22-B.不幸少年


 本来なら、今はエルデルス山脈にいても不思議ではないのだ。
 しかし、イサたちは未だにシルフの町にいる。リィダの不幸改善や人喰い虎の事件などで時間が遅れていた。その遅れを取り返そうと、今日は朝からはりきって行こうとしたのだが、気候の変化のせいなのだろうか、ムーナが風邪でダウンしてしまったのだった。

 外を歩いていると、冷たい風が通り過ぎた。風邪薬を買いに行く途中だ。
「キメラの翼でウィードに戻って、サラを連れてこようかしら」
「それはやめておいたほうが良いらしいっすよ」
 イサの提案を、リィダが否定する。
「姐御が、『弱みを握られたらお終いだから』って言ってたっす」
 サラの暴走(?)を唯一の止められるのは、ムーナ一人だけだ。そのムーナが逆らえなくなってしまったら、城は大混乱に陥るかもしれない。それを恐れてか、イサも強引に案を納得させることはしなかった。
「少し休めば治るとは言っていました」
 風邪でダウンしているムーナとは違い、ラグドは健康そのものだ。魔霊病の一件がなかったら、彼はほとんど病というものを知らない体質であると言っても過言ではない。
「そーいえばさー。キメラの翼でパッと言ってもよかったんじゃないのぉ〜?」
 ホイミンがラグドの真上をふよふよと浮遊する。ホイミンの言う通り、ラグドはエルデルスに何度も赴いているのだから、キメラの翼で行けるはずなのだ。しかし、それはラグドが真っ先に提案していたことでもあった、しかし、
「それじゃつまらないもの」
 というイサの一言で却下されてしまっていたのだ。
「それに、道具に頼りっぱなしじゃ人はダメになるわ。自分の足で行かないとね」
 こう言われて、ラグドも渋々黙ってしまったのと同じように、ホイミンは納得したようにアハハと笑い出した。
「そうっすね。歩いてなかったら、キラパンとも会えなかったはずっす」
「うん、やっぱり歩いてよかったよね」
 他愛のない会話を繰り返していられるのは今のうち。イサたちには不幸の少女リィダがいる。どういう意味かと言うと、このまま平穏に風邪薬を買って帰れるというわけではなく、彼女を中心に何か災害か事件が降って来るのは最早決まっていたことで――

 ――ドン!

「うわぁ!?」
 角を曲がったとたんに、リィダが誰かにぶつかった。相手は走っていたのか、その反動でしりもちをついてしまった。一拍遅れて、リィダも反対側にずっこけてしまった。
「な、なんすか?!」
「いってぇ〜」
 腰をさすりながら、その少年は立ち上がった。イサと同年代か、もしくは年下か。
「ん……お前は」
 意外にも、その少年を見て反応したのはラグドであった。
「確か、昨晩に酒場に来たな」
「え? 昨日? 酒場? ん〜〜」
 少年は頭を抱え込み、難しい顔をして何かを思い出しているようだ。
「あ、そうだそうだ。アニキを探してるときに、なんかアンタがぽつりといた気がした」
「ぽつりって……」
 昨晩はこの少年が探していた男の二つ隣のカウンター席にいたのだ。それなりに距離は近かったので、ぽつりと言われるとは心外だった。
「なんだ? 気に入らなかった? いいじゃないか。オイラに比べればさ」
 思わず出てしまった表情が気に入らなかったのか、少年は諦めたような、怒ったような微妙な口調で返した。
「オイラに比べればって……?」
 少ないセリフから何かを感じ取ったのだろうか、好奇心を発揮させてイサが問う。
「オイラ、ダーキっていうんだけどさ」
 ダーキと名乗った少年は、バンダナを巻いており、紺色のマントを羽織っていた。軽快そうな姿をしているが、どうも似合っていない。
「どーも幸運ってやつに見放されているらしいんだ。毎回不可抗力で失敗するし、盗賊目指しているのに盗人に物取りされたりスリされたり。財布を落して見つかったと思ったら既に中身はすっからかんだったし。盗賊ギルドの入門試験には必ず落ちるし……」
 聞けば聞くほど、この少年は運というものがないらしい。
「……どっかで聞いたことあるような話ね」
「そうっすねぇ」
 イサとラグドの視線がリィダに向く。その視線の堪え切れなくなったのか、視線から逃れるように苦笑いを浮かべた。
「アニキは手伝ってくれないし、また落ちるのかなぁ」
「落ちるって、何が?」
「盗賊ギルド入門試験さ」
 盗賊ギルドとは盗賊の盗賊による盗賊のための集まりだ。
 ただの盗賊の集まりではなく、戒律が存在し、その存在は全国共通である。暗殺などの行為をすることもあるが、情報収集能力は世界一と言っても過言ではない。そのため、知られたくない情報まで知られていることもあり、敵に回すと恐ろしいことこの上ない。戦う上で、情報が漏れることが最も恐ろしいからだ。だから、どの国でも盗賊ギルドの多少な横暴は黙認しており、中には和平を結び、友好関係を作り上げている国もある。
「でも、今回の入門試験ってまだ先じゃなかったかしら?」
 イサは、何気なく呟いたつもりだったのだ。普通の人間ならば、こんなことを知っているはずがない。
「な、なんで知ってんだよ!?」
 やれやれ、とラグドが首を振る。これでは、正体を明かさないことには説明がつかない。
「なんでって……」
 イサもそのことに気付いたのか、言葉に詰まった。
「……隠し切れませんな。イサ様が仰ってください」
 ラグドが溜め息を一つ。なるべく旅先ではイサが王女であるということを知られたくなかったのだ。イサ自身、王女という身分を嫌っているのだから。
「なんで知っているか? そりゃあ、自分の家で試験が行なわれるようなものだもの。知っていて当然だわ」
「……へ?」
 ウィードは、盗賊ギルドと友好関係を保っている国の一つだ。正式に手を組んでおり、今年の試験はウィード城内で行なわれる。そのことを事前にウィード王家と団長格には伝えられていた。
「あ、申し遅れたわね。私はイサーリン=ラウ=ワイズ=ウィード。ウィード城の王女よ。こっちが仲間のラグドとリィダ。ムーナって人もいるけど、今は宿屋にいるわ」
 開いた口が塞がらず、ダーキは口をぱくぱくさせている。まるで魚だ。
「あ、え、ぅ、おお?」
 リィダの時よりも混乱しているのだろうか。言葉が言葉でない。
「それより、話を戻すわよ」
「う、えぁ? あ、あぁ。そ、そうだな、うん」
 どうやらまだ混乱しているようだ。思ったよりも激しい驚きようだ。
「え〜と、そう。あんたの言っているのは、本試験のことのようだな。でもその試験を受けるための試験……一次試験と言っても良い。それに落ちそうなんだよ」
「ふ〜ん。……って、ちょっとまって。『本試験のことのようだ』って、まさか知らなかったの?」
 納得しかけたイサだったが、ダーキの言葉に妙なひっかかりがあった。相手が王女とわかっても『あんた』呼ばわりしているのは構わないのだが、言葉の内容に不審があったのだ。
 ダーキは、曖昧な笑顔を浮かべて頷く。どうやら、本当に知らなかったようだ。
「だってよ、一次試験を通過したら本試験の内容を教えてもらえるんだ。試験会場なんて知らなかったよ」
「もしかして、悪いこと言っちゃった? 不正行為として、粛清されるとか?」
 盗賊ギルドの戒律は厳しい。違反した者には、ギルドの人間がその者を暗殺することさえあるのだ。
「それくらいじゃ暗殺の理由にならねぇよ。情報収集はむしろプラス点になる」
 ほっとイサは息をついた。イサの何気ない一言で少年が闇討ちにあったら後悔していただろう。
「それで、一次試験の内容って?」
「情報収集のテスト。定期的にこの街を訪れる、ウィードの『風を守りし大地の騎士団』の騎士団が毎回取っている宿が何処かを調べるんだ。宿って言っても、この町は宿屋が幾つもあるし、客のプライバシーがどうのって宿の人間は喋らないし、人に聞いても簡単に教えてくれるようなことじゃないし、一軒一軒詳しく調べていたら時間足りないし。オイラ不幸な人間だから、目をつけた場所はほとんどハズレだし…………」
 やっぱりもうだめなんだ、とダーキが最後に付け足す。
 気付いてない。気付いてないよ、この子! とイサは心の中で繰り返した。ラグドやリィダも同じ心境だろう。
「喋って良いのかな?」
 小声でイサがラグドに同意を求める。
「……そうですなぁ。たまには幸運というものを味わせても良いかもしれませんが……」
 しかしラグドも躊躇った。ここで教えてあげては、ダーキのためにならない。もちろん、一次試験は通過するだろうが、それはダーキの実力ではないのだから。
「でも……」
「とはいえ……」
 イサとラグドの小声での口論が続いている間、リィダがダーキと話していた。どうやら不幸の少女と不幸の少年ということで話が盛り上がっているようだ。そのせいか、イサとラグドが何について口論しているのかを忘れ、彼女は口走ったのである。
「ていうか、その宿ってウチらが泊っている宿っすよ。騎士団の団長、ラグドさんがいつも取っているって言ってたっす」
「「……あ」」
「マジで?!」
 イサとラグドの声が重なり、ダーキが諦めたような表情から期待の眼差しに切り替わる。
「って、あああ! そういや『ラグド』って『風を守りし大地の騎士団』の騎士団団長の名前だ!!」
 今更になって気付いたのだろう。ダーキが嬉しそうにラグドの手を取る。
「何処?! 何処なんだ?」
 執拗に聞いてくるダーキに、ラグドは渋い顔をした。
「……人に物を訊ねる時はもっと――」
「西通り広場の宿っすよ」
「リィダ?!」
 ラグドが答えようとしなったのを、リィダがあっさりと教える。しかもその通りで、ラグドたちはいつも一番広場の宿屋に泊っており、今回もそこで宿を取っていた。
「お前……」
「いいじゃないっすか。ウチ、この子の助けになりたかったんす。不幸な境遇の、不幸仲間として!」
 変な主張である。
「ありがてぇ! これで不幸なんて名前ともおさらばだ!!」
 さっそくその宿のレポートを作るのだろう、御礼の言葉もそこそこに、ダーキは唐突に走りだした。その背中を見送りながら、ハァと溜め息をついたのはラグドと、イサである。
 何だったのだろうか、突発に現れ、すぐに去ってしまった。まるで、通り雨のような少年だった。
「頑張るっすよ〜〜!」
 ほとんど見えなくなったダーキの背中に、リィダが声援を投げる。聞こえたかどうかは解らないが、リィダは満足しているようだ。不幸な人間の、幸せそうな姿が見られるのは気持ちが良いらしい。

 その後、風邪薬を購入し、ムーナに持っていった。
 よく効く風邪薬らしく、彼女の風邪は一晩で治った。
 そういえば、その一晩の間に、妙な少年がこの宿の周りをうろついていたらしい。間違いなくダーキであろう。立派なレポートを作るために頑張っているようだ。
 そして、時間を随分とくってしまったが、いよいよエルデルス山脈に向けて旅立つ時が来たのだった。

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