59.夜中遭遇(よるにであう)


「オイラを殺すつもりだったでしょ、絶対!!」
 馬が止まったと分かった途端に男が声を荒げた。
「そのような気は微塵もない」
「だからって理由も言わずにいきなり疾走させないでよ。馬に乗るのが苦手な上にこんなことされちゃ心臓麻痺で死んじゃう!!」
「生きているではないか」
「はいはいそーですね……って、なにこの人たち?」
 ようやく男がこちらに意識を向けてきた。しかしなにと言われても、イサたちはどう返事をしてよいものか迷いものだ。
「貴女は……」
 騎士のほうが馬から下り、何か驚いたような顔でイサにずいずいと近寄った。
「え〜と……?」
 いきなり迫られ、間近で見ると綺麗な人だなという場違いな印象をイサは持ち、次いでもしかしたら女性なのではないかと考えた。男装しているが、同じ女のイサは何となくそう思い、それが正解であることを疑っていない。
 だが今は相手の性別よりも、相手の行動である。
 上から下までまじまじとイサを見つめながら顎に手をあて、ふむとその騎士は唸った。
「小さすぎるな」
「ちょぉ――!」
 気にしていることを初対面の人にあっさり言われ、イサは奇声を発した。
「し、失礼した! 探している人物と貴女があまりにも似ていたために……」
 狼狽した騎士とイサの間にムーナが割って入る。
「その探している人って、リアッカ=ベル=ウィン=ウィード女王のことかい?」
「「「「なっ!?」」」」
 四人くらいの声が重なった。イサと、騎士と、男と、ラグドである。その他はいつも通り、リィダは首を捻って、キラパンは欠伸を一つ。ホイミンはアハハ〜としているだけである。
「どういうこと? ムーナ」
「どういうことだ、ムーナ」
「貴様! 何故それを知っている?」
「ていうか、え? 王様じゃなくて女王様だったの?」
 イサ、ラグド、騎士、男の順である。
「そんな四人同時に聞かれても答えられないよ」
「オイラはキュア騎士団長に聞いたんだけどー」
 どうやら騎士のほうはキュアというのが名前らしい、というのは今の会話でイサたちは理解した。
「えーと落ち着いて。んとねぃ、アタイがさっき城下町で仕入れてた情報の一つにね。信憑性がないけど『女王様が攫われた』っていうのがあったの。確実な情報じゃないから話してなかったけど、その人――キュアさんだっけ。その人の言葉からして、ああこりゃ本当だったかなって思ってね」
「でも、今のだけでわかるものなの?」
 キュア騎士団長は探している人物と似ていると言っただけだ。その一言で決めていいものかどうかは怪しいものだ。
「それなんだけどね。この時代の統率者リアッカは、イサにそっくりなの。肖像画、見たこと無い?」
「無い……」
「ま、普通はないだろうねぃ。アタイだって、風地戦争の記録を研究してる時にちらっと見ただけだし。そん時に、ああこりゃイサそっくりだなって印象があったから根強く残ってたんだけどね」
「なるほど。イサ様を城下町に行かせなかったのはその為か」
 ラグドの言葉にムーナは頷いた。この時代の王と見た感じ似ているのだから余計な混乱を生むかもしれない。それを考慮してのことだったのだ。現に、キュア騎士団長もじっくりと眺めやるまでまさかと思っていたくらいだ。
「貴公ら、何者だ」
「とりあえず敵じゃない、ってことは言っておこうか」
 ムーナの言葉をとりあえず信じたのか、キュア騎士団長はそれ以上身分の追及をしなかった。
 次いで、ザルラーバ兵たちの残骸――鎧や兜に目がとまる。
「ザルラーバの既死兵を倒したのか?!」
「きしへい?」
 イサが首を傾げたが、もちろん先ほど襲ってきたザルラーバ兵たちのことだろう。しかし名称があるとは思っていなかったし、先ほどの異質なものが記録に残っていないのはおかしい。何か理由があって抹消したのか、ムーナがそこまで突き止められなかったのか、もしくはレイゼンが何か関係しているのかもしれず、それが最も有力ではある。
「オイラがつけたんだ。既に死んでいる兵ってのと、騎士を掛け合わせてね」
「変なネーミングセンスだねぃ」
「それキュア騎士団長にも言われたー」
 あははー、と軽率に笑う姿はどことなくホイミンを彷彿させた。二人並ぶと何とも絶妙なコンビになりかねない。
 それにしても、非難したキュア騎士団長が既死兵の名を使っていることから、否定する気はないようだ。
「っと、言い忘れていた。オイラはラックス、君達の名前も教えて欲しいな」
 名乗られたからには名乗るしかあるまい。
 もちろんイサはウィードが入っているフルネームのことまでは言わない。
 魔物――ホイミンが喋っているのにも、警戒したのはキュア騎士団長だけでラックスはにこやかに握手を求め、ホイミンは触手の一本でそれに応えた。キラパンの時はホイミンのおかげで多少は理解してくれたのかキュア騎士団長もそこまで警戒することもなく――代わりに本当に大丈夫だろうな、という疑惑が出てきたようだが――、各々の自己紹介を終えた。
「名前だけでもわかったところで、さっそくお願いがあるんだけど」
 と切り出したのはラックスだ。
「お願い?」
「うん。ちょっとね」


 ウィード城の構造は、大まかな所はイサ達の記憶している点とさして変わり無い。恐らく風地戦争後に増築したのであって、ベースは今のままなのだろう。
「似てる、ね」
 飾ってあるリアッカの肖像画を見て、イサは不思議な感じがしていた。
「似ていますね」
 ラグドもイサの感想に賛成のようだ。
「似てるっすね」
「似てる似てる〜〜♪」
 リィダとホイミンも同じだ。キラパンは、いつものように欠伸――のどころかすやすや眠っているではないか。
 肖像画に描かれているリアッカ=ベル=ウィン=ウィードは、イサが髪を伸ばして二、三年もしたらそっくりになるのではないかと思われる。違いと言えば、経験や責任の重さから来る貫禄と、それから上半身のみ描かれていても分かるほどの身長差があった。キュア騎士団長が「小さすぎる」と言ったのも無理はないことだ。
 もしリアッカに子供がいたとしたら、それこそイサがあてはまるだろう。子孫なのだからある意味では血が繋がっているはずだが、さすがに親子にはなれない。
 ラックスとキュア騎士団長に連れられて来たのはウィード城である。イサは遠目から見るとリアッカと間違えられるかもしれないからフードで顔を隠し、ラグドも下手をするとザルラーバ兵に間違えられるかもしれないということで鎧を脱いでいる。
 ラックスは『お願い』の内容を明確にしないままムーナのみを会議室らしき場所に連れて行き、他の面々は目立たないようにその辺をうろうろしていた。その時に肖像画を見つけて眺めていたのだが、どうやら話が終わったらしく扉が開いた。
 最初に出てきたのはムーナで、不機嫌と言うかげんなりとした顔だ。いつのもの笑顔に憑き物が纏わりついているような。
「大丈夫?」
 と、イサが心配になって声をかけてみると、ムーナは無言で何度もこくこくと頷いた。
「とりあえず、部屋に行こう」
 突発的に出た彼女の言葉には、同意しかねる。
「部屋って……どこ?」
 ムーナは答えずふらふらと歩き出し、イサとリィダが慌ててそれを追った。さらにそれをホイミンと寝起きのキラパンがのそのそとついて行く。
 さてどうしようかと躊躇ったラグドは、後から出てきた二人と鉢合わせすることになり、そのときに気付いたことは、ラックスが円満の笑みを浮かべ、キュア騎士団長は難しい顔でラックスを睨んでいたことだ。
「何を話したのです?」
 形としては客人扱いになっているし、長い目で見ればウィードのご先祖達である。言葉がつい畏まってしまった。
「べっつにぃ〜。ちょっと参戦協力を申し出てくれるか交渉しただけだよ」
「あれは交渉ではない。詐欺だっただろう」
 キュア騎士団長が横槍を入れて、ラックスはそれでも気軽に笑う。
「いやぁ、はっは。話の分かってくれる人でよかったよ。んじゃあオイラは別の仕事があるから、あの子から聞いておいてね」
 そう言ってラックスはふらりと行ってしまった。ラックスを放っておいたら何をしでかすか心配なのか、つい先ほど出会ったばかりのラグドたちよりも優先的にキュア騎士団長は彼を追う。
 よほど信頼されているのか、それともわざとであるのか、知る術はない。
 そして、イサたちがウィード城に入る時、門兵にキュア騎士団長は「新しい部下だ」とラックスを連れてきた時と同じ口上であったことも、知ることはなかったのである。


 ムーナの云う『部屋』とは客室のことだったらしく、勝手に入っていいものなのかとイサが考えるより先に、ムーナが遠慮せず扉を開けて中に入り、ソファにダイブした。
「疲れたぁ……」
「何があったの?」
「それがさ、あのラックスって奴がさ――」
 ソファにうつ伏せになったままなので声が聞き取りにくいが、いじけているようだ、ということはわかった。
「うわー! どうしたんすか姐御――!!」
 後から入ってきたリィダからすれば、ムーナがソファに倒れ込んでしまった光景に見えても当たり前のことで、そのまま勘違いしてムーナが死んでしまうのではないかという発想に繋がったのも――当然とは言い難いがリィダなら有り得ることだ。
「姐御ぉぉ! 死んじゃダメっすーーー!」
 という言葉から、ちょっとした騒動に発展しかけたのだが、ムーナが起き上がって、
「バカなこと言うんじゃないよ」
 と、小突いたため、ラグドが追いついて来た頃には、ムーナが先ほどの話をしようとしていた。

「最初はね、ただの質問だったのさ」
 質問というよりも尋問のようだったが、その内容が問題だった。別に難しいとか、答えたくないようなものであったのではない。簡単すぎたのだ。
「全部イエスかノーかで答えてくれって言われたんだけどねぃ」
 全てがイエスになるような質問であった。例えば、「君は女性だよね」とか「ここがウィード城ってことは知ってるよね」などなど。全ての質問内容が異なれば、それはそれで退屈しないかもしれないが、途中から同じ質問を繰り返し始めたのだ。
 それが三巡か四巡ほどした辺りだろうか、ムーナもうんざりして、機械的に「うん」という言葉を返すだけになっていた。
 何となくラックスの後ろに控えていたキュア騎士団長を見やったりもしたが、どうやら彼女もラックスの行動の真意がつかめずにうろたえているようでもあったし、同じことを繰り返しているのに苛ついているのだろう。
 そしてとうとう五巡はしたのではないかと思った頃、それは起きた。
 何でもない質問の一つの間に、ラックスは割り込ませたのだ。
「明日ザルラーバと戦をするけど協力してくれるよね?」
 質問が来たら全て「うん」と答えていたムーナは、当然これにも「うん」と答え、了承してしまったのだ。
 しまった、と思っても後の祭り。
 残りは一気に状況を説明されて、やってほしいことなどを伝えられ、そこで話は終了となった……。
「思い出しただけで腹立つよ」
 ムーナにはこの場にラックスがいたら殴り倒しかねない気迫を感じた。
「しかし、状況がわからないまま森で待機するよりはよかったではないか」
 ラグドの言う通り、状況が把握できるし、堂々と行動できるというのもありがたい。
「あんなねちねちした交渉方法させられなくても、ちゃんと協力申し出てたさ」
「うん、信用されてないのは当然かもしれないけど。いきなりそんな方法ってないよね」
「違うよ」
 イサの言葉を、ムーナは否定した。
「アタイはねぃ、あんな手段に引っ掛かっちまったことが悔しいの!!」
「あ、そう……」
 ムーナの(妙な)プライドの問題だったらしい。
「過ぎたことは仕方ないだろう。それで、明日はどうするのだ?」
「それがさぁ、アタイらは結構好き勝手にやっていいらしいよ」
「なにそれ」
「既死兵の数を少しでも減らすとありがたいんだとさ」
 ラックスの話では、現在の『風の騎士団』では既死兵に対抗できる人間はかなり限られているという。そのため、既死兵を倒せるイサたちは自由に行動して、なるべく多くの既死兵を倒してほしいとのことだ。
「勝算はあるのだろうか?」
「はっきり言って、現状では『無し』だね」
 と、予想ですらなく本当にはっきりと言った。
「本来、ウィードが勝つ条件として『ザルラーバの情報』と『捕虜』と『リアッカの存在』が必要不可欠なのさ」
「どういうこと?」
 ムーナが調べた歴史と、ラックスの話を統合するとそういう結果に落ち着くらしい。軍隊の実力的には『風の騎士団』の方が劣っており、それを覆したのが三つの条件だったのだ。
 ザルラーバの情報はもちろんのこと、捕虜は敵国の騎士団長でありウィードに協力を申し出て、そこからリアッカ女王の『言霊』で士気を鼓舞することで勝利を収めた、というのが正しい歴史である。
 しかしザルラーバの情報はあるものの、捕虜は取り戻され、リアッカは攫われて行方不明になっている。その上、相手には既死兵もいるのだ。これではザルラーバに勝つことは出来ない。
「大丈夫なのかな」
「さあねぃ」
 性質の悪い野盗討伐などは行ったことがあるが、本格的な戦となると初めてである。
「王族の『言霊』がないのとあるのとじゃ、かなり差が激しいからね」
「あのぉ〜」
 ムーナがおずおずと手をあげた。
「なんだい?」
「その『言霊』ってウチが使うのと同じものなんすか?」
「あ、説明してなかったね。この時代の王族は、魔物使いが魔物に使うものと似て非なる『言霊』を使うことができるのさ。つまりアンタの『言霊』とは全く同一じゃないの。対象はもちろん人間でさ、王が戦場で兵士たちを鼓舞することで、皆は通常以上の力を発揮する……。地域によっては、後に『精霊を支配する力』に変わっているらしいね」
 もちろんその地域はウィードである。
「『言霊』かぁ……。ねぇ、それ私が使えないかな? リアッカ女王の代わりにさ」
 イサが申し出たが、すぐにムーナは首を振った。
「ウィードの王族だから、この時代では『言霊』が発揮できると思うけど、ダメなんだよ」
「どうして?」
「『言霊』が使えるのは戴冠式を受けて王になったものだけ。つまり満十五歳以上で、儀式を受けた王族のみが使えるの。イサはまだ十五歳でもなければ、儀式も受けてないでしょ。発動しないよ」
 つまんないの、とイサはふてくされたが、思ったよりも事態は深刻になっているらしい。
「やはり、歴史が変わっているのか」
「そうらしいね。ともかく、アタイらの時代にウィードを存続させるためにも、明日の戦はウィードの勝利でないとダメだ。要はもちろんリアッカ救出。その件はラックスに任せるとして、アタイらは既死兵をどんどん倒すよ」
 とりあえずそこで話は終わり、ということで明日に備えて眠ることにした。
 男女別の部屋があるらしく、男三人(正確には一人と二匹)は隣室に追い出された。

 ラグドとホイミンとキラパンが部屋を退出したのを見送って、ムーナは欠伸をかみ殺した。
「寝つきがよくなるように、ちょいと散歩してくるよ」
 イサやリィダが一緒に行く、と申し出る前にムーナはさっさと外に出てしまった。
 何となく様子がおかしく見えたのは、気のせいだろうか……。


 こちらでも欠伸をかみ殺していた。寝ずの作業は慣れているものの、それは自分の本業をしている時に限り、ラックスの本業は軍師ではない。それでも、捕虜から得たという情報を元に、効果的な作戦を『風の騎士団』の部隊ごとにまとめあげている。
 キュア騎士団長も協力しつつ、内容に目を通し、添削を加えていく。しかし添削する以前に、ラックスはほぼ完璧な作戦を練ってあるので、添削する部分は少ない。
 ラックスがやっている作業は、本来ならばキュア騎士団長がやるべきことなのだが、考案の速度も精密さも、遥かに彼のほうが上回っていた。
「疲れているな」
 新たな書類に目を通しながら、ザルラーバの情報と照らし合わせている時にラックスがため息をついたので、キュア騎士団長は声をかけた。
「当たり前でしょー。オイラ、武器造りに行ったほうがよかったと思ってるよ」
 と言いつつも、ラックスは羊皮紙にまた書き込んでいく。それぞれの作戦は簡潔にまとめてあり、どの部隊がどの相手にどう戦うが記載されている。読んで理解するだけならば、数分も要しないものばかりで、明日の戦の前にそれぞれの部隊長に渡すことになっている。
 どれも想定訓練ができないことを前提に、その場で可能かつ最大限の有利に持ち込めるものだ。
「お前は本当に鍛冶師なのか? 軍師になれば、贅沢な暮らしもできるだろう」
「……オイラはオイラの夢を追いかけたいから」
 答えの前に微妙な間があったが、キュア騎士団長は、そうか、としか言わなかった。
 ラックスも自分から何も言う気はないのか、黙々と作業を続けた。常備されている笑顔にも、はっきりと疲れが見て取れる。
「…………どうして」
 言いかけて、キュア騎士団長は口を噤んだ。続きを言ってしまうのが、傲慢に思えてしまったからだ。

 ――どうして、そこまでウィードを助けてくれようとする。

 出会った頃に似た質問をした時、彼は一飯の礼になった相手を助けたいと言っていた。だがそれだけでここまでするものだろうか。軽薄な言動から見ると、不気味なくらい――といってはラックスに失礼だろう。
「(どうして、ねぇ……)」
 ラックスは当然、キュア騎士団長が言いかけた続きに気付いていた。
 自分でさえ、どうしてここまでやっているのか不思議なくらいだ。理由がわからない。
 それともわからないふりをしていて、本当はわかっているのではないだろうか。
 だからなんとなく、キュア騎士団長を見やった。彼女は先ほどの失言のためか、俯いて書類に目を通している。
「(……言ったら怒るかな)」
 怒るだろうな、と考え直し、改めて作戦を練りこむことに集中した。

 ――惚れた人のためならば何とでも、ってね。――


 この時代のウィード城は、自分たちのいた時代のものと比べるとやけに小さい。それでも、増築されていない部分は大幅には変わっていないので、見覚えのある構造はだいたい同じである。
 だから、なんとなく散歩しているつもりでも、妙な気分になってしまう。現代では、ウィード城は崩壊しているのだから、それも当然かもしれない。
 ラックスから城の中は自由に行動していいと言われたので、その言葉に従ってムーナは適当にウロウロしていた。
 ただ、無意識のうちに露台(バルコニー)へ出ていた時は少々驚いた。
「星さえ見えないなんて、嫌な空だねぃ」
 夜空は曇っていた。まるで未来に雲がかかっているかのように。
 明日は朝日が昇る頃合に兵士は平野へと移動し、戦は真昼に開戦される。
 ウィードの陣地には砦が一つあり、そこを突破されれば負けは必至。逆にウィードがザルラーバの砦を突破し、敵の将を討つことができれば勝利は可能だろう。
 戦力的にウィードは不利であり、『言霊』がないのも辛い。それに対して、ザルラーバは既死兵という思わぬ戦力投入。そしてザルラーバ王は『言霊』を使ってくるに違いない。効果的な作戦でカバーできるほど、この戦力差は優しくはない。
「まったく、どうなっているんだか……」
 どこでどう歴史の歯車がずれたのだろうか。考えられるのは、あのレイゼンとかいう老騎士だが、原因の解明よりも優先させるべきは歴史を正史の軌道に乗せることだ。
 一陣の風が過ぎ去った。
 やけに湿っぽく、これまた嫌な風だ、と顔をしかめたムーナは、次に呆然と立ち尽くした。
 いつ間にそこにいたのだろう。バルコニーの手すりの上に、奇妙に器用に、老騎士レイゼンが立っていた……。

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