誕生日おめでとう、香穂子。
よければこれから、一緒にどこかへ出かけないか? 今日は、君の好きなところへ行こう・・・。
Your Birthday
吹き抜ける潮風を胸一杯に吸い込みながら振り仰ぐ空は、雲一つなく晴れ渡っていた。まるで青い布を頭上に広げたようにどこまでも変わらぬ色が続き、空の青さを映す海と溶け合い一つになる。季節外れの海が嫌いではないのは、凜とした空気と同じく透明感に溢れているからだと思う。寒さに荒れる波も、今日は風が無いからなのか、穏やかな音色を奏でているさざ波が心地良い。
街中では日だまりに温かさを感じ始めたが、やはり海辺ではまだ寒さが募るな・・・香穂子は大丈夫だろうか?
頬に受ける潮風に眉を寄せながら少し先へ視線を向ければ、楽しげに笑う君の声が聞こえてくる。
鏡のように煌めくのは、冬から春へと移り変わる、柔らかに伸びた陽射しを浴びた水面。季節の移り変わりを敏感にいち早く感じ取る光りや海たちが、新たな気配をそっと教えてくれている。思わず目を細めたのは、光りを背負う香穂子の笑顔が眩しかったから。寄せては返す小さな波と戯れ、波打ち際を無邪気に駆け回る姿を見つめている内に、冷たい風に引き締められていた頬もいつしか緩んでいた。
君と一緒に初めてこの海を訪れてから、どれくらいの日々が流れただろうか。あのときはまだ春が終わったばかり・・・学内コンクールの頃だったな。初めてのデートにお互い緊張して、波の音と鼓動がやけに大きく聞こえた甘酸っぱいひととき。波を除け微笑み合いながら、煌めく砂浜を一緒に歩いた光景は、心のアルバムへ大切に刻まれている。君と過ごす季節は夏から秋、そして冬へと移り変わったが、まだそう遠くもないのに、懐かしさが込み上げる。
季節外れで誰もいない海にいるのは君と俺だけ・・・白い砂浜にたった二人。ここが俺達二人きりの楽園だったらいいののにと、そう思わずにいられない。潮風に背を押されて歩き出せば、足下は白いパウダーサンドから水に濡れて黒く固まる砂地に変わる。雪道を駆ける小動物のように、どこまでも点々と続く香穂子の足跡を追いかけ、一歩ずつ確かに刻まれる俺の足跡。
寄せる波がこの砂を消してしまっても、俺達の心に刻まれた足跡は消える事はない・・・そうだろう?
「香穂子、あまり水際に行っては濡れてしまうぞ。まだ水は冷たいだろう?」
「大丈夫だよ。波との追いかけっこには負けないもん・・・って、キャッ冷たい〜!」
「・・・香穂子!?」
くるりと振り返り俺へ手を振る香穂子が、足下に寄せた波に気付き、慌てて砂浜を駆け上がってきた。俺の懐へ飛び込む彼女を抱き締めると、びっくりしたよと胸を撫で下ろし笑顔で振り仰ぐ。喜び溢れる光りを湛えた、泉の瞳で真っ直ぐに。
「今日は私の誕生日だから、どこかへ出かけないかって誘ってくれた時、凄く嬉しかった。私の好きな所へ行こうって言ってくれたから、大好きな場所を選んだの。カフェでケーキを食べて、蓮くんのヴァイオリンを聞いて・・・それも魅力的だったんだけど、一緒にいられるうちにたくさんお出かけしたかったの。大切な日だから、初めて蓮くんとデートした海にもう一度来たかった。二人が大好きな思い出の場所を、もう一度訪ねるって素敵だよね」
「ありがとう、香穂子。君の誕生日を祝う俺の方が、贈りものをもらっているようだな。君と一緒なら今日一日が・・・この先がずっと素敵なものになるだろう。いや・・・すまない、俺が一緒にいたいだけなんだ」
ふわりと浮かべる微笑みは、心をほどく優しい春色。腕の中でもぞもぞと身動ぎ、二人の身体の間に俺が贈った小さなブーケを掲げ持つと、花の囁きかけに耳を澄ませ頬を綻ばせていた。彼女が手に握り締めている、花を数本束ねただけの小さなブーケは、俺が香穂子へ贈った物だ。一年で一度の大切な日・・・彼女への誕生日プレゼントとして。砂糖菓子みたいに可愛いねと、ピンク色の手袋がはまった指先で、丸い花へ語りかけるように突いている。
清らかな純白へ、ほのかに色づくピンク色の丸い花。花屋の前を通りかかった時に、笑顔を浮かべる君みたいだと思ったんだ。ブーケを手渡すときにそう伝えると、花芯にも負けない赤に頬を染めていたな。だが熱さの込み上げる頬を感じる俺も、この花と同じようにほんのり赤く染まっているのかも知れない。君によって引き出されるいろいろな俺がいる、それがくすぐったいけど心地良い。
「ねぇ蓮くん、この子預かってくれる?」
「構わないが、何をするんだ?」
「これからバースデーケーキを作るの」
「は!? バースデーケーキ? この砂浜でなのか?」
「うん! 二人で食べるための美味しいケーキを作るから、楽しみにしててね」
香穂子の分身である小さなブーケを受け取ると、悪戯をする前のように好奇心を溢れさせ、するりと俺の腕から抜け出した。声をかける間もなく波打ち際へと軽やかな足取りで駆けてゆく背中を、ただ見守るしかできない。材料や道具も無いから、本当に食べられるものでは無いだろう。恐らく砂を使ってつくるのだろうが・・・だがどうやって?
きょろきょろと周囲を見渡しては、瞳を輝かせ飛ぶようにぱっとしゃがみ、また何かを求めて駆け回る。一体何を拾い集めているのだろうか。初めて君と来たときには、貝殻を拾おうとして俺が止めたんだったな・・・ヴァイオリンを弾く指を痛めたら大変だと。まさかと脳裏に過ぎりった思い出に、慌てて駆け寄り香穂子の腕を掴むと、予想通りに貝殻を拾い集める香穂子がいた。
ただし素手ではなく、ピンク色の手袋をはめたままで。ハンカチの上には白や桜色など、形や色とりどりの貝殻が綺麗に盛られていた。心配しなくても平気だよと笑顔でそう言って、手袋を填めたままの手を顔の前に広げると、自慢の宝物のように集めた貝殻たちを披露してくれる。
「ほらみて蓮くん、こんなに集めたの〜綺麗でしょう? 初めて海に来たときには蓮くんに心配させちゃったけど、今日は指を痛めないように気をつけて、ちゃんと手袋をしたままだよ。素手じゃないから平気だよね?」
「・・・安心した、だが香穂子の手袋が砂で汚れてしまう」
「手袋についた砂は、ポンポンって叩けば取れるもの。もしも汚れちゃって使えなくなったら、蓮くんと手を繋ぐから温かいよね」
「ひょっとしてその貝殻や小さな流木は、ケーキの飾りなのか?」
「ピンポーン大正解、大当たりだよ! 私と蓮くんが大好きな海をテーマに砂と貝殻を使って、私の特製バースデーケーキを作るの。あ・・・蓮くん今笑ったでしょう〜すぐ分かるんだからね。どうせ子供っぽいですよーだ」
「・・・いや、予想通りだったんだ。香穂子らしいなと思って、俺も手伝わせてもらえないだろうか?」
緩めた瞳で微笑むと、どうせお子様遊びですよと顔を赤く染め、ぷぅっと頬を膨らましてしまった。真っ直ぐな純真さも拗ねた顔も・・・君の全てが愛しいと思う。背を向けてしまった香穂子を、背後から包むように抱き締めて、潮の香りを浴びた髪に埋めながら何度もあやし口付けてゆく。最初は身を固くしていたけれど、やがて小さくくすくすと笑う震動が触れ合う服越しの肌から伝わってきた。
怒ってないよと、小さく舌を出しながら肩越しに振り返る悪戯な笑みに、一瞬目を奪われるけれども。直ぐにどちらともなく微笑みが生まれ、唇に仲直りを交わし合う。爽やかに吹き抜けるそよ風のように、そっと触れるだけの優しいキスを。
さぁ、大切な君への誕生日祝いに、とっておきのバースデーケーキを作ろうか。
水際にほど近い黒く濡れた砂浜の上に打ち寄せられた木の枝を使い、大きな丸を描こう。その上に、香穂子が拾い集めた貝殻たちを二人で均等に並べれば出来上がり。白い貝殻は生クリームのホイップで、君の唇のようなピンクの桜貝はショートケーキの苺だ。仕上げは真ん中に“Happy Birtday Kahoko”と俺からのメッセージを添えて君へ贈ろう。描かれるメッセージを嬉しそうに眺める香穂子が、鞄から携帯電話を取り出し、記念にカメラへ納めていた。
「手袋をしている冬で良かったな。お互いに指を傷つけずにすんだし、楽しいケーキも作ることが出来たから」
「本当はね、夏の海辺の砂遊びみたいに、高く積み重なった塔みたいなものを作りたかったのにな・・・」
「道具が無いから難しいし、大きいと日が暮れてしまう。それに二人だけなら、これくらいさやかな丸でも充分だと俺は思う。大切なのは、気持ちがどれくらい詰まっているかだろう?」
「そうだよね。例え絵は丸い平面でも、いっぱいの幸せが、バームクーヘンみたく何層も積み重なっているんだもの。大きすぎたらお腹いっぱいで食べられなくなっちゃうよね」
残念そうに肩を落とす香穂子へ緩めた眼差しを注ぎ、キャンドルに見立てた小さな枝を、丸く描いた砂のケーキの上に刺してゆく。一本一本想いを込め、心へ語りかけながら丁寧に。
託されていたブーケを隣へしゃがみこむ香穂子へ差し出せば、目の前に微笑む花たちに誘われ、可憐な花笑みが綻んだ。見つめる俺の心の中にも、優しく温かな色彩でいっぱいに。
「香穂子、誕生日おめでとう」
「ありがとう、蓮くん。今までの中で一番素敵な誕生日だよ。お誕生日ってね、ケーキ食べてプレゼントをもらって・・・みんなからおめでとうを言ってもらえる楽しい日だと思ってた。でもね、大好きな蓮くんにお祝いしてもらって初めて、じぶんの誕生日が大切に思えたの」
「香穂子に喜んでもらって俺も嬉しい。今日は君だけでなく、俺にとっても大切な日だ。この日がなければ、俺は君に出会う事が無かった・・・俺はずっと迷い続けていただろう。おめでとう、そしてありがとうと君に伝えたい。何日も前から自分のことのように待ち遠しくて、今朝は少し緊張していたんだ」
「他の誰でもなく世界にたった一人ずつ、お父さんとお母さんが出会って私が生まれた。だから今こうして蓮くんと同じ時を過ごせるし、ヴァイオリン弾いたり手を繋ぐ事も出来るんだよね。お父さんとお母さんに、私の命をありがとうって言いたいな」
交わし合う瞳と吐息の甘さが、流木のキャンドルに柔らかな明かりを灯してゆく。心の目で見つめれば、赤く優しい炎が揺らめいているのが・・・ほら、君にも見えるだろうか。大きく息を吸い込んだ香穂子が身を乗り出し、そっと吹き消せば、君と俺の心にずっと消えない愛の炎が灯った。
「この世には、一人で出来ないことがたくさんあると、君に教えられた。喜びや幸せは、二人で生み出すものだと」
「蓮くんも、ありがとう。私が感じている幸せな気持ちを蓮くんにも届けたいな。覚えててくれただけでも嬉しいのに、こうして一緒にお祝いできたから嬉しさも二倍だよ」
肩へ感じる小さな重みに視線を向ければ、幸せそうな笑みを浮かべた香穂子が、俺の肩先へ寄りかかっていた。
腕の中へそっと抱き寄せ、吐息が触れ合う近さで見つめ合う眼差しが熱さを灯し、やがて甘く一つに溶け合う。
おめでとう・・・そう刻む唇がしっとり吸い付き重なったのを、君が持つ小さなブーケが隠してくれる。
君を大切にしたい、君の生まれたこの日に誓う新しい力。
俺の両手と心の手で、煌めく宝物を抱き締めよう・・・唇で愛を刻み、この腕でしっかりと。
大切な君の誕生日、それは幸せがいくつも重なる特別な日。
二人の幸せと思い出を重ねたバースデーケーキは、食べられないけれども、ミルククリームのように、ふわりと優しく心へ溶けてゆく・・・広い海と潮風の祝福を受けながら。
MiracleDaysの結姫さんから深月の誕生日のお祝いに、「どこかへ出かけないか?」とタイトル前にある台詞の素敵な月森イラストを頂きました! 御礼にとリクエストを伺ったところお出かけその後という事だったので、香穂子の誕生日を祝う月日デートにしてみました。御礼にもならないこんな物で恐縮ですが、感謝を込めて捧げますね。
素敵なイラストは こちら からどうぞv