57.古老騎士(レイゼン)
(後編)
-彼は復讐鬼となり歴史を変える。-


 目を開けばその瞬間は脳裏に焼き付き、目を瞑ればその映像は瞼の裏側に張り付いている……。
 グランエイス戴冠式。その当日に、パトリックス王は初めてセルディウス王子に笑顔を見せた。王子が生まれてこの方、彼は息子に向かって笑いかけたことなどなかったのだ。子が生まれたという吉報でさえ、まずは男女どちらかを答えよと苦渋の表情であり、男の子ですと聞かされたからには笑顔になるはずもなかった。
 それが、戴冠式にして王子の成人式でもあるその日は、笑っていた。あくまで穏やかに、まだ王になる前のような純粋な笑みであった。――ように見えたのは、少々レイゼン自身が浮かれていたからかもしれない。
 そんなはずはなかった。パトリックスがセルディウスに純粋な気持ちで笑顔を向けるなど、天地がひっくり返っても有り得はしない。何かしらの下心があるに決まっている。それに気付いていれば、あるいはグランエイスは滅びていなかったかもしれぬ。
 セルディウス王子はパトリックスから盃を貰い、それに誓い立てを行い、飲み干すことで戴冠の儀は終了すると共に成人として認められる。パトリックスが引退するか何かの原因でいなくなれば、いつでも王位継承が可能となるのだ。
 その盃を飲み干し、セルディウスは皆から祝福の証として拍手の喝采を貰った。神聖な儀式に口笛を吹いて賞賛を表すものもいたが、特に咎める気もしなかった。それを許せるほど、この事実はめでたいことなのだから。

 だが――。

 その数秒後、皆は静まり返った。あまりの驚きに、唐突な出来事に。
 セルディウス王子がその場に崩れ落ち、大量の血を吐いたのを目の当たりにしてすぐに動けるものはいなかった。時が止まったかのように、皆が直前の動作のまま固まってしまった。だからといっても、パトリックスも笑みのまま固まってしまったというのは有り得ない事だ。彼は確かにセルディウスが倒れたことに対して笑っていた。
 見せ掛けの純粋な笑みどころか、禁忌を犯してまで達成した悦びに浸る笑み――邪笑に近い。
 あのパトリックス王の顔も、セルディウス王子が倒れる瞬間も。今も尚、この目に焼き付き、脳裏に張り付いている……。


 喪章(死者を悼む証として騎士がつける黒腕章)を右腕につけたレイゼンは、宿舎から見えるグランエイスを一望していた。
「ひどいことになったものだ……」
 今は昼であるのに、砂漠の国は鉛色の雲に覆われたかのようであった。
 人通りに人はおらず、いたとしても荒くれ者や無法者ばかり。そのような輩を捕らえるのも騎士団虹の天翔翼≠フ仕事ではあるのだが、それをしたところで何の意味もない。守るべき秩序の象徴たるものが存在しないのだから、正義を振りかざそうにもその正義そのものがない。
 セルディウスの盃には毒が盛られていた。
 必死の看病も虚しく、王子は息を引き取ったのだ。その報告が齎したのは、破滅であった。
 パトリックスは「これは蛮族の仕業である」との一点張りであるが、誰がそれに賛同するものか。王子は蛮族にさえ一目を置かれる存在となっていた。蛮族、といっても野蛮族のことではない。確かに粗暴な輩が少なくはないが、主にグランエイスへ反乱の旗を掲げている諸小国たちのことを総合して指しているのだ。彼らは彼ら也の国意識がある。ただの群である蛮族もあるが、専らはそれだ。
 そしてセルディウスが王になった暁には敵対行動を中止し、グランエイス従属の意思さえあるという蛮族のほとんどであるのだ。尚反対するような者たちでも、わざわざ城に忍び込み毒を仕込むほどグランエイスを陥れようとはしてこない。
 故に、蛮族の仕業であるはずがないのだ。そしてパトリックスがセルディウスを快く思っていないというのは周知の事実。
そして彼は「ならば妾腹の王女を女王としてあげようではないか」と涙を流さずに言った。これが王子逝去の知らせを聞いた時の第一声なのだから疑いは確実のものとなった。

 結果――。グランエイスは荒れてしまっていた。

 保っていた法は守られず、通りを歩けば襲われるのは当たり前。特に女性は男装でもしないと外を出歩くことすらままならない。だからと言って家に閉じこもっていても、その家に押し入る輩もいるのだからどうしようもない。
 治安を維持すべき騎士団の大半は、もういない。むしろ、騎士団と名乗れるほどの数ではない。そのほとんどが国を離れ、蛮族と共にグランエイスを滅ぼすことを選んだのだ。
 そこまで人望の厚かったセルディウス王子も中々のものだが、それを死に至らせたパトリックスもある意味では予想外であり人並みはずれているともと云える。
 レイゼンの言葉通り、ひどいことになったものだ。
「レイゼン……」
 呼ばれて振り返ると、そこには苦虫を噛み潰したような顔をしているアナバの姿があった。
「なんだ」
「蛮族たちがそろそろ仕掛けてくる。我々の騎士団だった者たちを引き連れて、な」
「よく知っているな」
「奇襲をかけるまでもないほどの圧倒的戦力だ。そして、堂々と戦を申し込んできた辺り、この戦いで決着させるらしい」
「……それが、よいのかもしれんな」
 希望を失ったグランエイス。
 道標としての光が失われ、闇となったこの地域は蛮族たちのほうがよほど社会的である。ならば、グランエイス自体が滅び、蛮族側の何者かが新たな社会を作れば、少なくとも今の廃れた状態よりはマシに思えるだろう。
 王子の死という一つの事実が、これほどまでにグランエイスを貶めるとはパトリックスはもちろんのことセルディウス自身も思っていなかったに違いない。
「此度の戦い、パトリックス王御自らが出陣なさるそうだ」
「……これは笑い種だ。騎士団の状態も把握していないのだな」
 蛮族との戦ができるほど、騎士団に人間は残っていない。それどころか両手で数えるほどの人数しかいないのだ。
 それでも出陣するということは、何も知らないのだろう。あくまで己の考え通りの――民や騎士団の皆はセルディウス毒殺の犯人が蛮族であるという王の言葉を信じ、蛮族に対する士気があがっているという――状況になっていると疑っていない。
 この時代、ほとんどの王族は『言霊』を扱う能力を有していた。魔物使いが魔物に使うものと似て非なるもので、全く同一というわけではない。対象はもちろん人間であり、王が戦場にでて兵士たちを鼓舞することで、皆は通常以上の力を発揮できる。これは地域によっては、後に『精霊を支配する力』に変わっている。
 パトリックスは今の今まで一度も使った事はなかったが――戦場に出ることをしなかったのである――、その能力は確かに存在しているものだ。それを用いて蛮族との戦いに終止符を打ち、デザラウト全てを領土にしようと目論んでいるに違いない。
「本当に、ひどいことになったものだ」
 窓から城を遠望し、レイゼンは独り言を繰り返してアナバに聞かせた。
「……そうだな」
 同意するアナバの表情が暗くなる。これから先のグランエイスを思ってのことだけではないように思えたのは、気のせいではなかったのだ……。

 それからの経緯はごく当然の如きで、まさに予想通りの結末となった。
 レイゼンとアナバも早々に見切りをつけ、国を離れた。
 グランエイスを一望できる砂丘から、グランエイス城が崩れ落ちてゆく様を見守りつつ、ああ遂にこの時が来たかと悔やみ、王の暴挙を止められなかった自分を歯がゆく感じた。
 その悔やみが別の感情に変わったのは、アナバの一言である。
「レイゼン……お前だけには話しておきたい。もう全てが終わった後だが……いや、だからこそ、自分の罪を聞いて欲しい」
「王子を守りきれなかったことは我輩も同罪だ」
「違う……違うんだ」
 悲壮な表情で否定したアナバ。違うならば何だ、とレイゼンは問い詰めた。
「王子は……死んではいなかった」
 レイゼンは目を見開き、アナバは目を伏せた。
「なん、だと……?」
「生死を彷徨っていたが、なんとか一命を取り留めたのだ」
 レイゼンは無意識のうちに震えた。それが怒りのためか、それとも歓喜のためか、恐らく前者であることは間違いない。
「ならば! 何故、王子生存を報告しなかった!!!」
「聞いてくれ! 王子は毒の影響で記憶を失っていたんだ!」
「それがどうしたぁぁぁ!!!」
 レイゼンの怒鳴りに対抗してアナバも声を張り上げたが、レイゼンは更に大きな音量でアナバに喰らいついた。
「俺は……」
 涙を目に浮かべながら、アナバは搾り出すように答えた。
「パトリックス王から王子の教育係を任された。パトリックス王が王子を気に入らぬ故の行動であったとしても、俺はその任務を全うしていた」
「そうだ! 貴様の元で育った王子はグランエイスの希望であったのだ」
「俺はいつしか、王子を本当の息子のように思っていた。妻子のいない俺に、神が恵んでくださった宝だ。それが、実の父親に裏切られた挙句に記憶を失ったのだぞ。俺にはもうセルディウス(,,,,,,,,,,,,)を王家に束縛させたくはなかったんだ! 一人の父親として、平穏な暮らしを送って貰いたかったんだ。記憶をなくした今ならば新しい人生を歩むことができる。だから、だから俺は――!」
 一気に捲くし立てていたが、その言葉が途切れた瞬間にレイゼンはアナバの胸倉を掴んだ。
「貴様の下らぬ一個人の感情で一国を滅ぼしたのだぞ!!」
 血を吐きそうなほどの怒声は、アナバさえを竦ませた。
「尊ぶべきは国の行く末! 観ろ! 今のこの結果が、貴様が招いた結末だ!!」
 王子生存の事実があれば、国が荒れることはなかった。滅ぶ事もなかった。
 そして――。
「王子を何処へやった」
「……遥か北、『星霊山』に住まう星の精霊に願った。国の王位のいざこざなどで争わずに済む安全な時代へ送ってくれ、と」
「…………」
 レイゼンはアナバを突き放し、無言で使い古した槍の先端をアナバに向けた。
「槍を持てアナバ。我輩と戦い、その命を持って罪を償え」
「待ってくれレイゼン。お前だけは、わかってくれると信じている。急な話だからすまないとは思っているが――」
「槍を持て」
 先ほどの激情が信じられぬほどの静かな声。逆に不気味であり、アナバはレイゼンが本気である事を悟った。
「『お前だけはわかっていると信じている』だと? ふざけた事を言うようになったものだな。ならば何故、王子生存を我輩に隠した。その時点で信頼関係など崩れておるわ」
 このままでは殺されてしまうのは火を見るより明らかなため、アナバも槍を持ってレイゼンに向かい立つ。防衛のためと言い聞かせても、実際に戦うとなれば油断は出来ない相手ではあるし、本気でかからないと命を落とすことになるだろう。この命を持っての断罪であるのだから当然だが、アナバはまだ死にたくなかった。
 いずれセルディウスの後を追いかけ、その時代で平穏に暮らすこと。それを望んでいたからだ。
「行くぞ!」
 レイゼンが動く。
「レイゼン!!」
 アナバは彼の名を叫び、あくまで自らを守るように防御の構えを取った。だが――。
「この一撃の重さ、民たちの嘆きと知れ!!」
「っ!!」
 ただの一撃。防御の構えは虚しく効果が発揮されず、レイゼンの槍はアナバを貫いた。
「れ、い……ぜんんん……」
 地に伏し、そこから溢れ出る血は大地を赤く染め上げた。
「最期に言い遺すことはあるか」
「――俺のことは、いくら、恨んでもいい。だが、だが――」
 最期の力を振り絞り、アナバは手を伸ばした。
「王子を、許して、やってくれ――!」
 言い切ると同時に伸ばした手は崩れ、目から生気も消えた。
 アナバは死んでしまった。
「…………その遺言、我輩は王子の後を追って決める事としよう」
 もしその偉大な器から一国を預かる身となっていれば、聞き届けることはできただろう。

 嗚呼しかし。

 星霊山に辿り着き、星の精霊に出会い、セルディウス王子と同じ時代に飛んだまではよかったが、そこからは苦難の連続だった。同じ時代、という指定しかしなかったのがまずかったのか、辿り着いた先は微かにグランエイスの面影を残した砂漠であったのだ。星の位置さえ変わっているために己の立ち位置でさえ把握の困難を極め、またセルディウス一人を探し出すのも容易なことではない。
 だがグランエイスに生きた者同士で惹かれあうのか、年月こそかかったものの、遂に見つけ出す事ができた。
 ウィードの国を治めるほどの地位にいるのならばよかったものの、その男は風国の『風を守りし大地の騎士団』の騎士団団長という、見方を変えればアナバと同じ地位にいるだけで満足していた。
 長年の苦労は何だったのだろう。
 セルディウス王子が一国を治める国王になっていれば、という希望を支えに旅を続けたというのに。


 ――そこでレイゼンは目を覚ました。
 希望から絶望に変わり、そして憎悪に変わる映像は眠りにつくたびに夢として再現される。
 その度に憎しみの炎を灯し、その焔はセルディウスに――現在はラグドと名乗っている男を制裁しなければ収まらない。
 強い憎しみは魔を呼び寄せる。
 最初に出会ったのは『死神』を名乗る青年であった。それが魔のものであるかは定かではないが、人間でないのは一目瞭然であり、レイゼンにとって取るに足らないことだ。『死神』はこれから何が起きるかを一通り話し、信じるか否かは任せると云ってそれきりである。
 信じるか信じないかという言葉ではなく、その情報が真実であるならば、とレイゼンは行動に移す。
 ベンガーナでは、悪魔神官アントリアに目をつけられ、ウィードの歴史の詳細を知る代わりに協力することになった。そこでラグドと出会ったのは偶然としか言えなかったが、目に見えぬ必然であったのかもしれない。
 軍事国家に保管されている資料は、自国にすら残っていない戦いの歴史も事細かく残されていた。ウィードの事を調べていても、やはり故郷(グランエイス)のことが気になりついでに調べてみると、やはり滅びたのだという事実を改めて知ることしかなかった。
 軍事国家ベンガーナは用済みとなり、悪魔神官も風国の王女に倒されたので次は東に渡った。
 魔道国家エシルリム。そこで霊魔将軍ネクロゼイムに目を付けられ、協力する代わりにありとあらゆる魔法物を譲り受けた。
ここでまたラグドと会うことになったのだから、皮肉な因縁であったのものだ。
 だが決着させる場所としては相応しくない。普通に戦えば殺してしまう。それでは駄目なのだ。エシルリムを去るころにはネクロゼイムも死んでいた。  既に用済みとなった後なので、特に悔やみはない。
 ――そして機は熟したのだ。


 ザルラーバ城、玉座の間。
 豪奢な服装で威厳を保っている男は、その顔もある意味豪奢で、遠目から見れば髭だけで顔ができているように見えてしまうのではなかろうか。
 その男の視線の先には、周囲の『地の騎士団』とは別の鎧を着ている、老齢の騎士が一人。
「全くもって不思議なヤツだ。唐突に現れ、戦に勝ちたければ協力させろ、だと?」
 外見とは裏腹の、威厳の欠片もない傲慢でしかないその声は、どのような台詞を喋っても厭味にしか聞こえない。
「言いたい事は山ほどある。そうだな……最初に聞くべきことを聞いておこう。返答によってお前の提案に採決を下すからそのつもりでな」
 レイゼンは無言で頷き、ザルラーバ王の次の言葉を促した。
「――手っ取り早く……お前は何者だ」
「我輩の名はレイゼン。滅びしグランエイスの生き残り也」
「グランエイス? 遥か南国に位置する砂国か? なるほど、噂は本当であったか」
 風地戦争とグランエイス陥落は同じ五〇〇年前であるもののその誤差は一〇年前後。グランエイス陥落が先である。
「だがそのような遠国の騎士が、何故他国の勝利に協力を申し出る」
「全ては我が恨み、そして全民の無念を晴らす為」
 詳しいことまで語ることはしなかったが、レイゼンは正直に答えた。
「ふん、まぁよい。だがな、余はザルラーバが負けるとは思っておらん。『地の騎士団』の守りは完璧。それに対して『風の騎士団』は素早いだけの無力に等しき者共よ。だがそれも広野でのこと。壁に覆いつくされ、その壁が迫ってくるとなると赤子同然だ。次の戦闘で勝利は余の物になる」
 ザルラーバ王は自軍の勝利を疑っておらず、確かに『地の騎士団』は『風の騎士団』に勝利することは可能であったのだ。
 だが――。
「く、くはははは」
 レイゼンは腹を抱えて、というまでもないが堪えきれずに笑い出した。
「何が可笑しい!」
 これには目前に迫った勝利に酔い痴れるザルラーバ王も立腹した様子で怒鳴り出す。
「いや失敬。なるほど傲慢なのだな、ラストーラ=エペン=ルーズ=ザルラーバよ」
 敬意を表すわけでもなく、皮肉として言ったレイゼンの言葉は冷たかった。
「勝利を確信し酔い痴れるのは当然の心理である。だから笑わずにおこうと思っていたのだが……つい、な」
「何が言いたい」
「貴公は負ける。次の戦で、『風の騎士団』に壊滅的なダメージを受けそのままザルラーバは滅びるのだ!」
 レイゼンの言葉に、周囲の人間達がざわめいた。騎士は憤慨した様子で手にある獲物をレイゼンに向けた。
「貴様ぁ! 我らを侮辱する気か!!!」
 騎士の一人が怒鳴った。
 ザルラーバ王ラストーラは、人一倍憤慨するかと思いきや、顔は怒気を含んだままであるもののレイゼンを正視した。
「我輩とて騎士。侮辱する気は毛頭ない。だが、我輩は『未来』を知っている」
 ウィードの歴史を、全て頭に叩き込んである。そこにはザルラーバの名も当然でてきた。風地戦争の詳細。その真実。
「ウィードには一人だけ捕虜がいるのだろう。そいつがザルラーバの敗因だ。国の情報を明け渡し、ザルラーバは窮地に陥る」
 ラストーラを始め、騎士や文官、この場にいるレイゼン以外の人間全員の顔色が変わった。
「何故、捕虜にされた人間のことを知っている」
「言ったであろう。我輩は、未来を知っている」
 ラストーラの王に、レイゼンは先ほどの言葉を繰り返した。 
 それからは無言がやや続き、沈黙を破ったのは騎士の一人だ。
「嘘だ! ピッド騎士団長がそのようなことなど!!」
「信じられないのも当然だが、我輩は王の決断を聞いておる。貴様は黙っていろ」
「この!」
 その騎士が衝動に堪えきれなかったのか、剣を抜き放ちレイゼンに襲い掛かった。
「やめろ!!」
 それに静止をかけたのはラストーラである。
 騎士はその一言で竦み、その場に崩れ落ちて、嘘だ、嘘だと繰り返し呟いた。
 ラストーラはその騎士から目を離し、再びレイゼンにその目を向ける。
「……余はまだお前を信じたわけではないが、泳がせるのも一興かもしれん。好きにしろ」
「その言葉、確かに聞いたぞ」
 レイゼンはそのまま背を向けて玉座の間を去ろうとした。
 ラストーラが騎士の一人に目配せをし、その騎士は頷きレイゼンの後を追う。
「ザルラーバのことで聞きたいことがあればお申し出ください。最低限のことはお話します」
 信用したわけではない。必要最低限の情報しか提示しないつもりだということは、前もって予想できていたことである。
「ふむ、ならば墓場か戦死体収容の場所を教えてはくれんかな。ああ、そうだ」
 レイゼンは思い出したように――わざとらしかったが――ラストーラに顔だけを向けた。
「面白いものを見せてやる。見たければくるがいい」
「そのような芝居を見せずとも、余は戦が始まるまで退屈しておる」
 薄気味悪い笑みを顔に浮かべて、ラストーラは周囲の咎めの言葉を無視してレイゼンに向かって歩き出した。


 その日の夜、ザルラーバには紅い不気味な光が立ち上った。
「これは……」
 紅い光の中心を目の当たりにし、ラストーラは傲慢ぶるわけでもなく素直に驚いていた。
 驚愕の後には、恍惚の笑みになっていた。
「勝てる。これで余の国の勝利は盤石だ」
「これはまだ序の口」
 レイゼンは光が立ち上ったことを確認すると、すぐに踵を返して歩き出した。
「どこへ行く?」
「敗北の要因たる芽は摘まねばなるまい」
 それだけを言うと、レイゼンの姿は溶けるように消えた。


 それからは一瞬である。レイゼンは一瞬で移動を果たした。その先は、ウィード城。
 懐から紅い宝珠を取り出し、それを愛撫するようにして言葉をかける。
「さぁ赤焔の宝珠(レッドオーブ)よ。炎の精霊を収束させよ」
 ネクロゼイムから譲り受けた炎の精霊を強制的に使役できる宝珠は眩い光を放ち、数秒の間を置くと激しい炎が吹き荒れた。その炎は己を誇示したいのかごおごおと音を立てて巨大なうねりを作る。何も無いところから巨大な炎が上がったのだから、ウィードの人間はさぞ驚いたことだろう。
 人が集まる前にレイゼンは移動した。
 何処の位置に何があるのかは、大体の見当がついている。人が少ない通路を選び、その道を正しく進む。
 辿り着いた先は地下牢である。そこに繋がれている一人は、ウィードの人間ではない。
「誰だ?」
 繋がれた男が苦しそうな声で問う。
「我輩の名はレイゼン。貴公を救出し、ザルラーバに連れて行く者なり」
「……私は、助かるのか?」
「当然」
「そうか」
 地下牢の鉄格子など、レイゼンの手にかかればあってなきに等しい。砂塵の槍で破壊することもできるし、抉じ開けることも可能である。どのような手段を取ったかなどは些細なことだ。もうその男は救出され、牢の外に出たのだから。
「さて、まず貴公に聞かねばならん」
「……何をだ?」
「ザルラーバの情報、既にウィードに明け渡しているのか?」
 さすがに狼狽することも慌てることもなかったし表情も大して変わらなかった。
 だが微妙な変化でレイゼンは読み取る事ができた。
「なんのことだか分からんがね」
「嘘はいかんぞ、ピッド=フォウマスト」
「…………何が言いたい?」
「白を切るか。だがまぁ、どうでもよいことだ」
 レイゼンは円を描くように腕を振るった。すると、ピッドが足元から消えてゆく。
「これは!?」
「なに心配するな。貴公の故郷、貴公が忠誠を誓った国、ザルラーバに送っているだけだ」
 皮肉を込めての言葉だったが、ピッドはレイゼンが何を知っているかを悟ったようで、レイゼンをどうにかしようとしたが間に合わない。手を伸ばしたがそれが届く前にピッドは消えてしまったのだ。
「さて……」
 ピッドがザルラーバに情報を渡しているのならば、もっと別の手段も打っておかなければなるまい。
 すぐさま勘を頼りにまた城内を駆けた。
 途中までは誰に見つかるわけでもなく、目的の場所を見つける。
 見つけ出した部屋には、さすがに見張りが二人ほどついていたが、ただの障害物でしかない。
「貴様! 何者――!!?」
 最後まで言い終わることなく、その見張りの騎士はレイゼンの槍に貫かれ、物言わぬ屍と化した。
「な!?」
 もう一人の見張りは何が起こったのかわからなかったようで、事態に困惑しているようだ。
 それを無視して扉を開ける。
「何奴!?」
 その部屋の主人たる人間から突発的に出た言葉に、レイゼンは答える気はなかった。
「その質問はもう飽きた」
 殺しはしない。
 この場で殺せば、確実にザルラーバが勝利することは間違いないが、目的はザルラーバの勝利ではないのだ。
「来てもらうぞ」
 レイゼンは強引に腕を取り、老人とは思えぬ身のこなしと力で大人一人を抱え挙げた。
「ま、待て!!」
 先ほどの見張りが、ようやく守るべき主が攫われようとしていることを自覚してレイゼンに刃を向ける。
「待つ気は微塵もない」
 一瞬で背後に移動し、片手で砂塵の槍を振るう。貫くつもりだったが、その騎士が慌てすぎていたのか前のめりに倒れこんでしまうのとほぼ同時であり、背に大きな傷を負わせることしかできなかった。
 だからと言ってとどめを刺すつもりはなかったので無視してザルラーバへ帰還した。

 以上をもって、正史は歪められた――。

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