34.神聖極龍


「イサ様! イサ様ぁ!」
 炎の壁に向って、ラグドは大声で叫んだ。それがイサの耳に届いたかは判断できないが、中の姿が見えないほどの炎が遮っているので聞こえてはいないのかもしれない。
「カエン殿! これを突破することは」
「……できる、だろうな」
 カエンやイサの使う武闘神風流には、絶大な破壊力を持つ『風死龍』があり、カエンは更に上を行く技の『風火轟死龍』と『真極・風死龍』が使える。どれでもいいので、この炎の壁を吹き飛ばせるのは間違いないはずだ。
「『風死龍』で充分だろう。中にいるイサも少しは巻き込まれるだろうが、仕方ない」
「そ、それは……。お願いします」
 イサが巻き込まれるかもしれないと聞いてラグドは迷ったが、すぐに決断した。今の自分ではどうやってもこの壁を突破することはできないし、イサもただ呆然としているわけではないだろう。
「行くぞ」
 カエンの周囲に闘気が集まり、頭上で一陣の風が吹き荒れた。
「はい、ストーップ」
 朗らかな声が、カエンに静止をかける。言われただけでカエンはやめるはずもないが、その声の主が邪魔をしたおかげで中断をするしかなくなってしまった。
「ルイス! お前、何のつもりだ!」
 次鋒戦でカエンと対戦した相手、青髪のルイスが、明らかな殺意を持ってカエンに蹴りを放ったのだ。カエンはすぐに迎撃態勢を取ったが、それよりも相手の攻撃速度のほうが速かったため、それをかわすことで風死龍を中断した。
「何のつもり? おいおい、ふざけないでほしいな。君の相手は僕だ。さっきは引き分けたけど、今度は勝たせてもらう。アントリア様からお許しが出たからね」
「アントリア、『様』だと?」
「そうだよ。君はもともと炎の専門だったね。この世界(ルビスフィア)に来て、『輝きの風』を取りいれたのだろう。だから僕は水の専門だったけど、こっちにきて『悪夢の雷』を取りいれたのさ」
 ルイスの腕に、雷がばちりと帯電する。ライザスと似たような現象だが、こちらは何故か雷が黒かった。
「僕たちはいつも正反対だった。君が炎で、僕が水。ここに来てから、君は光の風で、僕は闇の雷。闇は扱いが難しいけど、慣れたら、ほらこんなにも強いんだよ」
 帯電したままルイスはカエンに襲いかかった。
「(疾い!?)」
 次鋒戦で戦ったときよりも、明らかに速度が上昇していた。今度は躱すことすらできずに、両腕で防御する。
「ダメだよカエン。素手で防御なんて」
「うぐぅ!」
 ルイスの腕に纏わり付いていた雷が、カエンに直接ダメージを与えたのだ。電撃呪文ライデインを実際に受けたことはないのだが、もし受けたとしたらこのようなものなのだろうか。
「吹き飛べ、『水錬圧縛(すいれんあばく)』!」
 さらに水の精霊が具現化し、カエンを水圧で吹き飛ばした。武闘神風流の風連空爆と同じようなものなのだろう。
「ルイス……貴様ぁ!」
 吹き飛ばされたと同時に服が水で濡れたが、そんなことを気にしている場合ではない。ゆらりと立ちあがって、カエンはルイスを睨み据えた。
「お前が闇の雷を取り込んだのはまだいい。だがな、『闇』と『悪』の判別ができていない時点で、闇に溺れた証拠だ。お前は闇を操っているんじゃない、闇に操られているんだよ!」
 今度はカエンがしかけた。ルイスは慌てた様子もなく、皮肉を交えた不敵な笑みをこぼすだけ。
「そうかもね」
 カエンの攻撃をあっさりかわし、くつくつと笑う。
「ふざけやがって……」
 カエンの紅い瞳に、殺意が宿る。本気の目だ。
 事の成り行きがどうなっているのか解かっていないラグドとホイミンは、イサとカエンのどちらを心配していいのかわからず、ただ見ることしかできなくなっていた。もとより今のラグドでは助力するにしても足手まといかもしれないが、何かをしていないと不安になってしまうのだ。
 今できるのは、カエンの助太刀をし、ルイスを倒し、炎の壁を突破すればいいのだろうか。そう考えたが、それはすぐに破棄した。本気を出したカエンとルイスは、下手に助太刀しようものなら自分が巻き添えをくうかもしれない。次鋒戦では、互いに手を抜いていたとしか思えないほどの闘いだった。
 カエンはラグドが巻き添えをくらうのを考慮してか、少しずつ距離を離して、隙を見て一気に走り出した。
「待て!」
 その行動にはさすがに驚いたのか、ルイスが慌ててそれを追う。
 すぐに二人の姿は見えなくなってしまった。
 殺人コールはまだ続いており、その対象はイサとアントリアに向けられているのだろう。
「イサ様……」
 どうすることもできない自分が歯がゆい。吹き荒れる炎の壁を見て、ラグドは呟いた。
「どうか、ご無事で」
 祈る事しかできない自分が、悔しかった。


 ――目を開けると、そこにはリィダの今にも泣き出しそうな顔があった。
「よかったっす! 目を覚ましたんすねぇ!」
 表情がぱっと変わって、明るく笑い出した。なにをそんなにはしゃいでいるのだろう、とムーナは疑問に思ったが、すぐに思い出す。
「そっか……アタイ、倒れちゃったんだ……」
 ベッドに寝かされていることに、今更ながら気付いた。そして気を失っている間に、服を脱がされているらしいことにも。
「アタイの服は?」
「ほぇ? あー、女の医務士さんが持っていったっすよ。さっきの戦いでボロボロになったから」
「……アタイの身体、見てなんかないだろうね?」
「あたりまえっすよ。サラさんじゃないんすから……」
 確かにこの場にサラがいたら、身体を見られるどころか変なことまでされていたかもしれない。
「それなら良いんだけどね。着替えは……」
 言い終わる前に、目のつくところに置いてあるものを発見。清潔感溢れる白い服。
「ちょいと着替えるからさ、外に行ってくんない?」
「わかったす〜」
 素直に、言われた通りリィダは病室の外へと出て行く。話し声が聞こえる辺り、キラパンだけではなく、ハーベストやエルフ二人組も来ているようだ。
「進行してる戦いを見なくていいんかね、あの子たちは……」
 心配されることは嬉しいのだが、それよりも試合のほうが重大な気がするのだ。
「(……にしても、ちょいと無理があったかな。それとも、限界が近いのかねぇ……)」
 着替える途中に、自分の身体を見下ろした。
 リィダは見ていなかったようだが、服を脱がせたという医務士は見ただろう。自分の身体が、どうなっているかを……。
 着替え終わると、鬱な気分でベッドに腰を下ろした。
「……ん〜?」
 黙って考え事をしていると、異様な魔力を感じ、ふいに顔を上げた。魔力を感じたのは、恐らく闘技場がある方向だ。
「イサ、大丈夫かなぁ……」


「どうした、風国の王女?=v
 アントリアの嘲りが、不快にも聞こえてくる。
「どうしたも、ハァ、こうしたも……ハァ、ァ……こんな、か弱い女の子を、いたぶって、ハァ……おもしろいの?」
 イサの両腕や頬、背中にまでいくつもの火傷が見られ、満身創痍もいいところだった。
「面白いね。貴様が言ったのだろう、魔物らしく破壊衝動にでもかられたどうだ、と=v
「言ったけど、これはやりすぎよ!」
 少し落ちついて息が整ってきたイサが地を蹴り、アントリアに攻撃を仕掛ける。相手からみれば、こちらは大人と子犬程度の体格差がある。身長差がある相手を倒すには足を狙うのがセオリーだが、アントリアはそれ以前に接近を許してくれなかった。
「『旋風』!」
「ボミオス=I」
「『風連空爆』!」
「イオ=I」
「『颯突き』ぃ!」
「火炎斬り≠。!」
 旋風は素早さを失わせる鈍足呪文で遮られ、風連空爆による風の爆発は爆裂呪文によって相殺。颯突きと同じタイミングで火炎斬りが放たれ、むしろイサのほうにダメージが行ってしまった。颯突きは攻撃力が軽減する代わりに素早さを得るものだが、炎の力で威力を増す火炎斬りとまともに打ち合っては負けることは必至。
「こんのぉ!」
 火炎斬りのダメージが残っているものの、まだ間合いからそう離れていない。
「『風牙・連砕拳』!」
 一瞬の六打撃。しかしその攻撃がアントリアに届くことはなかった。
「あ、ぅ!!」
 拳が相手の身体に届く前に、アントリアからの攻撃が入ったのだ。悪意の祈りが球体となった念じボール。それが直撃した。
 威力はすさまじく、イサは何十メートルという距離を吹き飛ばされ、炎の壁に激突。すぐに弾かれたものの、これで何度目になるかわからない背中への激痛を味わった。
「う……」
 すぐに立ち直ることはできずに、膝をついてしまった。
「(強い……)」
 まさかここまで強いとは思っていなかった。先ほどから何度も攻撃を繰り出しても、一撃らしい一撃は一度も入っていない。悪魔神官アントリアは、魔王を助力するほどの力を確かに持っている。
「まだまだだ。――焔の精霊、闇の力により悪夢なる黒衣の紅蓮と化せ――ベギラマ!=v
 アントリアが先ほどまで使っていたベギラマよりも遥かに大きく、黒いベギラマがイサに襲いかかった。
「もう少し考えさせる時間を、頂戴よね!」
 黒いベギラマが届く前にイサは立ち上がり、精神を集中させた。
「武闘神風流『守』の返し技――『風魔・鏡影輪』!」
 イサの目の前に、激しい風の渦が発生した。上手く行けばマホカンタのように魔法をそのまま弾き返すことも可能だが、イサは使いなれていないため、せめてどこでもいいので軌道を逸らすことさえできればよかった。
 その願いは、半分だけ成就される。
「嘘!?」
 魔法による黒い閃熱光は、半分ばかりが弾け飛んだだけで、残り半分はそのままイサに襲いかかって来たのだ。飛竜の風爪が防御の気流を生み出してくれたが、それでもなお炎の勢いは強い。また吹き飛ばされることはなかったものの、何度目になるか分からない炎によるダメージが蓄積し、頭が朦朧としてきた。
「(しっかり、しっかりしないと――)」
 自分の意思とは反して、床が近付いてくる。いつのまにか膝をついて、そして倒れそうになっていたのだ。
「くッ」
 なんとか両腕をついて倒れるのは防いだが、あと一撃でもダメージを受けたら確実に気絶してしまうだろう。いや、もしかしたら死ぬ可能性さえありえる。目がかすんでいる。
「……い、し?」
 その時、イサの目に何かが写った。
 道具袋のとして腰に括り付けていたものが度重なる炎で袋だけが焼け落ちたのか、それが姿を現し、その場に落ちていた。

 ――「ウィードの秘宝、風神石。何かの役に立つかもしれぬ、持って行きなさい」

 父の顔が浮かんだ。そういえば、ウィード王がイサの安全を祈って、風磊である風神石を持たせてくれたのだった。

 ――「この窪みって何なの?」
 ――「風磊を探せ」

 エルデルス山脈で武器仙人に質問をした自分がいた。それに答えてくれた武器仙人が見えた。
 そうだ、忘れていた。もともと『龍具』には何かしら宝玉が填め込まれている。だがこの飛龍の風爪には複製品であるにしてもソレがない。そして宝玉があるだう場所に窪みがあり、それについて武器仙人に聞いたところ、風磊を探せと言われた。
 これが、この風神石が風磊だ。ならば、この窪みにはめるべきは、この風神石?
「……」
 イサはおもむろに、風神石を掴んで、立ちあがった。不思議と、風神石を持っているだけで力が沸いてくるようだ。それに、朦朧としていた意識がしっかりとしてくる。
「むぅ?=v
 もう死にかけたと思っていた人間が立ちあがったので、アントリアは眉を寄せている。どこまでも人間に近い動作をする魔物だ。人間のふりをしているうちに、人間の癖でもついてしまったのだろう。
「これが、飛龍の風爪にあるべき『風磊』だったとしたら――」
 飛龍の風爪は風神石の力を引き出し、風神石は飛龍の風爪の力を引き出す。その相乗効果により発生する力は――。
 イサは、右の飛龍の風爪に風神石を填め込んだ。まるで最初からそこに填め込まれていたかのように、ぴったりと吸いつくように一つになった。
「これは!?=v
 悪魔神官アントリアは、恐怖の感情に囚われた。思わず、数歩後退ってしまう。

 風が、吹き荒れた。その風は神秘の風。聖なる力を持った、神の風。

「な?!=v
 その風により、炎の壁が一気に吹き飛んだ。絶えず吹き荒れていた炎が一瞬にして消え去ったのだ。
「なんだ、貴様、いったい何をした!=v 
 狼狽し、闇の錫杖をイサにつきつける。
「……」
 溢れてくる力を感じるかのように、黙想して目を閉じていたイサは、ゆっくりと瞼をあげた。
「――ヒッ=v
 ただその目を見ただけなのに、アントリアは短い悲鳴を上げた。
 イサの身体に、薄らと光が宿っていた。それは聖なる、神の光。

「これは……!」
 ラグドが目を見張り、闘技台の上で何が起きたのかを把握しようとした。だが、考えても何が起こったのか分からない。
「何が起きたんだ……。それに、イサ様は……?!」
 イサの変わり様に、さすがのラグドも戸惑っていた。そこにいるのはイサにしてイサでないような、それほどの威圧感がある。

「これが……」
 風神石の力だろうか、身体が軽い。羽でも生えているかのようだ。それに傷も、既に痛まない。
「……悪魔神官アントリア。ベンガーナを元に戻し、魔界へ帰るというのなら見逃します。それを拒むというのなら、あなたを倒しますが……さぁ、どうします?」
 無駄だと思うけど、と心の中で付け加えておいたが、アントリアは予想通りの反応を示した。
「どうなったかは知らんが、貴様に私を倒せるはずなど、ない! ベンガーナも元に戻す気は、微塵もないわぁ!=v
 先ほど見せた念じボールよりも遥かに大きな念球を作りだし、打ち放とうとする。
「そう……」
「死ねぇ!=v
 それが解き放たれた。
「……」
 イサはそれを、無言で弾き飛ばした。ただ、それだけ。
「な、あ、バカな!=v
 何かしらの技を使ったわけではない。ただ振り払っただけだ。自分の身長ほどある巨大な念球を。
「あなたの巨体ですもの。『風死龍』を使った所で、まだ少し生きているかもしれませんね」
 口調ですら変わっていた。ラグドを叱りつけた時のような王女としてのイサとはまた違う。
「あなたを倒すと宣言した以上、確実に葬ります」
 イサが両腕を頭上に挙げた。それに合わせて、風が集う。
「まさか、それは!?=v
 アントリアは当然、次鋒戦も見ている。だから、その技が何なのかがすぐにわかったのだろう。
「……あの技とは少し違う。これは、神の力を使った奥義」
 風の龍が二匹、出現した。そして二匹は交わり、巨龍となる。その龍は風だけではなく、光を、聖なる力を感じさせるものだ。
「や、やめ――。死ぃ……!=v
 言葉になっていない言葉をアントリアは繰り返した。命乞いでもしているつもりだろう。だが、イサはやめなかった。
「消えなさい。――奥義『神極・風死龍』!」
 巨大で強大な聖なる風の龍が、アントリアを喰い荒した。

 ――オォオオオォォォォオオオオォン!!

 龍の産声は、今日の決闘で使われたどの龍の咆哮よりも強く、そして壮麗だった。


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