SUNSHINE -6-
“新大阪―、新大阪―、JR線にお乗換えの方は…”
東海道がこの西の主要駅にゆっくり足を踏み入れるのは、山陽と衝突してから初めてのことだった。
結局、あの後も遅々として進まぬ仕事をようやく片付けたのが深夜。
心底疲れているはずなのにやはり眠ることもできず、始発の運転開始とともに西に下った。
上越の不遜な言葉が自分を動かしたのかもしれない。
いや決して怒っているのではなく。
むしろ、申し訳ないという気持ちにすらなった。
今度ばかりは、あの男の言うとおりなのだ。
自分は自分の勝手で山陽を振り回し、結果、東日本のすべての高速鉄道を振り回す羽目になった。
山形にもいつも以上に迷惑をかけた。
山陽を、東京に居辛くしてしまったのが自分だとしたら、そろそろこの事態を収拾しなければならない。自らの手で。
そう思い、新大阪駅のホームを踏んだ。
なんて久しぶりだろう。
空気すら、違う気がする。ほんの3時間足らずの距離だというのに。
「…つ…!?」
一瞬、視界が揺らぐ。連日の寝不足のせいか頭が重い。
が、それもこの問題が解決すれば一緒に解消されるはず…
「…行かなくては…な」
東海道は、気を取り直すように大きく首を振り、濁った意識を覚醒させると、JR西日本関係者用通路へと歩を進めた。
「やぁ、山陽新幹線」
「げ、九州!?」
上官室を出た途端、いるはずのない眼鏡の男にニヤついた笑顔で声をかけられ、山陽は凍りついたように足を止めた。
「げ、とは失敬だな、せっかく挨拶しに来てやったというのに」
「…なんでお前ここにいんのよ」
「何を暢気な。開業まであと3年を切ったのだぞ。打ち合わせにも本腰が入って当然だろう」
ああ、そう言えば…近々JR九州から誰かが来るとか来ないとか…聞いたような。
例のゴタゴタで、すっかりアタマから飛んでしまっていたが。
「…にしても…新大阪までアンタが直々のお出ましかよ」
「まあね。ときに、東海道新幹線殿は一緒ではないのかね?」
九州は、レンズの奥の瞳を光らせ、山陽の周囲に目をやる。
「…いないね。今、東京の方で忙しいんだ、アイツは」
「なるほど。さすがに高速鉄道のトップは多忙だな。会えなくて残念だ」
「…オレはホッとしてます…」
「何か言ったかね?」
「別に。あのー、打ち合わせあんなら、んなとこウロウロしてねーで本社の方に顔を出した方がいんじゃね?」
上官専用通路のど真ん中での立ち話はヤバい。かなりヤバい。
もしかして、東海道がやってきたら…と思うと気が気でない。
こうなると、仲違いしている今の状況がむしろ有難く感じられる。
「ほら、もう行った行った」
ぐいぐい背中を押して外に連れ出すと、不服そうな顔で睨まれた。
「フン、冷たいね。所詮お前も東海道の派閥ということか」
「…あのねー、ほんといい加減にしてくれよあんたら2人とも!」
たまらなくなって、イラッとした顔を隠さずに言い放った。
「オレはオレ!JR西日本所属の、山陽新幹線!それ以外の何者でもないの!」
「その口ぶりだと、東海道とも何かモメたのかな?」
「大きなお世話。だいたい、オレと東海道がモメてんのはデフォルトだから」
「なるほど。まぁ東海と仲良くやること自体、至難の業だからな。ところで私は西日本とはうまくやっていきたいと思っているのだよ」
「…そらどーも」
山陽は用心深く九州の表情を探った。
しかし極力感情を押し殺した冷たい視線がレンズの向こうから返されるだけで、相手の思惑はさっぱり掴めない。
「…まァこちらも…うまくコトが運べりゃそれに越したことはないんですけど」
「そうかね?山陽新幹線は九州の地を嫌っていると、そう在来線たちが噂していたが?」
「別に嫌ってなんか…むしろ気に入ってるさ」
心外だ、と言わんばかりに長身を反らし、眉をしかめて言い返した。
「何度走っても気持ちがいいかんな。九州へ渡るあのラインは…」
新関門トンネルを駆け抜けると、一気に風景が変わる。
まるで自分自身が生まれ変わるようなあの感覚。あれをどう言葉にすればいいのだろう。
「初めて海を越えたときは、そりゃあ感動したもんなぁ」
「そうだろう、な」
「……」
ふと、九州の口調が微妙に変わった気がして、その顔を見やった。
そこにはいつもの嫌味ったらしい顔でも、人を馬鹿にし見下した尊大な顔でもなく──どこか夢見心地の──九州新幹線らしからぬ憧憬に満ちた顔。
あ、こんな顔、前に見たことがある。
あれは確か──
「…私も海を越えて、再び本州を走るのだ。高速鉄道として…」
そうだ、この顔。
初めて会ったときの、東北や上越や、山形や秋田や長野たちと同じ顔。
世界にその速度と安全性を誇る高速鉄道としての責任感、体中に充ちる力。
その誇りを噛み締めたときの、顔。
そしてきっと、初めて九州の地に渡ったときの、自分の顔。
「何か?」
「…いや」
──そうだよな。おんなじだよな、みんな。
確かに面倒くさい相手ではあるが、この際、自分がこいつと東海道の間に入って、新旧を結びつけるのは運命なのかもしれない。
もしかしたら、初めてあの海を越えた瞬間から。
いや、東海道新幹線の相棒として、この世に存在した瞬間から。
「…何が可笑しい、何を笑ってる」
「や、なんつーか。いろいろ諦めたっつーか」
「そうか、ついに私のものになる決心がついたか」
「なんねーよ!オレは西日本だっつってんだろが!人のハナシ聞けよ!ったく」
怒鳴りながらも、どこか心が軽くなる自分がいた。
どうにかこうにか、九州を仲間として認定できそうだから。
きっとこれからは、もう少しうまくこいつの嫌がらせをかわせるようになれるだろう。
そうしたらきっと東海道にだって──もっと余裕のある態度が取れるようになって。
あいつのしんどさを、もっともっときちんと分かち合える、そんな信頼に足る相棒になれるに違いない。
──いや、なってやらぁ。心配かけた東のみんなのためにもな。
東海道、そして東日本の面々の懐かしい姿がふいに頭に浮かび、山陽の頬は自然と緩んだ。
訝しげな九州の視線を痛いほど浴びながら。
「さん、よ…」
喧騒のホームを背に東海道が目にしたのは、信じられない光景だった。
山陽の傍らには、あの九州新幹線がいて。
笑って、
怒って、
困って、
そして苦笑いして。
…山陽?
どうしてお前はそこにいる?
そしてどうして俺はこんなところにいる?
「…う…」
気分が悪い。胸が詰まる。息ができない。
お前がそんな顔を見せるのは、俺だけじゃなかったのか?
俺の場所に、お前の隣に、なぜ──
つ ば め が い る ん だ
そのまま、誰にも見られぬように立ち去ると、トイレに駆け込んで少し吐いた。
冷たい水で顔を洗うと、ずるずるとその場に座り込む。
──九州山陽新幹線、結構なことだ──
──顔も見たくない──
──出て行け──
「…く、そ…」
己の放った言葉の代償を、今、嫌というほど味わっていた。