37.賭博戦闘(ギャンブル・バトル)


 夏、と聞いて人は何を思い浮かべるだろうか。
 海、スイカ割、祭り、花火、暑い、皆が薄着になる、その他多数。
 そんな一般的イメージを持ち合わせている人物はこの町にいない。
 夏といえば海。――いいや、海は近いが、季節は関係ない。
 スイカ割。――スイカはこの付近では育たない。どこか別の国から輸入しなければならないし、そうしたものに限ってやたら高級。わざわざ割る必要もない。
 祭り。――夏祭りなんて名前は無いが、この町にも一応、祭りはある。ただ、夏限定ではない。
 花火。――花火に使う火薬が勿体ないくらいなので、花火は作ろうともしない。
 暑い、皆が薄着になる。――この町では自殺行為である。
 さて、多くの夏的イメージを否定したのは、この町には夏という単語がまるで無いのと同じだからだ。強いて言うなら年中ずっと冬。冬には吹雪が襲い、春には雪が積もり、夏には雪が降って、秋にはまた雪が積もり、冬には……の繰り返しである。
 それというのも、世界最北端にして極寒地帯エルデルス山脈の麓にこの町があるからだ。
 港町アショロ。今が夏であるにしろ、冷たい風が絶えず吹く町である。


「ささ、さささ寒かったっすぅ」
 暖炉の前に座って、毛布に包まっているリィダは震えながら泣きそうになっていた。
「はいごくろうさん」
 それを眺めながら、ゆっくりとレモンティーのカップを持ち上げたムーナは椅子に座ってのんびりとしていた。買物に行こうとしたのをリィダが引き受けてくれたので、暇を持て余していたのだ。
「つーか、武器仙人さんに特別製毛皮の外套を貰ったんだろ。あれはどうしたんだい?」
 エルデルス山脈を訪れた時、リィダは武器仙人から吹雪などから完全に身を守ってくれる特別な毛皮の外套を譲り受けていたはずだ。あれさえ着ていれば、どんな極寒でも寒いと感じることはないはずである。
「普通の毛皮の外套と間違えちゃったっす……」
 つまりいつもの不幸。
「あぁそれで外套の下はそんな薄着だったんだね」
 完全に寒さを遮断してくれるので、薄着でも充分に動けるのだ。だが、それは特別製であれば話。ただの毛皮の外套だと、アショロの町をうろつくにはまだ薄い装備のほうなので、その下が薄着ならば救いようが無い。今が夏とはいえ、今日はやたらと寒いのだ。
「ひぃふぃみぃ……。うん、全部買ってあるね」
 夕飯の食材を確認して、ムーナは台所へ向かった。

 ムーナは特別休暇の間はアショロの別荘で過ごすことに決めた。養生するにはやや寒いが、それは外の話。家の中は暖かいし、静かにのんびりとできる場所だ。それに城の個室にいては、魔法の研究材料が揃っているにも関わらず、研究や魔法修行ができないことがもどかしく感じてしまうため、あえて研究道具から離れるためという意味でもある。
 一人で、というわけではなく、リィダとキラパンもついてきている。キラパンは不服そうだったが、その主人であるリィダが行くと決めた以上、渋々と従っている。
 そんなわけで辿り着いたアショロ。城とは違って食堂が設備されているわけがないため、自炊しなければならず、最初は毎日リィダが作ると宣言していたのだが、それでは暇すぎて死んでしまうとムーナが主張したので、交代で夕飯の支度をするようになったのだ。今日はムーナの当番である。
「アタイは魔道書めくるぐらいなら許されてるから、そこまでつまらない日々でもないけどさ。リィダは暇なんじゃない?」
 スープの煮込み加減を見ながら、リィダに問いかける。
「ウチは姐御と一緒にいられるだけで楽しいっすよ。まぁ、キラパンは運動不足で文句を言ってくるっすけど……」
 確かに、キラパンは無理やりここに連れてこられた挙句に、ただ寝ているくらいしやることがないのだ。殺戮の魔豹とも呼ばれる魔物が、そんな毎日を飽きないわけがない。
「キラパンがねぇ……」
 こんなもんかな、と味見してスープ完成。
「あ、それならさ」
 スープ皿に移しながら、ムーナはどことなく悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「な、なんでこうなるんすかねぇ」
「いいじゃねぇか。俺は好きだぜ、こういうの=v
 リィダは今にも泣き出しそうになり、キラパンは活き活きとした表情で彼女を励ました。
 リィダはキラパンと一緒にアショロの街路に立っていた。大人数が通ることを予想されていたのか、その道はやたらと広く、大道芸などで稼ぐにはもってこいのスペースである。とはいえ、リィダとキラパンが大道芸を披露するわけがない。
「姐御から預かったのは五千ゴールド……。負けたら、一気に五千ゴールドも無くなっちまうんすね……」
「負けなきゃいいんだろ。俺は勝ってみせるぜ!=v
「最初は、賞金一千ゴールドくらいから始めるっていうのはどうっすかね」
 まだ不安なのか、リィダがルールの変更を申し出る。
「賭け金一千で、賞金一千だぁ? 誰も挑戦しなくなっちまうぜ=v
 キラパンはあっさり否定。理由も確かだ。
「だ、だったら賭け金五百にして、賞金千五百とか……」
「いつまで経っても貯まらねぇじゃないか=v
「別にお金を貯めるのが目的じゃないっす」
 大半の目的はキラパンの運動不足解消である。ベンガーナでは何もすることができなかったうえ、不思議なダンジョン以来まともな戦闘をこなしていないのだ。
「あのな。金が集まりゃ、あの女だってそれなりに楽ができるってもんだぜ。楽をするには、金が必要だからな。お前は、あの女に尽くしたいんだろ?=v
「そうっすけど……。でも初っ端でやられちまったら、それこそ姐御が苦労するっす」
「つーかな。なんでさっきから俺が負ける前提なんだよ!=v
「だって……」
「だっても何もねぇ! その毛皮、食い千切ってやろうか!=v
「わ、わー! やめるっすぅ!」
 いい加減に苛ついてきたのか、キラパンは本当に毛皮の外套を食い千切る勢いで引っ張った。普通の外套ならあっさりと引き裂かれていたかもしれないが、今日は間違いなく武器仙人印の特別製である。
「わかったす! やるっす、頑張るっすよ!」
「最初からそうしてりゃいいんだよ……=v
 ふん、と鼻をならしながら、キラパンは牙を離した。
 ムーナが提案したこと。それはキラパンを冒険者相手に戦わせ、闘技場的方法で金を賭けるものだった。挑戦料は一千ゴールド。キラパンに勝てば、五千ゴールド。ちなみにこの五千ゴールドはムーナの財布からで、そのためにリィダは渋っていたのである。
 アショロは港町なだけにあって、冒険者も多く滞在しているし、よく訪れる。今の時期ならば、特に多いはずだ。それというのも、武器仙人が毎年この時期になると、冒険者たちに武器を作ってやるというボランティアもどきをやっており、その話を知っている冒険者たちが大勢エルデルス山脈へ向かうらしい。そのため、麓の町であり、港の町でもあるアショロには冒険者たちが必然と集まるのだ。
 人通りが多く、旅装している冒険者が多く目につく大通りまで来て、リィダは急に泣き言を言い出したのだが、キラパンに説教されてようやく決心がついた、というのが現状である。
「始めるっすよ」
「ああ=v
 何度か深呼吸を繰り返し、リィダは気持ちを落ち着かせ、そして大声で叫ぶ。
「さぁさぁ! ちょいとそこ行く強そうな冒険者の方々! このキラーパンサーに勝てば五千ゴールドが貰えるっす! 参加料はたったの一千ゴールド! 少しでも腕に自信のあるお方は、今すぐ挑戦するっすよぉ!」
 山育ちだから、だろうか。よく通る声のおかげで、興味を持った冒険者らしき人間たちが何人か振り返る。
 不幸なことに客自体がゼロ、ということにならなかったのは、幸運ということになるのだろうか。
「おいネーちゃん、本当にそいつに勝てば五千ゴールドなんだろうな?」
 恰幅の良い男が、不敵の笑みを浮かべながら問いかける。からかうようなものではなく、心から真偽を確かめようとしているのだということは、リィダにはすぐにわかった。
「もちろんっすよ。挑戦するっすか?」
「受け取りな」
 リィダが受け取ったのは一千ゴールド。確かに参加料だ。
「オッケーっす」
 いつの間にか遠巻きに見学者の壁ができている。皆、こうした自らの腕を頼みにする賭け事が好きなのだろう。
「よぉし。こんな犬っころ、オレが叩きのめしてやるよ」
 男は言いながら、武器を召還した。刃がノコギリのようになっている、名前もそのままノコギリ刀。『一般級』でも『上級』に近い代物である。
 それに対して、リィダは『初級』の武器しか扱えないくらいのレベル。彼女が戦うわけではないが、そうした負い目がある分、やはり不安になってしまう。
「お前が俺を信じろ。今はそれだけで充分だ=v
 キラパンが囁くように言って、前に進み出る。リィダは頷き、キラパンはそれを確認したわけではないが、自信満々の表情で男と相対した。
「らぁぁ!」
 男が突進を仕掛ける。振りかぶった剣に、魔法的な炎が宿った。
「(あの人、魔法戦士っすか?!)」
 剣士だとは思っていたが、上位ランクの魔法戦士であるとまでは思っていなかった。
 獣は火に弱い、という単純な攻撃だが、間違ったことではない。リィダは一瞬だけ顔を青くしたが、すぐにキラパンの言葉を思い出す。
「(信じるっすよ、キラパン!)」
「……あぁ……=v
「(え?!)」
 リィダは言葉に出していないのに、キラパンはぽつりと返答を呟いた。彼女が驚いたのは、それだけではない。男の火炎斬りを悠々とかわし、頭突きを食らわせたのだ。あまりにも速くて、そのためにリィダは何が起きたのか理解するのに数秒を費やした。そしてその数秒の間に、キラパンは追い討ちを仕掛ける。
 男もただやられているばかりではなく、次の手を打っていた。追い討ちが来るということが解かっていたのだろう、吹き飛ばされてすかさず魔法の詠唱に入り、キラパンが動き出したときには完了していた。
「具現せよ紅蓮の火球! ――メラミ=I」
 この寒い地域で炎の魔法、というのは些か問題があるものの、男の放ったメラミは、町の中ということではちょうどいい威力になっていた。この男、バカではないらしい。
「そんなもん――カァァァ!=v
 リィダが驚いたのは、キラパンが氷の息を吐いたことである。普通のキラーパンサーにそのような能力は備わっていない。
 氷の息はメラミを相殺し、相手の男もこの事実に驚いたようだ。
 その隙を狙って、キラパンが普通の攻撃。呆気に取られていた男は直撃を受けて、ノックアウト。
「キラーパンサーの勝ち、っすね」
 勝負有り。遠巻きに見ていた見学者たちから歓声が沸いた。

 昼の休憩、ということで一時中断し、近くの店で食べられるものを幾つか購入し、アショロの公園で昼食を取る。年中雪が降ったりするため、ベンチの近くには雪だるまがいくつか作られていた。夏であるにも関わらず、その雪だるまは溶ける気配を見せない。
 それに、午前中は晴れていたのに今は曇っている。気温も下がっているし、もしかしたら雪でも降るのかもしれない。
「それにしても驚きっすねぇ」
 リィダは午前中だけで稼いだお金の入っている袋を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「何がだ?=v
「いろいろっすよ」
 まず、こうまですんなり稼げるものだとは思ってもいなかった。キラパンは圧勝連勝で、どんどんお金が貯まっていった。長く続けると挑戦者のやる気がなくなってしまうかもしれないので、それなりに貯まったら賞金を吊り上げる。これはムーナに言われていたことで、今では二万ゴールドを賞金にしてもまだ余裕できるほどになっていた。
「それと、キラパンのことっすよ。炎の息、氷の息、幻惑呪文(マヌーサ)、疾風突き……。なんで使えるんすか?」
 疾風突きはともかく、他は普通のキラーパンサーが使わないような特技や魔法である。
「俺は特別なんだよ……=v
 当の本人は興味なさげに言った。むしろ寂しそうな顔をしたので、もしかしたらあまり触れてほしくないことなのかもしれない。そう思うと、リィダもなんだか申し訳なく感じてしまい、近くの露店で買ったドーナツを食べる手も進まなくなってしまった。
「それよりも、だな=v
 それを雰囲気で感じ取ったのか、キラパンはそっぽを向いたまま口を開いた。
「なんすか?」
「少しはお前も戦えよ=v
「無茶言わないでほしいっす。ウチが戦ったりなんかしたら……」
 負けるどころか大怪我するかもしれない、と言いかけたが、それよりも先にキラパンが振り返って呆れた声を出す。
「誰が直接戦えって言った? 魔物使いには魔物使いの戦い方があるんだ=v
「魔物使いの……魔物狩人の戦い方?」
「忘れたのか。『言霊』だよ=v
 不思議のダンジョンで使ったものである。『言霊』を使うことにより、魔物だけでなくそのマスターも戦いに参加したということになり、経験が増えていくのだ。ただ眺めるだけでは意味が無い。
「まだそれなりに強い冒険者相手にも何とか勝ってきたけどよ、俺も無敵ってわけじゃないんだ。お前が相手の強さを見極めて、俺に命令する。わかったか?=v
「が、頑張るっす」
 キラパンが自ら己が未熟だ、というような発言をしたこともあってか、リィダはすぐに言葉を返した。この魔物、自信家に見えて領分を弁えているようだ。

 早々に昼食を済ませ、先ほどの場所に戻る。
 午前中には最初がよかったのか、遠巻きに見ていた人間たちが立て続けに挑戦者が現れていたが、今ではまた振り出しの状態だ。まずは目を引かなければならない。
「そういやよ。その『〜〜っす』っていうのは、こういう場合はやめとけ。足元見られるぞ=v
「う……わかったっす」
 変わっていないことにキラパンが一睨み。
「……わかった……?」
 なんで聞くんだよ、とため息をつきながら首を振る。まだどこか不自然なので、前のままでもよかったかもしれない。それを言い出す前に、リィダは客引きを始めてしまった。
「さぁさぁ! このキラーパンサーに勝てば二万ゴールド! 二万ゴールドですよぉ〜〜!」
 実際に始めてみると、特に不自然なことはなく、もしかしたら彼女は本番に強い子なのかもしれない。
 ともかくこの魅力的な賞金につられた冒険者が、こちらに目をつける。やはり最初よりも金額が上がっているため、注目する人数は明らかに多かった。
「俺様が挑戦してやる」
 最初に申し出たのは、ラグドと同じくらいありそうな巨体で、筋肉隆々の男だ。
「はいはい。挑戦料は一千ゴールド。お代はこちらね〜」
 リィダが代金を受け取り、キラパンが前に出る。この短い間に、リィダは必死に挑戦者を観察していた。じろじろと見ていたわけではないが、人を見極めるのは得意になっているほうである。リィダが出した結論は、この男は見掛け倒しでそこまで強くない、ということである。
「『言霊』を使うまでもねぇな=v
 キラパンも気付いたようだ。
 相手の男が武器を召還し、『パワー級』であるパワーハンマーが具現化。
「うがぁぁーー!」
 雄叫びをあげつつ、男はキラパンに襲いかかった。しかしキラパンはあっさりとそれを回避し、おまけとばかりに氷の息。それは見事直撃し、男は体中が氷付けになってしまった。
「俺様って……こういうのばっかりかよ…………」
 そう言い残して失神。前にもこんなことがあったのだろうか。

「はいはい! この魔物使いのリィダが育てたキラーパンサーに勝てる人はいませんか〜?」
「誰が育てたって?=v
「……言葉の綾っすよ」
 キラパンが小声で文句を言ったのに対して、リィダも小声で言い訳。
 しかし、最初に挑戦したのが見掛け倒しでも、遠巻きに見ていた人たちにとっては、強そうな男が、強そうな武器を持って、強そうな猛獣と戦い、結局負けたように見えている。そのせいか、先ほどまでは立て続けに挑戦者が現れたのに、今度はそう上手くいかなかった。
「オレがやる……」
 そのため、新たな挑戦者が現れても、周囲は哀れみの目を向けたようだ。見た目はそこまで強そうではないので、それも影響しているのだろう。
「はいはい。普通のキラーパンサーと一味違うよ〜」
「知らねぇ。どうでもいいから、早く闘わせてくれよ」
「オーケーオーケー。じゃあ挑戦料の一千ゴールドを出してくれ」
 挑戦料を受け取った時に、リィダはすぐに感じ取った。この男、さきほどの男と比べるのも失礼になりそうなほどの強さを秘めている。装備からして戦士だろう。髪はハーベストのように赤い。
「キラパン、『ガンガン行け』ぃ!」
「あぁ!=v
 さすがに『言霊』が必要になると感じとり、まずは攻めて行く『ガンガン』。キラパンは赤髪の男よりも先に動き、一瞬で四肢を利用した攻撃を繰り出す。きっちり四度の連続攻撃――爆裂拳を放つが、赤髪の男はそれをなんとか避けた。そのまま武器を召還し、炎を模した片刃の斧が現れる。『伝説級』に部類されるバーニングアックスだが、そんなものリィダは知らない。
「せーっの!」
 そのまま赤髪の男は斧を振り下ろした。その先には、ちょうどキラパンの首がある。にも関わらず、リィダはじっと相手の動きの観察に集中した。
 キラパンが斬られた瞬間、その姿が揺らぐと共に霧散していく。リィダはマヌーサを使っていたことを理解していたので、その瞬間を待っていたのだ。
「炎の息!」
 号令と共に、キラパンが炎の息を吹き出す。
「あちぃっ!!」
「(直撃したのにそれだけっすか?!)」
 大したダメージになっていない。もしかしたら炎の属性を持つ冒険職についているのかもしれない。炎が振り払われたが、リィダはまだ攻められると判断してさらに命令を下す。少量でも早急にダメージを与えられるもの。
「疾風突き!」
 炎を振り払った反動でまだ立て直しきれてない赤髪の男めがけて、キラパンは疾風の如く攻撃を繰り出した。しかし、その攻撃が届く前に赤髪の男が動く。
「隼斬り!」
 相手は無意識のうちに出したのだろうか、咄嗟に繰り出した隼斬りのカウンターは見事にクリティカルヒット。運悪く、会心の一撃が決まったようで、キラパンがバツの字に斬られ、おまけとばかりに炎が噴き出した。
「ああ?! キラパン!?」
「ぐ……=v
 勝負はついた。キラパンはうめき声一つあげると、戦闘不能で意識を失ってしまったのだ。観客たちが拍手しているが、それはもちろん赤髪の男に送られたものだ。リィダは泣きじゃくりながらも、二万ゴールドを渡した。
「しっかりするっすよぉ、キラパン……」
 ちょうど、雪が降り始めたのもこの時だった。


「悔しいっす。負けたっす。あの赤髪の男に負けたっす。悔しいっす」
 ブツブツと繰り返し呟きながら、リィダはテーブルに突っ伏していじけていた。
 ケガを負ったキラパンを何とか運び込み、今は治療中である。冒険者ギルドで適当な僧侶を頼み、引き受けてくれた冒険者が回復魔法をかけている。その間、リィダはずっと悔やんでいたのだ。
「とは言ってもねぇ」
 本当なら今日はリィダが食事当番なのだが、そんなことをしている場合ではなさそうなので今日もムーナが作っている。
「さっきから赤髪の男、赤髪の男って……。名前とか聞かなかったの? でないとリベンジもできないよ」
「……聞かなかったっす……」
「赤い髪の戦士、ってだけじゃそこらにいるよ。ハーベストだって赤い髪の男で、狩人というより戦士っぽかったし」
 ムーナの言うとおり、ただ赤い髪の戦士というだけならば該当する冒険者は少なくない。再戦をしようにも、相手の名前も分っていないのでは探しようが無い。
「明日、また聞いてくるっす」
「明日もこの町にいるといいんだけどねぇ」
 冒険者は旅をしている人間も多い。一つの町を拠点に活動する冒険者もいれば、絶えず各地を転々としている冒険者もいるのだ。後者であれば、今日のうちにでも旅立っているかもしれない。
「なんとか探してみるっすよ」

 そして翌日。キラパンの治療は終わり、しかしまだ安静にしておいた方が良いとのこと。リィダは一人で昨日の赤髪の戦士を探しに外に出ていた。とはいえ、特徴は知っているものの、その男がどこにいるのかという手がかりはないため、偶然にも町中で遭遇するしか手段はない。
 言ってしまえば、運がよければ逢えるだろうということ。リィダは自分の不幸人生を知っているため、駄目でもともと、むしろまず無理だろうとさえ思いながらもアショロの町をうろついていた。もう夕暮れも近く、やはり無駄だったかなと思った。
 だから、ちょうど昨日の戦士を見かけた時は驚きのあまり、すぐに声をかけることができなかったのだ。
「(見てるっすよ、キラパン!)」
 今から仇討ちでも始めるかのように、今は安静にしているキラパンに心の中で呼びかける。キラパンに言われたように、こうした場合には少し口調を変えるためにも少しだけ気持ちを落ち着かせる。……キラパンが言ったのは商売時のことだったのだが、リィダは少々勘違いしているようだ。
「そこのお前!!」
 振り返ってくれなかったらどうしようと不安だったが、赤い髪の戦士はこちらを振り返ってくれた。
「な、なんだよ」
「お前の名前を教えろ!」
 キラパンがいないせいか、やはり不安になってしまい、強い口調というよりも喧嘩負けした子供が叫ぶようになってしまった。
「エン。炎戦士のエンだ!」
 リィダは口の中でその名前を繰り返すと、鋭くエンを睨みつけた。リィダはこれが精一杯だったのである。あまりの緊張と悔しさに、ついには泣き出しそうになってしまった。
「姐御〜〜〜!!!」
 もはや耐え切れず、情けない声を出しながらくるりと踵を返して走り出す。
 それを彼は呆けたような顔で見ていたのだが、リィダがそれを知ることはなかった。
「(もう限界っす! もう限界っす! 怖かったっすーー!)」
 雪の積もった道を、リィダは全力疾走しながらムーナの別荘に向かった。キラパンがいてくれたおかげで安心感が今まであったのに、急にそれがなくなったために不安でどうしようもなかったのだ。ましてや、強そうな戦士と会話し、負けたこちら側が命令口調だったものだから何されるか分ったものではなかった。だからその不安から逃れるように全力を走ったのだ。
 だが彼女の不幸という一種のアビリティは、お約束のことを実現させてくれる。
「ってわぁぁぁぁ!」
 派手に、見事に、いっそ見ていて気持ち良いくらいに、大きく転んだのだ。
 目を回して道端でダウン。ようやく意識がはっきりすると、今度はもう一つの不幸。
「いててて。う……あれ……え、えーと、あの戦士の名前、なんだったっけ?」
 頭を打ったせいか、つい先ほど聞いた名前をど忘れしてしまったのだ……。
 もちろん、それ以来アショロで探しても、あの戦士は見つからなかった。

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