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それで現在、
さて、神経質が、頭痛や不眠に悩むのは、ただ其の悩むがために悩むのではない。もっと・ほがらかに・何とかしてクリーアに、思う存分勉強がして見たいという欲望に燃ゆるがための・反面の悩みである。
又神経質が、自ら劣等感に駆られ、或は種々の強迫観念に苦しみて、我と我身をかこつのは、単に劣等のために卑屈となり、煩悶のために、自暴自棄となるのではない。この一生をただで終わりたくない・偉くなりたい・真人間になりたい・との憧れに対する・やるせない苦悩である。
若し之が、余の分類による意志薄弱性資質者ならば、頭痛がすれば、其のまま安逸惰弱となり、恥ずかしければ、人前に出ず、苦しい事があれば、逃げ出す。シャー シャー として其処に、何等の精神的葛藤の苦悩はないのである。
神経質が、種々の症状に悩むのは、其限りなき欲望に対する過渡期であり、終には悟りに達すべき迷妄の時期である。それは、自分の苦 悩のみを誇張して、之に執着し、自分の本来の心を自覚する事の出来ない時期である。若し之が、或機縁に接して、一たび生の欲望に対して、心機一転した時、初めて其処に、従来の苦悩が雲散霧消するのである。
そして一たび 、此の契機に触れて、自覚を得た後には、前の苦悩は、夢の如く思い出され、あの苦悩を去らんがために、百方心尽しした事の・馬鹿さ加減を知ると同時に、方向転換して、ひたすらに向上心に駆られて、勇猛心を起こし、苦痛困難を度外視して、努力奮闘するようになる。従って、悠々精神修養に興味を起こすようになる事、恰も「欲の袋に底がない」という風になるのである。
形外会・座談会というものヽ初めて成立したのは、昭和四年十二月であった。神経質で、余の処に入院修養した全治者が、発起して、之により、益々精神修養に精進せんとしたものである。