音に生命を・2

ショップやカフェが立ち並ぶ新市街を抜ければ、近代的な建造物が立ち並ぶエネルギッシュな中心地とは対照的に、森や湖といった自然と調和した古都の風情が広がっている。石畳の小道の両側には木組みの家が連なっていて、まるで中世がそのままの姿で残る、絵本のように愛らしい街並み。
ベルリンの中央駅からさほど離れていない、Sバーンで少し西に行ったところに、その家はあった。



空へと向かう煙突を至る所に持っている、急勾配の三角屋根。木目を生かしたダークブラウンの化粧柱と、間を埋めるのは風合いのある明るい色の煉瓦と土の壁。入り口の車寄せ前にはロータリーを兼ねた大きな花壇と広い芝生が、訪れる人を温かく出迎えてくれる。蔦の絡まる素朴なムードを放ちながら、緑の中に佇む英国チューダー様式の建物は、見渡しきれない大きさから言ってカントリーハウスというより、まるでガイドブックに載っている宮殿を思わせた。

駅前のタクシ−乗り場で「フランツ家まで」と言っただけで、目的の場所に辿り着けた意味がようやく分かった気がした。今お世話になっている月森家も同じ様式の建物で、かなり規模が大ききいのだけれど、こちらは遥かに凌ぐそれ以上だ。

月森は、門の脇にある小さな通用門の前で、インターホン越しに何かを話ている。香穂子は見上げるほどの堅牢な門の中央にある、大きな紋章に施された2頭の熊たちの視線を浴びながら、その下でただ唖然として立ちすくんでいた。


「香穂子、行くぞ」
「あ・・・う、うん」

何度か着た事があるらしく、月森は慣れた様子で通用門を開けると敷地の中へと入っていった。迷い無く広い前庭の石畳を歩いて向かう先は、正面の建物にある玄関だろうか。一際高い中央の三角屋根の下に、煉瓦のアーチが回廊を形作る車寄せが見える。きょろきょろと周囲に目を奪われ見渡しながらも、迷子にならないようにと必死に付いて来る香穂子に、月森も歩む速度を緩めたり、傍らにいないと気付くや振り返ったりと、さり気なく合わせていた・・・・。見守る瞳を、柔らかく細めながら。


「ねぇ蓮くん、クリスマスマーケットで会った、お友達のあのサンタさん・・・ヴィルヘルムさんは一体何者なの? もしかして、とんでもなく王子様だったりして?」
「どちらかといえば下町のガキ大将なんだが・・・・」

王子という言葉に、似合わないというような違和感を感じたらしく、苦笑しつつ困ったような微笑を向けてきた。なるほど、何となく彼の人となりが見えたような気がする。

「彼の家は歴史が古くて、遡れば貴族や王族の家柄らしい。だからこのお城のように大きな家も、その名残なんだろうな。建物の一部は、博物館やホテルにもなっている」
「凄い、古城ホテルってやつ!?」
「代々、音楽家も多く輩出しているんだ。招待状の名前に、香穂子も聞き覚えがあったろう?」
「・・・・二人とも今注目されてる若手のヴァイオリニストだよね。私、CD持ってるよ・・・・・」


どうしよう・・・。
パーティーは気軽なものだからとは聞いていたけれど、実は大変なものなのではと思えてきた。
きっと他の招待者も、音楽関係の凄い人たちばかりに違いない。もしかしたら、蓮くんの演奏がいち早く認めてもらえる、良い機会になるかもしれないのに。蓮くんはともかく、本当に私が一緒に演奏してもいいのだろうか? 

彼の足を引っ張らないように、魅力を潰さないように私が頑張らなきゃ。
そう思えば思う程に、プレッシャーを感じてしまう。


それにしても。規模は全く違うけど家柄といい環境といい、どことなくお友達と蓮くんがお互い似ているように思えて。ふと立ち止まり溜息を吐けば、つい心の声までも小さな呟きとなって漏れてしまう。

「類は友を呼ぶって、本当だね・・・」
「何か言ったか?」
「な・なんでもない! こっちの事!」

我に返ってヴァイオリンケースを持ち直すと、数歩先で肩越しに振り返る月森に慌てて駆け寄った。






チャイムを押して暫く待つと重厚な扉が開かれて、中から現れたのは笑顔で出迎えたヴィルヘルム・フランツ。今日はサンタクロスではなく、ジーンズにシャツというカジュアルな服装だったため、少し癖のあるブロンドの髪とブルーグリーンの瞳を持つ、この青年が誰なのか、一瞬分からなかった程だった。月森よりも頭半分ほど背が高く、体型もがっしりしている。同じ年と聞いていたけれどそうは見えないのは、日本人が幼く見えるのか、こちらの人々が年よりも上に見えるのか・・・。

『やぁ、良く来たね二人とも。さすがレン、約束の時間にピッタリだ』
『お久しぶりです、ヴィルヘルムさん』
『カホコ、また会えて嬉しいよ!』

満面の笑みを向けて両腕を広げ、ヴィルヘルムは香穂子に歩み寄ってくる。月森は阻むように間に割って立ち塞がると、さりげなく香穂子を背に庇い、挑むようにきつく睨み付けた。

『何をするっ!』
『挨拶のハグだよ。レンこそ、いい加減こっちの挨拶に慣れろよ。大丈夫、レンが怒るから頬を合わせるまではしないから』
『大丈夫、ではない。そこまでまだ親しくはないだろう。余計な事はしなくていい』
『レンの焼もち焼き。いちいち挨拶のたびに、お前がピリピリしてどうすんのさ。異文化コミニュケーションは底辺の理解が肝心なのに・・・・』

呆れたように肩を竦めれば、うっ・・・と言葉を詰まらせて、月森の顔がほんのり赤く染まってゆく。


やだ、蓮くんってば・・・・・・。


ふと逸らした横顔がほんのり赤く染まっているのが、背中側からも見れる。突然背中に庇われた時には、何があったのかと驚いたけど、どうやら焼もちというのは、本当みたいだ。そんな彼が可愛らしいやら、嬉しいやら・・・。照れくさくて、見ている私まで顔が熱くなってしまう。
でもそれ以上に、逆の立場だったら、きっと自分もむくれていたと思う。だって挨拶とはいえ、蓮くんがきれいな外国の女の人にハグして頬を合わせてたら、絶対に耐えられなくて見ていられないもの。
蓮くんの背中に手を添えてひょいと顔を覗かせれば、ニヤリと悪戯っぽく光る瞳と目が合った。


『カホコも、この先苦労しそうだな〜。ま、お互い様ってところかな?』

すっかりお見通しじゃない・・・。
苦労というのは蓮くんの焼もちと、私の焼もちと・・・両方の事を言っているのだろう。

そう思った香穂子の顔が火を噴いたように真っ赤に染まっていき、益々頬を赤く染める月森の背中をきゅっと掴むと、再び背中に隠れてしまった。


『本当に面白いね、君たちは。見ている俺の方が、くすぐったくなるったら』
『からかうのはいい加減にしてくれ、香穂子が、困ってしまうじゃないか・・・・』
『そうだった、すまないな。レンだけのつもりだったのに、カホコまで困らせるつもりは無かったんだ。お陰で予想以上の、二人の通じ合いっぷりを見せられてしまったよ。薮蛇だった』
『ヴィル・・・・・・』

こめかみを引きつらせて大きく溜息を吐く月森と、しれっと全く気にしたそぶりを見せないヴィルヘルム。二人のやり取りに、自然と口元に笑みが浮かんでしまう。背中越しに顔を覗かせて、クスクス笑っていると、前置きはこの辺にして・・・とコホンと咳払いと共におどけた表情が改まった。

『じゃぁ、さっそくパーティの会場にするホールに案内しよう。今はちょっと外出してるけど、もう少ししたら兄さんと義姉さんも戻る筈だから。二人に会いたがっていたから、後で紹介するよ。』





さぁ中へ入ってと誘われれば、英国カントリー風で素朴な外観とは異なり館内は、派手さの無い落ち着いた雰囲気ながらも、細部に至るまで贅沢な趣向が凝らされた造りとなっていた。披露宴のパーティーが行われるという大広間へと続くのは、白い壁に赤い絨毯が続く、気品高い館内の廊下。周りの街並みもそうだったけど、家の中まで時代を遡ったような感覚がしてくる。


初めて来る私の為にと、所々で立ち止まりながら、通りにある部屋や家の仕組みを簡単に案内してくれた。幾つ部屋があるんですかと聞いたら、数えた事が無いから分からないという言葉には、私だけでなく蓮くんも、目を丸くして驚いていたたけれども。どこまで歩いたのか分からなくなった頃に、迷子にならないようにしっかり俺の後に付いてきてねと、つい先ほど言われた言葉が脳裏を過ぎり、あながち冗談でもなかったんだなと、しみじみ思った。



赤い絨毯の突き当たりにある、重厚な二枚開きの扉の前で、先導していたヴィルヘルムが立ち止まち、月森と香穂子を振り返った。

『お待たせ、ここが大広間だ』

重い音を立ててゆっくり扉が開かれると、隙間から中の光が少しずつ漏れ出して来る。力を込めて全て押し開かれた扉から溢れる光のまぶしさに、思わず目を瞑ってしまった。
そっと開けて、目の前に広がっていたのは・・・。

「うわ〜っ、広〜い!」
『いわゆるボールルームだね。大昔は舞踏会とかやる社交場だったんだ。聞いた所によるとウチのご先祖が、ヴェルサイユ宮殿に憧れて立てた広間なんだって。鏡の間って知ってる?』


磨き上げられた大理石の床がどこまでも広がる大広間。天井まで続く大きな窓が壁の両側に幾つも並び、差し込む光が自然の照明となっている。それらを囲む壁や窓枠に施された、細かい彫刻。大小さまざまなシャンデリアが、天井に描かれた大きな絵画と、黄金色に輝いて見える空間を照らしていた。お城だった名残とはいえ、どうして家にこんな部屋が今でもあるのだろう。
世界は広い・・・上には上がいるんだと、つくづく思い知った。


『当日は立食のパーティー形式になるんだ。新郎新婦は、丁度シャンデリアの下・・・部屋の中央辺りで踊る予定』

見上げれば大広間の中央に、一際豪華で大きなガラス製のシャンデリアがあった。それを囲む惑星のように、小さな光の塊たちが空間に浮いているように見える。静かな広間に、コツンコツーンと、足音だけが高く響き割っていく。

『俺たちは、どこで演奏すればいいんだ?』
『ホールの中央を参列者が囲む形になるんだ。だから君たちも一緒。踊っている二人の邪魔にならなければ、どこにいても構わないよ。人垣の外では折角の音色がかき消されて、ワルツと絡まなくなりそうだから』
『分かった』

腕を組んだまま暫く広間全体をじっと眺めていた月森が、やがてゆっくりとした足取りで歩き出した。一つ一つ何かを確認するように所々で立ち止まって、部屋全体を回っていく。部屋の中央・・・そして窓辺や隅に至るまで。大きな窓から差し込む光が、大理石の床に長い影を落とし、白と黒の美しいコントラストを描いている。逆光で影と一つになったシルエットは、まるで絢爛な建物に溶け込む一枚の
絵画のようで、息を飲んで魅入ってしまう。

きっと響きを予測し、確認しているのだろう。
彼から感じる凛と漂う空気が、既にヴァイオリニストのそれになっている・・・・。
後を追うことも、声をかける事も出来ずに、ただじっと見守るしかなかった。


部屋の中央に戻ってきた月森のシルエットが、徐々に光の中から姿を表してくる。静かに響き渡る足音がピタリと止まると、入り口近くで佇んだままのヴィルヘルムと香穂子に視線が注がれた。

『響きを確認しても、いいだろうか』
『あぁ、もちろん。ピアノがいるなら俺が弾くけど?』
『いや、今は平気だ。ヴィル・・・すまないが、聞いててもらえるだろうか』


香穂子も・・・。
そう言われて、ついに着たのだと、一瞬ドキリと心臓が高鳴った。


あんなに聞きたいと・・・音色を重ねたいと強く心で願っているのに。
今の私には眩しすぎて、もしかしたら耐えられないかもしれないけれど。
でも逃げないって決めたじゃない。



待ちきれない高揚感と、握りつぶされるような苦しさが生み出す緊張感が、私の中で激しくぶつかり合って激しく渦を巻き始めていた。