こぼればなし




『覚え書き』からはみだしたその他いろいろのページ。
ひょっとしたら何かの参考になるかもしれませんので書き記しておきます。
思い出した順なので内容はバラバラです。

こんなことありました編
婦人科関係編
婦人科関係編2 (緊急入院編)









こんなことありました編

呼吸困難 その1
たまに、急に激しく咳が出て止まらなくなり、息が出来なくなることがあります。(過去に3回ほど)
原因不明?とりあえず喘息ではないと言われました。
主治医曰く、肺の空気が出きってしまうと陰圧の関係で外気を吸い込めなくなることがある、一気に吸おうとせずに、ゆっくりと少しずつ落ち着いて空気を吸うと良い、とのこと。

呼吸困難 その2
家の階段を上る時に息切れがするようになり、「身体が弱ったかな?肺の症状が進んだかな?」と思っていたところ、甲状腺癌は関係なく、婦人科系の病気で貧血が進んでいるせいだと判明。
何らかの症状が現れた時、別の病気が潜んでいる可能性もあるので要注意!!

取りゃいいってもんじゃない話
術後より10年以上もの間、カルシウムとビタミンD製剤を朝晩2回分処方されていました。
でも面倒なので、途中からずーっと何年もチラーヂンと一緒に飲む朝の分しか飲まなかったんですよね。
つまり処方された量の半分だけ。それでも血液検査で引っかかることはなかったです。
それが2004年に婦人科の方でホルモン療法(薬で生理を止める)を受けるにあたり、骨粗鬆症が心配になったので朝晩の処方された量をまじめに飲むことに。
何だか尿の量が少なくなったなぁと思いましたが、婦人科ホルモン療法の副作用だと思っていました。
が、内科でいつもの血液検査したところ、カルシウム過多と。「多すぎ。半分でいいよ。」って(笑)
カルシウム(+ビタミンD製剤)の取りすぎは一歩間違うと腎不全に。
あー危ない!たまたま血液検査の時期だったから良いものの、そうじゃなかったらどうなっていたか。

ほとんど昭和の甲状腺全摘手術
私が甲状腺全摘手術を受けたのは平成になって間もない頃。
情報が古すぎるので『覚え書き』から省きました。
入院してから手術日まで約1週間あり、入院全体はほぼ1ヶ月間、その後10日間の自宅療養。
今は入院が1週間、などという情報を聞くと、とんでもない長さ!

日帰り手術
甲状腺全摘手術から1年か2年後の話。
ちょっと重めのリュックを背負って出かけた後、郭清した側の首から肩にかけて触るといくつものしこりが!
主治医(初代・外科)に言うと血相変えて日帰り手術でしこりを取って調べると言い出しました。
このとき私は病名を知らなかったので至ってのんき(笑)
確か椅子に座った状態で(記憶おぼろ)、部分麻酔で手術。
主治医と看護師(1人)の会話は全て聞こえる状態。しかも作業は耳元近く。
手術中の筋を引っ張っている様子とか、痛くないだけでわかる状態でした。
途中、使用予定の糸がなかったらしく、看護師がこれしかないと言った糸を「じゃあそれでいい。」と使用。オイオイいーのかそれで!と思ったのは言うまでもなく(笑)
1人で自転車で来たので帰りもゆっくり自転車で帰宅。
結果は問題なし。何が問題なしなのかよくわからない状態でしたが。
貴重な経験なので記録に残しておけば良かったと今になって後悔しています。

差し歯とCT
前々から耳の下辺りにしこりがあるので、何度かCTを撮ったことがあります。(ちなみに肺のついでにと言ったら、別の部位になるとのことでした。)
私は歯が悪くて奥歯にブリッジや差し歯が入ってるんですけど、出来上がったCTフィルムを見てみると放射線が見事に歯の金属に乱反射していて、チェックしたい場所が真っ白でした。
本当に一目見て、あー反射してる!とわかるような、白い線が飛び交っていました。
今後、詳しく調べなければならないような病巣がその辺りに出来たら、差し歯やらブリッジは取らないといけないんでしょうかね。困るなぁ。

カルテと検査資料の保管期限
今は電子カルテに変わってきているからどうなっているかわかりませんが。
カルテや検査資料に保管期限ってあるの、知ってました?
私が掛かっている病院ではCTフィルムなどの検査資料の保管期限は5年。
それを過ぎると破棄されます。
ああ、私の大切な身体の記録が・・・。もったいない。
カルテの方はたぶん同じ科に掛かっている間はずっと保管されて問題ないみたいですけど、私のように途中から違う科に移って前の科に行かなくなった場合、こちらも5年ぐらいの保管期限を過ぎると破棄されます。(同じ病気だけど、外科(手術)→内科(転移後))
それに気がついて病院に掛け合った結果、私の外科のカルテは永久保存してもらえることになりました。
死ぬまで同じ病気とおつきあいしますからね。
でも気がつくのがちょっと遅くて、入院前のカルテと検査資料は残念ながら残ってはいませんでした。
1番悪い状態の時のレントゲンとCTフィルムをもう1度見てみたかったです。
1つの病気と長〜いおつきあいをしなければならないのに、大事な資料が5年ぐらいで破棄されたらたまりませんよね。
甲状腺の専門病院なら永久保存してそうだし、病院によっても違うかも知れませんが、1度念のため確認された方がいいかもしれません。

鉄剤と甲状腺ホルモン
婦人科の方で治療して鉄剤を飲まなくなってから、甲状腺ホルモン(T3、T4)の値が上限をかなり超えるほど上がりました。(2006年年明けの検査結果)
大学病院の先生に尋ねたところ、甲状腺ホルモン(チラーヂン)は鉄剤と結びついて身体の外に出てしまうので、鉄剤を飲まなくなってそれが無くなったせいだろうと教えてくれました。
鉄剤とチラーヂンは一緒には飲まずに時間は空けていたのですが、少なからず影響があったようです。
その結果を受けて半年前からチラーヂンS-50を2錠半から2錠に減らしたので、甲状腺ホルモン値は正常範囲内の上限ギリギリとなり、今はちょうど良い具合になっています。(2006年夏の検査結果)
それから、2003年のアイソトープ治療以降、サイログロブリン値は2000を軽く超えて3000近くになったこともあったのですが、今回(2006年夏)の血液検査の結果、その半分以下の値、1000台前半まで下がりました。
サイログロブリン値が下がった原因は不明なんですが、婦人科の手術以降に1000台に下がったことを考えると、生理の大量出血がなくなって貧血も治り、全身の状態が良くなったおかげなんじゃないかと思います。(ひょっとしたら全身シンチで反応のあった卵巣を取ったせいもあるかもしれませんが。)

アイソトープ治療のおまけ
これ、ひょっとしたら私だけかもしれませんが(笑)
アイソトープ治療で入院した後お肌がスベスベになります。
ついでに、恥ずかしい話ですがダンナからもらった水虫もきれいに治りました。
放射性ヨードが身体の表面についた悪いものも一緒に退治してくれるんでしょうね。

虫刺され
夏といえば蚊ですが、首の前面を蚊に刺されると場所の特定ができません。
蚊に刺された場所と痒い場所が違うから。
恐らく手術のときに首を切ってはがしてまたつなぎ合わせているから、神経が微妙にずれてつながっているんだと思います。(ほんとにそうかどうか医師に聞いてませんが。)
鏡を見るまで刺された場所を掻くことができないので、これが結構イラつきます(苦笑)

大腸バリウム検査 (注腸検査)
お腹に感じた違和感の原因を調べるために大腸のバリウム検査を受けました。
本当は大腸ファイバー(内視鏡)検査の方がいいのですが、私の場合お腹を2回開けていて腸が癒着している可能性が高く、カメラだと痛みが出る可能性が高いのでバリウム検査の方にしました。
ちなみに費用は腹部エコーと合わせて7000円ちょっと。
以下、検査の流れ。病院によって違うと思いますので参考程度に。
【検査前日】
  • 渡されたスケジュール通りに食事制限をする。
    指示通りのメニューまたは市販の検査食をとる。
    時間は午前7時、12時、午後5時。
    内容は、朝食・普通通り → 昼食・素うどん等 → 夕食・実のないスープ等。
  • 食事の合間合間にコップ一杯以上の水分補給。
    (お茶・実のないジュース・サイダー・ポカリ可、牛乳不可)
  • 午後8時に1本目の下剤。午後9時に2本目の下剤。
【検査当日】
  • 朝7時にコップ一杯以上の水分をとる。
  • 朝8時に朝食。砂糖入りコーヒー、紅茶、実のないジュース等。
    但し牛乳、固形食不可。
【検査中】
  • 検査着に着替える。下はお尻に穴が開いた紙パンツ。眼鏡とブラははずす。
  • 検査台に横たわり、お尻にバリウムを入れる管を差し込む。(管を入れる前に直腸の触診)
    管を入れると腸の中で風船のようなものを膨らませて管を固定。
  • バリウムを入れながら撮影開始。
  • 検査士の指示で横を向いたり俯せたりまた仰向けになったり。
  • 検査が終了すると機械がバリウムを吸い出す。
  • その後検査台を降り、検査室内にあるトイレで今出る分だけバリウムを出す。
  • 検査終了。
【検査終了後(帰宅後)】
  • 下剤(2回分)を渡されるので、帰宅後すぐに食事に関係なく1回分服用。
  • バリウムの出が悪ければさらに残りの下剤を服用する。
  • 水分をたくさんとった方がいい。
  • バリウムが全部でたら、全て終了。
【検査結果】
  • この検査でわかることは大腸の異常。(荒れている、ポリープがある等)
  • 今回は大腸に問題なし。
  • 腸の癒着の程度は残念ながらわからないそう。

感想 : 痛み等はそんなに無かったけど、指示通りに体を動かすのがとにかく忙しかった(苦笑)











婦人科関係編


数年前から子宮筋腫も患っていたのですが、それ関係も軽くメモっておきます。
今ではほぼ一件落着、すっかり過去の話になっています。

子宮筋腫
数年前に生理の量が増えたのを自覚して、重い腰を上げて婦人科に行きました。
そこで子宮筋腫があると指摘されました。
あまり詳しい話はしませんが、私のは粘膜下筋腫で子宮の1番内側に出来た筋腫でした。
だからとにかく経血の量が多い!
1番多い時で昼間はソフィボディフィットのナイトガード(26cm/夜用の1番小さいもの)で30分に1回、夜はワイドガード420(42cm/夜用最大のもの)で2時間おきにトイレに行きました。
1度起きられなくて、朝大惨事(苦笑)になったので、それ以降簡単なおねしょシートを敷いて寝るようにしました。
出かけるにも30分以上乗り物に乗れないので、生理期間中はほぼ外出出来ませんでした。
生理期間は大体10日から2週間。しかも24日周期で来るので月によっては2回生理がある月もあり、スッキリさわやかな日は月に10日間ぐらいしかありませんでした。

貧血
確かに生理の量が昔と比べて増えていましたし、筋腫があるのも知っていましたが、気づかないうちに貧血が進んでいました。
ヘモグロビン量(正常値12〜16g)が最悪時は7gに。
2階に上がる階段で息切れがし、5mと走れなかったです。
ダンナの後でトイレが臭くても5秒と息が止められなかった(笑)
酸素を運ぶヘモグロビンが少ないので体中が軽い酸欠状態。
鉄剤で症状改善、といきたかったけど、フェルムカプセルはムカムカ吐き気と下痢でどうも合わず。
助言を受けてフェロ・グラデュメットに変更したら、ちょっとマシになりました。
でもやっぱり少し気持ち悪くなるので飲むのをさぼることが多かった。

卵巣癌の疑い&甲状腺癌とのリンク
2回目のアイソトープ治療直後に撮った全身シンチで、唾液腺や肺の辺り以外におへそのちょっと斜め下あたりにも小さいけれどうっすらと黒く集積がありました。
その2ヶ月後に念のため、骨盤部CTを撮ることに。
同時期、婦人科で1度MRIを撮ってちゃんと調べてみようということになり、結果、片方の卵巣が腫れていることが判明。
卵巣癌の疑いあり、と。
血液検査の腫瘍マーカーの数値は微妙で、あきらかに癌とは判断できない値。
婦人科の担当医曰く、お腹を開けて卵巣を取り出して調べてみないと悪性かどうか判断できないとのこと。(癌だった場合、腹腔内に飛び散るので細胞診は無理)
突然切腹の危機!
でも大学病院の放射線科も地元病院の婦人科も、異常が見つかって調べている場所が同じなので、ひょっとしたらと思ってどちらの医師にも事情を話し、資料を交換して検討してもらうことにしました。
それプラス放射線科にかかっている強みで、腹部のみPET検査もしてもらいました。(卵巣には反応無し)
その結果最終的には、よくわからないがたぶん甲状腺癌の転移だろう、ということに落ち着きました。
甲状腺癌の転移で良かった!とホッとしました。
どこかちょっと間違ってる?(笑) どっちに転んでも良くはないんですけどね。
でも悪性度が全く違うし、シンチで黒く写っていたのでアイソトープ治療がジワジワ効いてくるだろうと思ったので。
卵巣癌の疑いが完全に消えたわけではないので、その後のチェックは欠かせませんでしたが、切腹の危機はとりあえず去りました。
この一件で思ったのが、医療ってチーム制にして欲しいなぁってこと。
1つの異常がいろんな科にまたがっている事もありそうだから。持病があると特に。

偽閉経療法    ※『ホルモン療法』を『偽閉経療法』に修正。(2013.2.7)
癌?の一件の後、筋腫が小さくなるのを期待して偽閉経療法を試してみることにしました。
薬で一時的に生理を止めて閉経状態にする方法です。
閉経が近い年齢だったらこの治療方法で閉経まで逃げ切るそうです。(生理がある限り筋腫が出来る、大きくなる。詳しくは専門サイトへ
ゾラデックスという薬を月に1回、おへその下あたりの皮下脂肪に注射するのですが、1回約1万円!
お腹も痛いが懐も痛い!
6ヶ月(6回)で1クールです。そして次の治療までは6ヶ月空けなければなりません。
治療を初めてしばらくしてから、全身に関節痛が出るようになりました。
主に両肩、そして両手指。
特に手指はひどくて、朝起きた時に手がグーの形だったらグー、パーだったらパー、とそのまんまの形で固まったまま、しばらく経たないと動かせない状態でした。
それから軽い鬱状態。
閉経状態を作ることで更年期障害の症状が出るということでした。
そんな感じでいろいろと症状が出たんですが、私は、副作用なんだろう、治療が終われば治まるだろう、と放っておきました。
が、そんなときたまたま見たTV番組が『たけしの本当は怖い家庭の医学』。
再現VTRを見ていたら、ある病気の症状に自分の症状が全部当てはまるじゃないですか!
その病気とは『リウマチ』。
のんびり構えていたのにその時一気に血の気が引きましたねー。
ただでさえ一生ものの病気を1つ持っているのに、その上にもう1つやっかいな病気を背負わないといけないのかと、さすがに気分的にグレそうになりましたよ(苦笑)
それで次に婦人科に行った時に先生に相談して、その時注射は5回まで済んでいたんですけど、念のため6回目を中止することにしました。
リウマチかどうかハッキリしないけど、副作用がキツイということで。
それから急遽内科の主治医のところにも行き、血液検査をしてもらいました。
早くハッキリさせたかったので。
その結果、リウマチの疑いはないとのことでした。ホッとしました。
結局偽閉経療法の副作用ということでした。
心配して損した感じです(笑)
で、最終的に5ヶ月間治療した後の治療成果は、残念ながらほとんどありませんでした。
筋腫の大きさはほとんど変わらず。がっくり。
余談ですが、『ホルモン療法』と検索をかけると乳癌関係のページに行き当たります。
子宮筋腫と同じく女性ホルモンが絡むので、乳癌の術後の治療も同じホルモン療法(偽閉経療法)を用いるようです。
確かに偽閉経療法を受けた後、数個あった乳腺のしこりがきれいに無くなりました。

入院&手術 その1.決断  2005年(平成17年)
ホルモン療法をしてから数ヶ月後、改めて撮ったMRI画像を見て、1番大きい筋腫が去年の倍の大きさになっていると指摘されました。
番付で言ったら大関クラスだって(笑)放っておくと骨盤内で癒着するかもしれないとのことでした。
そして子宮肉腫の疑いも皆無ではないこと。
前々から子宮肉腫だったら半年で命はない、と言われ続けていました。
ついでに再来月以降、医師が1人いなくなって手薄になるということで、強く手術を勧められました。
実は癌騒動以前から手術は何度も勧められてきました。
私はイイ加減生理の量の多さにウンザリしていて、子供も作らないことだし、スパッと取ってしまってスッキリサッパリ!の手術推進派でしたが、ダンナがずっと渋って手術に反対してきました。
反対の理由は、嫁の身体にメスを入れたくない、術後に後遺症が出たらどうすんだ、というもの。
それから、甲状腺癌の肺転移の絡みで子供は作らないということは暗黙の了解になっていましたが、子宮を全摘してしまうことで、それこそはっきりと完全に引導を渡されるのが心情的に辛い、というのがもう1つの反対の理由のようです。
でも放置するわけにはいきませんので、今回の話は渡りに船とばかりにダンナを説得しました。
手術の内容は、子宮の全摘と片方の卵巣の摘出です。
はじめにも書きましたが私の場合、子宮の1番内側の粘膜のところに数個筋腫がある状態でした。
筋腫だけを取り除いて子宮を残すことも可能でしたが、その場合のリスクは、
  • 子宮のあちこちを切ってつなぎ合わせるということになり、出血が多くなる危険がある。
  • 残すつもりでも手術中に大量出血した時には全摘に切り替える。
  • 今回筋腫だけを取り除いて子宮を残しても、また再び筋腫が出来る可能性がある。(もしも筋腫が出来やすい体質なら尚更。)
子宮全摘の方がやはりリスクは少ないそうです。
子宮に繋がる血管の位置は大体決まっているので止血しやすい、とのことでした。
ということで、別に未練もないので、リスクの少ない子宮全摘を選択しました。
卵巣の方は前々から腫れを指摘されている片方のみを摘出することになりました。
お腹を開けてみて、もしも残せたら残しましょう、ということで。
ホルモン的には片方摘出しても、もう片方が残っていれば問題ないそうです。
早速、ダンナが休みやすい、祝日のある週に入院することに決めました。

入院&手術 その2.下準備
筋腫が大きいために出血が多いことも予想されたので、自己血を採血しておくことになりました。
入院の1週間前に1泊入院して採血、ということですが、それまでに貧血を何とかしなければなりません。
1錠だった鉄剤を2錠に増やして、ムカムカを我慢して必死で飲みました。
その甲斐あって何とかクリア。
自己血は400cc採血しました。
大量に採血するので採血後、家に帰る途中で倒れるかもしれない、というのがわざわざ病院に1泊させられた理由でした。
が、周りの予想に反して本人はピンピン(笑)
たぶん、今まで散々貧血状態でやってきて、そんな状態に慣れっこになっていたから少々血が減っても平気だったんでしょう。
先生にも驚かれて、私って案外身体が頑丈に出来ているのかも!と思いました(笑)
それから、入院に向けて背中まであった髪を顎の下あたりの長さまでバッサリと切りました。
入院中もそうですが、退院後もしばらくお風呂につかるのは禁止でシャワーになるので、髪を洗いやすいように。時期的に時間が掛かると寒いですから。
まぁ、前からショートにしてみたかったのでこれも良い機会です。

入院&手術 その3.入院初日
切腹ともなると大変なイメージもありますけど、入院した次の日が手術で、10日間の入院で済むそうです。
入院日が月曜なのでダンナは仕事、荷物が多くて電車で行くのはちょっときつかったので、定年退職して家にいる実家の父に病院まで送ってもらいました。
初日は別に付き添ってもらうまでもないので、荷物を降ろしたら「はい、ありがとう。」。後は1人。
バスタオル数枚などタオル類を多めに入れたのとゴミ箱や何やらで、荷物がけっこうかさばったんですが、病棟に案内される時には看護師さんが1つ持ってくれました。
婦人科病棟は新築ですごくきれいでした。
4人部屋ですが、洗面とシャワー室完備でした。(清潔にしなければならないので。)
ただちょっと気になったのが、婦人科と産科の患者?がごちゃ混ぜだったこと。
妊婦さんと同室だったんですけど、もしも泣く泣く子宮を取る人がそんな状況だったら辛いだろうな、と思いました。私のように何の未練もなければ問題ないんでしょうけど。
ありがたかったのが、1週間前に自己血の採血で入院した時と同じ部屋になり、その同じ日に一緒に入院した人が術後ほぼ1週間でまだいて、いろいろ話を聞けたことでした。
入院初日は手術の説明やら剃毛やらで結構忙しかったです。
麻酔科の診察もありました。
問診があり、それから手術中の麻酔の点滴針や硬膜外麻酔のチューブを刺すところに油性マジックでマークをつけられました。(点滴は左の手の甲の血管の上に。硬膜外麻酔のチューブは膝を抱えて丸まった時に1番出っ張る、腰の辺りの背骨と背骨の隙間に。ちなみに、チューブはとても細いものです。)
問診の時に念のため声帯の動きが悪いことを言うと、気管に管を入れることで一時的に声がれや声帯麻痺を起こす可能性があると言われました。
でも、挿管には細心の注意を払うと約束してくれました。
そして念のため耳鼻科の診察を勧められました。
結果、私の右の声帯は動きが悪いどころか、完全麻痺であることが判明しました。
ありゃー?(笑)
それから明日の手術に備えてT字帯やでっかいパット(膣からの出血に備えて)やバスタオル等々必要なものをそろえました。
それプラス、看護師さんから渡されたのがきっつーい医療用のソックス?です。
術後は下半身の血の巡りが悪く、エコノミークラス症候群(血栓が出来る)になる可能性があるので、膝から下を圧迫しなければならないそうです。
寝る前には眠剤と下剤が出ました。
それと麻酔科でマークをつけられた場所に、それぞれ丸いシール状の麻酔薬を貼られました。(麻酔の点滴は液が入る時にちょっと痛いそうです。だから麻酔シールを貼っておくそうです。)
これで準備完了。明日は朝一で手術です。

入院&手術 その4.いよいよ手術
いよいよ手術の日の朝。
朝6時以降手術の次の日までは飲食できないので、5時50分頃にお水を一口飲みました。
それから7時に浣腸。の前に、元々ゆるい方なのでお通じがありました。
浣腸の後にはほとんど何も出ず。
立ち会いにはダンナと実家の母が来てくれました。
特に母には、摘出したものを写真に撮るよう事前に頼んでいました。(術後に摘出した物を家族が確認することになっているので。ダンナは血がダメなので役に立たず(笑))
甲状腺の全摘手術の時に摘出した物を見ておけばよかった、という思いがずっとあったので、今回はぬかりなく周りに頼んでおきました。
担当の先生にも術前説明の時に写真撮影してもいいか一応聞いてみると、撮影しても良いし、病院側でも摘出した物を必ず写真撮影するのでそれをあげるよ、という事になりました。
その後、ぴったりフィットの医療用ソックスを履き、9時過ぎにストレッチャーで手術室へ出発。(ソックスはエコノミー症候群防止のために術後もしばらくの間履きっぱなし。)
天井しか見えない状態で移動させられるのはなんだかフワフワして妙な感覚です。
で、手術室前で着替えて別のストレッチャーに乗り換えました。
そして手術室内へ。
割と古い病院なので、手術室のエリアに入った瞬間からなんとなく古ーい薄暗ーい雰囲気(気のせい?)でしたが、やはり手術室もなんとなく古い雰囲気。
壁も床も白っぽいタイル張りの部屋でした。
あーこれは水洗いしやすそー、というのが感想(笑)
その真ん中にある手術台にいよいよ上がる事に。
看護師さんが数人いました。
それから婦人科の担当医が、ちょっとあやふやなのですが、『心配しなくていいよ。』というような内容の言葉をかけてくれました。(ぶっきらぼうだけど優しい先生です。)
ここで麻酔科医が登場。
でも登場したのは前日麻酔科で問診したりマークを付けてくれた先生ではなく、その先生の横で助手のような感じで立っていた若いお兄さん(たぶん麻酔科医、部下?)でした。
おかげでここから麻酔で意識が無くなるまでの間、『おいおい!』とツッコミを入れまくることに(苦笑)
まず、左手の甲の麻酔シールをはがしてそこに麻酔の点滴針を・・・のはずが、そこは無視して左手首内側の血管に針を刺しました。
液が入る時に痛むから、ってことで麻酔シールを貼っていたのに!
麻酔シールの立場は!?
はじめのツッコミ(笑)
次に、手術台の上で身体を横に向けて軽く膝を抱えて丸くなった状態で、腰の辺り、背骨と背骨の隙間に硬膜外麻酔の細いチューブを刺しました。(事前にその周辺に痛み止めの注射をしたっけ?記憶が・・・)
結構痛かったです。
が!その若いお兄さんは何回刺し直したことか!
確か、刺し直すこと7,8回。
刺し直す度ににこやかに『痛いですかー?大丈夫ですかー?すいません。』と私に言うお兄さん(笑)
刺し直す度に心の中で『痛いし!痛い?って聞く暇あったら早くちゃんと刺せよっ!』とツッコミまくる私(怒)(刺し痕はその後、退院してからもしばらく痛かった。)
ちなみに、チューブは痛みをコントロールするために術後しばらくは刺しっぱなしです。
そんなこんなでようやく無事にチューブも刺さり、手術台の上で手足も固定され、酸素マスクが当てられ、すぐに意識が薄れました。
全身麻酔下での手術です。終了予定はお昼前。
術後、意識が戻るまで、しばらくさよーなら(笑)

入院&手術 その5.手術の日・術後
手術はほぼ予定通りお昼前に終了。
手術室から病室に運ばれている記憶もあったように思いますが、時間が経った今、すっかり忘れてしまいました。
後からダンナに聞いた話によると、ストレッチャーに乗せられて病室に戻ってきた時、真っ白い顔で、目は開けていたけど反応はなく、まばたきをパチパチしていたそうです。
ちょっと怖かったそうです。
その辺の記憶は本人には全然ありませんが(笑)
意識の方はうつらうつらしていたかもしれませんが、徐々にはっきりしていきました。
ただ、疲労のせいか全身麻酔の影響か、目がなかなか開けられず、両手を胸の上に置いて身動き1つ取らないまま、耳だけが聞こえている状態がしばらく続きました。
人間は最後まで聴力が残る、と聞いたことがありますが、ほんとにそうかも、とちょっと思いました。
術後は左手首に点滴と下はオシッコの管、背中(腰)に硬膜外麻酔のチューブが刺さっている状態でした。
硬膜外麻酔のチューブの先にはちょっとした装置が付いていて(ぶら下げて歩ける程の大きさ)、自動的に痛み止め(麻酔薬or鎮痛剤?)を腰に注入するようになっていました。
また装置のところには注射器もついていて、痛む時には自分で押して痛み止めの量を増やし、痛みをコントロールできるようになっています。(押すと液が入っていくのがわかります。)
そんな状態での腹部の痛みは、生理痛をひどくしたような感じのものでした。
手術前の1番の心配事が術後の痛みだったので、激痛じゃなくて良かったです。
術前の説明では『筋膜を切ると吐き気が出る。』と言われましたが、意識がはっきりしてから徐々に吐き気に襲われ始めました。
幸いなことに胃の中に本当に何も残っていなかったおかげで、えずく※だけでほとんど何も出ず、ある意味楽でした。
でも、えずく時にお腹に力が入るので傷が痛い!(苦笑)
吐き気はしばらく続きましたが、夜中には治まりました。
(※『えずく』って方言? 調べたら通じない人もいるようなので一応注釈を。=オエッとなること。嘔吐反射。イメージ的には『胃の内容物を吐く、嘔吐』の一歩手前かな?使用例・『歯磨きでえずく』 とか。)
甲状腺全摘手術の時は重篤患者さんが何人か居るICUで一泊したおかげで、周りの機械音が気になって眠れなくて、きつくて長ーい夜を過ごしました。
でも今回はまっすぐ病室に戻ったので案外ぐっすりと眠れたように思います。
手術前のもう1つの心配事が、夜眠れるかどうか、だったのでよかったです。

入院&手術 その6.手術の内容と結果
手術の内容は、子宮の全摘と片側の卵巣摘出手術でした。(卵巣は残せたら残す、ということでしたが、やはり摘出しました。)
まずお腹の切り方ですが、横に切ると傷が目立たないそうですが、筋肉(筋繊維?)を切断するので違和感が残るということでした。(首の傷で経験済み)
なので私は、おへその下からまっすぐ縦に切る、一般的な縦切りを選択しました。
ビキニの水着を着たり、温泉以外でヌードを晒すことなんてあり得ませんから(笑)
当初、切るのはおへその下を10cmぐらいと聞きましたが、術後先生に『悪いけど、(ブツが)大きかったので長めに切らせてもらった。』と言われました。
おへそのすぐ下から下に向かって長さ14cm弱の傷になりました。
説明ではまず皮膚と脂肪の層を切って、その次に筋膜を切るとのことでした。
筋膜とは腹筋を覆っている薄くて強い膜で、この膜がお腹を覆っているおかげで内臓などが身体の外に飛び出さないそうです。
お腹の筋膜は正中線のところが弱いので、それを避けて左右どちらかに少しずらして切り、そして閉じる時には開かないように強くがっちり縫うそうです。
だから術後はお腹の表面の縫い目とお腹の中の筋膜の縫い目の、少し位置がずれた2つの縫い目が出来るそうです。
抜糸後にお腹を触ると、確かに表面の傷のちょっと横に、傷に沿って縦に縫い目らしき堅い部分が触れました。
これは時間と共に無くなりました。(溶ける糸を使用)
筋膜を切ったら次は筋肉(筋繊維?)。
こちらは切らなくてもかき分けるだけで開くそうです。(縄のれん状態?(笑))
子宮と片方の卵巣を摘出した後の膣は、切り離した上部をしっかり溶ける糸で縫合。
その縫い代の分だけ膣の長さが短くなるとのことでした。
さて、摘出したものの大きさですが、500g強でした。(普通は100gほど、と聞いたような。正確なことはちょっと忘れました。)
子宮は筋腫でかなり大きくなっていて、外側にもいくつか筋腫がくっついている状態。
病理検査の結果、子宮肉腫はないとのこと。ホッとしました。
卵巣の方はチョコレート嚢腫で、こちらも癌の心配はないとのことでした。
母はブツをしっかり確認し、ちゃんとデジカメで撮ってくれました。
でも、親戚のおばさんが卵巣癌の手術をした時も術後の摘出物の確認をしたそうですが、それと比べて私のブツの巨大さにとても驚いてショックを受けたそうです。
摘出したブツを見るのは絶対に嫌だ!と言っていたダンナの方は、術後に病室に入ってふとテーブルの上を見ると、不透明な袋に入ったあきらかにブツとわかるものが置かれていたそうです。
ダンナの心の叫び→『うぎゃ〜見てしまった〜!』(笑)
生で見た訳じゃないのでとりあえずセーフだったそうですけど。
パッと見た大きさとしては、350mlビール缶の胴をふくらませたぐらいだったそうです。
そんなものがお腹の中に入っていたなんてびっくりです。
本当に自分としては実物を見てみたかったです。
あ、ウッカリ忘れてました。
事前に採血しておいた自己血ですが、ほぼ同量の出血があったので無駄なく使われました。

入院&手術 その7.手術の次の日
手術の次の日の朝には診察があり、看護師詰め所の向こうの診察室まで出来たら歩いてくるように言われました。
歩いていく気満々でしたが看護師さんが呼びに来てくれるものと思ってベッドで待っていたら、「やっぱり無理だった?」と言いつつ先生の方が来てくれました(苦笑)
結局ベッドの上で傷の消毒をし、ガーゼを貼り替えて腹帯を巻き直し、点滴をはずしました。
診察の後しばらくしてから、1度立って様子を見てから尿の管をはずそうということになり、試しにベッド脇に立ってみました。
意外と腹部に激痛などは無く(鈍痛? 痛み止めが効いているおかげか)、これならトイレも大丈夫、ということで、早速管をはずしました。
ついでにT字帯&特大パッドからパンツに履き替えました。(不要品となる運命のサニタリーショーツ)
膣からの出血を考えて特大パッドを当てていたのですが、ほとんど出血はありませんでした。
そういえばドレーンはつけてなかったです。
でも一応パンツにしてからも生理用ナプキンをつけるようにしました。
トイレは病室から1番遠いところにありましたが、自力で歩いていかなければなりません。
でも、手術の次の日ではありましたが、出来るだけ歩かなければ傷が癒着してしまう、ということでしたので運動も兼ねられてちょうどよかったかもしれません。
さながらサルの様な格好でお腹をかばいつつ、痛み止めの自動注入装置?を入れた袋を首にかけてトボトボとトイレ通いを始めました。
食事は夕食から3分粥が出ました。
まだ腸の動きが悪いのでガスは出ません。
盲腸(したこと無いですけど)と同じようにガスが出るのを待つ状態でした。(その日のうちか次の日にはガスが出たと思います。)
が、これ以降、腸が動くたびに痛みに耐えることに。
お腹の中の傷が痛い!激痛ではないけれど。
ついでに、とてもむせやすいので咳をする度にやはり痛い!
細心の注意を払って飲食することに。
夜には微熱が出て座薬を入れました。
当然の事ながら寝返りはまだできないので腰が痛くなりました。
この日は血液検査と尿検査がありました。

入院&手術 その8.術後2日目以降の入院生活
もうそんなに詳しく覚えていないのでメモに基づいて箇条書きで。
【術後2日目】
  • 退院するまで毎朝診察があった。当然歩いて診察室へ。主に傷の消毒。
  • 背中の痛み止めのチューブをはずす。
  • 昼頃から少し痛みが出たので痛み止めの座薬を入れてもらう。
  • 膣からの出血は無いので、この日以降生理用ナプキンは使わない。パンティーライナー使用。
  • 食事は5分粥。
  • 夕方、術後初めてのお通じ。(元々ゆるい方なのでよかった。気張ると傷が痛むので、便秘の人はトイレの度にかなり苦しむらしい。)
【術後3日目】
  • 血液検査と尿検査がある。
  • 食事時に腸が動くと中の傷が痛むので、痛み止めの座薬を入れてもらった。
  • 食事は全粥に。おかずは普通食。何を食べても良い。
  • 看護師さんにシャンプーをしてもらう。気持ちよかった。
  • 夜、病理検査の結果が出る。99%筋腫だそう。肉腫の可能性はほぼ無くなった。卵巣癌も無し。
  • 普通に寝返りが出来るようになる。この夜から痛み止めの座薬は必要なくなる。
【術後4日目】
  • 朝の診察で抜糸。糸で縫っていたのは5ヶ所ほど。糸と糸の間の傷はホッチキスのような金具(25個ぐらい)でビッチリと止めてあった。この日抜いたのは糸だけ。糸を抜く時が痛い!
  • 食事は普通食。
  • 頻繁に歩くようになってからは腹帯をはずして、義妹に借りた産後用のウエストニッパーを使う。
  • 歩く時に少しお腹を押さえて腹筋を助けてやると歩きやすい。
【術後5日目】
  • シャワーの許可が出る。が、病院内で風邪を引いたので下半身だけにする。
  • シャワーの後はすぐに看護師さんに傷の消毒をしてもらいガーゼを張り替える。
【術後6日目】
  • 血液検査と尿検査がある。
  • 朝の診察でホッチキスのような金具を全てはずす。糸を抜いた時ほど痛くはなかった。(どうやってはずすのか興味津々で見せてもらった。考えた人はエライなー(笑))
  • 先生より血液検査の結果や退院後の過ごし方について説明がある。(初めの血液検査の時点で貧血はほぼ改善。あら、すごい?)
【術後7日目】
  • 傷は細い線が1本きれいに入っているような状態だったが、やはりお腹にはかなりの力が掛かるのか一晩でもう一部分が太くなりかけていた。早速マイクロポアテープを貼っておく。
【術後8日目】
  • 入院して10日目。退院。
  • サルからほぼ人間に戻っている(笑)
  • 入院する時に退院する時を見越して着てきた、お腹周りを締め付けないジャンパースカートを着て退院。

退院後の生活についての注意事項
退院後の生活についての注意事項を詳しく知りたい方にはとても申し訳ないんですけど、医師の説明をちゃんとメモに残してない上に、今やほとんど記憶に残っていないという体たらく(苦笑)
とりあえず覚えている範囲で。
まず、1週間は家事をせずにのんびり過ごして、その後無理をせずに1週間毎にやることを少しずつ増やすように、ということでした。(たぶん(汗))
2週目は台所に立ちお料理を15分間だけ、3週目は軽く掃除をはじめる、というような。
お風呂掃除はまだまだしない方がいいとのことでした。あれは中腰になるので。
お腹を切ったが為に腹筋が弱って、そのせいかすぐに腰が痛くなりました。
腹筋の回復と共に腰痛も治まりましたが。
ただ、のんびり無理はしない中でも、散歩は出来るだけするように、とのことでした。
引き続きお腹の中の傷が癒着しないようにと、動いた方が早く腸の動きが元に戻るからということでした。
それから、重いものはしばらくの間持たないように、とのことでした。
これは結構長い間気をつけました。
3才の姪っ子が『抱っこー』と来ても『ごめんねー』状態。
それと、許可が出るまでお風呂にはつかれません。
真冬の最中、シャワー生活が2ヶ月ほど続きました。(確か3ヶ月は続かなかったような・・・。ああ、記憶力のない私(呆))
あと、初めのうちは車の助手席に乗るのは1回30分までで最大1時間まで。
30分乗ったら休憩を入れて、でも車に乗るのは1時間までって事ですね。(運転の方は忘れましたが、少しの間控えた方が良かったような・・・。)
退院10日後に車で1時間弱のところに出かけましたが、自分では大丈夫と思っていてもやはり本調子じゃないのでちょっときつかったです。
余談ですが、このお出かけ、小田和正さんのコンサートでした。
退院後あまり日が経ってないのにコンサートはどうなのかなと思いつつ、退院前の説明の時に先生に相談したら、あっさりOKが出ました。
タテノリロック系じゃないからってことで(笑)
周りの人が立っている中、合間合間に座って休憩しつつ、無事に楽しく観覧できました。
さすがに後で少し疲れが出ましたけど。
以上のような、疲れたら休むという無理のない生活をしばらく続けました。

術後の私
まず、卵巣を1個残してあるのでホルモンの乱れはなく、術前と比べて体調に変化はありませんでした。
卵巣に関してはちゃんと排卵があるそうです。(排卵しても身体に吸収される。)
そして生理はなくなってもその周期はあるそうです。(生理前のイライラとかが残っている。)
今後、生理という目に見えるチェック方法が無くなったので、たまには血液検査で残った卵巣のチェックをしておく必要があります。
傷に関しては、出来るだけきれいにするにはマイクロポアテープを3〜6ヶ月貼るといい、とのことでしたが3ヶ月経ったらすぐに貼るのをやめました。
痒いし。
傷の上の方には貼っていましたが、下の方はおケケ(笑)の上なので貼りませんでした。
結果、おへその下約6cmはきれいに治り、そこから下にはミミズのような傷跡が残りました。
ま、パンティなるものを履いてもミミズ傷は隠れるので良しとするか(笑)
排便に関しては、退院後もしばらくの間は腸が動くたびに痛みがありました。が、これは回復と共になくなることに。
排尿に関しては、膀胱が筋腫に変な形で圧迫されて収縮する力が衰えていたのか、腹筋が弱っていたせいなのか、1度に尿を出し切ることが出来ずに少し間を空けてまた出るという2段階の形になりました。
これも回復と共になくなりました。
あと、圧迫が取れたせいで術前に比べてトイレの回数が減りました。あーノビノビ@膀胱(笑)
それから、手術で身体が弱ったせいか前々からあったのか、カンジタ膣炎になりました。
痒みが出る以外に問題はなさそうですけど。これは薬(座薬&塗り薬)で治療。
手術からもう半年以上が経ちましたが、今現在いたって元気で以前と変わりなく過ごしています。
婦人科へは1ヶ月に1度のペースで通っています。
大きなブツを取ったからへこんでナイスバディになるんじゃないかと期待したお腹ですが、そんなにへこむこともなく(苦笑)
かえっておへそ周りにお肉がついてくる始末。腹筋を鍛えねばと考える今日この頃です。
重いものも普通に持てます。この前姪っ子を振り回して腰にきましたが(病気関係なし)。
貧血もすっかり治り、生理に悩まされることなく快適な日々です。
手術に踏み切って本当によかったです。

おまけ
子宮筋腫の手術体験記の方がメインよりも詳しくなってしまいました(笑)
まあこちらの方が最近で、記憶に新しいし記録もちゃんと残していましたし。
メインの方もこれぐらい記録に残しておけばよかった。
それはさておき、『。』をつけられる病気はやはりいいですね。
ということで、『婦人科関係編』はひとまず完結です。

その他いろいろ (思い出した時に追加します)
  • その後ちょっと困ること
    生理中は避けてください、といわれることが数々あります。
    例えば、マンモグラフィー(乳が張って痛い)とかムダ毛の処理(肌が敏感になるから)とか。
    でも今は身体の周期はあるけど生理がないから、避けた方が良い時期がいつかわからないんですよね。
    なんとなく乳が張ってるなぁ、というのはありますけど。
    それでちょっと困ることがあります。











婦人科関係編2 (緊急入院編)


子宮筋腫&内膜症も手術でほぼ一件落着、すっかり過去の話になっていたはずなんですが・・・。
ずっと経過観察をしていた残り1個の卵巣にアクシデントが起こりました。
2007年(平成19年)冬、まさかの緊急入院(笑)

経過観察
片方の卵巣をチョコレート嚢腫で摘出したので、手術の後は残った卵巣の経過観察をずっと続けていました。
子宮内膜症があるということは残りの卵巣もチョコレート嚢腫になる可能性があったので。
約2年は問題なく過ぎましたが、夏頃から徐々に大きくなってきていました。

発端
ある夜、トイレ(小)を我慢しながら座って用事を続けていた時に、お腹の中で『プシッ』と何かが弾けるのを感じ、同時に強烈にお腹が痛くなりました。
咄嗟に『膀胱が破裂した?』との考えが頭によぎりましたが、身体をくの字に曲げつつもとりあえずトイレに行って用を足すことにしました。その時、普通に排尿できたので『あ、膀胱じゃないな。』と。
痛みに耐えつつ大小用を足すと、我慢できる程度に痛みが少し和らいだので、そのまま様子を見ることにしました。
落ち着いて痛みの中心がどこか探ると、以前先生が触っていた卵巣の辺り。
ここで『卵巣茎捻転』のことが頭をよぎり、診てもらっている婦人科の先生の診察が次の日にあるか、家にある資料で確認しました。そして一晩寝て痛みが引かないようなら病院に行くことを決め、『最悪、入院で手術かもしれない。』と思いつつそのまま寝ました。
翌朝、痛みが引いていることを期待していましたが変わらず、最悪のことを考えながら、朝一で病院へ。
実家の母につきあってもらいました。

緊急入院
経膣エコーや触診の後に出た診断結果は『卵巣茎捻転』。(後に『卵巣破裂』に変更)
卵巣もかなりの大きさになっているとのこと。(8センチ近くの大きさ)
そしてすぐに手術が必要と告げられました。しかもちょうどその日が手術日。
今日これから手術するか、そうでなければ来週の同じ曜日になる、ということで決断を迫られました。
突然のことなのでうちに帰っていろいろと準備したいと思いましたが、捻転により血液が行かずに腐り始めてるかもしれないとも言われ、迷いました。
この時点で何を心配していたかというと、お腹を切る切らないよりも、散らかしたままの家をそのまま放って入院してしまうことと、入院準備や残されるダンナのための準備を何もしていないということでした(笑)
即答出来なかったので、先生が外来を離れるまでに返事をするということで(猶予は約20分)、職場にいるダンナに電話して相談することにしました。が、時間もないことですし、突然のことで迷惑を掛けることになって悪いけれど、今日手術してもらうという方向に持っていきました。
そして外来窓口に『今日お願いします。』と返答。
すぐに術前検査を受けるように指示され、慌ただしく手術に向けてのいろいろが動きだしました。
術前検査は毎度の通り、血液検査、尿検査、胸部レントゲン、心電図、出血時間検査。
プラス、MRI。
全て終わってからもう一度先生に話を聞いても、やはり手術で摘出するしかないとのこと。
たぶん血液に圧迫されてもう正常な細胞は残っていないだろうということで、部分的に残すことも不可能とのことでした。
さようならー私の女性ホルモン・・・。
で、手術の前に一度家に帰ってもいいか聞くと、手術の開始予定時間は3時頃とのこと。
全っ然時間がない。
仕方がないので泣く泣く家に帰ることは諦め、入院のためのあれこれ必要な物は病院の近くに住んでる実家の母に用意を頼みました。
それから早速病室に連れて行かれました。

手術前
病室に行くと、その部屋に先に入院していた方達が何事かとそれぞれのベッドを囲ったカーテンの間から出てこられたので事情を説明すると、一様に気の毒そうに励ましてくれました(笑)
とりあえず落ち着いてから、家にいる義両親に電話しました。
朝、『お腹が痛いから病院へ行ってくる』と言って出てきたきりだったので。
電話口に出た義母にこれから入院することと手術することを告げるとびっくりしていました。
そりゃあびっくりするでしょう(笑)
その後、病棟に上がってきた先生に説明されていろいろな書類にサインをし(印鑑がないので拇印)、パジャマを渡されたのでそれに着替えて手術までボーッと。
そうこうしているうちに職場を早退してダンナがすっ飛んできました。
やがて手術の時間が近づき、浣腸。その後T字帯・腹帯などを用意し、血栓防止のきっつーい靴下を履き、準備完了。
迎えが来て、ストレッチャーに乗るか歩くか聞かれたので歩いて手術室まで行くことに。
ストレッチャーに乗って運ばれると目が回りそうになるので。
前を行くストレッチャーに着いて歩いて手術室に到着。
全部脱いでほっかほかの手術着?に着替えて手術室の中へ。

手術中 (注:少々グロいかもしれません。ダメな方は麻酔の辺りでやめた方が吉。)
今回は前回の手術と違い、半身麻酔。
眠るかどうか聞かれましたが話のタネに眠らないでそのままで手術を受けることにしました。
手術台に寝かされていろいろ準備が始まり、左手の甲に点滴用の針を刺されましたが、それが痛い。
その後横向きになって腰椎に半身麻酔の注射をする訳ですが、その前にその麻酔の注射をするための麻酔注射を打たれました。メインよりもそっちの方が痛かったです。
そしてメインの麻酔注射。それは先の麻酔が効いていたのかそんなに痛くありませんでした。(事前に『最近は針が細くなって痛くないよ。』と言われていましたし。)
ついてくれた麻酔科医さんも前回のヘタクソと違って、前回説明してくれたメインの先生の模様。
手足を固定されて、ほかほかの布を被されて、首の所には首から下が見えないように目隠しの布が衝立みたいに立てられました。
麻酔の方はその間も徐々に身体に染み渡っていき、気がつくと足がまったく動かない状態に。
麻酔医が冷たい布をお腹の辺りから胸の下あたりまで順番に当てて、冷たく感じるかチェックしました。
その後、今度は何か堅い物で同じように痛みを感じるかチェック。これは何回かしました。
そうこうしているうちに胸の下辺りまでまったく動かなくなり、何も感じなくなりました。
そうなる前に頭の所にいた麻酔科医に『咳が出るかもしれないんですが。』(咳で身体が動くのが心配だった)と言ったら『大丈夫ですよ。』と返されてたんですが、ほんと大丈夫でした。
咳で身体が動くどころか、咳自体満足に出来なくなりました。麻酔で腹筋がまったく使えなくなったので胸の力だけで咳をする形になり力が入りません。呼吸も少し苦しくなりました。
先生達もそろって準備が整ったのでいよいよ手術開始。
ドラマなんかでよくある『〜手術を今から開始します。』という先生のセリフが聞こえました。
目隠しの布の向こうにジジジって感じでうっすら煙が見えて、少し焦げ臭い匂いがしました。
たぶんレーザーメス?で切ってるんでしょう。でも切られてる感覚は一切ありません。
切る場所は前回の傷と同じ場所。少し太くなってしまった所も削り取ってしまうそうです。
手術が進むうちに、先生が点滴が刺さって痛い左手の上に体重を掛けてくることが何回かありました。
何回かは我慢しましたが、そのうちおもいっきり体重を掛けられたので我慢できずに頭の上にいた麻酔科医にそれを訴えると、そのことを伝えられた先生が『あ、ごめん。』(笑)
起きてるばっかりにうるさい患者でごめんなさい(笑)
どのくらい時間が過ぎたあたりか、食道が引っ張られるような感覚があり、吐き気が出てきました。
しばらく我慢しましたが吐き気はだんだんとひどくなり、この状態で嘔吐するようなことがあったら(たぶん出来ないでしょうけど)大変だと思い、やはり頭の上にいた麻酔科医に『吐き気がするので眠らせて下さい。』と頼みました。
そうすると『あー、ちょうど今内臓を触っているからね。吐き気が出ますよ。』と言われました。
後から聞くと、お腹を開くと卵巣の一部が破裂して出血していて腹水が真っ赤だったので、お腹の中をきれいに洗浄してくれたそうです。吐き気が出たのはその時なのかな?
そんなこんなで手術の実況はここまで。
後はぐっすり眠らせてもらいました。
手術時間は1時間半。

手術後
同じ部屋の私の前に手術した人は意識のある状態で病室まで戻ってきましたが、私は手術中に眠ったのが遅かったのか、病室につくまで眠っていました。
目が覚めるとダンナと実家の母の他に義両親も駆けつけてくれていて、私の顔を見た後、安心して家に戻っていきました。
前回の全身麻酔の時とは違いは、
  • 手術のダメージで眠気はあるものの、意識が戻った時は割合頭がシャッキリしていたこと
  • 左手甲の点滴と尿の管がつけられているものの、背中の硬膜外麻酔のチューブと顔の酸素のチューブはつけられていなかったこと
でした。
かなり楽。ただ、目が覚めてからもかなりの時間麻酔が効いていて、足が動かない状態でした。
手術後でまず何が辛いかというと、手術した後の夜が長〜いこと。
熟睡できませんし、いろいろつながっていてうっとうしいし。
それでも痛み止めが入っていて傷もそんなに痛くなかったので、頻繁に寝返りを打ちながらうとうとと途切れ途切れに眠りました。(動いた方が癒着しませんし。)

入院生活
基本的には前回の入院と同じ。ただし、格段に楽!
前回と違い半身麻酔だったことと、卵巣を1個取っただけで中の傷が小さかったことが主な理由。
痛みも前回よりは無かったし、サルから人間に戻るのも早かったです(笑)
といっても傷が痛くて、鼻が満足にかめない、エヘンッ!ができない、咳ができない、くしゃみは以ての外、は同じですが(笑)
そうそう、1つ初体験な事がありました。
動く度に右の肋骨の下あたりでゴポゴポ空気が動くような感触があり、尋ねてみると、おそらく手術の時にお腹の中に入った空気だろうとのことでした。
放って置いても大丈夫、いずれ吸収されてしまう、と。
お腹を開けたら空気は入らないんだろうか、と前から疑問に思っていたことが解消されました(笑)

病状説明と退院後の注意
  • 卵巣茎捻転ではなく、卵巣破裂。血が溜まって腫れた卵巣の一部が破裂した事による腹痛。
  • 腸に癒着しかけていたので逆に捻転はない。
  • 検査の結果、癌ではない。
  • 内膜の細胞は極小さな物は残っているかもしれない。が、女性ホルモン剤により多少大きくなっても影響はない。
  • 今までの一連のホルモンによる周期は無くなる。
  • 卵巣が2つとも無くなったリスクは、
    • 女性ホルモン剤が必要となる。はじめは強い薬、その後弱い薬に変更。強い薬のままでは乳癌のリスクが高くなるのと、内膜症が強く出てその刺激で内臓が癒着をおこす可能性が高くなるから。
    • 更年期の症状が出る。←女性ホルモン剤でコントロール。
    • 骨密度が下がる。←女性ホルモン剤でコントロール。
    • コレステロール値が上がる。
  • 退院後の生活についての注意は前回と同じですが、前回よりもゆるく『ま、一応話しておくね。』程度でした(笑)
  • お風呂は今回は退院直後から浴槽につかってもOKでした。お腹の中だけで、膣につながる傷がなかったので。

その他いろいろ (子宮・卵巣全摘後)
  • 女性ホルモン
    卵巣以外に女性ホルモンを作るところがあるのかと先生に尋ねたところ、脂肪が微量ながら女性ホルモンを作る、との答え。もちろん、卵巣の代わりなど期待はできないだろうけど。