Mrriage Rings

久しぶりに日本に帰国して、生まれ育った我が家で過ごす夜。
昔と何一つ変わらない、懐かしい俺の部屋。
ただ一つ違うとすれば今では、大切な人と共に過ごす空間に変わったという事だろうか・・・。





寝室のベッドに腰を下ろし、じっと左手を顔の前に掲げで見つめていると、すぐ隣でスプリングが軋む音が聞こえた。そして肩に感じる重みと柔らかい温かさ、ふわりと漂う甘い香り。手を膝の上に降ろし、肩を動かさないように視線だけ向ければ、シャワーを浴び終わったパジャマ姿の香穂子が身を寄せてもたれかかっていた。


「蓮、どうしたの?」
「香穂子・・・。今日はお疲れ様」
「蓮もね、お疲れ様でした。挨拶回りとかで疲れたんじゃない?」
「いや、俺は平気だ。でもようやく一息つける・・・というのが正直な感想だな。香穂子も疲れただろう?」
「私も、や〜っと寛げるって感じ。帰国してから、何だかあっという間だったよね。忙しかったけど、すごく楽しかった。今日の日をずっと夢見てきたから、今もの凄く幸せだよ」
「君と一緒になれて良かった・・・心の底から、そう思う」


幸せそうに見上げて微笑む香穂子へ、甘く揺らめく穏やかな心のままに微笑を向ける。腕を肩へと回すと、手の平ですっぽり覆われてしまうような華奢な肩を抱き包み、寄りかかる彼女を優しく引き寄せた。
香穂子が醸し出す柔らかい空気が俺の中を満たして君の色に染まってゆき、知らず知らずのうちに身体に入っていた力が、すっと抜けていくのが分かる。

パジャマ越しに触れ合う温かい体温は、互いの心に溢れる想いの形。
だからこそ頭の先から爪先まで・・・持てる全てでずっと感じていたくて、身を寄せずにはいられない。
頭を傾けて彼女の髪に額を埋めれば、心地良さそうに瞳が細められ・・・。
浮かぶその表情を視界の端で微かに捕らえながら、寄り添う子猫のように額を擦り合わせて愛撫をした。





俺の留学先だったドイツに香穂子も大学卒業後に渡り、音楽拠点としてそのまま共に暮らしてきた。
今回香穂子と共に帰国した理由は、二人で新たな人生を共に歩むため。

つい先日役所へ一緒に赴き婚姻届を提出して、名実共に夫婦となったばかりの俺達。月森の姓を名乗るようになった君が、まだ慣れないけれども・・・とはにかみながら、新しい自分の名前を嬉しそうに何度も名乗る。
その度に耳に届く温かい響きは、溢れる程の愛しさと、君を守るのだという一家の主となった責任感を、心に熱く湧き上がらせた。


そして今日は・・・・。
教会で式を挙げ、友人達やお世話になった近しい人を招き、披露宴代わりのささやかなパーティーをする・・・。その節目の日だったのだ。





パーティーは、生まれ育った懐かしい街の港を望む高台にある、閑静な住宅街に佇む英国邸宅レストランで。
メインホールは、白い木枠に縁取られた大きなガラス張りに覆われた、開放感溢れる広いコンサヴァトリー。
その周りを季節の花が彩るイングリッシュガーデンが囲むみ、爽やかな風が肌に心地良く。落ち着いた雰囲気の中で、庭と行き来をしながらゆっくりゲストと語らうひと時。一軒家を貸しきって行われたパーティーは、自宅に招いたような温かいもてなしと、プライベート感溢れるものだったと思う。

俺と香穂子の希望で、ホールに入場の際にはピアニストである俺の母に、生の演奏をと頼んだ。快く引き受けてくれた母が、俺達の幸せを願って奏でてくれたピアノの音色をBGMに、皆のテーブルを挨拶にまわる。
想いの籠もった優しく温かく響く音色がもたらしてくれる、リラックスしたムード。降り注ぐ陽光の中に溢れる、迎えてくれた皆の笑顔につられて自然に頬も綻び・・・・。


腕を絡めて傍らに寄り添う、真っ白いドレスに身を包んだ香穂子の笑顔が、どこまでも眩しく感じた。
ずっと夢見てきたと君は言うけれど、それは俺も同じだから・・・・。





「さっき左手をじっと見てたけど、どうしたの?」
「結婚指輪を見ていたんだ。何だかこう・・・心がくすぐったい感じだな。香穂子と一緒になれる・・・その証だと思ったら嬉しくて。気づけは、何度でも見てしまう」
「ふふっ・・・お揃いだね。私もね、この指輪見てやっと実感沸いてきたの。蓮の奥さんになるんだな〜って」


再び左手を顔の前に掲げると、俺の手の隣に香穂子の左手も並んで掲げられ、お互いの左手薬指にはめられたプラチナのマリッジリングが、キラリと輝く。透明に輝く台の中心にある大きなダイヤの隣には、寄り添うようにはめ込まれた小粒のカラーダイヤ。俺にはピンク、香穂子にはアイスブルーの石が。


香穂子と指輪を選びに宝飾店を訪れた際、目を輝かせて熱心にショーケースを見て回る彼女の隣で、指輪よりも彼女の笑顔に魅入っていた。そんな装飾品には詳しくない俺でも、目が離せなくなる程に引き寄せられ目に付いたものだ。それは彼女も同じだったようで他の品を見て回り、店員の話を聞く間も、視線はちらちらとこの指輪を気にしていた。

しかし始めは浮き立っていた彼女の表情が時間が立つほど曇り出し、やがて口数が少なくなってゆき・・・。



「ねぇ蓮、この指輪買ったときの事、覚えてる?」
「あぁ、覚えているよ。ベルリンのクーダムにあるジュエリーショップで、君が言ったんだ。ヴァイオリンを弾くのに差支えがあるなら、無理に指輪をしなくてもいい。ペンダントヘッドにする方法もあるから・・・と」
「そう・・・指輪買うの辞めようって、帰ろうよって言ったの。そしたら蓮ってば皆が見てるのに、私に掴みかかる勢いで怒っちゃったんだよね。香穂子は本当にそれで良いのかって」
「あの時は・・・すまなかったな。だが、君が本当は心の底で望んでいるのが分かったから・・・気持を抑えて欲しくなかった。何よりも、俺自身の望みでもあったのだから」


月森は微かに眉根を寄せて切なそうに瞳を細めると、香穂子の左手を取り、両手で挟むように包み込んだ。


いつも決して我がままを言わずに、いつも明るく前向きで、俺の為を思ってくれている香穂子。
気持はとても嬉しいが、たまには我がままを言って欲しい、もっと甘えて欲しいとも思う。
それに、結婚指輪に関しては俺達のこれからに関わる一生の大切な問題だ。いくら俺の為とはいえ、我慢をして欲しくなかった。あの場で言わなければこの先、一体いつ我がままを言うのだろうか?

悲しく辛い思いをさせる為に、ヴァイオリニストになったのではない。
共に夢を掴んだのは、幸せで・・・いつも太陽のように温かい笑顔でいて欲しいから・・・・。
左の薬指に愛する人との指輪をはめる事を、ずっと夢見てきた香穂子。
彼女の願いを叶えるのが、俺の夢でもあったのだ。



「怒った蓮は久しぶりに見たから、びっくりして、少し怖かった・・・」
「・・・そんなに俺は、怖かっただろうか?」
「だって蓮は、いつも優しいから。でもね、同じくらい熱い気持が真っ直ぐ伝わって、泣きそうになるくらい嬉しかった。だって指輪が欲しくないなんて、そんな事あるわけないじゃない。蓮はヴァイオリニストなんだから、私が我がまま言って不自由な思いさせちゃいけないって、浮かれた自分を反省して言い聞かせてたのに・・・」
「言ったろう? 俺はヴァイオリニストも香穂子も、両方の夢を掴んでみせると。それに左が駄目なら右手があるのだから。少々イレギュラーだが、弦楽奏者は皆そうしている」
「私、蓮に愛されてるんだなって・・・そう想ったら涙が溢れてきて、堪えるのに必死だったんだから」


その時の様子が目に浮かんで思い出しているのか、遠い眼差しで見つめる瞳が、心なしか潤んで輝いているように見えた。しかしそんな切ない表情もほんの一瞬だけで、再びふわりと優しい微笑を向ける。もう大丈夫だろうか・・・そう思って包んでいた手を静かに開くと、まだ温もりの残る左手の指輪に自分の右手を添え、愛しみを込めてゆっくり撫で擦っていた。


「この指輪お店の人の話だと、普通は小さい石がピンクの方が女性で、アイスブルーの方が男性用なんでしょう? でも、あえて逆にしようって言ったのも蓮なんだよね」
「ブルーが俺で、ピンクの石が香穂子のようだと君が言ったから。俺もそう思って一目見て気に入ったんだ。だから俺には香穂子が、香穂子には俺がずっと寄り添っていられるようにと、願いを込めたかった」


この先きっと音楽家としての仕事で、香穂子を家に一人残して寂しい思いをさせる事もあるだろうから・・・。
お互いに、励みになるようにと。


真ん中の大きなダイヤも、寄り添うこの小さな石も、どっちも私たちの分身なんだね。
そう言って微笑む彼女の瞳は、指輪にはめ込まれたダイヤモンドより輝いていると、俺には思えた。


「指輪を眺めていた理由はもう一つ。右手にはめ換えなければと思ってたんだ」
「そっか、明日からヴァイオリン弾くんだもんね。私は普段はこの左手のままでいるよ。ヴァイオリン弾く時だけ右にはめ換える事にするね」
「香穂子が、はめ換えてくれないか? ぜひ君につけて欲しいんだ」
「えっ!? 私が?」
「あぁ・・・指輪の交換のやり直しだな。俺だけだが・・・」
「じゃぁ、私も一度外すね。蓮だけだなんて寂しいじゃない。せっかくだから二人だけで、もう一度指輪の交換やろうよ」


そう言うと香穂子はベットに上がって真ん中辺りにペタンと腰を下ろし、自分の向かい側をポスポスと叩く。
さっ、蓮もここに座って・・・と。
思いもかけない突然の展開に微かに目を見開いて驚きつつも、香穂子指し示す場所へと腰を下ろした。





ベッドの上に向かい合わせで座り、互いの外した指輪を真ん中に並べて置く。
顔を見合わせ視線が絡むと、どちらからとも無く微笑が浮かんだ。そう言えば教会で行った式の時には緊張していて、こんなにも心にゆとりが無かったように思う。皆が見ているし頭の中は考える事で一杯だったから・・・段取りを忘れないように、指輪を落とさないようになど。きっと君も同じだったのではないだろうか?

心が溶けた今なら、指輪と一緒にこの胸に溢れる思いを充分に伝える事ができるだろう。
どんな時も前向きな君の発想に、感謝しなければいけないな。



まずは俺から。アイスブルーの小石が埋め込まれた少し小さめのリングを指で摘むと、香穂子のしなやかな左手を取り、薬指にそっとはめた。そして今度は香穂子の番。香穂子の手が左ではなく俺の右手を取って、薬指にそっとピンクの小石の埋め込まれた指輪をはめていく。式ではあえて左にはめたが、元から右手用に作られた指輪は、ピッタリと吸い付くように右手の薬指に馴染んだ。





右手の指輪は弦楽奏者特有のもの、いわばヴァイオリニストとしての証。
この指輪に誓うのは、ヴァイオリニストとして身を立て、愛する君を支えるのだという決意。
そして香穂子の左手薬指にはめられた指輪は、妻として俺を支え、家を守ってくれる彼女の想いの現れ。
指輪が右手に換わった時は、俺の妻でありながら、ヴァイオリニストとしての彼女になるのだ。


互いの立場・決意・想い・・・・・指輪は様々なものを語るけれども、土台となる大切なものは唯一つ。
プラチナやダイヤのように永遠に輝いて、決して色あせないもの。
それは、たった一人の相手と巡り合えた喜び。

君を、愛しているという事。






「え〜っと、じゃぁ改めて。ふつつか者ですが、今日から末永くよろしくお願いします」
「い、いやっ・・・

俺の方こそ、よろしく頼む」
「あったかくて、楽しいお家にしようね」
「そうだな。二人で共に、音楽と笑顔の絶える事が無い、幸せな家庭を築いていこう」


三つ指を付いて深々と頭を下げた香穂子に動揺しつつも、激しく高鳴る鼓動を抑えながら一緒に頭を下げた。
お約束とはいえ、何もベッドの上という、この場所でやらなくても・・・・。
いかにも結婚初日の夜という感じで照れくさく、顔に・・・身体中に燃えるような熱が込み上げてくる。


顔を上げて顔を見合せば、瞳に映る互いの顔が赤く染まっており。
一瞬の沈黙の後にプッと噴出して、声を上げて笑い出した。


「香穂子」
「なぁに?」
「指輪の交換もし直した事だし、誓いのキスも、改めてもう一度・・・・・・しないか」
「・・・・・・うん・・・」


急に頬を真っ赤に染めて恥ずかしさを隠すように俯くと、膝の上できゅっと両手を握り合わせ、消え入りそうな小さな声で返事をした。改めてこの場でする誓いのキスの意味と、その後に待つものを悟ったのだろう。

膝が触れるまで詰めてにじり寄り、指で顎を捕らえると静かに上向かせた。ともすれば愛しさのあまり性急になってしまいそうな欲を極限の理性で繋ぎとめ、厳粛な儀式のように厳かに。取り払われる真っ白いヴェールの代わりに、頬へ掛かった髪をそっと払い除ける。そのまま赤みの残る頬を両手で包み込むと、見上げる潤んだ瞳に視線を絡ませながら、唇を・・・重ねた。



教会での儀式と同じく誓いのキスは、ほんの一瞬触れるだけ。



しかし離れた唇は再び吸い寄せられる。
それは、俺達だけの儀式の始まりを告げるキス。
深く・・・深く重なり、舌を絡め吐息も奪い合う・・・・・。


香穂子の手が俺の背に回され強く縋りつくのを合図に、唇を合わせたまま彼女を懐深く抱き込んで少しずつ体重をかけ、白いシーツの海へと互いの身体を沈めていった。





神の前で指輪に誓う、“愛・厳粛・誠実・勝利”の精神を大切に。
健やかなる時も、病める時も・・・・香穂子、君を愛し続けると誓おう。

薬指に輝く指輪と、君の心に。

そして・・・誓いと熱き想いを刻み込むのは、互いのこの身体、その奥に潜む魂までにも。









※お題・恋愛10titleの「繋いだ手の温もり
とリンクした内容になっておりますが、
それぞれ単品でもお楽しみいただけます。