ノスタルジック・クリスマス 〜Another Eteruno〜 後編



ヨーロッパのクリスマスに欠かせないのが、もみの木とリース、それに色鮮やかな花たちだ。冬の空が鈍色の雲に覆われているからこそ、この季節になると人々は、服も花も明るく暖かな色を好むようになる。11月の中頃から街の花屋が賑わい始め、各家庭や店での玄関に飾られるアドヴェントリースの展示会が行われていた。各店のフローリストが技術とセンスを競い合い店先で展示会を催す、花屋にとっては最も忙しい時期らしく、普段は休みの土曜日や日曜日も店を開けているところが多い。休日に香穂子と散策をした帰り道に、花屋を巡るのが俺たちの楽しみになっていた。


寒さの中で立ち止まる人のためにシャンパンやホットワインを振るまい、人を集めるためにコンサートをする花屋もある。本当は自分たちの家に飾るリースを選ばなくてはいけないのに、花を眺めながら振る舞われる飲み物や菓子で、数件を渡り歩く頃にはお腹も満たされ、音楽の心地良さに心が弾んでしまうんだ。立ち寄るほとんどの店で香辛料入りのホットワインが振る舞われるが、ノンアルコールの子供用を取り寄せても隣で拗ねる君は、別の店員から受け取った俺と同じものこっそり飲んでしまう。だが少量のホットワインですっかりご機嫌になってしまうから、花をゆっくり選ぶ事も出来ず、ほろ酔い気分の君を家に連れ帰るのに必死だったな。


香穂子とヴァイオリンを持って訪れたのは、色鮮やかでたくさんの種類が店先から店内まで溢れる小さな箱庭・・・クリスマスで賑わう前から度々訪れていた街角の花屋だった。小さなテーブルブーケから記念日用まで、不器用な説明にも丁寧に耳を傾けてくれて、イメージ以上のブーケを作ってくれる温かな印象どおりに、人柄を映す並ぶ花たちも優しく穏やかに見える。

彼女も買い物帰りに毎日立ち寄り、花を眺めたり小さなブーケを買ううちに、ヴァイオリンを弾くことを話していたのだろう。今では顔馴染みとなったオーナー夫妻に、演奏会に招かれたお礼の挨拶をすると、急遽飛び入り参加した俺を温かく迎えてくれた。


「可愛いお花たちに囲まれてヴァイオリン弾くのも幸せだよね。お花の力で心もウキウキ弾んでくるの。この想いを弦に乗せたら、きっと楽しい音楽が奏でられるよね。ヴァイオリニストの月森蓮が、お花や屋さんの前でミニコンサートするなんて、すごく貴重だと思うの」
「俺だけじゃない、君と一緒に夫婦で共演だろう? 街角で香穂子と一緒に演奏するのは久しぶりだな。まだ星奏学院に通っていた高校生の頃、駅前通や公園で演奏したのを思い出す」
「あの頃もちょうどクリスマスだったよね。イルミネーションみたいに、ヴァイオリンの音色がキラキラしてたのを覚えているよ」


店の片隅を借りて楽器を用意して調弦を済ませると、大通りに面した花屋の店先でヴァイオリンを構えた俺たちに気づき、声をかけてくれるのは音楽を愛する街ならではだな。言葉や国は違っても、音楽は世界共通の言語だと思う。

買ったばかりのプレゼントを抱え足早に家路を急ぐ人たちが一人・・・また一人と足を止め、いつの間にか多くの人が、店先に人垣を作るまでになっていた。たくさん集まってくれて嬉しいよねと、頬を綻ばせる香穂子が、数歩前に進み出て挨拶をすれば、小さなクリスマスコンサートの始まりだ。演奏するのはオーナー夫妻からリクエストされたクリスマスソングを数曲、そして俺たちが日頃合わせていた曲を数曲。この優しい花の庭に相応しい音色を、共に奏でよう。


だが花屋にたくさんの人が集まり、店の花やリースが全て売れてしまったら、俺たちが好きな物をもらえなくなるのではないか? そんなささやかな心配事も、ヴァイオリンを構えて真っ直ぐ見つめる香穂子が、いつでもいいよと合図を待つ嬉しそうな瞳に消え去った。音色がきっと新たな花を呼んでくれる・・・そう思うから。呼吸を合わせ同時に振り下ろした弓が、軽やかなボウイングで宙を描くと、互いの笑顔が煌めく音の滴に溶け込み花と街中に降り注いだ。




* * *




眺めているだけでつい微笑んでしまう雪だるまやサンタクロース、子供達の憧れである金色の天使・・・。そして大通りのイルミネーションは、流れ星のように光の滴が木々に止まり、喜びを歌っているようだ。綺麗だねと見上げる香穂子の瞳も笑顔も、一際輝いて見える・・・だが、景色ばかりではなく俺の事も見て欲しい。そう熱く見つめる眼差しで語ると、ふいに振り向く君が返事のようにふんわり優しく微笑むから。俺はいつも高鳴る鼓動が鼓動が止められない、君から目が離せないんだ。


大きな拍手と温かな笑顔に溢れた花屋でヴァイオリンを奏でた後は、食材を買い求めたり、リビングに俺が飾る予定の小物を買い求る散策の時間。イブの夕方までは人通りが多いが、翌日のクリスマスはどの会社も休日で、通りに人影は無く全てが家族という殻に閉じこもってしまう。翌日の26日も祝日だから、土日と重なれば長期の連休になってしまい、あらかじめ食料を調達しなければ空腹に苦しんでしまうだろう。ヴァイオリンケースを背中に背負った香穂子は、食材が入った大きな袋を両腕いっぱいに抱えていて、これで用意は万端だねと満足そうな笑みを浮かべている。

そういえば留学中に一人で暮らしていた頃は、料理が得意ではなく、日頃食材にあまりこだわらなかったから、この時期に大変な思いをしかけた事もあったな・・・。君がいて良かったと、つい数年前を懐かしく思いだしてしまう。


俺の袋に入っているのは、先ほどヴァイオリンの演奏をした花屋でもらったリースや花、そして帰り道に立ち寄ったクリスマスマーケットで買ったオーナメントや小物など・・・香穂子よりは全体的に軽い物が多い。重そうだから変わろうかと声をかけたが、料理は自分の担当だから最後まで責任を持つのだと、真っ直ぐな眼差しで俺を見上げ頑として譲らなかった。だが俺が君の手料理が気になるように、香穂子も俺がどんな飾り付けをこれからするのかと気になるようで、中を覗こうと首を巡らせるのに必死だ。

できあがりは完成品をお互いに披露するまで、秘密なんだろう? そう言って悪戯に微笑むと、肩を竦めた君が無邪気に笑い、小さな赤い舌を覗かせた。


クリスマス直前にある冬至は太陽が最も活動を短くする日、クリスマスには太陽の復活を願い、春を待ち望む気持が込められているという。日本を離れた遠い異国での生活で、どんなに辛くても弱音を吐くこともなく、ひたむきに努力を重ね毎日頑張る君。小さな目標から大きな物まで、こつこつと達成するごとに良く夕食のメニューを奮発する香穂子は、今日は「頑張ったで賞」なのだと誇らしげに胸を張る事が多い。照れ臭いが俺だって、毎日頑張る君を応援したいと思うんだ。

香穂子が好きな曲をヴァイオリンで奏でたり、時には甘える君に膝を貸したり似合う花を贈ったり、一緒に出かけて気分転換をする・・・。俺には君が喜ぶ為に、ささやかな事しかできないけれど。隣に愛しい人がいる、その存在と笑顔の大切さが俺にとっての太陽なら、いつまでも元気に輝いて欲しいと願わずにいられない。


「お花屋さんミニコンサート、楽しかったね。通りすがりのお客さんもたくさん脚を止めてくれたし、お花やリースもたくさん売れたって言ってたし。可愛いリースやお花をもらえただけじゃなくて、ケーキやホットワインもご馳走になっちゃった。毎日がクリスマスだったらいいのになぁ、そうしたら蓮といろんなお花屋さんを巡って店頭コンサートをするの」
「一年中だと困ってしまうな、君がホットワインでご機嫌に酔ってしまうから。クリスマスは寒い冬だからこそ楽しみが増すのだと、俺は思う。昼間は少し温かかったが、日が暮れると寒さが増すな。香穂子、寒くはないか?」
「うん、平気だよ。お花屋さんで演奏が終わったときにホットワインを飲んだから、身体がポカポカなの。あ・・・! そのね、今日はちゃんとノンアルコールの子供用だったよ。えっと、その・・・今まで困らせちゃってごめんね」


恥ずかしそうに頬を染めてはいるが、本当のところはどれだけご機嫌だったか、良く覚えていないらしい。酔うとぴったりくっつき可愛らしく甘える君に、俺がどれだけ理性と戦ったか、家に着くなりくってりと眠ってしまうから知らないだろうな。例え夜でもおはようと爽やかに目覚めた後で、もちろん耐えたご褒美はしっかり頂くけれど。


「香穂子を見ていればわかる。いつもは甘える子犬のように、しっかり俺の腕を抱き締めて離さないし、悪戯にじゃれてくる。それに桃色の頬と蕩けた瞳でじっと見つめキスをねだるから、俺は家に着くまで耐えるのに必死なんだ」
「えっ・・・そうなの!? 大好きな蓮の腕がすごく気持ち良くて、離したくなかったのは覚えているの。目を覚ますと深い溜息吐く蓮が添い寝してくれて、おはようって言うとそのまま抱き締められちゃうのが不思議だったんだけど、そっか。ごめんね、気をつけるね。でも知ってる? 蓮も酔うと甘えんぼさんになるんだよ?」
「・・・・・・・・・・・・・」


酔っているでしょう?と困ったように微笑む香穂子が、ベッドの中で優しく抱き締めてくれるから、本当は正気を保っているけれど、彼女の好意に甘たふりをしているのは秘密にしておこうか。アルコールに弱い香穂子の為にノンアルコールのホットワインを手渡しても、子供じゃないのに・・・と頬を膨らませ、頑として受け取らなかったんだ。

子供扱いしたんじゃない、もし君がほろ酔い気分でご機嫌になり、寒空の中で眠ってしまったら風邪を引いてしまう。それに半分意識が飛んでしまっては、楽しみにしていたクリスマスマーケットも楽しめないだろう? 飲むのなら子供用のノンアルコールにしてくれ・・・そう真摯に訴えると、ようやく聞き入れてくれたのがクリスマスイブ当日。

演奏が大盛況の中で終わった後で、花屋の主人に振る舞われたホットワインのマグカップを前に、必死に説得した俺にしぶしぶ首を縦に振り、ノンアルコールへ口を付けた。だが一口飲んだ瞬間、美味しいねと頬の花を綻ばせ、あっという間に飲み干してしまったんだ。お変わりが欲しいと満面の笑顔で、握り締めたマグカップを差し出す変わりように、驚いたのは俺の方だ。


「大人用よりも香辛料は控えめで、温かいブドウジュースみたいに美味しかったなぁ。そういえば子供の頃に飲んだクリスマスのシャンパンも、炭酸の利いた薄いブドウジュースみたいなお子様シャンパンだったよ。おかわりしたかったのは懐かしい味がしたからなのかな」
「香穂子が子供の頃は、家族でどんなクリスマスを過ごしたんだ?」
「お父さんが苺の丸いショートケーキとチキンを買ってきてくれるから、家族みんなで食べるの。砂糖菓子のサンタさんと、トナカイさん、それにチョコプレートを誰が食べるかで大騒ぎになるんだよ。子供の頃はキャンドルの火を消す前にお姉ちゃんやお兄ちゃんと一緒に、きよしこの夜を歌った事もあるよ。ヨーロッパのクリスマスは家族で温かく過ごすでしょう? なんだか日本にいる家族が懐かしくなっちゃったの、今度は私たちがそういうお家を創るんだよね」
「子供の頃の香穂子が、サンタクロースの帽子を被って楽しそうに歌っていた姿は、きっと可愛らしかっただろうな」


脳裏に小さな君が浮かび、街路樹のイルミネーションを遠く懐かしそうに眺めていた香穂子に微笑むと、驚きに目が見開らかれる。どうしてうちの家族がケーキを食べる時にサンタ帽子を被ると知ってたのかと。懐に飛び込む勢いで食いつくところをみると、どうやら本当だったんだな。いや・・・君が店を巡る度にサンタ帽子は欠かせないと、真剣にこだわるからきっと思い出があると思ったんだ。まさか俺も被るのだろうかと、心配と緊張に包まれながら見守っていたのは秘密だが。


「ねぇ蓮、私良いこと考えたの。学長先生たちに教わったこの国のクリスマスだけじゃなくて、ずっと過ごしてきた日本のクリスマスを混ぜるのはどうかな? ほら飾り付けは子供心に帰るのが大事だって、学長先生も言ってたでしょう? 私たち二人の家のクリスマスも、音楽とサンタ帽子があったらいいなって思うの。子供の頃にケーキを囲んで歌を歌ったみたいにね」
「歌はその・・・・あまり得意ではないから勘弁して欲しいが、、君と俺のヴァイオリン演奏でもてなす、と言うことで良いだろうか? 演奏は良い考えだな、だがサンタ帽子とは・・・まさか、俺も被るのか?」
「ピンポーン、大正解! もちろんお招きした学長先生と奥様も私たちの家族だから、サンタ帽子を被ってもらうの。どう? 楽しそうでしょう?」
「香穂子は似合うが俺には・・・その、サンタ帽子は必要ないと、思うが・・・」
「そんな事ないと思うの、きっと可愛いよ。コンサートではタキシードを着て盛装するでしょう? だからお家のクリスマスステージの盛装はサンタさんなの、もう決めちゃった!」


決めたって・・・そんな、頼むから勝手に決めないでくれ。だが彼女が「決めた」と確かな意志で一度口にしたら、例えどんな困難が待ち受けていようが、折れることは容易ではない。それが良いところでもあり時には困った事にもなるんだが・・・一体どうしたら良いんだ。このままでは恩師の前で、サンタ帽子を被ったままヴァイオリンを弾く事になる。

深い溜息が白くはっきりとした風船を作り出すと、無邪気に笑う香穂子が繋ぐ手の代わりにこつんと肩先を触れ合わせてきた。甘えるように頭をもたれかけ、ね?と上目遣いに振り仰がれたら、もう俺に拒否権なんて無いんだ。君の願いを叶えたい、一緒に楽しみたいと思う自分がいるから。大切な人が心の底から生み出す笑顔が、君と俺にとって一番の贈り物、それは招くゲストにとっても同じだろうな。


ホワイトデコレーションに黄色みを帯びたライトの光がロマンチックに灯される中、香穂子と肩を並べて歩く足元には夕暮れ時の長い陰が道の先で一つに重なっている。まるでヴァイオリンを奏でているときに感じた、心の一体感のように。
繋げない手の変わりにせめて肩先だけは、ぴったりと触れ合ったままでゆっくりと家まで歩こう。

白い吐息の綿帽子を生み出す二つの笑顔が交われば、俺たちも地上に煌めく星になれる・・・そう思わないか?




* * *




「うわ〜可愛いリースだね、私たちの家にぴったりだよ。ほら見て、祝福の花の冠だね。ピンク色の花も微笑んでいるよ、春を呼ぶ声が聞こえてこない?」
「リースの輪は永遠を意味するそうだから、君と俺が紡ぐ幸せが、これからもずっと続くように祈りを込めよう」


玄関に飾り終えた俺の隣でリースを見上げる香穂子は、頬を綻ばせ心で花たちと会話をしていた。小さな花が集えば大きな祝福の冠になるように、俺たちが日々紡ぐ小さな幸せも、やがて大きな祝福の輪になるのだろう。

花屋のオーナー夫妻が言うには、リースは「その人と家を映す鏡のようなもの」だそうだ。玄関に飾る華やかなリースは香穂子と俺の家を象徴したもの、ならば温かく優しい色合いを選びたかった。演奏後に客の去った花屋中で選んだのは、そっと語りかけてきた淡い桃色のリース。優しく穏やかな春を思わせる、温かなペールピンクに包まれた幸せ色のリース。ふんわりとした砂糖菓子みたいなバラや、同じ色合いをした数種類の花を使い、華やかな金の枝と赤い木の実をアクセントにした花の冠だ。まさに香穂子をそのまま花のリングにしたような色。俺も一目で気に入ったリースは、客の目に届きにくい奥でひっそりと眠っていて、きっと俺たちを待っていてくれたんだろう。


いつまでも飽きずに玄関に佇み、リースを眺めてる香穂子の肩を抱き、飾り付けの終わったリビングへ戻れば、ようやく君へのお披露目だ。閉じた扉の前で祈るように両手を組み合わせながら、ワクワクと瞳を輝かせる待つ君に、バトラーのように恭しく礼をしてそっとドアを開けた。差し伸べた手に重ねられた柔らかさを握り締め、ワルツのボールルームへ誘うように互いの一歩踏み出そう。懐かしい記憶の先に、未来の扉が見えるはずだから。


帰宅してから僅かの間で模様替えを果たした部屋に、感嘆の声を上げてはしゃぐ笑顔が、俺の心のキャンドルに火を灯す。窓辺には花屋でもらったアレンジメントやガーランドで彩り、プレゼントを届けるために煙突を目指そうとしている、サンタクロースやトナカイがぶら下がる。

いつもは明るい木目のリビングテーブルも、先ほどクリスマスマーケットで買い求めた、赤と緑の格子模様に金の柊が添えられたテーブルクロスでおめかしだ。中心に置かれたのは、飴色の太いキャンドルを花のドレスが包むキャンドルアレンジ。ティーカップの中では、隠れん坊をする雪だるがこっそり顔を覗かせていて、身を乗り出す君に微笑みを返していた。リビングを満たすのは愛の赤と永遠の緑、そして君の音色であり太陽の金色。


気付いてくれるだろうか・・・期待と不安に胸を躍らせながらテーブルを巡ると、あっと声を上げて握り締めた俺の手に力が籠もった。香穂子の席に座って出迎える、小さなサンタクロースに気付いてくれたらしい。真っ赤なミニブーケとメッセージカードを抱く、サンタクロースの格好をしたテディーベアは、俺から君へクリスマスの贈り物だ。驚く瞳で見つめる君にはにかみながら微笑むと、俺からの贈り物だと気づき見開く瞳がくしゃりと緩んでゆく、ありがとう・・・そう潤む瞳が甘い吐息を零せば、心にしみいる清らかな滴になるんだ。

花束ごと抱き上げた熊とメッセージカードを大切に胸へ抱き締め、愛おしそうに頬をすり寄せてくれる。その腕に自分が抱き締められているような、愛しい熱さが俺の身体を包み込まれる感覚に、甘い痺れが込み上げ酔わされそうだ。


「さぁ、俺の仕事はこれで一段落だ。あとは香穂子の番だな」
「蓮、ありがとう・・・私、嬉しくてびっくりしちゃった。学長先生の家にも負けないくらい、私たちの家がクリスマスの国になったんだもの。それにね、みんなのテーブルにサンタ帽子がちゃんと用意されているのが嬉しかったの」
「誰もが大切な人のサンタクロースなんだ、君も俺も・・・一緒に楽しむのも悪くない、そう思ったんだ」
「蓮が飾り付けをしてくれた間に、もうお料理は完成したんだよ。後は食器と料理をテーブルに並べるだけだから、ちょっと待ってね」
「もし俺に出来ることがあったら、手伝わせてくれないか? 」
「ありがとう、もうすぐ約束の時間だから急がなくちゃね。じゃぁ蓮は食器棚から来客用の食器とカトラリーを出して、並べてもらえるかな?」


教えられた場所から皿やカトラリーを並べてゆくと、じゃぁお願いねと笑顔を弾ませ、ひらりと羽ばたく蝶になった香穂子がキッチンへ消えてゆく。人や家を映す鏡なのは玄関に飾るリースだけではなく、お互いの笑顔も同じなのだと思うのは、肩越しに振り返り背中を見送る自分の頬が、いつの間にか緩んでいる事に気付いく時だ。大皿に盛られた料理を抱えながら行ったり来たりと、クリスマスソングを楽しげに口ずさみながら、足取り軽く駆け回っている。


クリスマスの日の正餐の前はキャンドルを灯し、各家庭のしきたりに従った料理を食べるそうだ。家によって違いがあるけれど、多くは中に詰め物をされた鴨料理や七面鳥の丸焼き。教えてもらったレシピに、数日前から睨めっこをしていた彼女が取り組んだ最大の作品が、香ばしい色つやで輝く七面鳥のローストだ。中にはりんごを入れて焼き上げたそうで、林檎の香りと甘酸っぱさが風味を出すのだと、自信を持って胸を張るのが誇らしい。

これにクネーゲルという小麦粉と芋の粉を丸めて煮込んだものと、煮込んだ赤キャベツを付け合わせれば出来あがり。だがケーキだけは堅くて素朴なシュトーレンではなく、香穂子が大好きな苺のショートケーキを作ったのは、どうしても譲れない彼女なりのこだわりだ。クリスマスには苺のショートケーキ、はどの国で過ごしても自分の中で永遠の定番なのだと、今は懐かしい海の向こうにある故郷へ懐かしそうに想いを馳せる・・・その肩をそっと抱けば甘く溶け合う瞳が引き寄せ合い、互いの唇に舞い降りた優しいキス。


もっと深く・・・君が欲しい、そう思ったところへタイミング良く、来客を知らせるチャイムが鳴るのは、学長先生らしいな。
慌てて身体を離し、苦笑がはみかみむ微笑みに変わると、ほんのりほほを染めたまま二人で玄関に急ぐ。ドアを開けた向こう側には予想通り、皺に刻まれた瞳を細めた白髪の老紳士、学長先生と穏やか婦人が佇んでいた。さぁ、俺たちのパーティーが始まりだ。


挨拶のビスを交わすと学長先生は香穂子に花を贈り、俺はシャンパンを託した婦人の手を取り、それぞれがリビングへとエスコートを。飾り付けと料理を嬉しそうに眺めているところみると、気に入ってくれたようだな・・・良かった。大きな課題を終えてほっと緩む心が軽くなり、香穂子の笑みも華やかさを増した。テーブルの前に置かれたサンタ帽子を、不思議そうに眺める二人へ手渡すと、自分は・・・と躊躇う気持が一瞬手を取めた。だが躊躇う俺の隙を突いた香穂子が素早く奪い、避けるよりも早く背伸びをして頭に乗せてしまった。

諦めないって大切なのと、悪戯に瞳を輝かせる君には敵わないな。俺を見て可愛いと喜ぶ二人に、満面の笑顔で答える彼女も可愛らしく帽子を被り、飾り付けをしたツリーのステージに駆けてゆく。早く演奏しようと待ちきれずに急かす君に、零れそうな溜息を微笑みに変えてヴァイオリンを手に取った。調弦を済ませたヴァイオリンを構え、呼吸を整えて振り下ろした二つの弓で、金色の天使を呼ぶ鈴の音色を奏でよう。



子供の頃に感じた空気や香り、そしてクリスマスが近付くごとに胸が高鳴る気持・・・。大人になるにつれて置き忘れてしまった純粋な思いを、そっと思い出させてくれるような、凍える心も身体も甘さが解ける聖夜。

永遠を意味するリングの輪は、懐かしいのにいつかどこかで見たような記憶の扉を開く鍵。、埋もれた懐かしさを蘇らせてくれる。さぁ、今度は俺たちの温かい景色を探しに、未来の扉を開こうか。