光りと虹のシャワー

「ねぇ蓮くん、お水をもっと・・・もっと高く遠くに飛ばせる?」
「あぁ。やってみよう」


俺が手に持った庭木用のシャワーを僅かに傾ければ、水飛沫が大きく弧を描いてさらに遠くへ飛んでゆき。
それを見た隣にいる香穂子が、わーっと声を上げると嬉しそうにはしゃぎ出した。
手を叩いて喜ぶ彼女の笑顔と声援に答えて、夏の陽射しを浴びて煌くシャワーが、鮮やかに咲き誇る庭の花や緑の草木へと勢い良く降りかかる。


君が楽しければ、俺も楽しい・・・・筈なのだが。

飛び出しそうな心臓をちぎれる寸前の理性で押さえ込みながら、平静を保つのが精一杯。
今の俺は、一体どんな顔をしているのだろうか。
君の隣でいつものように微笑んでいるのかさえも、はっきり言って自信がない。


楽しげな笑い声にちらりと横目で香穂子を見れば、普段は服に隠れている筈の、しなやかな身体のライン。
着ているものといえば、彼女が今年新しく買ったのだという赤い水着姿だった。
すらりと伸びた足元には、お揃いの赤いビーチサンダル。

当然ビキニな訳で、初めて見る香穂子の水着姿に・・・いや、太陽の光りの中で晒される素肌の多さに眩暈がしそうだ。何処を見ればいいのかと、先程から向ける視線さえ定まらない。
肌の露出が多いにも関わらず、なぜ水着というだけで君は大胆になれるだろうか。


ここは俺の家で、庭だよな・・・海ではなくて。
だが俺の家で良かった。俺以外に君を見る者が、誰もいないから。



いつもより大きな鞄を持って俺の家にやってきた香穂子は、そわそわと落ち着かなさ気に部屋の中を見渡したり、泡立つほどにストローでアイスティーを掻き回したり・・・・持ってきた鞄を気にしたり。

様子がおかしいのが心配になってどうしたのかと聞けば、茹だこみたいに真っ赤に染めた香穂子が、Tシャツの裾をきゅっと掴みながら恥ずかしそうに俯いてしまった。そんなに照れ臭い事なのだろうかと、彼女の言葉を待ちながら、否が応でも期待に鼓動が高鳴ってしまうのは、仕方が無いだろう?

だがもじもじと手をいじりながら時折上目遣いで俺を伺いつつ、彼女が勇気を振り絞ってポソリと囁いたその言葉は・・・庭の花に水をあげたいという内容だった。

何を期待していたんだ俺はと、その時は気はづかれないように、小さく溜息が込み上げたものだが。



「今日も暑いよね〜みんな喉が渇いたでしょう? いっぱいお水を飲んでね!」


ハッと我に返ると、俺の傍らにしゃがみ込む香穂子が、笑みを浮べて語りかけていた。
煌く雫をいっぱいに湛えた花びらを、指先で優しく突付きながら。
そんな彼女を横目に眺めて微笑ましいと感じながらも、訴える心と身体の声に耳を傾けずにはいられない。


俺も乾いているんだが・・・君が欲しいと。


無邪気にはしゃぐ君を見ると、自分自身に苦笑が込み上げるのは何故だろう。どうしてこうなったのだろうかと思い返しながら、視線は正面の植木に向けたままで、隣でしゃがみ込む香穂子に語りかけた。


「・・・香穂子、その・・・庭に水を撒くのに、どうしてわざわざ水着に着替えるんだ?」
「え? だって、お水を浴びたら濡れちゃうでしょう?」
「水を浴びるのは俺たちではなく、花や木だと思うんだが・・・」
「ちゃんとタオルとか着替えも全部持ってきたから、心配しないで。蓮くんも着替えればいいのに」
「いや・・・俺は・・・遠慮しておく。だから今日に限って荷物が多かったのか。一泊旅行でも出来そうな荷物だったから、俺はてっきり・・・いや、なんでもない」


蓮くんどうしたの?と不思議そうに聞いてきたけれど、俺が黙っていると、彼女もそれ以上は深く追求しなかった。空耳だと思ってくれればいいし、もしかしたら彼女も察知したのかもしれない。

互いに黙って水の音だけに耳を傾けていると、足元にしゃがむ香穂子が俺のズボンの裾を引っ張ってきた。
どうした?と優しく問いかければ、あの・・・あのねと頬を染めながら口篭り、必死に何かを伝えようとしている。


「ほら・・・前に、私が海に行きたいって言ったでしょう? でも混んでる海はやめようねって、結局お出かけは無しになったけど。その代りに新しく買った水着を蓮くんだけに見せるって約束したじゃない」
「そういえば、そんな事もあったな」
「だから・・・ね。今日は蓮くんに、その水着を見てもらいたかったの。二人っきりなら・・・いいでしょう?」


そう言ってスッと立ち上がると後ろ手に組み、愛らしく小首を傾げてはにかんだ笑顔を浮べながら照れ臭そうに振り仰いでくる。それ以上は近づかないでくれと思う反面、今すぐにでも腕の中に閉じ込めたくて。
俺の為に・・・その想いがどれ程嬉しく、独占欲を掻き立てるか・・・君は分かるだろうか?


「ねぇ・・・この水着、どうかな?」
「その・・・とても可愛らしいと・・・思う」
「ありがとう、すごく嬉しい! 蓮くんはどんなのが好きかな〜って、考えながら選んだんだよ」 
「・・・・・っ」


ふわりと咲いた満開の花のような微笑みに、熱くなった顔を俺はただ反らす事しか出来なくて。
でも楽しそうにはしゃぎ俺を呼ぶ声に振り向いてしまい、再び我に返って顔を背ける・・・そんな繰り返し。

俺が黙ったまま植木に向かってシャワーを傾けていると、横から香穂子が手を伸ばして水に触れてくる。
何度避けても阻むように手を水の中に入れてきて、その手に付いた雫を俺に向かって飛ばしてくるんだ。
まるで俺と君の追いかけっこのように・・・。


「冷たい〜! 凄く気持いい〜!」
「こら、香穂子っ・・・」


君の興味は花ではなく、すっかり水と戯れる事に変わってしまったらしい。
わざと届かないように高く掲げれば、もどかしくなったのか、必死に飛び跳ねたり俺の腕を揺すってくる。
水と・・・というより、シャワーを手に持つ俺にじゃれつく君が可愛くて、つい夢中になってしまいそうだ。

香穂子は花に水をあげる・・・というより、単に水遊びがしたかったのだろう。

水浴びがしたいのだと言ったら、俺が笑うとでも思ったのだろうか・・・そんな事はないのに。
それともその裏に隠された本音を正直に言うのが、恥ずかしかったのだろうか?
可笑しさと微笑ましさに緩む頬が止められずにいると、一瞬の油断を見抜かれてしまった。


「スキありっ」
「あっ・・・こら、香穂子!」
「ねぇ、私にもシャワー貸して?」


ピョンと飛び跳ねて水が出たままのシャワーを俺の手から奪うと、クスクス笑いながら一目散に逃げ出し離れてゆく。俺から少し離れた所で立ち止まると、花にやると思いきや、予想通り天高くシャワーを向けた。
大きく弧を描く水飛沫が太陽に煌いて、彼女の手が光りを浴びた虹の橋を作り出す。


「見てみて蓮くん、ほら〜虹だよ!」
「本当だ、綺麗だな」


ホースを持ったままくるくると回れば、水飛沫が辺りへ飛び散り、更に大きな虹が描かれた。
少し離れた俺にも降りかかるが、それ以上に中心にいる香穂子は髪や身体を濡らして、全身がずぶ濡れだ。
だが降り注ぐ雫に濡れるのも気にせず、香穂子は大はしゃぎでシャワーを振り回している。


始めの内は彼女の微笑ましさと眩しさに細めていた俺の瞳も、いつしか心に湧く甘い苦しさに締め付けられ、耐えるように眉を寄せていた。


どうして君はそんなにも無邪気で無防備なのか。俺の前だからいいものを・・・いや、良くないか。
君の気持は分かるし嬉しいけれども、俺だって男なんだ。
水着姿で肌も露な君を感じていれば、平気でいられなくなってしまう。


「香穂子。足元に大きな水溜りがあるから、滑らないように気をつけて」
「え? 何か言ったー?」
「うわっぷ・・・・・・!」
「きゃーっ、蓮くんごめんなさい!」


くるりと振り向いた香穂子の手元から、真っ直ぐにシャワーが俺の顔面を直撃した。
頭からバケツをひっくり返されたように水を浴びせられて、顔どころか服まで全身がびしょ濡れになり、大粒の雫が俺から芝生へと降り注いでゆく。大きく溜息を吐くと軽く頭を振って水気を振り落とし、はりついた前髪を片手で掻き揚げた。

俺の元へ駆け寄った香穂子が、シャワーを両手に握り締めたまま心配そうに見上げてくる。


「ごめんね、蓮くんがずぶ濡れになっちゃった。でも、水も滴るイイ男・・・だよ?」
「そう言う香穂子の方が、濡れいているじゃないか」


濡れそぼった髪から水滴が零れ落ち艶と赤さが増しているようで、甘い香りが漂ってくる。
きっと、彼女が使っているシャンプーの香りだろうか・・・。
大丈夫だからと大きな瞳を見つめながら微笑み、香穂子の額や頬に張り付いた濡れる髪を優しく拭えば、彼女の瞳もほっと安心したように緩んだ。


あまり日焼けをしていない白い肌に着ている水着の赤が映えて、濡れた肌が陽射しを受けて輝いて見えた。
いつもと違う漂う色香に思わず息を飲み、今日何度目かの呼吸が止まれば、俺の手が無意識に君を抱き締めようと動いてゆく。しかし互いの視線が絡み合う一瞬の後に、悪戯っぽさを湛えた光りが瞳の奥に灯ったのを、俺は見逃さなかった・・・気づいた時には手もう遅れだったけれども。


「じゃぁ・・・蓮くんも、びちょびちょになっちゃえー!」
「・・・・・・っ! 香穂子!」


ポン弾けたようにはしゃぎ出す香穂子は、俺を正面から捕らえて、ホースを勢い良く振り回してきた。
顔を背けて避けるように手で水気を拭っていると、止まる事無く四方から襲い掛かる水飛沫。
だが不思議な事に、頭の先から足の先まで勢い良くシャワーの水をかけ、楽しそうに俺の周りを駆け回る彼女の笑顔に、自然と頬を口元が緩んでしまう。


君を追いかけたくて・・・今度は俺が捕らえたくて、心に込み上げるこの想い。



白い砂浜が広がる、青く透き通った南の海ではないけれど。
太陽の光りと水と、溢れる笑顔があるここは、俺と君だけの楽園。

そう・・・誰にも邪魔されず、君とふたりっきり。
周りも目の心配する必要ないんだ。



俺は濡れて身体に張り付くシャツのボタンを外してゆき、足元に脱ぎ落とした。
重く水気を吸った衣服は着心地が悪く、このまま着いても意味が無いから。
夏の日差しにさらされた上半身に降りかかる水飛沫が冷たく心地良くて、水を浴びたい香穂子の気持が分かった。俺も一緒に浴びたいと想ったんだ・・・君と一緒に。


一歩近づけば、彼女の視線が水を浴びた俺の身体に注がれて、目を見開いたままピタリと動きを止めた。
更に距離を詰めて近づくと、両手でシャワーを握り締めたまま、俺の胸に向かって阻むように水をかけてくる。


互いに肌を晒すのは初めてではないのだが・・・。
強く俺を意識する君を見て少し嬉しく想う反面、くすぐったい照れ臭さが込み上げてきて。
いつまでも初々しい君が愛しいと、そう心に想ったのは内緒だけれど。


かかる水飛沫をものともせずに、そっと腕を伸ばし香穂子を捕らえると、日に照らされ水を浴びた互いの肌がピタリと吸い付く。あるべき居場所だと感じる安らぎと温かさに、酔わされながら・・・。



「一つ、約束してくれないか?」
「約束?」
「水着を着る時は、俺の前だけにして欲しいんだ」
「どうして? お友達とプールや海に行っても駄目なの?」
「・・・海へ行くならば、俺と二人だけになれる所へ行こう。君を見て・・・たった今、そう決めた」
「決めたって・・・蓮くん、そんな勝手な」
「誰にも見せたくないんだ・・・君の姿を、俺以外の誰にも。君を包み込むのも夢中にさせるのも、いつでも俺だけでありたいから。それに俺だけしか見ないのなら、印があっても気にする事は無いだろう?」


腕の中に抱き締めながら熱い吐息を耳朶に吹き込めば、頬と首筋が着ている水着と同じくらいに真っ赤に染まるのが見える。香穂子が手にしていたシャワーが静かに芝生へ転がり落ちると、足元から吹き上げる水飛沫が寄り添う俺たちを優しく包み込んだ。


「香穂子・・・返事を聞かせてくれないか?」
「いいよ・・・蓮くんだけって約束する。だってその為に、今日は来たんだもの」


甘い吐息と共におずおずと顔が上げられて、俺が映る潤んだ瞳が静かに閉じられた。
それは、君が受け入れてくれた答えの証。
だから印を付けておこう・・・まずは唇に、そして君の身体にも。



強く降り注ぐ夏の日差しと吹き上げるシャワーを浴びながら一つに重なる俺たちは、きっと君が作ったような虹に包まれているのだろう。ちょうど君の向こう側に、水の中に浮かぶようにして七色の虹が見えるから。


君と過ごす夏は・・・熱い。
降り注ぐ雫は想いと溶け合い、熱さで乾いた俺の心にも潤いとなって染み込んでゆく・・・。








※「海と水着と彼女と俺」の後日談です。
単品でも読めますが、合わせて読むと
よりお楽しみ頂けます。