55.風国混迷(パニック)


 景色が変わる。
 風種が完成したのだから、次は五百年前に飛ばされたのだろう。
 考えられることは、ここが五百年前のウィードであるということだ。
「あれ、ウィード城かな?」
「姿形は似てるけどねぃ……あんなに小さかったっけ?」
 最初に目についたのは大きな、とは言いがたい、ウィード城を小さくしたような城だ。ムーナも不思議がって、自分たちが住んでいた城を思い出そうとする。やはり今見えているのはやけに小さい。
「あれは……」
 ラグドが見ている方向に、人が集まっていた。ただ、その人数は数える気になれず、皆が武装している。
「軍隊か?」
 見れば、境界線を挟むようにして別の武装で身を固めている軍勢があった。
「って、あら? あららららら?=v
 思案中に慌てた声が乱入する。星降りの精霊だ。
「どうしたんだい?」
「え? ちょ、なになに!? きゃーー!=v
 向こうが勝手に混乱し、遂には叫び声になってしまった。
 すると、周囲の景色がまた変わっていく。上空から見ている形だったのだが……。
「あの……ウチら、落ちてないっすか?」
「ありゃ、ホントだ」
 のんびりとした会話だが、急に空に放り出され、尚且つ包んでいた星降りの精霊の力が途切れたのだろう。シャンパーニの砦地下に落とされた時よりも遥かに高い位置から、急速に落下している。
「どうするの!?」
「空中じゃルーラは唱えられないよ。空中魔法陣描けないし、バルキリー・ウィングは定員一人だし間に合いそうにない!」
「キラパン! 『闇化』っす!!」
「お、おぅ!=v
 何度も行ったからだろうか、素早く闇化は完成し、キラパンはダークパンサーのクラエスとなる。
 全員を回収し、しかしラグドだけはやたら重かったのだろう、着地もギリギリであった。
「助かったの……?」
「なんとかね」
 ウィード郊外にあたる草原に立っているようで、さすがに五百年前ほど前となると景色は全く違う。
「一体何が――」
 起きたんだろうね、と続ける前に言葉を切った。仲間以外の何者かの気配に感づいたからだ。表情の読み取りにくいラグドの顔が、一目でわかるほど強張った。
 いつからそこにいたのだろう。老齢の騎士にして、ラグドと何かしらの因縁があるレイゼンは静かに佇んでいた。
「(こいつは――どっちだ?!)」
 ラグドが最初に疑ったのは、このレイゼンが自分と会ったことのあるレイゼンであるのかということであった。彼の話によると、今の時代辺りにレイゼンは時を越えた。ならば、目の前にいるレイゼンは、時を越える前なのか、それとも後なのかを見極めねばならない。
「皮肉なものだな、この戦乱時代に来るというのは……」
 おもむろに彼は言った。その言葉からして、レイゼンはラグドの事を知っているレイゼンであるだろう。
「……戦乱時代ってことは、やっぱり『風地戦争』のころなのかい?」
 ムーナはレイゼンを見たことがない。ただ、何となく只者ではないと感じたらしいが、先に現状を確認したいようだ。彼女の言葉に、レイゼンが軽く頷く。
「風地戦争……なんか聞いたことある」
 イサが思い出そうとするが、思い出せそうで思い出せない。
「イサ……あんた歴史学さぼってたね?」
「歴史学というか、学問の時間はほとんど……」
 言わないでいいことまで言ってしまって、ラグドが別の意味で顔を険しくする。イサの教育係も兼ねていたのだから、この事実を快くは思わないだろう。
「安心してください。ウチも聞いたことないっす!」
「そりゃリィダはエシルリム地方出身だからね。物好きでないと知らないよ」

 風地戦争。
 かつてウィードは二つの国であった。
 風の騎士団を抱えるウィード。
 地の騎士団を抱えるザルラーバ。
 二国はデスバリアストームの中で争いを続けていた。
 他国から見えれば内乱のように思えるが、当事者達はあくまで異国との戦争ということであったらしい。
 戦争の原因はザルラーバにあった。
 両国はデスバリアストーム内にあり、城から互いが見えるのは必至で、ザルラーバ城からウィード城が目視できるのが気に食わないという滅茶苦茶な理由であったらしい。
 しかし結局、ザルラーバはウィードに敗戦し、ザルラーバはウィードを壊滅させるどころかウィードに吸収されてしまったのだ。
 ザルラーバはウィードを壊滅させる目的で戦争を仕掛けたというのに、ウィードは戦争に勝っても仲間として迎え入れた。その差からしても、この時代の王の器の大きさが違うことは一目瞭然であった。
 この戦争を契機に、デスバリアストーム内全てはウィード領となり、その戦争が始まる前から互いの領土であったデスバリアストーム郊外を含む領地もウィードの所有することになったため、ウィードは風の大国となったのだ。
 また、地の騎士団のほとんどが風の騎士団に加わりウィード王に忠誠を誓ったとされ、その時に『風を守りし大地の騎士団』が生まれた。
 これが風地戦争の一通りの流れである。

「デスバリアストーム内に地の国でもあったんすか?」
 話し終えたムーナへ質問したのはリィダだ。
「なんで?」
「だって地の騎士団って……」
「あぁ、いや違うよ。風迅の国ウィード、風壁の国ザルラーバ、風迅騎士団と風壁騎士団って名前だったんだけど、戦争が始まる何十年も前からややこしいんで、迅速な動きを得意とした風迅騎士団を風の騎士団、堅固な守りを持つ風壁騎士団を地の騎士団って呼ぶようになったんだ。んで、その名称のままに戦争なったから風地戦争って名前がつけられたの」
「よく知ってるね」
 イサが感心したが、ムーナは気まずそうにした。ラグドなど何かを言いたげに首を振っている。
「ウィード歴史学の基礎知識だよ」
 つまり学歴のある国民は誰でも知っているのである。
「話は終わったかね」
 ずっと沈黙を保っていたので忘れかけていたが、レイゼンがやっと言葉を自分から発した。
「レイゼン……何故、貴様がここにいる」
 本来なら最初に問うべき質問であったかもしれないが、細かい事は気にしていられない。
「なに、この時代で全てを終わらそうと思ったのでな」
「全てを……?」
「ラグド=ゼウンディスよ。容易にもとの時代へ戻れると思うな。貴様らは既に星降りの精霊との回線は繋がっていない」
 それだけ言うと、レイゼンは姿を消した。


 ――ウィード城下町。
 戦争の真っ最中だからだろうか、商店街に活気はあるもののどこか空気が重い。活発に客寄せをする商人たちの笑顔にも、不安の二文字は完全に払拭されていない。
 そのような商店街を歩く男が一人。珍しそうに辺りを見渡しているので、どうやらウィード国民ではない旅人のようだ。物資補給のために一時的にデスバリアストームは消える時があるので、その頃を見計らって国内へ入ってきたのだろう。
「ねー、おばちゃん、この辺に武器工房とかない?」
 肉団子入りスープを缶に入れて売っている店の婦人に男は尋ねた。
 多くの店が立ち並んでいるというのに、武具店や工房が見当たらないのだ。あったとしても閉まっている。
「……あんた、武器商人か何かかい?」
「ん、放浪中の鍛冶屋みたいなもんさ」
 男の言葉に、けだるそうだった婦人の顔色が激変した。
「ちょいと! こっちへ来な!!」
 店をほったらかしにして婦人は男の手を強引に掴んで店の裏へと回り、そのまま家に引っ張り込んだ。
「な、なんだ?」
「他の誰にも言っていないだろうね」
「? 何を……」
「あんたが鍛冶屋だってこと」
「おばちゃんに言ったのがこの国で初めてだけど……ウィードって国は鍛冶屋を振り回すのが趣味なのかい?」
 男が文句を言うのも当然で、細身の彼は連れて行かれるというよりも持って行かれる形になっていたのだ。
「あぁごめんよ。けどね、あんたのためでもあるんだよ」
「どういうこと?」
「戦争中だってことは知っているかい」
「なんとなく」
「そのせいさ。鍛冶屋は一人残らず城に集められて武具造りを強いられる。武器商人も、仕入先の鍛冶屋を徹底的に調べさせられるんだ」
 重労働を強いられているわりには、まだ武器が足りない防具が脆いなどと云われ、鍛冶屋の何人かは過労で死んだというのが専らの噂だ。
「アタシの夫も、鍛冶の知識なんかが少しであっただけで城に閉じ込められているんだ。ザルラーバよりはマシって話らしいけど、悪いことはいわない。早く国を出たほうが身のためなのさ。別に、王城の鍛冶師に志願しにきたわけじゃないんだろ」
「うん。見聞を広めているだけだからね、今のところは」
「だったら、すぐにでも国を出るんだね」
「すぐには、無理かな……」
「なんで?」
「おなかすいて……」
 婦人は食事の用意してくれることを約束し、店のほうへ戻っていった。
 その間は寝台なりを好きに使っていいと言ってくれたので男は好意に甘えてぐっすりと眠ることにした。これでもしばらくは歩き詰めだったので疲れが溜まっていたのだ。夕食ができるまで、男はぐっすりと深い眠りについていた。

「――ご馳走様!」
 久しぶりに自分以外の分まで作るから量を間違えてしまった、ということで軽く四人分はあったものを、男は遠慮せずに全て平らげた。
「こんなに旨いもの初めて食ったよ。おばちゃん、ありがと!」
「なんだか照れるね。そんなに褒められるものでもなかっただろ」
「いやいや、さすがにスープを売り物にしているだけあるね」
「売れ残りだよ」
 婦人が苦笑して食器を下げる。
「ふぁ〜あ――満腹になったら、また眠くなっちまったよ。出発は明日でもいいかなぁ」
「そりゃ、今日はもう『風』は消えないだろうね。明日、あんたが入ってきたころと同じ時間に行ってみな。くれぐれも、鍛冶屋だってばれないようにね」
「わかっているよ。ふぁ〜」
 男は何度目かの欠伸をしながら、使っていた部屋へと戻る。寝台に入った途端、眠気に身を任せて深い眠りに入った。
 それから数時間経ったころだろうか、婦人はこっそりと男の眠っている姿を確認すると、悲しそうな顔でため息を一つ吐いた。部屋の扉を閉めて、背後を振り向く。そこには、風の騎士団の鎧を来た兵士が数人立っている。
「熟睡しているようです」
 婦人の報告に、リーダー格らしい立派な鎧を着ている兵士は軽く頷いた。
「報告に感謝する。後の事は私達に任せて欲しい」
 婦人が道を譲ると、騎士は扉を開けた。
「――ほう」
 騎士が感心したように唸る。部屋の中にいる男は、荷物をまとめて、何かを待っているように座っていたのだ。
「感づいていたのか」
「そりゃ、こういうご時勢だからね。鍛冶屋の存在を報告して明け渡したら金一封ってところだろ」
「よく解かっているではないか。ご同行願えるかな?」
「ああ、いいよ」
 男は部屋を出ると、婦人を一瞥した。彼女は悪い事をした子供が叱られるのを待っているかのような顔で俯いている。
「ごめんよ――」
 景気よかった元気な声をしていた婦人と同一人物とは思えないか細い声でそう呟いた。
「おばちゃんの料理、美味しかったからね。お礼みたいなもんさ」
 男は笑顔で答え、それを見た婦人は涙をぼろぼろと流した。その涙の理由まで、男は考えるつもりはない
「……恨み言の一つでも言われた方がまだ楽だったろうに」
 リーダー格の騎士の言葉に男は肩をすくめるだけだった。

 夜の城下町は静まり返り、人通りはほとんど少ない。そしてその少ない人間は、騎士団の兵士ばかりだ。夜のうちに敵国の兵が侵入や工作をしていないか見回っているのだろう。
「放浪の鍛冶師と聞いたが、先に聞いておきたい。我が城でその腕を揮う気はないか?」
「ここで『ない』って答えたらどうなるんだい?」
「質問を質問で返すな」
「的確な答えを導き出すための材料くらい貰ってもいいだろう」
 その切り返しに騎士は男を一瞥すると間を置いて言った。
「想像に任せる。勘のよい貴公のことだ、どうなるかは解かるはずだろう」
「オイラの想像としては、地下牢に拘束か……敵国に渡らないために打ち首とかね。どう? 当たってる?」
「同じことを言わせるな」
 つまりは想像に任せると言ったからにはそれ以上の答えは返さないということだ。男も分かっているのか軽く笑った。
「それで? 城で働いてくれるのか、否か」
「……あんたが誰だか知らずに答えたくないなぁ。せめて名前と役職くらい聞かせてくれ」
 騎士は顔をしかめたが、男はふっと笑った。
「あんたみたいに強気な女はきっと素敵な地位にいるんだろうなぁ」
 明らかに騎士は動揺した。男装しているので、初対面だと端麗な顔の男としか認識できないだろうに、この男は既に見抜いていたのだ。
「――キュア=リザレクション。風の騎士団の第一団長を務めている」
「へぇ! 騎士団長様自らが鍛冶師の連行を?」
「それほどまでに貴重な存在なのだ」
「その割には、抵抗したら無理やり連れて行く雰囲気だったけどな」
「どのようにとって貰っても構わない。――いい加減に答えろ」
 夜の暗闇の中でも城が目視できる辺りまで差し掛かり、男は周囲を見渡した。
「オイラの名前はラックス。ラックス=ミィブースだ。修行の一環だ、この国のために武器造りの腕、使ってやるよ」
「助かる。協力に感謝する」
「なぁに、少しでも戦争を終わらせたいだけだ」
「貴公は旅人なのだろう。他国の諍いであるのに、何故、そう思う」
「あのおばちゃんの夫を早く家に帰してやりたいんでね」
 夫が少しでも鍛冶の知識を持っているだけで城に閉じ込められている。同情を誘うための嘘かもしれないが、少なくともラックスはあの婦人のことは信じたいと思っている。ラックスを売りはしたが、それは戦争中の仕方がないことで片付けてもいい。
「善人だな、お前は……」
「偽善者かもしれない」
 意味深な言葉に、キュア騎士団長は何も言わなかった。
「――どうした?」
 ラックスが立ち止まり、東の空を見ている。その方向にはザルラーバがあるのだが、彼はまだ知らないはずだ。それに、何かに呼び止められて歩くのをやめたようにも見えた。
「……感じる」
 何を、と問うまでもなかった。ザルラーバ城が建っている地の辺りから、赤黒い光が立ち上ったのだ。紅い月は魔性のものとされ、不吉なことに例えられることが多い。立ち上った赤い光は、まさにその紅い月が落ちてきたよう感じた。他の兵士も同じであろう。
「あれは……一体?」
 紅い光はやがて収まり、闇の静寂が再び訪れる。しかしキュア騎士団長の鼓動は静寂と同調はしなかった。身が削られるような胸騒ぎが訪れている。
「……ラックス殿。貴公、今『感じる』と言ったな。あの光のことを指しているのだろう、何を知っている?」
 何か知っているか、と問うのではなく、知っていることを問い詰めている辺り、キュア騎士団長はラックスが何か知っていることに感づいているのだろう。しかしラックスは軽い笑顔を絶やさないままに答えた。
「別に。仕事柄、魔力のこもった素材も扱うんでね。魔力の流れに少々敏感でねー。特異なモノなんて特に興味あるから、それを感じただけさ」
「通常とは異なる魔力ということか」
 遠回しな表現しかしないラックスから真実の言葉を探し当てることは容易になっているようだ。
「しかし何故ザルラーバに……」
 真実の究明など、考えて分かるはずはない。思考を打ち切り、キュア騎士団長は命令を下す。
「全部隊に警戒命令の段階を上げるように伝えろ! 夜襲の危険性もある!!」
「ハッ!」
 キュア騎士団長の部下らしき兵士達が散り散りに走り出す。伝令を伝えるためであろうが、ラックスとキュア騎士団長のみがこの場に取り残された。
「オイラが逃げ出そうとしたらどうするんだい。いくらあんたでも、一人じゃ不安だろう」
「貴公は逃げ出したりしないだろう」
「へぇ?」
「先ほどの言葉に信念を感じた。貴公を、信頼している」
 偽善者かもしれないと言ったのに、とラックスは口を尖らせた。
「騎士団長って割には、甘いんだな」
「人を見る目があると言って欲しいな」
「んじゃあ、オイラを信頼してくれたお礼にもう一つ」
「なんだ?」
「お城が燃えるよ」
 ラックスの言葉が事実となるまで、数分も要さなかった。

 その火の手は城の背後から上がっていた。夜闇を照らす赤い炎は、先ほどの紅い光よりも現実的な不安を与える。
「有り得ない! 警備もあるのに、あれほどの炎が……!」
 キュア騎士団長の緊迫した声は、あまりにも予想外かつ非現実的なことが起きている為に上ずっているようだ。
「さっき、急激な炎の精霊力収束を感じた。だから燃えるかもって思ったけど、ホントになっちまったなぁ」
 先ほどの言葉があくまで予想であったことの発言など、キュア騎士団長は気にも留めなかった。現実になっているのだから責められるはずもない。
 ともかく事態を確認せねば、と彼女は走り出し、ラックスもそれを追う。
 キュア騎士団長はついてくるラックスを一瞥しただけで何も言わず、むしろ満足のいく行動であったらしい。
 もともと城が見えていた距離でもあったし、道もそれに続く一本道に立っていたのだ。城に到着するまでにそこまでは時間がかからなかった。
 唐突な事態に慌てた様子の門番の衛兵に仔細を聞いても無駄だと判断を下し、キュア騎士団長はラックスのことを簡易に説明して――新しい部下だ、という非常に光栄な役職として紹介された――、城へと入る。キュア騎士団長にはかなりの信頼があるらしく、ラックスが通っても何も言われなかったし疑いの目を向けられることもなかった。
 城内の兵士も慌ただしく動いており、その中で指示をしている人間にキュア騎士団長は声をかけた。
「大臣! 何事だ!」
「キュア騎士団長!? ん、なんだその男は……あぁいや、そんな事どうでもいい。襲撃らしいが、敵らしき者が全く見当たらん」
「火の手の方は?」
「それが……さっぱりだ。水をかける前に自然に消えた!」
 その言葉に反応したのはラックスだ。
「消えた……? あれだけの炎が、か……ふぅ〜ん」
 何かに気付いたらしいが、それは後に聞くこととした。
「……地下牢の方は? あそこにはザルラーバの捕虜が一人いるだろう。少数でそれを取り返しに来たのかもしれん」
「そうかなるほど! 迂闊だったな」
 捕虜がいるということはウィードでも幹部クラスの人間しか知らない。秘密にしておきたいがために、緊急な事態でそのことを記憶から吹っ飛ばしていたようだ。
「恐らくそれが当たりだ。すぐに地下へ――」
 行こう、と言いかけたが遮られた。この会話に第三者が乱入したからであり、その者の様子は只ならぬものであったからだ。
「だ、だ団、長!」
 キュア騎士団長のことを呼ぶのにさえ苦労しているのだから、気にしないわけにもいかない。
 どうした、と声をかけてもまず無駄だろう。この兵士は自分が得た何かを伝えることに必死すぎて何も聞こえているまい。
「じ、う……!」
 さすがに意味が読み取れないことを言われたらどうしようもない。
 だから宥めようと手を伸ばしかけたが、それよりも早くに兵士の言葉が終わった。
「――王様が何者かに攫われました!」
 それを伝えると、その兵は倒れた。背中には大きな傷があり、そこから流れ出る血は、今この場を濡らし続けている。もう治療を施しても助かるまい。
 重大な事実を伝えて殉職した兵士にキュア騎士団長は手を触れて軽く黙祷を捧げた。顔を上げるとそこには悲壮な表情があり、それには他の感情も多く交じり合い、それが奇妙に美しく、だが哀しげだった。
 ラックスの顔も、いつの間にか常備されていた薄笑いは消えていた。

次へ

戻る