33.悪魔神官


 相手の黒ローブは既に闘技台へ上がっていた。
 イサが進み出ると、歓声が大きくなる。
「汝、名前は?」
「……イサ」
 あえてフルネームを審判に名乗らなかったのは、観客等に自分が王女であることを知られたくないからだ。もしかしたら全員、イサがウィード王女であることを知っているかもしれないが、だからとわざわざ言う必要もない。
 審判が頷き、手を挙げる。
「大将戦。ベンガーナ側、アント。ウィード側、イサ。両者、構え!」
 両手につけた飛龍の風爪は、馴染むかのように心地良い。身体の一部のようにすら感じる。相手はどこからともなく錫杖のようなものを取り出した。なぜか禍々しく見えるのは、その歪な形や色彩のせいだろう。闇、というよりも悪を思わせるような錫杖である。言うなれば、悪趣味の一言で片付けられる。
「始め!」
 審判の声と共に、イサは集中力を高めた。
「あなたはローブを脱ぎ払ったりしないの?」
 アントは黒ローブを試合が始まった今でも、その全貌をさらすことはしていなかった。
「いろいろあってな」
「ふーん。……部下に負けは許さないって言った手前、私が負けるわけにはいかないから、絶対に勝つからね!」
 腰を屈めて独特の戦闘形態を取る。風が渦巻き、イサの足に纏い始めた。
「『旋風(つむじかぜ)』!」
 地を蹴り、瞬間的に相手の背後を取る。旋風は俊敏呪文ピオリムと同じ効果を発揮するのだ。
「――『颯突(さくづ)き』!」
 さらに直進して相手を貫こうとする。この技と旋風との相乗効果で、イサの姿は、観客には一瞬しか映らなかっただろう。だが、技は決まったものの、イサの手に帰ってきた反動は普段からは考えられないものだった。ローブを纏っているので解らなかったが、相手はローブの中に鎧でも着ているような手応えだった。
「ノーダメージ、だな」
 アントが嘲るように言う。声からして男のようだが、何故かその声を聞いただけでイサは背筋が凍るような感覚に襲われた。
「次はこちらから行くぞ」
 黒ローブの持つ闇の錫杖に、炎が灯る。
「我が杖に宿りし焔の精霊、閃光の刃と成せ――ベギラマ=I」
 炎は閃熱と化して解き放たれた。
「わっ――!」
 態勢が整っていなかったので完全回避することは叶わず、イサは両手で顔面を庇いながら後ろへ飛んだ。それでも躱しきれない、と思っていたのだが、予想外のことが起きた。飛龍の風爪から激しい気流が生まれ、その風はベギラマの閃熱を少しばかり弾いたのだ。それでも勢いが弱まるだけだったのでイサの両腕がやや焦げてしまったが、被害は最小限で収まった。
「凄い……飛龍の風爪が、守ってくれた……」
 自分でもこの効果を知らなかったため、驚くのも無理はない。バーテルタウン付近の不思議なダンジョンでこの武器を装備しての実戦はこなしているものの、このような状況になることはなかったのだ。
「武器に守られたか、しかしこれはどうだ!」
 いつの間にかアントが迫っていた。錫杖そのものに炎が宿り、その炎は刃と化す。
「火炎斬り=I」
 イサは両手を頭上に上げて振り下ろされた火炎斬りを飛龍の風爪で防御。炎が散る際に火の粉となって顔に降りかかり、思わず顔をしかめる。
「このぉ!」
 力任せに闇の錫杖を押し返して、すぐに態勢を整える。
「『風連空爆(ふうれんくばく)』!」
 とにかく間合いを取ろうと、相手を吹き飛ばす。見た目は軽そうだったので、いくら鎧を着込んでいたとしても相手は必ず吹き飛ぶはずだ。
 そして思惑通り、アントは一気に数メートルほど吹き飛んだ。
「よし」
 一度間合いから離れれば、まだ手を考えることができる。
 だが、アントの持つ闇の錫杖を見た瞬間、イサは目を見張った。吹き飛ばされながらも、魔力を集中させ呪文を完成させようとしていたのだ。イサでもわかるほどの魔力が、錫杖で渦を巻いている。
「我が杖に宿る破壊の精霊、大地を揺るがす槌と化せ――イオ=I」
 イサを中心にして爆発が起きる。
「うっぁぁ!」
 防御する暇さえなかった。飛龍の風爪は今度も風の防御壁を出してくれたようだが、大した効果は得られなかった。イサは爆発呪文をもろに受けてしまったのだ。

「ごほっ、ごほ! あー、びっくりしたなぁ、もう」
 強がっているものの、少量ながらも吐血し、直撃した部分では血が流れている。頭も爆発の影響で朦朧としかけるが、すぐに正気を取り戻そうと頭を振った。多少はマシなほど感覚が戻ってきたのを確認し、相手が何処にいるのかを探る。爆発で舞いあがった煙が薄れていくが、先ほどの場所にアントがいないのだ。
「何処……?」
 もしかしたら背後を取られたのかもしれない、と後ろを振りかえるが誰もいない。煙の中でも見える範囲外にいるということだろうか。
 歓声のほうは、派手になってきた試合に興奮しているのだろうか、もの凄く賑わっている。見えない分、音を頼りにしとうとしたが、聞こえてくるのは観客の怒号ばかりであった。
「って、え。なによ、これ……」
 聞こえてくる観客の声。それは既に、試合をはやし立てるような歓声ではなかった。
「――ロ・セ!」
 邪気を含んだ声。明らかに人間の声ではないような。
「コ・ロ・セ! コ・ロ・セ!」
 観客全員が合唱している。殺せ、と。

「これは?」
 ラグドも驚き、観客席を見渡す。それは、狂気に染まったような人間たちがいるばかりである。いや、これはむしろ――。
「魔物、か」
 カエンが不機嫌そうな声を出した。

「どういう、こと?」
 煙が薄れ、完全に消えてなくなる。見れば、アントが堂々と佇んでいるではないか。
「まだ気付かなかったのか、風の大国の王女よ」
 アントの嘲笑が、五月蝿い合唱の中でもイサの耳に届いた。
 彼はおもむろにローブを脱ぎ払った。そこには普通の鎧を着た中年男性がいるだけだった。だが、その姿がすぐに歪み、形を変えていく。肌は紫と緑に染まり、口は耳元まで裂け、その腹には何か生き物でも住んでいるかのように膨れあがる。全長はもとの数倍はある巨体と化した。
「フシュゥ……=v
 それに合わせて闇の錫杖も巨大化し、右手にはいつの間にか水晶玉を握っている。
「魔物!?」
「そう、我が名は悪魔神官アントリア。魔王ジャルート様にお仕えするべく魔界よりこの世界へと参った!=v
 アントリアと名乗った魔物は喋る度にその膨れた腹がぐらぐらと揺れた。
「どうして魔物がベンガーナに……」
 見れば、観客のほとんどは魔物か、もしくは狂気に犯された人間となっていた。
「数年前、魔王ジャルート様へお仕えしたいがためにこの人間界(ルビスフィア)に参ったのだが、門前払いを受けてなぁ。その後すぐにジャルート様は討たれたと聞いた。しかしジャルート様は復活なされた! 今度こそ我が力をジャルート様に御役立てさせるのだ。そのための手土産としてベンガーナを乗っ取った!=v
 にやり、と顔を歪ませるアントリアを見て、イサははっとしてベンガーナ王が座っていた場所を見た。あれは紛れもないベンガーナ王だったが、もしかしたら――
「神官殿よ! さぁ、ウィードの、風の大国の象徴たる王女を殺し、我がベンガーナが世界最強であることを知ら示してくれ!」
 そこには、力に溺れた、哀れな男の姿があった。
 考えて見れば、最初からおかしかったのだ。魔王討伐のために世界が協力すべきなのに、ベンガーナはいきなり試合を、決闘を申し出てきた。そのうえ、この国での活気のなさ、公式な挨拶もなしに、ただ戦いの場が用意されていた。
 全ては仕組まれたことだった。いや、なぜこのような陳腐な仕組みに気付かなかったのだろうか。風磊の一つである『風魔石』を所持しているというのも、もちろん嘘だろう。そう思うと、自己嫌悪にすら陥りそうだ。
「それで? ベンガーナとウィードを滅ぼして、前大戦の頃に魔王が落せなかった国を落して、それを口実に魔王の配下につきたいってわけ?」
「ふぅむ……いや些か、違うな。確かにベンガーナ王にはそのように吹き込んだが、それはベンガーナを利用するための口実。目的は別にある=v
 アントリアが顎に手を当てて、渋るように言う。まるで人間のような動作だ。
「え?」
「確かにベンガーナは滅ぼすつもりだった。この国の兵器は危険なものもあるからな。だが、ウィードは違う。私は誘いに来たのだよ=v
「誘うって、何を?」
 アントリアは値踏みするような目で、イサを見つめた。
 そして、にまりと口を動かす。それは、邪笑と呼べる笑みだ。
 間を少しあけて、アントリアは宣言した。

「貴様だよ、風の大国の王女。イサーリン=ラウ=ワイズ=ウィード!=v

 何故フルネームを知っている、とは聞かなかった。ただ、アントリアの口から出た言葉があまりにも途方のないものだったので、すぐに何かを言う事が出来なかったのだ。
「……私、を? なんで!?」
 自分はただの一国の王女だ。魔物に、この悪魔神官に誘われるような覚えはない。
「気付いていないのだな。そもそもウィード王家は『風の精霊を従えさせる力』がある。貴公はまだその力に、完全に目覚めてはいないようだが、風を操る素質は現ウィード王以上だと先ほどの攻防だけで見極めた。 だがなぁ……代々、その力を利用してかの死壁嵐(デスバリアストーム)を生み出し管理してきたウィード王家。それはとても人間にできるようなことではない。……わかるか? 貴様らは人中にありて魔を超える、バケモノと同じなのだよ。ただ今は、人間どもはそれを神として扱っているがな。だが見方を正しくすれば、すぐに気付く。神の力として拝んできたものが、魔性のものであることにだ。平和な世が続けば、貴様らは異質な存在としか見られなくなる!=v
 アントリアの口調は何故か、いつしか説得するようなものになっていた。
「そうなれば人の世は、いずれ貴様らを正しく扱うことはできなくなるのだ!=v
 彼の長広舌は、次第に熱を帯びていった。イサは何かを言い返そうとしたが、何故か何も言えなかった。
 イサは知っている。確かに、自分たちウィードの王族は代々『風の精霊力を従えさせる力』があり、それが普通の人間では成せないほどのものだということ。そして、認めたくはないが、アントリアの言う未来像が、はっきりと想像できてしまったからだ。今はまだ魔王の影響でウィードはむしろ奉られるほどだ。だが、平穏が続けば? その偉大にて異質な力は、民にとってはただの『驚異』でしかない。
「異質を排除し、虐げることで人間は平和を勝ち取ったという自惚れに陥る。そんな人間どもに未練があるか? いずれ人間どもは貴様らを奉りながら、畏れ疎むだろう。だが我と共に魔王ジャルート様に仕えたならば、そのような事はない。魔の者たちは平等だ。我らは平等を重んじるが故に、優秀な者を愛す。もし貴様が私の上に立ったとしても、その時は喜んで従おう=v
 アントリアの口調はいつしか、諭すようなものに変わっていた。
「私と共に来い=v
 そしてアントリアは手を差し伸べる。
「……私は……」
 観客のほうでは殺人コールがいつのまにか止んでいた。静かすぎる無音が耳を痛めるが、イサはアントリアを見据えた。
 悩む必要など、どこにあるというのだろうか。
「……誘うなら、もっと上手に誘うことね」
 飛龍の風爪の先をアントリアに向ける。
「確かに私たちウィード王家は、見方を変えれば『精霊を従えさせる力』ではなく『精霊を支配する力』になり、あなたの言う通りバケモノと呼ばれてもおかしくはない。だけどね、それでも今の今まで平和に暮らしてきたの。それをむりやりに壊すってのは、納得できないし許せない」
「今はまだ平穏だ。だが、未来の可能性として――=v
「可能性なんて、そうならない事だってあるんだもの。私は、そんな未来にならないために努力する。だから、あなたの誘いはお断りよ」
 にや、とイサが笑う。アントリアに痛い真実を突かれたからと言って、はいそーですか、と人間を簡単に見限るほど、イサは人を恨んではいない。誘う相手と方法を間違えたわね、と挑発のおまけつきでアントリアに言葉を返した。相手のほうは予期していたのか、やはりな、という顔しかしていない。
「やはり、そうか。ならば当初の予定通り、ウィードにもベンガーナにも滅んでもらう=v
 アントリアの瞳が怪しく光ると同時に、観客席が一気に騒ぎ出した。どうやら、アントリアが咄嗟に思いついてイサを誘っていたらしい。
 殺せ、殺せとの殺人コールが再び始まる。
「魔物なら魔物らしく、破壊衝動にでも駆られて最初からそうしてなさいよ。下手な交渉術でせめられても、納得できる事もできなくなるわ」
「気を付けよう=v
 挑発のつもりで言ったのだが、アントリアは冷静に言葉を受け止めた。阿呆のような交渉をしてくる割に馬鹿ではないらしい。

「――イサ様!」
「ほぇ?」
 振りかえれば、よろよろとラグドが闘技台にあがろうとしている。これが魔物の陥穽であることが判明した以上、ルールなど存在しないのだろう。しかも、言葉を話せる魔物となると、それなりの実力があると見ていい。だから彼はイサの手助けをしようとしたのだが、それは隣にいたカエンに遮られた。彼がラグドの外套を強引に引っ張り、闘技台にあがるのを防いだのだ。
「何をなさるか、カエン殿!」
 非難するような声を出すが、しかしすぐに自分が助かったことを実感する。
 炎が、闘技台を包んだのだ。台の端のみから炎が吹き荒れ、その高さは数メートルを超える壁となっている。明らかに魔法的な炎。そしてそれは、どこまでも禍々しい炎だ。
「これは……!」
「炎のリング、ということになるのかな=v
 これを仕掛けた張本人であろうアントリアが笑う。おそらくベンガーナ組で唯一まともであった審判が、炎にまかれて焼け焦げ、ススと化した。幻覚ではない炎であることに間違いないようだ。
「ひどい!」
 あの審判は普通の人間だったのだろう。だから常に公平であった。それが今は、とばっちりで呆気なく死んでしまった。
「貴様も、すぐに同じ運命を辿る。この空間は我と貴様だけだ。さぁ我がために踊り、見せてみろ。死への舞闘(ダンス・マカブル)をなぁ!=v
 殺人コールが、炎の壁を通して聞こえてくるアントリアの一声で、一層に高まった。

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