それでも溢れる独占欲

「落ち着いてくれ。話をしよう」
「蓮なんて、知らないっ!」


いつもならば就寝前のひと時は、君と一つシーツに包まりながら、甘く穏やかな時間が流れるのだが、今日は違っていた。怒りと興奮で顔を真っ赤に染めた香穂子は、ベッドにある枕を勢い良く俺に投げつけてくる。
飛んできた枕を避ける事無く間近でしっかり受け止めると、あっ!と小さく叫んでパジャマの裾を掴み、悔しそうに・・・泣きそうに瞳が潤みだした。


「香穂子、危ないじゃないか」


ギリギリの理性を集めて冷静さを保ちながら、諌めるのではなく癇癪を起こした彼女を宥めるように。
涙の溢れかけた大きな瞳を見つめて、穏やかに語りかけた。しかし当たったのではなく受け止められたのが面白くないらしく、強く唇を引き結ぶと今度は俺の枕へ手を伸ばし引寄せて、思いっきり投げつけてくる。

もちろんこれも難なく受け止めたが、両手が塞がってしまい・・・彼女の瞳がキラリと光ったのが分かった。
だが生憎ベッドの上には枕が二つだけ、投げたその両方ともが俺の手元にあるのだ。次をと探して手を彷徨わせていた香穂子は、投げるものが無いと気づくと顔を背けて頬を膨らませてしまう。


これはそうとう怒っているようだ・・・早く何とかしなければ。


手が届かないようにと離れたベッドの端に二つの枕を置くと、俺は前髪を掻き揚げつつ額を押さえた。ペタリと座り込む香穂子の背後に膝を擦って歩み寄っていくと、シーツの擦れる音を聞いてちらりと振り返り、俺から離れるようにいそいそと移動し始める。ベッドを降りようとする彼女の手を、慌てて掴んで強く身体を引き戻した。

反動で胸の中へ飛び込む形となった香穂子は、ジタバタと身動ぎもがいて逃げ出そうとする。
かと言って俺が放すわけもなく、片手で彼女の腕掴んだまま、しっかり背後から抱き竦め閉じ込めた。


「香穂子、何処へ行くんだ!?」
「痛いってば、手を離して。私、今夜はリビングのソファーで寝る。蓮と一緒にここで寝ないんだからっ!」
「・・・・・・・・・」


一度言い出したらテコでも考えを曲げない彼女だ。それは良いところでもあり、時には困ったものにもなる。
背中合わせでもいいから存在をすぐ側に感じていたいのだが、今の彼女には俺が何を言っても無駄だろう。
やはり・・・という諦めにも似た想いと、やりきれない絶望感が同時に襲ってきて、最悪の宣告に言葉も出ない。


「リビングは冷える、風邪を引いてしまうだろう? ならばせめて客間にしないか?」
「駄目っ! だって寝室と客間ってお隣同士じゃない」
「・・・では俺がリビングに下りてソファーを使うから、香穂子はここでちゃんと寝るんだ。それでいいだろう?」
「う、うん・・・・・・」


言いくるめられ拗ね気味の香穂子は、俺には表情を見せず俯いたまま、渋々ながらに返事をしてくれた。
香穂子がソファーで寝たら、きっとソファーから転げ落ちるか風邪を引いてしまう。
ゆっくり休んで欲しいから、君の気持が収まるまで俺はそこで構わない。後で後悔するよりは、ずっといい。

おやすみ・・・そう言って白く浮かび上がる首筋にキスをすると、背後から抱き締めていた腕を静かに解いた。


ベッドを降りるとクローゼットから毛布を一枚取り出して、寝室のドアへと向かう。扉を開けたところで呼ばれたような気がして後ろを振り返ると、切なそうに俺をじっと見つめる香穂子の瞳と視線が熱く絡む・・・が。
はっと我に返った彼女は慌てたようにシーツを引き被り、ベッドの中へ頭ごとすっぽり潜り込んでしまった。





誰もいない真っ暗なリビングは、痛い程の静けさと冷たさに包まれている。例え暗闇でも君がいれば、温かく幸せに溢れた灯に照らされるというのに・・・灯が消えたようだとは、まさしくこの事だと思う。
俺は長いソファーに腰を下ろし、大きく深い溜息を吐くと、寝室から持ち出した毛布を広げて横たわった。


香穂子は、もう寝ているだろうか・・・・・・。


また、香穂子と喧嘩をしてしまった。本当は、いつだって笑顔で寄り添いあっていたいのに。
なぜすぐに謝れなかったのか。自分の中に渦巻く熱さだけでいっぱいになり、つまらない意地を張って君を傷つけてしまったのかと、心の中で自分を責め続けていた。

本当はこの腕に抱き締めて眠りたい、閉じ込めたい。
同じ家にいるのに君と離れて眠るっていると、もう二度と彼女をこの腕に抱けないのではと不安に押しつぶされそうになる。身の内に湧く苦しさに、心と身体が引き裂かれそうだ。


毛布を引寄せつつ寝返りを打ち、自分を抱き締めるようにうずくまると、視線の先にあるほの明るい窓辺が、俺を照らしてくれた。外には、満点の星空と大きな月が出ているのだろう。
ならば今夜は、月明かりを心に抱いて眠ろうか・・・君を想いながら。


朝になったら、謝ろう。すまなかったと、心からの言葉で。
笑顔で始まる一日が送れるように・・・。




俺も君も自分を曲げない真っ直ぐさを持っているから、ふとしたことで意見が衝突したり、いつまでも無邪気で天真爛漫な香穂子を心配するあまり、俺がカッと熱くなる事もあるけれど。今日の喧嘩の原因は、お互いの焼もち。親しくしている近所の家に招待された、ホームパーティーがきっかけだった。



日本と違い滞在の拠点にしているドイツでは、人が集まればパーティーが始まる。友人知人を呼ぶなら自分達の出来る範囲の時間と労力で、みんなが持ち寄ってる作るのだ。ちなみに俺と香穂子はヴァイオリンを奏でて音楽の贈り物を。日が暮れた庭先の芝生の上には低いキャンドルが幾つも置かれいて、香穂子は星が落ちて散らばったみたいだと、頬を綻ばせて喜んでいた。


そこまでは良かったのだが・・・・・。


ヨーロッパの風習だし、暮らす以上は仕方ないと分かっているのだか、どうしてもまだ慣れない事がある。
それはホームパーティーの場合、カップルで招かれた時には、必ず別行動を取らなければならないという事。
多くの人とコミュニケーションをとる為に、つまりは俺は香穂子以外の人たちと、香穂子は俺以外の婦人や男性達と会話を楽しまなければならないのだ。招かれた先で、ひと時も一緒にいられないのが正直辛い。


しかも追い討ちをかけるような一番の問題が、到着した時と帰る時にやる全員へのビス。
ビスとは親しい人との間で交わす、軽く頬と頬を付けるキスの事で、男性同士ではまずやらない。

挨拶と分かっていても、香穂子が俺以外の男性と頬を触れ合わすのは、見ていて気持のいいものではない。
それは香穂子にとっても同じなようで、視線が合うと時折彼女の笑顔が引きつっているのが分かるんだ。
心に走る激しい焦りと動揺も、賑やかさに巻き込まれてどうする事も出来なかった。


男女問わず親しげに声を交わしていた彼女を、無防備さにハラハラしながら見守る俺。その一方で、俺の意思とは関係なく近所の婦人達に行く手を阻まれ取り囲まれれば、香穂子がプイと顔を反らしてしまう。


ちらりと視界の隅で姿を常に捉えながら、俺は香穂子が心配でたまらなくて。香穂子も俺が気になって。
どちらか一方ならば収拾が付くのに、側に居られない分余計に想いが募り、つまりはお互いに深く嫉妬しあう。
日常生活では喧嘩にまでなる事は殆ど無いのに、パーティーから帰ると、結局いつも喧嘩が始まってしまうんだ。もう何度目だろうかと指折り数えるのも億劫になり、出るのは溜息ばかり。


毎晩腕に抱いて眠っているのに。笑顔と想いが真っ直ぐ俺に向けられ、温かくしてくれるというのに。
それでも大切な君が少しでも余所見をすると、炎が噴出したように抑え切れなくて、我慢出来なくなってしまう。

俺は心が狭いのだろうか。心の底にあるのは大きな独占欲・・・ずっと俺だけを見ていて欲しいと願うから。



眠らなければと瞳を閉じるが、一度渦を巻き始めた考え事が止まらなくて、今夜は眠れそうに無い。
気持を落ち着けようと大きく深呼吸すると、カタンと小さな音がした。

リビングへ入ってくる人の気配に、きっと香穂子だとそう思ったが、身を硬くして横を向き、瞳を閉じたまま眠った振りをする。やがて顔の前で立ち止まる気配を感じると、シュルリと布の擦れる音がして俺の上にもう一枚、毛布がかけられた重みと暖かさに包まれた。


寒くならないようにと、俺の為に彼女がかけてくれた一枚の毛布。それは言葉に出来ない、ごめんねの気持。

胸に詰まって内側から毛布の端を握り締めると、引き被った毛布の隙間から、気づかれないように僅かに薄目を開いた。すると視界いっぱいに広がったのは、窓から差し込む月明かりを浴びながらペタリと床に座り込み、
俺をじっと見つめている香穂子の悲しそうな瞳。そっと手を伸ばし頬に触れてくる温もりが熱を生み、急激に高鳴る鼓動を必死に抑えながら、全ての神経を彼女へと向けた。


「蓮・・・寝てるの?」
「・・・・・・」
「・・・・・・ごめんね」


返事をしない俺を、眠っていると思ったのだろうか。それとも、寝たふりをしていると気づいているのだろうか。
起こさないようにと気を使い、吐息で囁くように静かに語りかけてくる。
眠っていても聞いてくれると信じるように・・・彼女自身にも言い聞かすように。


「やっぱり、一人は寂しいよ・・・広くて暗くて寒くって。このままずっと一人ぼっちだったらどうしようって思うと・・・凄く怖いの。蓮と一緒がいい・・・温かい腕の中に、ギュッて抱き締めてもらいながら眠りたい」
「・・・・・・・・・・・・・」
「二人で焼もち焼いて喧嘩になるのは、大好きだって・・・譲れない想いがあるからなんだよね。私たち同じだっねって思ったら、ちょっと嬉しかった。いつも私を大切にしてくれて、照れちゃうくらいに真っ直ぐ大好きだよって言ってくれる蓮が、私も世界で一番大好き。私の全ては蓮のものだもの。なのに意地張って、拗ねて、素直に謝れなくてごめんなさい」


そう言って力なく項垂れると、香穂子は倒れこむようにソファーへコツンと額を触れ合わせた。
黙ってうずくまる背中が、俺の心に痛みを伝えてくる。
今すぐに起き上がって抱き締めたい衝動に駆られたが、もう少し堪えるんだと必死に言い聞かせて、出しかけた手を見えないように引き戻し握り締める。まだ、彼女は言葉を伝えきっていないから・・・。


「本当はここに一緒にいたいの。でも風邪を引くって怒るから、寂しいけれどお部屋に戻るね。朝になったらおはよう!って、いつもみたく笑顔で言うよ。もう一度ちゃんと、ごめんねの言葉も一緒に」


お休なさい・・・また明日。


瞳を緩めてふわりと微笑んだ香穂子の顔が、ゆっくり近づいてくる。
気づかれてしまうと思い、薄っすら開けていた目を閉じると、唇に温かく柔らかい感触が重なった。


・・・・・・・!


羽根のようにそっと触れる、香穂子からのキス。

すぐには離れず長く重なる唇から伝わるのは、ごめんねの気持と大好きだよの想い。
熱さが身体中を駆け巡ってもう止められなくて。気が付けば眠ったふりをする事も忘れて、俺は受け止めたキスを返していた。毛布から伸ばした手を彼女の頭に回すと、さらに唇へ押し付けるように抱き寄せる。


「・・・・・んっ・・・れ・・・ん!」


俺が起きていると気づいた香穂子の唇が、ピクリと跳ねるのが直接伝わってくる。これ以上は・・・という限界のところで解放すると慌てて俺から飛び去り、夜目にも分かる程顔を真っ赤に染めて俯いた。床に座り込んだまま耐えるように唇を強く結び、両手をぎゅっと握り締めながら。


「香穂子・・・・・」
「やだっ、起きてたの!?」
「あぁ、香穂子が来る前から。実は眠れなくて、ずっと起きていたんだ」
「・・・・・っ! ご、ごめんさない!」


横たわっていた身体を起こし、香穂子を挟むように正面に座りなおすと、頭に手を乗せ髪を滑らせ頬を包み込む。ゆるゆると上げられる潤んだ瞳に、優しく微笑みかけた。


「どうか、顔を上げてくれないか」
「蓮・・・・怒ってない?」
「怒っている訳がないだろう? 俺こそ、すまなかった。香穂子を想うあまりに、俺の独占欲で君を傷つけ悲しませたのだから。君が心配なら、俺がしっかり守ればいいんだ」
「そんな事無いよ。蓮のせいじゃない、私がいけないの。一緒にくっついていられないのは分かってたけど、他の奥さん達に囲まれて、楽しそうにお話しているのを見てたら寂しくて。ごめんね・・・拗ねてやきもち焼いてごめんなさい、ずっとそれが言いたかったの。もう一人で寝るって言わない。私、蓮と一緒にいてもいいかな?」
「もう・・・いい。君の想いはしっかり聞かせてもらった。ありがとう」


おいで・・・とそう言って両手を広げると、力いっぱい頷いて正面から飛びついてきた。
気が緩んで我慢していた涙が溢れてきたのか、ごめんね・・・としゃくりあげながら強く胸へしがみ付いてくる。
抱き返した背を優しくあやして宥めながら少しずつ重みをかけ、静かに彼女の身体をソファーに横たえた。

戸惑い揺れる瞳に微笑みかけ、頬を包んだ手を滑らせるように指先で唇をなぞる。


「じゃぁ、仲直り・・・だな」
「うん、仲直り!」
「愛しているよ、香穂子。俺が本当に見つめているのは、香穂子だけだ」
「私も、蓮が大好き。うぅん、愛してる・・・」


はにかんだ瞳が甘く絡み合ったまま覆い被さると、彼女のしなやかな腕が俺の首に絡められた。
お互いに求め引寄せあうように、再び唇が重なる・・・ソファーに身を沈めながら、深く深く・・・。




何回喧嘩しても、結局いつの間にか仲直りしている俺たち。君の前でなら、素直にごめんと言えるんだ。
それはお互いが大切だと・・・大好きなのだと、心にある最初の想いに喧嘩が気づかせてくれたから。





(Title by 恋したくなるお題)