本会は香取、友田、深山氏らが
先生宅での修養療法は大正八年四月から始まり、今までに三百七十 人ばかりに達し、その内、東京及び近辺にいるものが百人足らずある。
会の名称については二,三の案が出て、森田先生は神経質礼賛会としてはいかがかとの事であったけれども、結局、森田先生の雅号を採って形外会と称する事に定めた。
本会の会員は、森田先生のところで修養を受けた者に限るとし、役員は森田先生を名誉会長、医員諸君を顧問に推し、会長一名、幹事二名を置く事とした。森田先生の指名で、香取修平氏を会長に、友田恬与氏、深山正明氏を幹事に定めた。
例会は毎月第三日曜・午後二時よりとし、年に一、二回の大会を開く事とした。もし出席者が二五人以上の時は、隣の蓮光寺を借りて会場とする事とする。会費は普通一円、学生五十銭とし、夕食をともにする事とした。
のち森田先生は二、三の会員から質問させ、その内から適切なものを選びて、これに解説を加える事となり、ついに某君の結婚問題について、これが解決を示されたのである。事件はその縁談が既に進行して結納を交換した後、ある精神的葛藤を起こして、自己がこの重大なる責任を遂行しうるや否やに迷いて、挙式を中止せんかと考えた事である。これに対して先生は、金時計を買わんとして決行に迷うとき、あるいは学校卒業の学生となりて、初めて自己の性格がこの職業に対する適不適の事に思い当りて、学校を転ぜんとする時の心理を分解説明して、この結婚は当然決行すべきであると結論されたのである。
のち夕食に移り、思い思いに歓談して散会した。
(『神経質』第1巻、第2号・昭和5年3月)