1.野盗退治

 

 風が、吹いていた。
 遥かなる空を翔ける風。その風を身に受けて、一人の少女は思わずまどろんしまう。しかし、今はその望に任せて眠っている暇はない。なんとしても、ここから抜け出さねばらないのだ。
「さて、と……」
 翠色の髪が右目を覆い隠しているが、別に右目を見られたくないというわけではなく、気付いたらこういう髪型になっていたのだ。
 まだ幼く、一五の歳にも満たない。しかしその幼さの残る顔には決意の色が見られる。
 手には鉄鋼をはめており、それから鉤爪が伸びている。鉄の爪と呼ばれる武具に改良を加えた、風の爪。以前、自分の城に訪れた武器仙人にこっそり作ってくれるように頼んだのだ。
「……いない、かな?」
 扉を開けて、通路に出る。そこで最も会ってはならない人物と相対しなかっただけで、少女の心はだいぶ落ち着いた。
 左右を確認し、通路を走り抜ける。階段を下り、また通路を走り、階段を下り、通路を走り、下り、走り、また走り、そして――
「あ、いましたな」
 少女と比べると、数倍はあるだろう身長を持つ大男が、最後の曲がり角からいきなり現れた。その大男の出現で、少女の顔は引きつる。
 この城の兵士の証である碧色の鎧で身を包んでおり、茶色の髪の毛は両目を覆い隠しているほどだが、少女の身長に差がありするため少女からは彼の漆黒の瞳が確認できる。
「っ! なんでこんなとこに!?」
「ここを通ると思ったからです」
 驚きつつ聞いた少女に対し、男はあっさりと答えた。
「さあ、部屋へお戻りください」
「い〜や〜だぁ〜〜〜〜!」
 反抗しつつも、大男の手にかかれば片手で少女は浮き上がるのだ。抵抗のしようがない。しかし男は少女を持ち上げるようなことはせずに、困った笑みを浮かべるだけだ。
「……三日」
「え?」
「三日だけですよ?」
 大男が下した判断で、少女の顔が一気に明るくなる。
「ありがとうラグド!」
 ラグドと呼ばれた兵士の横を擦り抜け、少女は再び走る。
「あ、お待ちください。私も同行します」
 図体がでかいために多少遅れがちではあるがラグドは少女を追い始めた。


 外に出ることを許してもらった少女は、早速いつもの場所へと向かう。
 冒険者ギルド。そこで、闘いの場に身を置く冒険者の仕事を斡旋してもらうのだ。そして冒険者全てが戦うためにいるわけではない。人探しや宝の収集。ほかにも洞窟探索や遺跡調査。簡単に言えば『なんでも屋』である。そして『闘うなんでも屋』もいるわけで、少女は後者に当てはまる。
「おじさ〜ん。何か仕事入ってる?」
 年上に軽い口調で聞く姿は本当に幼い。
「おぉイサか。それに、ラグドも一緒だな」
 白髪に白髭。かなりの老齢だが、まだまだ元気があり、息子に仕事を継がせるのは数年くらい後だろうと思われる。
 老人のセリフで、イサと呼ばれた少女は後ろを振り返る。そこに、息切れしてやっと追いついたラグドの姿が見られた。追ってきているということに気付いていなかったため、全力疾走してきたのだ。それに追いつくため、彼はそれ以上の速度を出そうとしていたらしい。やっと追いついたときは既にギルド内の斡旋所で、鎧を着込んだまま走ってきたので、そうとうな体力を削られたようだ。
「あ、ラグド……いたの?」
 彼の苦労などつゆ知らず、純粋にイサは聞いた。
「えぇ……まぁ……」
 今は喋ることより呼吸を整えることを先にしたい彼ではあるが、主君から聞かれては答えるしかなかった。
「今日は……。なんだ、ム〜の字は来てないのか」
「ムーナ? 来てないよ……ね?」
 後から追ってきたのはラグド一人だけである。二人のいうムーナという人物はこの場にいない。
「まぁいいか。この仕事ならあんた等にピッタリだし、二人でも充分事足りるだろう」
 ごそごそと机をあさり、斡旋所の老人は一枚の書類を出してイサに手渡す。
「それに載っている通りだ。ま、頑張れよ」
「うん。ありがとう!」
 書類を受け取るなりイサはまた走りだそうとして、はたと足を止める。
「ラグド……歩いて行く?」
 ラグドは、何度も(しかも必死に)頷いた。


 ――風の城、ウィード。城下町や城の周辺を、風の精霊の力で発生している死と防護の嵐と呼ばれるデスバリアストームで守られており、数年前に出現した魔王ジャルートの脅威を一切受け付けなかった。
 外との交流が全くないのかというと、それは違う。風を止ませることができるので、外へ出るときや入る時は意図的に風を止めるのだ。
 ウィードの治安は、全く良いと言えるわけではない。表向きには良いのだが、反乱を企てる者が多くいたり、野盗が出没したりするのだ。
 風の如き自由こそ全て。それがウィード国民共通の考えなので、自由すぎる考えが野盗を生み出したりするのだ。今回、イサとラグドが請負った仕事はその野盗を退治することだ。まだ規模は小さいらしいので、大きくなる前に潰す。それが目的だ。

 野盗が住処にしている辺りに到着すると、数人の兵士を引き連れている人物に遭遇した。
「あれ? イサじゃんか〜。どったの?」
 兵士を引率している先頭の――男のような、女のような。童顔のせいで性別の判断がつきにくいが、彼女は女だ。魔道師のローブで身を包み、その髪の色は白銀である。
「あ、ムーナ。どうしたのって……そっちこそどうしたの? 兵士なんて連れてきて」
 数人の兵士はあまり知らない者ばかりだ。恐らく、まだ名も知られていない下っ端の兵士だろう。そこまで実力のない兵士を引き連れて、何の用があるというのだろうか。
「アタイたちは命令を受けたんだよ。この辺りに現れた野盗を退治してこいって」
「え?! ちょっと! それって私達の仕事だよぉ!!」
 とはいえ、こちらの発言力は弱い。いつもなら逆なのだが、今の状況上イサは冒険者という身分であり、城の権限には勝つことができない。
「ん〜。……うん。よし、一緒にやろう」
 楽天的に言って、ムーナはにっこりと笑う。
「ムーナよ……。どうせなら止めてくれればよかったものを」
 困り顔で、しかし諦め口調でラグドは言った。
「協力したほうが早いでしょ。それに、イサの発言で、相手の士気を一気に下げさせたら楽だし」
「お前は楽ができればいいだけだろう」
 事実をずばりとラグドは言う。
「アタイは体が弱いからねぇ〜」
 その事実を、ムーナはあっさりと認めた。彼女は病弱というわけではないが、健康そのものというわけでもない。常にローブのしたに栄養剤を携帯しているのだ。
「まぁいい。三日ではなく、二日で済みそうだ」
 野盗の住処へ辿りつくころは夜になっているだろうし、往復していたら、帰りは明日になるだろう。多目に三日まで許したが、二日で終わるならそれに越したことはない。
「オッケ〜。んじゃ行きましょうかぁ」
 朗らかな笑みを浮かべて、ムーナは張り切って歩き出す。しかし、いきなりその動作がピタリと止まり、数秒置いていきなり転倒。
「む、ムーナ?!」
 イサが駆け寄り、倒れたムーナを抱き起こす。
「あぁ〜……アレ、アレを……」
 アレとは何か聞かず、イサは彼女のローブの内ポケットから一つの瓶を取り出す。瓶にはラベルが貼ってあり、『栄養剤』と書かれていた。それを手渡し、危うい手つきでムーナは飲み干した。
「ん〜……。うん、治ったぁ!」
 倒れてしまった時とは違い、その姿は元気そのものへと変貌した。
「あまり心配させないでよ?」
「ん〜。ごめん」
 微笑みながら、ムーナは心配をかけてしまったイサに対して詫びた。


 その夜。火を焚いて祝宴をしている野盗を発見した。城下町はとてつもなく広く、そのため端を襲うだけで役人が飛んでくる前に撤収はできるし稼ぎもそれなりに入る。今日はその稼ぎがよかったので、こうして祝宴を開いているのだ。
「全くもう。本当にウィード国民なの?」
 国民が全て良い人と思いたいが、事実は目の前にあるように悪人も存在する。そしてそれを排除するのはイサとラグドの仕事であり、ムーナの任務でもあるのだ。
「早く潰しちゃおう!」
「ん〜。そうだねぇ」
「早く終わるのならば、それでいいです」
 イサの言葉に、同意の言葉を二人は返した。
 まずは、イサが一人と数人の兵士と伴って野盗に気付かせる。飲みまくっている相手に気付かせ、なおかつ動揺を与えるために一番良い方法は……。
「これはアタイに任せな。 自由なる時の流れに漂う風の精霊さん。わが声に応えて具現せよ――」
 ムーナが魔道士の杖を腰から引き抜き、おもむろに詠唱を始める。言葉が紡ぎ出される度に、周囲の精霊力が彼女の周囲に集まりつつあった。暗いからこそ見える、風の精霊力は翠の発光で、不確定多数の光の粒だ。
「自由なる巫女 渦巻く精霊 発現せよ、真空の渦!」
 不確定多数の光の粒が、一定の方向に伸びる。そして、それは塊となった。
「巨風旋の術――バギマ=I」
 巨大な真空の渦が焚き火の中心で炸裂した。焚き火の火は吹き飛び消え、酒と金に酔っていた野盗どもの酔いが一気に醒める。
「な、なんだぁ?!」
 一番大柄な男が狼狽する。恐らくこの野盗のリーダーだろう。典型的だ。
「は〜い、野盗のみなさ〜ん! あなた達は今から逮捕させられますよ〜」
 にこにこと笑いながら、イサは野盗全員に呼びかける。まだ幼い少女にそのようなことを言われて、引き下がるほど野盗たちは真っ当ではない。
「ガキなんかに逮捕させられてたまるか! このチビが!!」
 野盗どもは他にもなんやかやと叫んでいるが、イサの耳にはこの一言にピクリと反応した。こめかみの辺りが、ひくひくと動いていし、笑顔も引きつった笑みとなっている。
「『ガキなんか』? 『チビ』? ……ふ〜ん、そんなこと言う?」
 確かにイサは幼い。歳も一五にも満たない。自覚しているとはいえ、やはり言われると多少怒りという感情を抱く。いや、多少というものかどうかは、判断しかねるが。
「ガキはガキだろが!!」
「…………。大人しくするなら懲役数年に済ませたのに……。もういいわ、徹底的に壊滅させてあげる! イサーリン=ラウ=ワイズ=ウィードの名にかけて!!」
 その言葉を聞いて、野盗たちは一斉に震え上がった。
「うぃ、ウィード?!」
 イサーリン=ラウ=ワイズ=ウィード。それがイサの本名だ。そして、その名前はウィード王女のものである。この国の王族を目の前にして、野盗どもの士気は急激に落下。すぐ後ろに兵士がいるのを発見したのだ。ウィード城の兵士に攻め込まれては、ただの野盗などひとたまりもない。
「に、逃げろぉ!!」
 その場にある宝などを鷲掴みにして、彼らは逃げ出した。
「徹底的に壊滅させてあげるって、言ったでしょ!」
 イサが走り出して、両手にはめた風の爪で野盗たちに攻撃を加えていく。殺しはせず、足止め程度に傷をつけていった。それはまさに獅子が翔け抜けるが如く。イサの速度はどの野盗よりも速く、逃げ出すことができたのは二,三人くらいだろう。しかし、徹底的にと言った以上は逃がすわけにはいかない。
 逃げ出した数人は、不幸にもムーナとラグドの待機していた場所へと走ってしまった。ラグドをみた瞬間、数人の野盗はいきなり逃げ出した。それもそうだろう。ラグドは普通の人と比べても大きく、最後に身体測定を行った時は二メートルに届くくらいだった。
 ラグドは図体がでかいため、森の中での行動は得意ではない。そのため、逃げ出した数人を捕らえることができなかった。まぁ逃げ出した方向がムーナの待機している方向だったので、彼女に任せることにしたのだが。
「あ、来たねぇ〜」
 黒のローブに白銀の髪。見た目が貧弱そうに見えたので、野盗たちは剣や斧を持って振り切ろうとした。
「邪魔だっ! どけぇ!!」
 貧弱そうな魔道師相手なら数人だけでも勝てるだろう。
「ん〜。こう見えても、アタイもラグドと同じ『風を守りし大地の騎士団』の魔道士団長だよ?」
 その言葉で数人の野盗はまた動きが止まった。
 ウィード国が誇る最強騎士団の団長の一人が目の前にいるのだ。
「た、たたか、かかか、たか……たかが一人で何ができるってんだ!」
 強がっているものの、何を言っているか解らないほど動揺している。
 それでも、斧を振り上げながら、野盗の一人が彼女に襲い掛かった。それに続いて、後ろの二人もそれぞれの獲物を持って走り出す。
「あ〜あ。知らないよぉ〜?」
 最初のバギマを放った時から手で弄んでいた魔道士の杖の、先端の宝玉が碧色に光りだす。
「さ〜て。本日でましたは――『真空波』ぁ!」
 轟音を立てて巨大な真空風が数人の野盗全員を巻き込みつつ直進し、それぞれ月並な叫びを上げつつ、その場で倒れた。
「……あ、死んじゃってないよね?」
 気楽にムーナは聞いたが、その質問に対してピクピク痙攣しただけである。

次へ

戻る