第6回 形外会 2

 不眠に対する心掛け

 小川氏 私は3年来、両方の下腿(かたい)(かゆ)くて少しもよくならない。()

いてはますます悪いという事を知りながら、どうしてもこれを治す事

ができなかった。これも先生のところへ来て20日ばかりで治った。

 私は先生の診察を受けてのち、家で7時間以上寝てはいけないとい

われたけれども、とてもやりきれない。また仕事をしていなければな

らないといわれむやみに働いた。そしてつまり働けなくなって寝込ん

でしまった。

 入院しても無理に働けば、一定の日数の後には倒れてしまうという

事が恐ろしくてたまらなかった。もう倒れるか、倒れるかと心配しな

がら働いたけれど、なかなか倒れなかった。30日目に首のところが

凝ってきたから、今度はと思ったけれどもやはり倒れなかった。それ

で終いに倒れる事を心配するのを馬鹿げた事と思うようになった。

 しかしまだ不眠に対する不安がなかなかとれない。不眠の時には、

眠らなければ、いつまででも徹底的(てっていてき)に眠らないようにしていればよい

という事であるけれども、私はなんと考えてもその心持になれない。

先生に(うかが)いたいのは、これに対してどうすればよいかということであ

ります。

 森田先生 不眠のことは香取さんに教えてもらえばよい。香取さん

は私の著書ばかりで自ら治った人である。今日ここで不眠の事を詳し

く話しても皆様がかえって退屈される事と思う。

 香取氏 この前には先生が「悪人たれ」という事を話された。私は

先生から、今までこんな事を聞いた事がなかったので思わぬ大獲物(おおえもの)

した。今日も皆様から、何か適切な質問があると、どんな面白いお話

が出るかわからない。

 不眠の事については、かつて私は○○博士が、5日眠らなければ死

ぬるという事を雑誌で読んで、非常に恐怖を持ち、長い間苦しみまし

た。先生に教えを乞うにおよび、人は眠らなくてもよい。2時間眠れ

ばよいとかいわれて、人が拷問(ごうもん)を受ければともかく、普通の生活をし

ていて、眠れないで死ぬという事があるものかという事を知った。私

は不眠の時は、眠らないでいようと思えば、直ちに眠ってしまうとい

う事を知った。

 

 餓死(がし)はあっても不眠死(ふみんし)はない

 森田先生 ○○博士のいった不眠の事は机上論(きじょうろん)である。学者の空論(くうろん)

である。昔から餓死という事はよく聞く事であるが、不眠死という事

我等(われら)薄聞(はくぶん)にしてまだ聞いた事がない。飢餓(きが)(せま)った人は壁の土で

食うとかいう事であるが、実際に食物がなければ、どうする事もでき 

ない。これに反して睡眠はどこでもできる。強行軍(きょうこうぐん)では歩きながらで

も眠る。拷問(ごうもん)でもあまり疲るれば眠らないとはかぎらない。

 学者の実験では、例えば動物を箱に入れ、床には(とが)った(くぎ)を立て並

べて、動物が横になり眠る事のできないようにして、幾日(いくにち)にしていか

衰弱(すいじゃく)し、死に(いた)るかを見、その脳細胞の変化を検査して不眠の結果

を研究せんとするのである。しかるにこの場合、動物が起立(きりつ)している

疲労と、釘の上に倒れて痛い苦しみとその結果起こる不眠とを、どの

ように差引勘定すればよいのであろうと。 なかなか難しい問題であ

る。もし結論を急いで一歩(いっぽ)(あやま)る時は、不眠幾日(いくにち)にして人は死するとか

いう机上論(きじょうろん)が出来上がるのである。

 さて香取君は不眠の時は、徹底的に眠らないと覚悟すれば、容易(ようい)

眠られるようになるという。一方に小川君は不眠の恐怖のために、い

つまでも眠むらないと決心する気持になる事ができないという。

 ここで香取君の言葉を吟味(ぎんみ)すれば、眠らないと覚悟すれば眠られる

という。すなわち眠られると予測すれば、眠らないという覚悟にはな

らない。いつまでも決して眠らないと決めれば初めて覚悟になる。こ

こが言葉のやりくりの難しいところで、言葉は大体(だいたい)矛盾(むじゅん)しがちのもの

である。私が思想の矛盾というのはこの事である。

 これに反して実行は簡単である。小川君の場合でいえば覚悟とか、

眠らないという気持とか、そんな事はどうでもよい。ただ香取さんに

教えられるままに、2日なり3日なり、試みに眠らずにいる事を実行し

さえすればよい。不安がとれないとかなんとか、そんな不安などは、

それを取りのける必要は少しもない。不安のままに、いわれる事を(こころ)

みに実行しさえすればよいのである。

 高良先生 睡眠は生理的に起こる自然現象だから、長い間眠らせま

いとするには、いかにしても他の不自然な条件を加えなければならな

い。純粋に不眠ばかりの実験は不可能である。犬の実験でも、釘で怪

我して血だらけになっても眠る事がある。神経質者でも、実際には全

く眠らないという事は決してないのである。

 私も眠れない事があって、いろいろやった事があるが、(とこ)の中で自

分が南極探検をやる事を考えていると面白い。たいていはその準備中

で、まだ出発しない前に眠ってしまう。これは自分の気持が眠らなけ

ればならぬという問題から離れてしまうがためであると思われる。

 

  信仰を得るには

 高浦氏 宗教的の信仰という事は、どういう事でしょうか。先生は

信仰観について、どんなお考えをお持ちですか。

 森田先生 ここで興味とか理論とかの質問では面白くない。現在自

分の実行上、必要の事を質問されるが便利であろうと思う。私は宗教の

事は知らないし、それは宗教書や哲学の本を読めばよい。「正信(しょうしん)とは何

ぞ」という事は、私の著書(ちょしょ)の「迷信(めいしん)妄想(もうそう)の中に書いてあります。

 ここでは信仰とはなんぞと問わずに、自分は信仰を得なければ不安

でならぬ、どうすればよいかと問う。そうすれば私は何が不安で、(なに)

(ゆえ)に何を信仰せんとするかと反問(はんもん)する。つまりなるべく真剣に自分の

行きづまったところを問えばよい事になります。

 高浦氏 神仏(しんぶつ)は存在するか、しないかという事を私は知らない

自分はなんだか手を合わせて(おが)む気になる事ができない。

 森田先生 (おが)みたくもないのに()いて手を合わす必要もないが、ま

た自分は決して手を合わせないといって強情(ごうじょう)()る必要もない。我々

浅草(あさくさ)観音(かんのん)(さま)へ行っても、お葬式にいっても人並みにチャンと手を

合わせている。神仏の存在とか観音様の御利益(ごりやく)とか、かならずしもこ

れを結びつけて考えないで、しばらくこれを後日の問題として保留し

て置くだけの余裕があってもよい。

 司馬遷(しばせん)の語に「労苦・倦怠(けんたい)、未だ(かつ)て天を呼ばずんばあらず。(どう)    

(つう)惨憺(さんたん)、未だ(かつ)て父母を呼ばずんばあらざる(なり)」という事がある。   

難船(なんせん)の場合になると、平常(へいじょう)全く(まったく)無神論者(むしんろんしゃ)が思わず(こん)()()大権現(だいごんげん)を呼ぶ

事が随分あるとの事である。

 神を信じてしかる後に手を合わせるのでなく、手を合わせる事によ

って、しかる後に神を信ずる事ができるようになるものである。親鸞(しんらん)

(ほう)(ねん)の教えるに従って、唱名(しょうみょう)するようになったのは、親鸞(しんらん)苦心惨(くしんさん)

(だん)の行きづまった結果であった。ただ、良き()(ひと)(おお)せに(したが)い、唱名(しょうみょう)

る事によって、初めて極楽(ごくらく)を認めたのではありませんか。私はこんな

ことはよく知らないが、当たらずといえども遠からずと思う。

 神経質の人は、宗教を信ずる事ができないが、信じなければ決して

(おが)まないという風である。

 

  眠くて困るときは

香取氏 私はかつて不眠については随分(ずいぶん)工夫(くふう)し、これは治す事がで

きたが、今度は眠くて困る、これはどうして治せばよいか。

 入院中に朝は5時に起きて、夜は10時まで、全く休息(きゅうそく)なしに働き続

けであったが、夜業(やぎょう)の時に眠くて、やりきれなかった事が2、3度あ

った。必死(ひっし)になって緊張する、編物をやってみる。あるいは彫刻(ちょうこく)をや

る。古事記(こじき)(うつ)せば、いつの間にか字がミミズののたくったようにな

る。こんな場合に眠くないようにするに、何かうまい工夫はないでし

ょうか。

 森田先生 私もそんな時、別に何も面白い工夫は知らない。ただ日

常、私共が眠い時どうするかといえば、おのおの、その時と場合とに

応じていろいろである。

 第1に、(ひと)りで用事もない時にはちょっと横になって眠る。第2

に、お通夜とか説教を聞くとかいう時で眠い時は、周囲の人に無作法(ぶさほう)

にならぬように、眠りながら起きているふりをする工夫をする。第3

に、例えば汽車を待つとき、急ぐ調べ物(しらべもの)する時などには、眠り込ん

では都合が悪いから、外を歩き、その近辺(きんぺん)見物(けんぶつ)するなり何かをす

る。そうすれば気が変わって目が()める。無理に座っていて目を覚ま

すことは難しい事である。

 これが私のいう「自然に服従し、環境に従順なれ」という事にもな

るが、無理をしないで周囲に適応するようになっていれば、随分ふと

した事から意想外(いそうがい)に、急に目の覚める事のあるのは、多くの人の経験

するところであろう。

 支那流(しなりゅう)の学者は、あるいは勉強するに眠りを防ぐため、太股(ふともも)(きり)

刺したり、天井から(なわ)()らして首にひっかけたりしたとかいう者が

ある。無理な我慢(がまん)稽古(けいこ)にはなるかも知れないが、実際有効の学問に

はならないのである。今でも覚えている、私が11歳のとき、父から

無理やりに勉強させられ、(もう)(ぎゅう)という漢文(かんぶん)が半枚をどうしても覚えら

れない。フラフラ眠り出すのを父が門の外へ連れ出して歩いた時に、

角灯(かくとう)巡査(じゅんさ)(とお)っていた事がある。こんな無理な事は教育上、全く(ゆう)

(がい)無益(むえき)な事である。

 高良(こうら)先生 講義(こうぎ)()くとき、随分眠くて困る事があるが、他の人の

眠っているのを見て、ふと目覚(めざ)める事がある。睡魔(すいま)から()めるのは(ずい)

(ふん)思いがけない偶然(ぐうぜん)の事が多いものである。

 

 字はどうしたら上手になるか

 香取(かとり)氏 私は(ふみ)(つづ)るに下書きをする(くせ)がある。葉書(はがき)でもぶっつけ

に書くという事はできなかった。

 あるとき先生が字の非常に下手な入院患者に、字を書くには字の(こう)

(せつ)はどうでもよい。ただ必要のため、人に読みやすいように、丁寧(ていねい)

活版(かっぱん)のように書く稽古(けいこ)をするようにと教えられたのを聞いた。そもそ

も字が拙劣(せつれつ)な人は、字を上手に書きたい、上手な人を見れば、あのよ

うに書きたいとかいう欲望を失ったので、いわば()(ばち)でどうでもよ

いという風になり、字に対して少しの骨折(ほねお)りもしないというようにな

ったものである。すなわちこの場合に字の巧拙(こうせつ)全く(まったく)度外視(どがいし)して、必

要上、読みやすく()()細工(さいく)をした活版(かっぱん)()を書くような心持(こころもち)で書く(けい)

()をすれば、自分が人よりも劣って上手になる見込みがないという(れっ)

等感(とうかん)から(はな)れて、対人関係がなくなって独立の自分自身になるから、

字が容易(ようい)に上手に書けるようなるという事をお聞きした事がある。

 この事からヒントを得て、自分もいろいろと工夫し、葉書や手紙を

書き直さないで、1回だけで丁寧(ていねい)に書くようにしたところが、まもな

く前に何度も書き直したと同じ程度にできるようになり、ちょっと汽

車を待つ時間や船中(せんちゅう)でも、スラスラと手紙をかくようになり、非常に

能率(のうりつ)をあげる事ができるようになった。

 

  大部(たいぶ)著書(ちょしょ)に下書きをしない

 森田先生 原稿を書く事について、ある人は1行書いては気に入ら

ないで、その原稿用紙を(やぶ)り、3行書いては破り、5枚も8枚も破り

捨てるという(くせ)がある。このようなのは少し破格(はかく)であろうが、私は紙

を書きつぶすのがもったいないから、決してむだに破るという事はな

い。そのために書き初めに少しく時間がかかる。例えば10枚の原稿を

書くとすれば、初めの3、4行が最も腹案(ふくあん)に骨が折れ、3枚くらいま

では思想がまとまらないでなかなか苦しい。5枚6枚となれば、もは

や調子に乗って思想が()き出していくらでも書けるようになる。この面

白い心持(こころもち)を覚えているから、初めの3行の難産(なんざん)の苦しみを()えて骨を

折る事ができるのである。

 私の原稿用紙を書きつぶさぬ事は、あるいは特別の事かも知れぬ

が、私の著書(ちょしょ)(ほとん)どすべて下書きなしに、原稿用紙にそのままに書い

たものである。あの『神経質及神経衰弱の療法』では、わずかに3、4

枚書きつぶしただけである。ただ私の学位論文の『神経質の本態及療

法』は、原稿を1度書き直しただけである。私の下書きをする原稿は

ただ、歌と随筆(ずいひつ)であって、これは草案なしにまとめる事はなかなか

難しいのである。

 

  神経質は優越(ゆうえつ)(かん)から

 小川氏 学者は神経質は劣等感から起こるというけれども、私は優

越感から起こると思うが、いかがでしょう。

 森田先生 その説の方が面白い。例えば赤面恐怖は負けず嫌いであ

り、勝ちたがりである。単なる劣等感ならば、当然人に負けていても

不満を起こさないはずである。しかもいかにしても、それで満足する

事のできないところに優越感がなくてはならぬのである。

 死にたくないのは生きたいがためであり、恐怖は欲望のためである。

相対的関係であるから、一方からのみ論じてはいけない。

 高良博士 私共も学生時代、自分の意志が弱いと思って、夏、わざ

と水筒も持たずに山登りをしたり、無銭旅行などやった事がある。劣

等感は強いけれどもそれなりで負けていたくないからいろんな努力を

する。こんな神経質の療法としてはまずい方法でも、自分でやろうと

思えばたいていのことはできるという自信だけはできるのである。

 香取氏 私も入院中は、とても意気込んで朝も一番先に起き、戸を

ドンドンたたいて(ばあ)やさんを(おどろ)かした事がある。自分ではそれを当た

り前の事のように思っていた。しかし家へ帰るといつとはなしに気が

(ゆる)んで、あんな風に元気である事ができない。これは境遇(きょうぐう)の変化であ

る。木に登った時と(たたみ)の上とは違うという事を常に先生から聞いてい

るけれども、常に精神緊張しているという事について何か方法はない

でしょうか。

 

幽霊(ゆうれい)(さが)しに行く

 森田先生 この精神緊張とか注意を四方(しほう)(くば)るとか、自分の精神を

やりくりしようとするのが、精神修養家の(もっと)(おちい)りやすい(あやま)りであ

り、それは最も(むずか)しく、かつ不可能の事ではありませんか。自分の心

を直すのではない、周囲の境遇(きょうぐう)さえ選ぶ事を工夫すれば、自分の心は

いかようにも自由に反応し適応するようになる。少し理屈に(おちい)るけれ

ども、すでに座禅の如きでも、寺に行くという事と、その座り方が一

定している事などで、自然にダラシなくなる事のできないような境遇

に置かれてあるのである。しかるにそんな形式的の事よりも、我々は

日常、実際生活において、常に最も適当なる境遇に自分を投げ出して

おけば、最も世話のない事である。

 周囲の境遇がいかに反応するかという事については、いま私自身に

ついていえば、今日のような会で、皆さんから私を見れば、全くした

いまま、言いたい放題で、少しも気が張っていないように思われるで

しょうけれども、これで食事時間がきても腹はへらず、時どきは頭痛

もする、気がハラハラしているという風で、それだけの反応がある。

やはりお客に行った時と違う。その時にはかえって腹もへるものであ

ります。理屈ではない、ただそうなるのである。

 また修養に関しては、いま考えれば馬鹿げたような事であるけれど

も、私が熊本第五高等学校時代のこと、幽霊を探検に行った事があ

る。それは新聞である屋敷跡に幽霊が出るという事を知り、翌日学校

の現場を調べてきたのである。幽霊がない事は常識でわかった事であ

る。しかも幽冥(ゆうめい)漠然(ばくぜん)たるある恐怖に支配される。それがすなわち幽

霊である。勿論その幽霊は出なかったけれども、随分恐ろしかった。

馬鹿げた事とは理論であって、心の事実は身の毛もよだつのである。

(注―先生はその時の状況や逃げ(しり)(こし)で、井戸や物置小屋などをのぞ

いて歩いた有様を話された。)

 高良先生 私も高等学校時代、自分の種々な精神上の不全感に悩み

性格を強くしようと、鹿児島で城山へ夜中の12時頃に毎晩、1ヵ月

ばかりも続けて歩いた事がある。こんな事もやってみるとやはり大胆

になれる。しかしこんなことをして強くなろうと力んでいるうちはま

だ本当ではないようですね。

 佐藤先生 (がけ)の上で、落ちはしないかと思う恐怖は苦しいが、実際

に落ちる時は、ただハッと思うだけで、少しも苦しくはない。つまり

我々はなんでも覚悟するまでが苦しいのである。

 

  神経質の職業選定

 高良先生 職業選定について質問が出て、いろいろの話が出た。神

経質は向上心があるから、どんな職業でもその(ほっ)する事に従って発展

する事ができる。

 森田先生 釈迦(しゃか)親鸞(しんらん)は神経質で、日蓮は偏執性(へんしゅうせい)性格、天理教祖は

ヒステリーである。私はある人の性格を知りたいために随分いろいろ

のものを読まなければならぬ事がある。大杉栄の本でも5、6部は読

んでいる。(そう)(せき)や有島の小説を読むのもみなその目的である。

 森田先生 信長は神経質でないようである。

 香取氏 毛利元就(もうりもとなり)は神経質らしい。

 高良先生 北条(ほうじょう)時宗(ときむね)もそうらしい、精神修養についても随分考えた

ようである。

 森田先生 白隠(はくいん)禅師(ぜんし)は明らかに神経質であるが、正成(まさなり)もそうではな

いか、禅は大分やったようである。時宗(ときむね)も禅についての問答(もんどう)をした事

がある。禅をやるような人はいくぶん神経質かも知れぬ。

 なお職業の事について、私が大正8年に初めて赤面恐怖を治す事の

できた第一例は、拙著(せつちょ)にも出ているが、初め非常な文学熱心者であっ

た。しかるに家庭の事情や何かから私の誘導によって、ようやく断念

して商科(しょうか)に入学し、ついに優等で卒業し、英語で1番に選抜され、(しゃん)

(はい)で外交官になり、現在ますます出世している。また一人の法学士の

赤面恐怖は、警察課長になって、随分(ずいぶん)人を相手にしなければならぬ(きょう)

(ぐう)で、これもますます成績がよいのである。

 神経衰弱症が学生に多いとかいう学者の説は、全く意味のない事で

ある。今日20歳以下の人で、学生でないものは非常に少ない。すな
わちこの年頃の神経質は(ほとん)ど学生である。これと同様に我々が田舎の

農家へ行って診察する時には、農業が最も多いのである。

  (『神経質』第1巻、第8号・第9・10合併号、昭和59月~10月)