21.寒風一陣


 シルフに入った頃には既に夕方になっていた。ここで食料調達を済ませて、すぐにエルデルス山脈に向けて出発するつもりだったが、宿を取ることに。夜が近いので、休めるうちに休んでおかなければならないからだ。
「おぉおぉ、これはこれはラグド殿。ようこそいらっしゃいました」
「お久しぶりです」
 宿の主人とラグドが握手をかわす。どうやら、ラグドが『風を守りし大地の騎士団』として遠征にエルデルスに行く際、この宿を休憩地点としているらしい。つまり、この宿からすればラグドはお得意様ということになるのだろう。
「今回は、随分と人数が少ないのですね」
「遠征訓練ではありませんからな。用があって、エルデルス山脈へ行く途中なのです」
「そうでしたか。では、こちらへ」
 宿の主人に案内された部屋割りは、ラグドとホイミンの男二人部屋。イサとムーナとリィダの女三人部屋。キラパンは外に繋がれることになった。ホイミンはともかく、さすがに魔物使いの魔物であっても、宿の中には入れないらしい。

 ラグドが選んだ宿屋なだけあって、そこはあらゆるものが充実していた。料理も申し分無いし、値段も比較的安価だ。五人は合同食堂で夕食を済ませたあと、後々の部屋へ戻った。食料や防寒具の調達は済んでいるので、身体をゆっくりと休めることが、精一杯頑張ることである。
「ここ、温泉があるんだって。ムーナ、一緒に行こ〜!」
「ん〜? 風呂かい? アタイはいいよ。リィダと一緒に行ってきな」
 魔道書をペラリと捲って、ムーナは断った。
 一緒に来てくれることを期待していたイサは、すぐに気持ちを切り換えてリィダを誘った。
「それじゃあ、キラパンにご飯をあげて行くっすよ」
 そういえばキラパンは外の馬小屋のような場所に繋がれたままだ。キラーパンサーは肉食であるから、藁だけでは食事ということにすらならないだろう。
「何食べるかな」
「お魚とか食べたりするかもしれないっす」
「ライスに味噌汁をかけたやつが好物かもよ。カツオ節とかも」
 猫と間違えている。
 ともあれ、キラパンが食べそうなもの一式を持って、外へ出て行った。それを見送ったムーナは、一息ついて魔道書を閉じる。
「……さて、と」
 二人がいなくなったことを再確認して、ムーナはその部屋から、そして宿を抜け出した。


「……ちくしょう。誰がキャットフードなんて喰うかよ=v
 イサとリィダが置いて行った食料の中で、比較的まともなものを選んでキラパンは食した。さすがにカツオ節や味噌汁のかかったライスなどは食べなかった。なんだか負けた気がして悔しかったのである。あと、ペット用のキャットフードなど、死んでも食いたくない。
「それにしても……ん?=v
 暗がりの中に、何かが浮かんでいる。それを見た時、最初は何か解らなかったが、かすかな光がその姿を照らしている。輪郭で、それは人間ではないことを知った。その次に、触手が生えていることがわかった。……ホイミンである。
「よぉ。やっと二人になれたな=v
 キラパンが語り掛ける。
「人喰い虎ってカッコイイよねぇ」
 ホイミンが答える。
「あれから、どれくらい経ったかな=v
「名前はなんていうの?」
「覚えているか? 俺も、あの時は若かった……=v
「キラパンだっけ? 変な名前だよね」
「って、おい。話が噛み合ってないぞ!=v
「ボクがカッコイイ名前つけてあげようかぁ?」
 やはり会話が噛み合ってない。もしかしたら、キラパンの声は聞こえていないのかもしれない。そう思った瞬間、キラパンに激しい孤独感と絶望感が全身を満たしていった。
「……なぁ、お前……『あの』ホイミンじゃないのか?=v
 寂しそうに呟く。しかしキラパンの胸中など知ったことかと言うかのようにホイミンは能天気な声で話を続ける。
「名前、何がいいかなぁカッコイイ名前ぇ〜♪」
「……やっぱり、お前はあのホイミンじゃないみたいだな……=v
 泣きそうだった。せっかく、巡り会えたと思ったのに。自分は今、情けない顔をしているのだろうなとさえ解ってしまう。やれやれと首を振って、キラパンは視線をホイミンから外した。
「あ! そうだ、良い名前があるよ。『クラエス』ってどう?」
「!!!!=v
 もうこのホイミスライムには用無しだと思っていたところに、キラパンはその一言に激しい反応を見せた。
「そ、その名前!!=v
「ん〜。でもキラパンでもカッコイイよねぇ。ばいばいキラパ〜ン♪」
「待ちやがれ! オイ!! お前やっぱりあのホイミンなんだろ! 待て! 待てって言ってんだろが!=v
 キラパンの必死な訴えも虚しく、ホイミンは何も聞こえていないかの如く、こちらを振り返ることなくフラフラと宿屋へ戻ってしまった。
「ちくしょう。ちくしょうちくしょうチクショウ! ホイミーーーーィィィン!!!=v
 シルフの夜に、一つ、大きな遠吠えが響いた。


「はふぅ〜。良い気持ちっすねぇ〜」
 温泉の湯に肩まで浸かり、リィダは長い息をはいた。
「って、どうしたんすかイサさん」
 広い温泉ではあるが、イサはリィダの近くにつかっており、じっとリィダを観察していた。
「ん〜。リィダって、女の子として結構いい身体してるよね」
「な、なにをいきなり言い出すんすか?!」
「良いじゃない。女の子同士なんだから」
 リィダはほてって赤くなっていた頬をさらに赤らめるが、イサは気にした様子はないようだ。それどころか、イサは感心さえしていた。この不幸少女、不幸の割には身体に恵まれているようだ。女として羨ましいほどに。
 何故、出会った時はすぐに女と解らなかったが不思議なくらいに、その身体は『女』を形成している。
「着やせするタイプなのかな?」
「それはよく言われるっす」
 少しは慣れたのか、リィダは多少(あくまで多少)恥らうことも無くなっていた。その証拠に、リィダもイサの身体を見返してやる。
「あ、でもイサさんも、小さい身体の割には胸は大きいっすよね」
「あぁうん、それはね。でも私は武闘系だからこれはこれで邪魔に…………って、リ・ィ・ダ・ぁ?」
 言葉の後半からはこめかみをひくひくとさせながら、笑顔を作った。しかし顔は笑っていても、それは笑いと言えるような次元ではなくなっている。
「ふぇ?」
「誰が小さいですってぇぇぇ!!」
「ふえぇぇぇ!?」
 こうした場合、手で飛ばした水飛沫を顔面に直撃させる、というのが常識なのかもしれない。しかし、イサの武闘神風流は例え装備がなくても、それこそ丸裸だったとしても、放つ事は可能なのである。
 半ば本気で――いちおう、手加減はしたが――、相手を吹き飛ばす『風連空爆(フウレンクバク)』を放ち、リィダに気を失うかというほどの風とお湯が直撃した。気を失うというよりも目を回しただけだが、リィダにとってはこれも一つの不幸ということになるのだろうか。
「ふーんだ!」
 気にしていること――身長が低い――をさらりと言われたイサは、ぷいとそっぽを向いた。


 シルフの町が暗くなる頃合に外に出ている者はほとんどいない。余ほどの用件がある者ならばともかくとして、普通の住民は窓すら開けないのだ。それというのも、シルフの人口の大半が盗賊ギルドの人間で構成されており、いくらギルドの人間でも真っ当な人間ばかりというわけではない。だから、下手にふらついて絡まれるということがあるために、下手に外に出たりしないのだ。
 そんな人数が寂しい大通りを、ムーナは歩いていた。堂々としているが、それに気付く者はいない。住民は家に閉じこもっているし、盗賊ギルドの人間は、この場所にいないということをムーナは知っているからだ。何度も、来ているから。
 途中から入り組んだ通路に入り、しかし迷わず足を運ぶ。盗賊ギルドの人間でさえ、この場所の存在を知る人間は少ないという。
「……やっほぉ。あれ、できているかい?」
 ムーナはドアを開けるなり、中にいるであろう人物に問いかけた。
「なんだあんたか。ギルドの人間がここを見つけたのかと思ったよ」
 ドアを素早く閉める。このドア、表から見ると、言われでもしないと、そこにそれが存在しているのか認識できないような細工が施してある。そのドアを通り抜けた先は、一般の民家のようでもあるが、ここが民家ではないということをムーナは知っている。
「……ほら、そこに並んでいるだろ。持っていきな」
 そこにいるのは、老人であろう人物だった。確定できないのは、どこかの占師であるかのように顔を覆い隠しており、しわがれた声は老朽であると想定したからに過ぎないからだ。
「ん。ありがとー」
 並んでいるビンを、ムーナは素早く手馴れた手つきでローブの下に携帯していく。
「……なぁ、それ、誰に飲ませているんだ。それのせいで人が死んだら……」
「アタイだよ」
「なんだって?」
「大丈夫。これのせいで人が死んでも、アタイの責任さ。アンタの責任にはならないから、安心しな」
「…………」
「それじゃ、次も頼むね」
「……毎度」
 それ以上の会話は無用、とでもいうように、老人は目を閉じた……のだろう。ムーナはそれを苦笑しながら見やり、踵をかえしてドアを開ける。ムーナは夜の闇にとけ込むかの如く、消えて行った。


 ラグドもまた、ある場所を目指していた。一つの酒場の前で立ち止まり、躊躇うことなく入り込む。客はほとんどいない。この時間に呑んでいる人間がいてもおかしくはないが、この店は人気がないのだろうか。ラグドとしては気に入っているのだが。
「いらっしゃいませ」
 無表情な店の主人は、しかしラグドの姿を見ると微笑を見せる。普段は無愛想だが、ラグドには何故か良くしてくれるのだ。それも理由の一つとして、ラグドはシルフの町に来た時はここに必ず立ち寄っていた。
「いつもの席は……見てのとおりだが」
「構わない」
 ラグドは、カウンター席の一番奥に座ることが癖になっていた。だが、今日は先客がおり、無理にどいてもらう必要も無いので、奥から一つ間を開けた席に座った。ギ、と椅子の軋む音がした。
「いつものを」
「はいよ」
 いつも出してもらっている酒を注文する。
「……なんだぁ、テメェはぁ?」
 先客――バンダナを巻いた、若い男だ。ラグドが近くに座ったことが気に入らなかったのか、酒も入っていることもあり、顔を真っ赤にして話しかけてくる。
「ここがよぉ、盗賊ギルドのよぉ、領域(テリトリー)だって、知ってんのかよ、あぁ?」
 言葉が途切れ途切れなのは、何度もしゃくりをあげているからだ。どうやら、そうとう酔いが回っているらしい。それもかなりの悪酔いだ。
「ここは前まで一般市民の領域だったはずだが?」
 ラグドは務めて冷静に聞き返す。シルフの町は領域が決まっており、盗賊たちの領域と一般市民の領域が五分五分になっている。境目がはっきりしているからこそ、ここで一般人とギルドの人間との争いは全くないのだ。そしてここはラグドの言う通り、一般市民の領域のはずだった。
「……あ? ……あぁ、そういやぁ、そうだったなぁ。俺様が、今日はこっちに来たんだっけなぁ」
 焦点のあっていない目を自分の持っているグラスに戻し、悪びれた様子もなくそれを煽る。
 気がつけば、ラグドが注文した酒もグラスに注がれていた。
「んあ? へぇ、良い酒、呑むじゃねぇか」
 再びバンダナ青年が話しかけて来た。酔っ払っている勢いだろう、ラグドはこうした相手に好感をあまり持ってはいなかった。部下にも酔いすぎる者はいるが、それでも好きにはなれない。
「……安酒のはずだがな」
「値段のこと言ってんじゃねぇよ。質さ」
 熱に浮かされているかのような喋り方になっていた。もしかしたら、限度を超え過ぎているのかもしれない。
「それ、『ヴルーパス』だろ。滅びた国、グランエイス国の最強騎士団虹の天翔翼≠ェ、勝利する度に掲げていた酒とも言われているし、死にかけた王子がその酒の混じった薬を飲むことで息を吹き返したとも言われている。南大陸の傭兵や戦士、騎士が好んで呑む酒……」
「驚いたな。そこまで知っているのか」
「酒好きなもんでね」
 最初の言葉からして、盗賊ギルドの人間だろう。全ての情報が集結すると言われるギルドの人間なら、一つの酒の時代背景や由来くらいは知っているのだろうか。いや、高価なものならともかく、ただの安酒にこの知識だ。自称する通り、余ほどの酒好きらしい。
 確かにラグドが呑んでいるのは『ヴルーパス』というものだ。まつわる伝説の割には人気は少ないし、些かくせのある味をしているため、普通の人間は呑まない。それに製法も単純なもので、かなり安い酒なのだ。
 好感こそはもてないが、感心をしながらラグドはヴルーパスをちびりと舐めるように飲んだ。
 しばらくは、沈黙が続いた。酒場の主人はもちろんのこと、バンダナ青年も何も喋らなくなったのだ。他に客はいない。静かに酒を呑む時間だけが過ぎていった。
 しかし、唐突に入り口が開けられる。その入り口から現れたのは、まだ幼さ残る少年だ。その姿は、どこか不自然で、滑稽にも思えた。
「アニキ! こんな所にいたのか!」
 少年はラグドがいることを知らないような足取りで、彼の隣の隣に座っていたバンダナ青年のほうに走ってきた。
「あぁ? ダーキか」
「どうしたんだよ。アニキ、早く帰って来てくれよぉ。オイラに、盗賊の技を教えてくれる約束だろぉ!」
 少年がバンダナ青年の横に並ぶと、さらにその姿が滑稽に思えた。この少年、バンダナ青年の姿を真似ているのだ。それが似合っていないのだから、呆れてしまう。
「うっせぇな。俺様は一人で呑んでんだよ。邪魔すんじゃねぇ!」
「な!」
「いいから戻りやがれ! ぶっ殺すぞ!!」
「!」
 ダン! とカウンターの台を叩きつけ、轟々と叫ぶ。その迫力に怖気付いたのか、ダーキと呼ばれた少年はうっすらと涙を浮かべながら、何も言わず店から出て行った。唐突に現れたが、去るのも唐突だった。
「……良いのか? 泣いていたぞ」
 ラグドは自分で言って、自分の言葉に驚いた。普段なら気にかけないはずなのに、何故かこの言葉が出たのである。
「うるせぇ。テメェには関係ねぇだろうが」
 確かにその通りだ。たまたま言葉を二,三交わしただけの相手に、そうする義理はない。らしくないな、と自分で思いながらラグドは少なくなったきた酒の量を更に少なくした。
 バンダナ青年も更に呑み、危険ではないかというほどの勢いで呑んでいた。もはや、誰の声も聞こえていないのだろう、店の主人の忠告に、何の反応もしなかった。それどころか、顔を台に伏せて、ぶつぶつと独り言を言っているようだ。
「チクショウ……どうしろって言うんだよ。俺様が、良い功績を出しても『眼殺』の育てた奴だからな、悪い成績を出しゃぁ『眼殺』に仕込まれたくせに、だとぉ……? ふざけんな。だったら、教えろよ。俺様の本当の名前をよぉ、ミレドなんて名付けられた名前じゃねぇ。俺様の、本来名乗るべき名前を教えてみやがれってんだ…………」
 本人にその気はないだろうが、その呟きは、静寂の中でラグドの耳にしっかりと届いていた。
「……ご主人。お代はここに置いておく」
 貨幣をまとめて台に乗せる。それを数えた主人は、いぶかしむような顔をこちらに向けてきた。料金が、いつもより多いのだ。
「この若者の、支払いの足しにしてくれ」
「そりゃ構わんが……」
「それでは、またいずれ」
 主人が言おうとしたことに耳を貸さず、ラグドは店を出て行った。本当に、自分らしくない。あのような限度を弁えずに呑みまくる人間は嫌いなのだ。しかし、ラグドはそんな人間相手に手助けをしてやった。何故か、そうしてしまったのだ。それでも、損したはずなのに悔いはなく、むしろこうしてやるべきだったとどこかで思っている。
 ――季節の割には冷たい風が一陣、通り抜けた。
 寒さは、大して感じられなかった。

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