霊(ヴァルグラッド)の力を得ていることと、魔王を斃すという目的が同じであるという知識程度。あとは、イサがウィード出身の者ということくらいだ。
「どうって言われてもな……実際どういう関係なんだ?」
  イサとラグドは、エンたちのことを魔書で知っている。同じくして魔書で知りえたというのに、エンは断ったのだ。過去よりも今のほうが大切だ、という理由で。しかし全く知らないというのもこれはこれで問題である。
「イサ様はウィード王家の生残り。俺は、ウィードが誇る『風を守りし大地の騎士団』の騎士団長だった。今は、それも過去のことだがな」
「あぁ……そうか」
 エンは気まずく頬を掻いて目を逸らした。エルマートンに身体を支配されていた時にウィードを滅ぼしているのだから、気にするなと言われても忘れようがない。自分がやったのではないとはいえ、何百人の命が失われた事実が変わりはしないのだから。
「イサ様と俺には、魔王を斃す目的がある。仇討ちという意味が『無い』と言えばそれは嘘になるが、それよりもウィードの――ルビスフィアの平和を第一に考えてのことだ。お前たちにも目的はあるのだろう?」
 問われて、エンは逸らしていた視線を戻した。少しの間ラグドの視線を受けるように彼を真正面から見ていたが、やがてルイナのほうに視線を移す。
「知ってるだろうし、見てるだろうけど……ルイナのやつ、あんまり笑わないだろ」
 ラグドが聞いたことに対して適切な答えではないが、はぐらかせようとしているわけではない。
「エルマートンの精神が植えつけられた時に、共に育った彼女とあらゆる素質が二分割したのであったな」
「なんだ、そこまで知ってるのか」
 魔書はありとあらゆる情報を二人に与えた。それを余すことなく受け止められたのは、やはり精霊の力も作用していたからだろう。
 エンとルイナは、極端に得意分野や素質が違う。その一つが知能であったり、腕力であったりするわけだが、人並みに成長しているためにからっきしというわけでもない。その証拠に、ルイナとて見た目よりも意外に身体能力が豊富である。まあ、エンの賢さについてはあまり言及しないでほしい。
 そして、ある意味では極端に分割されたのが表情である。ルイナにも感情はあるが、それを表に出さないのだ。代わりに、エンは感情がすぐ顔にでるから分かりやすい。
「んでさ、あいつの中の不安を取り除いてやったら、それも治るかもしれないって思ってるんだ」
「ルイナの中の不安……?」
「オレの中のエルマートンは死んだ。でも、ルイナのほうに移った半分のエルマートンは、まだルイナの精神の中に潜んでいるかもしれないんだ」
 魔王を斃す目的――。イサやラグドにとっては、ウィードを守るためだ。城下町は無事なのでまだウィード再建は実現できるだろうが、今までウィードを守っていた死壁風(デスバリアストーム)は消え去ってしまった。平和慣れしてしまっている国民のためにも、魔の根源を叩く必要がある。
 そしてエンとルイナにとっては、大勢の人のためというわけではない。エンはもともと奪われた極聖の宝珠を取り返したいということと、元の世界に戻るために旅をしていたのだ。後者は達成しているが、それに至るまでに、それだけでは終わらないようになってしまっていた。
 勇者ロベルの死を見取り、魔王の陥穽で人生が歪められ、ルイナがいつ似たような状況に置かれるか分からない以上、こちらから攻めるしかないのだ。更に精霊たちから聞いた『世界を滅ぼそうとしている』という事。
 それを阻止するために、そしてルイナの中にいるであろう半分のエルマートンの問題を解決するためにエンたちは戦っている。
「大切にしているのだな、彼女を」
 嫌味でもからかいでもなく、ラグドはふと笑った。だが、その笑みもすぐに消えて、真剣な顔つきに変わる。
「……別の大切な何かと、ルイナ。どちらかしか守れないとしたら、お前はどちらを選ぶ?」
 この質問が、ある意味ではラグドがエンに確かめたかったことだった。
 いつか、どちらかしか選べない時が来るかもしれない。その時、彼はどのような判断を下すのだろうか。
「……そうだなぁ」
 エンは焚き火に視線を落とした。
 炎は、夜風に煽られて揺らめいていた……。


 朝日が辺りを照らし、探索もできるようなった頃合。軽く朝食を取り、さっそく出発した。
「ここです」
 しびおの案内は、出発から半時もかからなかった。目の前には、使われていないであろう古びた井戸がぽつりと置かれている。
「野宿する意味はあったのか?」
 野営地に決めた地点から、そう遠くないことにエンは疑いの視線を向けた。
 確かに、暗くなってからでは見つかりにくい場所にはあるが、野宿の準備時間を探索に費やせば、まだなんとかなっていたかもしれない。
「もちろんです。慣れた土地の最後の夜になるかもしれなかったので」
「あぁ」
 しびおにとっては、これが故郷で最後の夜になるかもしれないのだ。この土地で何か想うこともあっただろう。それに気付いてやれなかったのは悪かったかな、と反省。
「オーブの反応は、どう?」
 一旦イサが井戸を覗き込み、見た目はなんら普通の井戸と変わらないことを確認して、エンとルイナを振り返った。オーブを持っているはエンとルイナだ。オーブが他のオーブのある空間へ導いてくれるなら、何かしらの反応があるはずである。
「光らないなぁ」
 エンの持つレッドオーブは、ミカガミ村の井戸の時と違い沈黙を保っている。
 ブルーオーブの方は――取り出すまでも無い。青色の静かな光が、ルイナの手の中で灯っている。ブルーオーブが反応しているということは、旅の扉が開かれたのだろう。
 レッドオーブの時とは違い、オーブが勝手に旅の扉に向かうということはなく、もしかしたら持ち主の性格が反映しているのかもしれない。
「よし、行くか」
 例え旅の扉が開かれていなくても、下は水である。死にはしないだろう。しかしそんな心配は杞憂であり、エンたちは疑わず井戸の中へ飛び込んだ。もちろん他の三人としびおもそれに従い、井戸へ飛び込む。
 皆の身体が浮遊感に包まれ、意識が遠のき、溢れるイメージは青と銀の奔流。
 それに身を任せていれば、別の土地に――他のオーブがある魔界空間の一つ辿り着くはずだ。はずだった。
 そのはず、だったのだ……。

「あれ? 珍しい所で珍しい奴らに会ったな」

 急激に意識が揺り起こされた。
 それは眠りかけていた頃に耳元で大声を出されたかのように急激で、戸惑うものだ。
「え――!?」
 旅の扉の中でこうも意識がはっきりしたのは初めてである。青色と銀色の渦が絶え間なく流れていくそれはまるで海のようで、それよりも幻想的で美しい。このような状況でなければ、もっとその背景を楽しむことが出来ただろう。
 目の前に立つ――いや、浮かぶ人間が一人。地面という概念がないこの場では、上下左右が分かりづらいが、全員が同じ向きに足があるということで浮いていると錯覚してしまうのだ。
「誰?」
 イサは分からなかったが、エンが明らかに動揺していたので、もしかしたら知り合いだったのかもしれない。それどころか、無表情のルイナでさえ、驚愕した雰囲気だったのだ。
 エンとルイナが驚愕した理由は単純である。外見が、『彼』にそっくりだったのだ。黒い髪、力強い瞳、使命感を帯びた顔つき、そして何より特有の雰囲気。ほんの一瞬だけ見ると『彼』だと思っていただろう。
「ロベル……? いや、違う」
 かつて、ルビスフィアを救ったとされる勇者ロベル。目の前に立ちはだかる者は、彼に似ていた。
「バカな! あいつは!?=v
 エンとルイナよりも戸惑いが大きかったのは、精霊たちだ。これは、四大精霊全員である。
 それぞれが己の中に在る精霊に問いかける前に、彼がくすりと笑った。
「精霊の諸君は久しぶり。その力を得し者たちよ、初めまして。僕の名はロトル=ディアティス。ルビスフィアで英雄として扱われている本人さ」
 精霊たちが驚くのも当たり前だ。三界分戦は古代とも言える時代である。その頃に生きていた人間が、今の時代に、その姿を変えず存在しているわけがない。それはエンたち四人も同じであった。
「三界分戦の……勇者?!」
 信じられるわけがなかった。だが彼の言動そのものが、これは真実であると告げているように感じられる。それほどの自信と威圧感が彼より溢れており、またそれが揺るぎないものである。
「なんでこんな所に?」
 何故、生きているか。そのような質問は意味をなさない。知るべきことはそうではない。知りはしたいが、聞いたところでどうしようもないのだ。何の目的があって、魔界と魔界を繋ぐこの次元空間の通路に現れたのか。それが辿り着く疑問点だ。
「もちろん、魔王ジャルートを斃すためさ」
 そう言ったロトルの瞳は、強く真っ直ぐであった。かつて、エンたちが見た勇者ロベルと同じように。
「じゃあ、味方なのか」
 魔王討伐の目的は同じであり、四大精霊と同じくかつて三界分戦を戦った者の一人だ。その上、四大精霊たちを束ねていた勇者なのだから、仲間になってくれればこれほど心強い味方はそういない。
 だが、ロトルは軽くかぶりを振って、やれやれとため息をついた。
「残念だけど、違う。僕の標的には君達も入っているんだよ、四大精霊(エレメンタル)とその力を得た者たち」
「なに!?」
 途端に寒気が走り、今すぐに逃げ出したい衝動に駆られた。それが恐怖であり、その発生源がロトルの殺気であることに気付くまで、数秒を要した。
「敵の敵は、敵ってことさ。ここで会ったのも何かの縁だし、早々に片付けさせてもらうよ」
 ロトルが片腕を掲げると、一瞬でその周囲に魔力が溜りこんだ。その魔力は膨大で、溜め込むことの出来なかった一部分が激しく放電しては弾けていく。
「こんな所で魔法かよ!」
 旅の扉の中では攻撃的な精霊は存在しないため、どのような精霊魔法でもそこまで威力は高まらないはずだが、ロトルの操る力は限界を知らないかのように強大になっていく。
「僕が使うのは、君たちの精霊魔法とはちょっと違うんだ」
「まさか」
 精霊魔法と違い、今はほとんど失われている、精霊の力を借りず魔力をそのまま変換して放つ魔法――魔術魔法はもともと古代の魔法だ。その頃を生きた勇者が使えても不思議はない。
「だからって、なんだよこれ」
 無意識のうちに泣き出しそうになっていた。あまりの恐ろしさゆえだ。
 イサとラグドは、かつてベンガーナで地獄の雷を呼び寄せる魔法を見たことがあったがそれの比ではなく、エンとルイナはかつてロベルの使っていたギガデインを見たことがあったが、形は似ていてもそこに秘められる威力は全くの別物であった。
「さよなら――ギガデイン=I」
 勇者の雷が、放たれた。
 あまりの威圧感と恐怖に行動が遅れたが、それぞれが何としてでも身を守ろうとする。
 ルイナが水龍の鞭の水でバリアを張ろうとしたが、雷のほんの片鱗が触れただけで水は弾け飛んでしまった。
 エンが『防炎』のF・Sで炎の防御壁を出現させたが、これも一瞬で消え去ってしまった。
 イサが風王鏡塞陣を発動させようにも、あれは風死龍と同じく生成に時間がかかりすぎるため、刹那的な時間でも完成する風魔・鏡影輪を使用した。風の渦が発生し、マホカンタと同様の効果が得られるはずだが、この技でさえロトルのギガデインの前では無駄であった。防いだ時間は一秒にも満たず、風の渦は霧散した。
 ラグドが雷に耐性のある巨大な盾、グレイヴシールドを召還させたが、ギガデインの激しい雷を受けた途端に持つことが出来ない負荷がかかり、手を離してしまった。当然、盾はあらぬ方向へ払われた。
 後はどうすることもできず、各々はギガデインの直撃を受けることとなる。
 肉が焼かれ、骨が砕かれる感覚はなかった。それというのも、激しい衝撃が全身を揺らし、その一撃だけで全員が意識を失ってしまったからだ。それほどまでにギガデインの威力は強大で、旅の扉の次元通路に穴をぽっかりと開けてしまうほどだった。
「もうお終いか。精霊たちも弱くなったものだな」
 皮肉めいた笑いに、反応する者は誰もいない。だが、死に至ったというわけではないようだ。かすかだが生命の気配が残っている。このまま追い討ちをかければ、あっさりと与えられた任務の一つは片付くだろう。
 さきほどのギガデインで次元通路に隙間ができたらしく、その隙間がどこかに繋がっているらしいうえに、乱れた通路を戻そうとあらゆるものを吸引しようとしている。放っておけば、その引力によって四人がばらばらの空間に飛ばされるかもしれない。
 任務には四大精霊の力を得た者たちの抹殺も含まれているので、そうなると探すのが厄介になってしまう。
「ぅ、く……」
 ほんの僅かだった生命の気配が、一つ、また一つと鮮明となっていく。どうやら、さすがに四大精霊の力を得た者たち、と褒めるべきらしい。四大精霊そのものが、魔法に対する抵抗力を高めているのだろう。
「やれやれ、思ったより激しいな」
 ロトルが口惜しげに呟いたのは、次元の回帰のことだ。下手に動こうものなら、自分自身も裂けた空間に引き寄せられてしまう。このような所でギガデインを放ったのは失策であった。
「一人くらいは葬っておくかな」
 それでもまだ彼は余裕を見せていた。それというのも、いくら意識を取り戻したとはいえ、まともに動ける者は一人もいないからだ。体力のあるエンとラグドも、魔法に強い耐性を持っているルイナでさえ、成す術がない。
 そしてロトルが標的に定めたのは、魔法の耐性がそこまで高くなく、護ってくれている精霊の力自身も弱い風の精霊――イサであった。彼女だけは、他の三人と違って未だに意識を取り戻していない。
「イサ、様……」
 痺れる身体と朦朧とする意識を必死に奮い立たせ、ラグドがイサの前に立とうとした。この空間で移動する方法などわからないが、イサを守らなければという一心しかない。
「な……!」
 不意に、イサと逆方向に身体が移動した。自ら行ったのではない。ギガデインにより裂けた次元が元に戻ろうとしているのだ。その際に発生している吸引が、ラグドの身体に及んでいる。踏ん張りの利かないこの場――そもそも足場が無い――で、ラグドはそれに逆らうことができなかった。
「イサ様ぁぁぁぁ!」
 口惜しくも、イサは別の次元の裂け目に吸い込まれようとしているようだ。エンは恐らく、何としてでもルイナのところに行くだろう。故に、イサは自分が守らなければならないのだ――。その想いは届かず、このまま君主が討たれる瞬間を見なければならないのか。
 ラグドの叫び声も虚しく、ロトルが神々しい剣を振り上げ、イサに斬りかかる。
 イサは未だ目を覚まさず、今さら覚ました所でどうしようもないほどの距離になっていた。
「――!」
 声にならない声。それに続いたのは、高い金属音だった。
「へぇ?」
 無防備だったイサを守ったのは、エンだ。移動の仕方がわからないこの空間で、彼は火龍の斧の力を信じていた。『必中』のF・Sは標的に必ず命中する力を秘めているため、狙い通り一瞬でイサとロトルの間に割り込むことが出来た。
「エン……?!」
 ふと、昨夜の会話が思い出された。
 ルイナか、別の何かどちらか一つしか守れない時、どうするか――。この問いかけに対し、彼はこう答えた。

 ――……そうだなぁ、どっちかしか守れないなら、手の届く方かな。それに、ルイナはああ見えて強いんだ。オレが守ることもねぇよ――

 エンがロトルの攻撃を防いだ反動で、イサもろとも吹き飛ばされる。ラグドとはまた違う次元の裂け目に吸い込まれているのだ。その裂け目に吸い込まれていくのを見て、ある意味では安堵した。エンと一緒ならば、大丈夫だろう。そう思った途端に、ラグドも裂け目に吸い込まれ、従来の旅の扉を潜る時と同じく意識が遠のいた。


「逃がしたか」
 せっかくの機会を潰してしまったことに、ロトルは憮然とした顔で不満そうに呟いた。極端にバラバラになったというわけではないが、探すのは少し面倒になりそうだ。その労力を考えると、やはり先ほどで全て決着させればよかったと思ってしまう。
炎の精霊(メイテオギル)風の精霊(ウィーザラー)が同じ場所だったな。それに……あのしびれクラゲ」
 憮然としている理由の一つに、あの四人と一緒にいたしびれクラゲが入っている。
 それというのも、ギガデインを放った時、あのような者は存在していなかった。いや、確かにそこに『いた』のだが、認識できなかった。二人が次元の裂け目に飲まれると時、しびれくらげが混じっていたのを見て、ようやく気付いたのだ。
「何者だ、あいつは」
 自問して答えが返ってくるがわけがない。推測はできても、それが真実にはならないのだ。
「……優先目標が決まったな」
 ふ、と笑い。ロトルは、エンとイサとしびおが消えていった方向を見定めた。


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