51.不倶戴天


 ムーナは、これが夢であるという事として処理しようとしていた。
 しかし、現実だ。
 魔法装置を守るべきルイスは、自らの手で魔法装置を破壊したのだ。
「驚いた顔をしているね」
 それもそうだろう。未だに信じられないのだから。
「僕はね、カエンと戦えるかもしれないって聞いたからネクロゼイムについたんだ。だけど、実際に来たのは君だった。だからさ、約束を破った相手なんかのために、この装置を守りたくは無いんだよね」
 言葉だけ聞けばただの仕返しにしか過ぎないようであったが、自分の思い通りにならなかった故の破壊行動として見れば背筋が凍る。
「バイバイ。僕はもう行くよ」
 キメラの翼を放り投げ、ルイスが空の彼方へと消えてゆく。
「……まぁ、いっか」
 緊張の糸が切れ、ゆるゆると息をついたムーナはそんな結論に至った。
 ともかく結果オーライ、ということだ。
「さてと、イサは大丈夫かねぃ?」
 エシルリム塔城がここからなら薄っすら見えるはずだし、黄金の魔力塔が立ち上っている今なら一目瞭然のはずだ。それが見えるだろう方向に視線を巡らせるが、どうやら中央の魔力塔も消失しているらしい。
「大陸も無事なようだし、究極魔法は防げたのかな」
 合流呪文を唱えて戻ろうとするが、それは叶わぬことであった。
 ルイスでさえ気付かないほど気配を隠し、それはすぐ近くに潜んでいたのだろうか。
 ガサリ、と草が動いてそれに気を取られるより早く、ムーナは意識を失った。何をされたのか、理解するまでもなく。
「……すまないな」
 ムーナに当て身を放ったカエンは、それだけを言って彼女の懐をあさり、魔書を取り出す。
「マジャスティス。これがあれば……」
 普通に言えば、もしかしたら借りることくらいならできたかもしれない。だが、使い道が普通でない以上、カエンには人知れずこれを持つしか手段が残されていなかった。
「ルイスを元に戻すために……しばらく借りておく」
 ムーナの意識が戻る頃、カエンは既にその場にはいなかった。


 エシルリム屋上。先ほどまでの魔力の奔流はもうない。
「疲れたぁ……」
 大の字になって仰向けになっているイサは、このまま眠りかねないほどの疲労が溜まっていた。バルキリー・ウィングがかけられている状態での風死龍は確かに即座に放つことが出来た。その分の反動が、呪文効果が切れた今頃になって襲い掛かってきたのだ。
「王様も無事っぽいし、このまま寝ちゃっても良〜い〜?」
 クレイバークの無事を確認したのは例の男である。彼に向けての言葉であったが、返事はすぐに返ってこなかった。
「……ん? 他の人が戻ってくるまで待っとかん?」
 とはいえ、許可も得るまでも無くイサはすぐに眠ってしまいそうだ。
「しょうがなかねぇ。これやるけん、もうちっとシャキっとしんしゃい」
 そう言って男は、拳ほどの大きさを持つ石を投げた。上半身だけ身を起こしたイサはそれを受け取り、首をひねる。最初はそれが何であるかを理解できなかったのだ。
 風の力を感じる石。
 魔の力を感じる石。
 どこかで見た覚えがある石。
 飛竜の風爪の窪みにすっぽりはいそうな形と大きさ。
 風磊の一つである……風魔石だ。
「って、えぇぇ!? なんであなたが持ってるの!」
 確かカンダタに盗まれたはずであった。それにカンダタが所持しているのも実際に見ている。
「いろいろあったっちゃん。べつに自分が持っとってもよかろうもん」
 よくはない、と言うつもりはないが、文句の一つでも言いたくなる。
「なんで先に渡しておいてくれなかったのよー!」
 これがあれば、バルキリー・ウィングに頼ることなく絶大な力を得たはずであった。風神石を飛竜の風爪に装着した時と同じように、風魔石の力を最大限に発揮できるはずだ。そうすれば、ネクロゼイムにあっさりと打ち破り、彼が身を挺して守ってくれる必要も無かったのだ。
 しかしイサのブーイングに、彼は至って真面目な顔で応えた。
「それ渡しとって、躊躇わずに使えたとね?」
「……!」
 それを言われると、言葉に詰まる。イサは風神石を使った後、その力に脅えていた。それは、未だ解消されていない力への恐怖だ。風神石の時と同様に、自分が自分でなくなるような感覚を進んで受け入れたいとは思わない。
「だけど……」
 言葉を続けようとして、何を言っても言い訳にしかならないことを悟り言葉を切る。躊躇わずに風魔石を使えた、なんて言っても嘘でしかない。もし事前に渡されていたとしても、その力に頼る反面でその力を恐れていただろう。
「……ありがとう」
 適度な言葉が思いつかず、それだけしか言えなかった。
「よかって。それより、遅い人で三日くらいかかりそうやけんくさ、王様ば起こしてやって後は王様に任しときんしゃい。いろいろ忙しくなりそう」
 実際、彼の言葉は事実となる。

 一命を取り留め、意識が回復したクレイバークに事の成り行きを説明するのも大変であったが、クレイバーク自身も大変な思いをすることになったのだ。それというのも、国民が黄金の魔力塔を見てパニックを起こし、エシルリム国全土が混乱状態にあった。
 なかでも、魔道士が次々と倒れるという事態が最も多く報告されている。倒れる、と言っても貧血程度であるらしいが、もしかしたら黄金の魔力塔に魔力を急速に奪われていたのかもしれない。だがそれは各地域の魔道士に言えることであり、塔城に詰めていた魔法兵団は昏睡状態にある者が多かった。
 その他にも恐慌状態に陥った区画は珍しくなく、それぞれの鎮圧にクレイバークと活動できる状態にあるエシルリム魔法兵団は慌ただしく動いている。
 今回の事件を防いでくれた最大の功労者として宴を開くと約束したクレイバークであったが、それが叶う日は遠くなりそうで、イサとしてもそのままエシルリムを去るつもりだ。大陸が違うとはいえ、やはり他国の王女が国を救うというのは国の政治環境として良いものではないからである。
 ただ、皆が戻ってくるだろう三日ほどは城下町の宿に滞在しようかと思っていたが、クレイバークの強い引き留めを受けて城に宿泊している。
 魔力塔の混乱時にいなくなったホイミンがそこらにいるのではないかと思いつつ散歩をしても、究極魔法が復活しようとしていたなんて嘘ではないかと感じられる陽気さだけが得られた。
「どうしようかなぁ」
 その自問は色んな意味として捉えることができ、どれから考えていいかわからず、結局落ち着く自答は単純なものである。
「とにかく、みんなが戻るまで待とう」
 宿泊して、まず一日が経った今、それしか考えは浮かばなかった。
 そういえば、イサに風魔石を渡した男も、気が付けばどこにもいなくなっていた……。


 リィダとキラパンはのんびりと街道を進んでいた。とはいっても、リィダはキラパンの背に乗ってキラパンが人間の歩調のような速度で歩いているので、やはりのんびりという言葉が似合う。
 さて、ここでキラパンと言ったからには、既に彼がクラエスではなくなっているということを理解していただきたい。
 『闇化』は時間制限があるのか、魔力塔を壊すと同時にクラエスはキラパンへと戻った。体力も激しく消費しており、こうやってゆっくりと歩を進めるはめになっている。
「エシルリムまでもう少しっすねぇ」
 何度目になるかわからない休憩を手近な木陰で取り、リィダはエシルリム塔城を見つめた。アープの川から離れて、あと半分くらいの道のりだが着くのは明日以降になりそうだ。
「……あれは?=v
 キラパンの声にリィダは振り返り、首を傾げる。彼はどこでもないどこかを見ており、視線の先には空があるだけだ。
「どうしたっすか」
「おい、ちょっと闇化をやってくれ=v
「ふぇ?」
「早くしろ!=v
 言われたままに、リィダは『闇化』を施す。一度やってしまえば、後は楽にできるようになった。
 ダークパンサーなるクラエスと化した彼は、地を蹴って舞い上がる。
「どこ行くっすか?」
「ちょっとした野暮用だ! 先に帰っていろ=v
 それだけを答えて、クラエスは流れ星のように空へ溶け込んでいった。まだ疲れているだろうに、その速さといえばピオリムでも使ったのかと言いたくなるほどだ。
 リィダがその場にぽつりと取り残される。
「先に帰っていろって言われても……」
 一人で帰られるのだろうか、と心配になった。いや、昔はアープの川まで魚を釣りにでかけたではないか。一人でも大丈夫、と自分に言い聞かせる。それに冒険者としての実力も少しは上がっているだろうし、魔物に襲われてもあっさりと命を落とすなんてことにはならないだろう。
 己に暗示をかけるようにして、リィダはエシルリムを再び目指そうとして、勇気ある一歩を踏み出した。
 その一歩だが、足元をよく見ておらず、何かを踏んでしまった。それが草むらの中で昼寝していたリザードマンの尻尾でなければよかったのだが、運悪くその通りで、踏まれた痛さで飛び起きたリザードマンが怒り狂って襲い掛かってきた。
 冒険者としての実力が少しはあがった、とはいえ、こればかりには驚いてリィダは悲鳴をあげつつ逃げ出すしか頭に無く、やはり不幸な彼女は彼女のままであったようだ。


 レイゼンが消え去った後、ラグドは放置していたカンダタを介抱した。
 どうせなら風魔石のことを聞き出そうとしたが、ネクロゼイムに奪われた後に誰か別の人間の手に渡ったとかいうらしい。それ以上は何も知らないようで、ラグドはエシルリムへ戻ることにした。
 いざシャンパーニの砦を出ようとしたら、今度はカンダタに引き止められた。
「お前らの馬だろ」
 とカンダタが連れて来たのは、クレイバークから借りていた馬たちだ。シャンパーニの砦からナジミの洞窟に飛ばされて以来、ずっと彼が世話をしていたらしい。売ろうと思っていたらしいが、そんな気分になれなかったとのこと。
 二頭の馬を引き連れて、ラグドはエシルリムへ急いだ。
 その間に考えていた事は、当然のことながらレイゼンのことである。
「(俺は、もっと強くならねばならない……)」
 実力の差がありすぎる、などと言われるのは屈辱的だった。ウィード一の騎士という誉れを受けておきながら、そんなものはレイゼンの前では児戯の称号のようにさえ感じてしまう。
 ウィード一ではなく、世界一の騎士になれるような実力がなくてはならない。
 そのために、もっともっと、強くならなければならない。そうでないとイサを守ることもできない。
 ラグドは、黙々と進んでいた。


 クラエスが辿り着いたのは、小さな祠だ。地図にも乗っていないような寂れたもので、クラエスはそれを見てぐるると唸る。
「おりょ、今頃来たとね?」
「ホイミン……。てめぇ今までとぼけまくっていただろ=v
 クラエスがホイミンと呼んだ銀髪の男は、今まさに祠へ入ろうとしていた。
「まぁ、都合ってもんがあったけんね。今は隠す必要はなかばってん、イサ様とかには秘密にしとっちゃらん?」
「ふん=v
 それが肯定の意味であることを男は――ホイミンは知っている。
「……この中だろ=v
「間違いなか」
 二人は祠の中へと入り込んだ。
 湿った空気と背筋が凍るような寒さ。居心地が悪く、忌々しく思えてくる。
「チッ。あの時を思い出しちまう=v
「自分の身体ば見よったら、いつでも思い出してしまうもんって」
「今はそれ以上だ=v
 祠自体は小さいのだが、地下に繋がる階段がある。それを下っている途中で、奥へ進む度に瘴気が濃くなっていることが容易に理解できた。
 階段が終わり、部屋に出るとそこに在るのは……何も無い、空っぽであった。
 しかし二人は緊張の面持ちで部屋の中心部を見つめている。
 そこに不倶戴天の仇でもいるかのように。そして、いるかのように、というのはいささか間違いで、二人は知っているのだ。そこにいることを。
「出てきんしゃい、霊魔将軍ネクロゼイム!!」
 ホイミンの言葉に反応してかはわからないが、部屋の中心部にどこかともなく黒い霧が渦を巻いた。
「それがきさんの正体ね?」
「ヴ、ヴヴヴヴ。ヴヴヴヴヴヴヴ……=v
 声ではない声。空気が振動しているようにしか聞こえない。
「ヴヴヴヴとおり、ヴヴヴめて、はじめてはじめて、ひヴヴヴひヴヴヴひととととまえまえまえまにヴヴみせヴヴるるるるるるるヴヴヴヴ=v
「……何て言ってるんだ?=v
「さぁ?」
 言葉らしい言葉が途切れ途切れに入るものの、意味をもって聞き取ることまではできなかった。
「あぁ、あぁ、ようやヴ、なれてきたようだ。ひとまえにみせるのは、はじめてでな。このヴがたでしゃべるのも、ヴまれていらいはじめてやもしれぬ=v
「赤ん坊が初めて喋ったんやったら可愛いもんやけどね」
 ホイミンは言って、身構えた。
 ネクロゼイムは実態を持たない。霊を司る魔物として、ネクロゼイム自身も霊体の存在なのだ。スモールグールのような姿をしていたのも、適性のあった身体を作ってそれを動かしていただけだ。
「てめぇのことだ。マダンテ・ギガ・ムグルも記憶しているんだろう=v
 魂は魔力に変換しやすく、その逆も然り。魔力は魂と同化しやすく、マダンテ・ギガ・ムグルが完全復活せずとも、あれだけ大規模な魔法陣を用いていたのだから魔法情報を自分に書き写すことは容易であっただろう。
「ふははは、『猛虎の牙』たるクラエスにしては、よくわかっているではないか=v
「いくら俺の頭が悪くても、それくらいわかるさ=v
「計画は万全だ。ゲームには負けたが、それでもマダンテ・ギガ・ムグルは我が手の内にある=v
 喋ることにいい加減に慣れたのだろうか、聞こえてくる言葉は流暢である。
「なんなら、今ここで発動してみせようか。大陸は吹き飛ぶであろうな=v
 ネクロゼイムの場合、冗談ではなく本気なのだ。
 脅しでもなければ、切り札でもない。ただの興味ある実験に近いのだから性質が悪い。
「そげんこつはさせんよ!」
「倒してしまってもいいのかな?=v
 ネクロゼイムである黒霧に飛びかかろうとしたホイミンだが、その言葉につい躊躇ってしまった。もしネクロゼイムが死ぬことによってマダンテ・ギガ・ムグルが発動するというのならば洒落にならない。
「お前たち二人を、もとの人間の姿に戻すことは、わたしにしかできないのだぞ。それでも、わたしを消滅させたいか=v
 元の人間の姿に戻る、それが二人の、今までの最高の願いであった。
 しかし、それは『今まで』のことであり、『今』はそこまで執着してはいないのである。
 むしろ、なんだそんなことか、とホイミンは呆れた。
「……昔やったらみすみす見逃しとったばってんね、今は違う。そげなエサには釣られんばい」
 こうしてたまに戻る術も見つけたしね、と付け加えた。
「クラエス、お前はどうだ。その暑苦しい毛皮には嫌になっているだろう=v
「寒い時には便利なんでね。それに、てめぇにはある意味感謝してるぜ。この姿のおかげで、俺はリィダに会えた。あいつのためなら、この姿のままでも悪くない=v
 本人の前では絶対に言いそうにないことを、クラエスは堂々と言った。
「こういうこと。人間はいつか変わるもんなんよ。住めば都って言うし」
 それは少し違うような、というツッコミをいれてくれるような人物はこの場にはいない。
「人間の姿に戻りたくは無いのか!=v
 ネクロゼイムが、普段の冷めた様子からは想像できないほどに激昂する。それが怒り狂っている証拠である事を、二人は知っている。かつてネクロゼイムに戦いを挑み、そして敗れ、魔物との合成実験の材料にされたことがあったのだから。
「知らんね」
「あぁ、知らないね=v
 あっさりと言い放った二人の言葉に、黒霧は部屋中をぐるぐると駆け回る。
「愚か! 愚かおろか愚かオロカ愚かおろか愚かオロカ愚かおろか愚かオロカ愚かおろか愚かオロカ愚かおろか愚かオロカ愚かおろか愚かオロカ愚かおろか愚かオロカ愚かおろか愚かオロカ愚か也!!=v
 駆け回る黒霧に少し触れる度に肌が裂かれるが、致命傷にはならないようなのでそのままにしておく。
 クラエスが雄叫びをあげて、その咆哮に竦んだかのように黒霧の動きが止まる。
 霊体である実体無き魂のそれを消滅させるには、魂をも斬り裂くものでなければならない。
 ホイミンの手には崩壊刀『屍魄』が握られていた。ハーベストが使っていたものと形がやや違うが、魂に直接ダメージを与えることのできる武器だ。
「おおおぉぉぉぉ!!!」
 一瞬にして、全てのネクロゼイムを斬り裂く。
「あ、が、ァ、ああぁぁ、ぁ、あ、あ、あ、あ、ぁ、あ、ぁ、ぁぁ?!=v
 マダンテ・ギガ・ムグルを使わせる暇も与えず、ネクロゼイムの本体が少しずつ消えてゆく。
 それは逃げているのではなく、明らかな消滅である。
「こ、ん、な、ば、かな、ぁ……=v
 あとは流れるように消滅していくばかりだ。
「……さよならたい、ネクロゼイム」
「……あばよ=v
 ホイミンとクラエスが、最後に贈った言葉に、ネクロゼイムは己を倒した事に敬意を表すためか、残りの力を振り絞ってそれに答える。マダンテ・ギガ・ムグルを使おうにも、本体そのものが耐え切れずに失敗するだけなのだろう。
「さらば、だ……竜を探求せし『猛虎の牙』、クラエス=トドゴン……=v
 ネクロゼイムの半分は既に消滅している。
「さら、ばだ……放浪の旅人たる『嘆きの兄』、ホイミン=コリエード……=v
 ネクロゼイムの残りの半分は、一瞬にして消滅した。
 魔王に復讐する前に目先の怒りで隙を作ってしまった彼の最期は、どこまでも呆気なく、そしてどこまでも重々しかった。

次へ

戻る