繋いだ手のぬくもり

帰る前だったり最寄の駅に着いてからだったりと状況によって様々だが、仕事や打ち合わせが終わった後は、いつも必ず電話を入れる。家で一人、俺の帰りを待っていてくれる香穂子へと。
「今日は早く帰れる」そう伝えると、電話の向こうで嬉しそうに喜んでくれた。

心細い想いをしていないだろうか。
声が聞きたい・・・早く君に会いたい・・・。
胸いっぱいに溢れてしまうのは、そんな押さえきれない不安や愛しい気持。



携帯電話の通話ボタンを切ると、ジャケットのポケットに折り畳んだ携帯電話をしまい、逸る気持のまま足早に街を駆け抜けて駅へと向かう。耳の中に残る楽しげな声音に、愛しい笑顔で出迎えてくれるだろう事を思い浮かべ、緩んでしまう頬や目元はそのままに。





「蓮ー!」

自宅最寄の駅で電車を降りて構内を出ると、帰宅で込み合う人ごみから俺を見つけた香穂子が、嬉しそうに飛び跳ねながら大きく手を振っていた。流れに逆らうようにかき分けながらやってくる彼女へ、弾かれたように駆け寄ると、飛び込んでくる小さな身体を抱きとめた。

「お帰りなさい!」
「香穂子、迎えに来てくれたのか?」
「うん! さっき電話くれたでしょう?暗いと心配させちゃうけど、まだ明るいから平気かなと思って。つい我慢し切れなくて迎えに来ちゃった。一緒に帰ろうね〜」


そう言ってしがみ付きながら見上げるのは、心に思い描いていた笑顔そのもの。でもお帰りなさいのキスは家に戻ってからね、と頬を染めて上目遣いに見上げながら、俺に忠告する事も忘れずに。

俺だけではなく君も同じ想いだったのだと伝わってくるのは、出迎えてくれる時のはちきれそうな笑顔と、抱きつく腕の強さや温かさから。それに時折俺へのプレゼントのように行われる、このような香穂子のサプライズ。
君も俺の笑顔を思い浮かながら、ずっと待ってたのだろうかと想いを馳せると、腕の中の笑顔にただいまと微笑み返して、頬と目元を緩ませた。




賑やかな駅前通を抜けて、静かな住宅街へと続く石畳を歩き出せば、それが当たり前のように互いの手が自然に繋がれる。一本一本指先の根元から絡めるようにしっかりと握り締め、手の平を重ね合わせるのだ。伝え合う温もりと柔らかさは、大切な者だけが触れることのできる心に宿した想いの形。こんなにも心地良くて、いつまでも離したくないのは、想いをこの手に掴んでいたいのと、側にいてくれるのだと存在を強く感じていたいからなのかも知れない。


こうして帰る道のりはまるでデートや、高校時代の登下校を思わせるようで、どこか心が浮き立って弾むように思う。それは俺の隣を一緒に歩く香穂子も同じらしい。軽やかに跳ねるピチカートやスタッカートのように、足取り軽く駆け出してしまいそうだ。クスクスッと楽しげに笑う声が聞こえて見下ろすと、彼女はじっと繋がれた手を見ていた。一体この手に何があるのだろう・・・そう思って一緒になって見詰めていた俺の視線に気付くと、ぴょこんと下から遮るように覗き込んでくる。


「ねぇ・・・私たちの手を、見て?」
「手?」
「指輪と指輪がね、重なってるの」
「本当だ。俺の右手と君の左手の薬指・・・同じ位置に指が絡んでいるんだな」


香穂子は嬉しい発見に目を輝かせながら、しっかりと繋がれた手を、目の前にかかげるようにして持ち上げた。連られるように一緒に持ち上げると、目の前に見えるのは俺の右手と、絡み合った香穂子のしなやかな左手の薬指。互いの指の根元には、きらりと光輝く指輪がはめられていた。

それは澄んで透明なプラチナの輝きが眩しい、シンプルなデザインの結婚指輪で、指輪の中心には大小二つのダイヤモンドが寄り添いあっている。透明で白い輝きを放つ大きめなダイヤの隣に、俺はピンクの小さなダイヤが、香穂子はアイスブルーの小さなダイヤが。

支えあう二つの小さな星は、いつでも寄り添っていられるように・・・支えあえるようにと願いを込めて。


ヴァイオリンの運指の邪魔にならないようにと、俺の右手薬指にはめられた結婚指輪は弦楽奏者特有のものだ。ちなみに香穂子はヴァイオリンを弾く時だけ、右手にはめ換えている。
俺が本来の形通りに左の薬指にはめたのは、確か結婚式の日だけだったかも知れない。


「本当は香穂子と一緒に左手に出来ればいいのだが・・・・すまないな」
「そんなことないよ、蓮がヴァイオリニストだって証じゃない。蓮が右手にしてくれるお陰で手を繋ぐと二人の指輪同士がくっつくの。こんな素敵なことが出来るのは、きっと私たちだけだよ」


切なそうに瞳を揺らめかせて、掲げた手を眺めながらゆっくりと下ろす月森。
そんな彼を隣で見つめていた香穂子は始め目を見開いていたものの、暫くすると甘く表情を和らげていった。
それにね・・・と小さく耳元に囁くと、ふわりと優しく包むように微笑みかける。


「右って事は弓を持つ方でしょう? 蓮がステージに立つとね、指輪のはまっている薬指がちょうど客席に向くんだよ。スポットライトが当たって、キラリと光るの。結構目立つんだよ」
「そうなのか・・・知らなかった」
「私ね、それが凄く嬉しいの」


初めて聞かされて気が付いた事実に目を丸くして驚いていると、香穂子が隣を歩きながら、空いている右腕でヴァイオリンを奏でるボウイングの仕草をしてみせる。こんな感じなの〜と、実際に彼女が奏でている時と同じように楽しげな様子で。


「客席や楽屋のモニターで見る度に、同じものが私の指にも輝いてるんだって思うとね・・・嬉しくて皆に自慢したくなっちゃうの。今最高の音楽を奏でているヴァイオリニストの月森蓮は、世界一素敵な、私の旦那様なんだよって」
「俺も、とても嬉しい・・・香穂子がそう感じてくれることが何よりも。君と繋がっていることを形に出来る大切なものだから、外すなんて俺には出来なかったんだ。俺が香穂子のものであり、香穂子が俺のものである証なのだから・・・」
「蓮・・・・・・・」



四つ角に辿り着き、ぴたりと歩みを止めた。
手を繋いだまま隣の香穂子を見ると、潤みかけた瞳でじっと見上げてきた。吸い寄せられるように繋いだ手をそっと引き寄せて、少し角度を手前に向けるように変えながら、口元に寄せる。互いに同じ位置に重なった薬指の根元・・・指輪がある所へと熱を含んだ唇を落とした。


ほんの触れるだけ・・・けれどもとても長いと思える一瞬。


唇を離せば頬を真っ赤に染めて、心を射抜かれたように固まったまま、唇が触れた指の辺りにじっと魅入っている。やがて上目遣いに見上げながら、私も・・・と。
そう言ってはにかむと、今度は香穂子も手を自らの口元へと導いた。
空いていた片手を包み込むように添えながら・・・・。


触れる唇の柔らかさと温かさを指に感じて、繋がる手に力が込められてゆく。
気持の高まりを表すように、手の中の温かさも徐々に上昇していき、それは甘い痺れを伴って全身に満ち広がってていく・・・温かさから熱さへと。俺だけでなく君の中にも激しく脈打つ熱があるのだと、しっかりと繋がれた手から伝わって、身の内の更に熱を注ぐのだ。


「香穂子・・・・・」
「なぁに・・・・?」
「少し・・・遠回りをして帰らないか? せっかく早く帰れたのだし君もいる、急いで帰ってしまうのは勿体無い」
「嬉しい! 何だかお迎えよりも、デートの待ち合わせになっちゃったね〜。今日はお迎えに来て良かった」


ほんのり頬が染まった笑顔向けながら、嬉しさで弾けた心を包み込んだ手に託して、飛び跳ねるように小さく揺する。やがて腕へぴったり寄り添うと、甘えるように頭を肩先に擦り付けてきた。縋りつく愛しい存在に目を細めながら、再び手をしっかり握りなおし、共に歩み出す・・・・・。



この繋いだ手を離さないで良いのだから・・・もう少しだけ感じていたいんだ。
君から伝わる柔らかさと、心に宿した温かい想いごと。



寄り添って支えあう大小二つの石・・・そして同じ位置に絡み合って重なった結婚指輪・・・。
まるで俺達が共に歩むこれからの生活にも似ていて、そっと見守っているようだ。
羽を広げた天使が、優しく薬指で微笑んだ姿が見えたような気がした。








※通常創作・Amoreの部屋「Mreeiage Ringus」とリンクした内容になっていますが、
それぞれ単品でもお楽しみ頂けます。