海と水着と彼女と俺
夏の海を眺めていると、潮風に吹かれるまま、何処かへ旅をしてみたくなるのは何故だろう。
寄せては返す穏やかな波に漂い、行き先知らずの気まぐれな風に吹き寄せられて。
だが俺には君という風があるから、いつでも共に遠くへ旅をすることが出来るんだ。
俺と香穂子の目の前に広がるのは、透き通るコバルトブルーの海原と、眩しく輝く白い砂浜。
--------の景色が、見開き一面で大きく映ったパンフレット。
「綺麗だね〜。波の音が聞こえてきそうだよ」
カフェの窓際にあるカウンター席で、香穂子と隣同士に並びながら、広げたパンフレットを眺めていた。
一息つこうと店へ入る前に香穂子が、綺麗だねとそう目を輝かせて、同じ通りにある旅行代理店の棚から偶然手に取ったもの。海外の有名なリゾート地のものだが、別に出かける訳でなく単に海を眺めたかったから。
こんな綺麗な海に、いつか君と二人っきりで行きたいと思うけれども・・・。
カフェのカウンター席は、俺たちの中で最近気に入っている場所の一つだ。隣同士で肩を寄せ合いながら君を側に感じて座れるし、周りを気にする事無く二人だけの世界を作ることが出来るから。
しかし開放感溢れるガラス越しに見える通りの景色など目に入らないようで、香穂子はどこかうっとりと遠くを見るように写真に釘付けだ。心は既に南の海へ飛んでいて、白い砂浜を駆け回っているのだろう。
危ないからと、止めるのも聞かずにはしゃぎまわる彼女の様子が目に浮かぶようだ。
幸せそうに頬を緩める横顔を間近で眺めるだけで、俺も温かく幸せな気持になる。
君と一緒にいつしか俺も、写真の中の海へ想いを馳せていた。
「蓮くん。私、海に行きたいな」
「海!? 写真を眺めるだけと、そう言ってたじゃないか」
「でもね、見てたら行きたくなっちゃった」
「だが遠くへ行かなければ、こんな景色を見ることは叶わないだろう。つまり・・・君と二人で・・・その、俺たちはまだ高校生だし・・・」
「・・・っ! べ、別にこのパンフみたいに、綺麗で遠くじゃなくてもいいの。すぐに行ける近い所でも平気だよ」
湧き上がる熱さに語尾を濁らせ言い淀む俺を見た香穂子が、慌てて顔の前で違うと両手をばたつかせる。
お互いにほんのり頬を赤く染め合いながら、暫し見つめ合い・・・。先にふと視線を逸らした香穂子は、何か言おうとしているのだが、もじもじと照れくさそうにパンフレットのページを弄んでいる。
「あの・・・ね・・・。この間、友達とプールに行ったって話したでしょう? せっかく新しい水着買ったから、もう一回着たいなって思ったの。それにほら・・・蓮くんにはまだ見せてなかったし・・・ね?」
最後は俺だけに届く囁き声となって、上目遣いにこっそり見上げながらね?と小首を傾げた。
向けられる言葉と同じくらいにその仕草にも鼓動が高鳴り、急速に熱が込み上げるのが分かる。
恥ずかしさを誤魔化す為なのか、それとも乾いた喉を潤す為なのか。彼女は自分のグラスを手前に引寄せ、ストローをくるくるかき回し始めると、愛らしい唇にストローを挟んで美味しそうに飲み始めた。飲んでいる姿をじっと見つめているのもどうかと思い、俺もまだ殆ど口をつけていないアイスコーヒーのグラスへ手を伸ばした。
身の内にある熱さを、沈めたい・・・・。
彼女が飲むのは、太陽のようなオレンジが入ったアイスティーで、俺はブラックのアイスコーヒー。
対照的な爽やかさとほろ苦さは、まるで今の気持そのものだと思い、飲みながら眉を潜めた。
先日香穂子がクラスの友人同士で、プールのある大きなレジャー施設へ行ったのは、まだ俺の記憶に新しい。
あまり日焼けをしたように見えないのは、きっと防ぐためにいろいろと苦労をしたのだろう。女性は大変だなと、つくづく思う。しかし大変なのはそれだけでは無かった・・・君だけでなく、俺にとっても。
跡が付いたら恥ずかしいと言い張る香穂子が拒むから、数日前から抱き締めるどころか触れることさえ許されず。その後暫くも、赤くなった日焼けが痛いからと、近寄る俺をやたら警戒する彼女に心が痛み・・・ずっと触れる事が叶わなかったのだ。
蓮くん、触ったら止まらなくなるでしょう?と。
ゆでだこみたく真っ赤に染めた頬を膨らませていた彼女の意見は、ある意味正しい。
君に何かあったら・・・よからぬ輩に声を掛けられていたらと------。
一人残る俺は、不安と心配で何もかもが手をつけられず、胸を掻き毟られていたというのに。
香穂子の水着姿を見られるのは嬉しいが、理性の限界ともいえる我慢と引き換えにまではしたくないと、複雑な葛藤が心に渦巻く。俺はどうしたらいいのだろうか・・・・・・・。
呼ばれてふと我に帰ると、はにかみつつも嬉しさを湛えた大きな瞳が、すぐ目の前で俺を捕らえていた。
「プールへ一緒に行った友達と選んだんだけどね、すっごく可愛いんだよ」
「すまない。その・・・一体、何の話だろうか」
「え? もちろん、この間買った新しい水着のお話。蓮くんはどんなのが好きかなって、考えながら選んだんだよ。これ着て一緒に海へ行けたら、楽しいだろうなって。お友達にね、顔が緩んでるって冷やかされちゃった」
「か、香穂子・・・・・・っ」
「ビキニなんだけど、タンクトップとショート丈のパンツがセットになっているの。それを上に着れば外へ出かけられるし色はね・・・って、蓮くんどうしたの? 大丈夫?」
「・・・っ、いや・・・何でもない」
お願いだから、詳しく説明しないで欲しいと思う。君の姿が脳裏に浮かんでしまうから・・・。
身体中の熱が顔に集まり耳から鼓動が聞こえるから、きっと赤くなっているんだろうな。
赤く染まった顔をというより心の中を見られたくなくて、フイと背けつつ口元を手で覆い隠した。
そんな俺の心中など知る由も無い香穂子は、心配そうに瞳を曇らせながら、テーブルに身を乗り出し覗き込んで様子を伺ってくれる。大丈夫だから・・・と背けた視線と顔を戻し、柔らかく見つめながら微笑を向けた。
「俺も、海が好きだ。だが今は夏だし、多くの人で混雑している。もう少し、落ち着いた静かな時に行くのはどうだろうか? あまり人がいない・・・二人だけになれる時に」
「お盆を過ぎるとクラゲがでちゃうから、泳げないよ」
「・・・香穂子、その・・・海でなければ駄目なのか?」
「どうして? 白い砂浜の上を蓮くんと寝転がったり、青い海をお魚になった気分で、一緒に泳げたら楽しいだろうなって思ってたの。あ、それともプールの方が良かった?」
だが心底不思議そうにきょとんとしている香穂子には、遠まわしに言っても通じないらしい・・・仕方が無いか。
一度大きく深呼吸して気持を落ち着けると、テーブルの上に乗っている香穂子の手に重ねて握り締めた。
身を寄せ触れ合わせた肩から温もりを感じ、苦しい心の中に向き合うようにガラス越しの景色を遠くに見つめながら。
「香穂子と一緒に海へ行けたら楽しいだろうし、夢のようだと俺も思う。だが・・・きっと俺は、我慢が出来なくなるだろう。どうなってしまうか、自分でも分からないんだ」
「暑いし・・・やっぱり人ごみは苦手・・・だよね。我侭言って、ごめんなさい」
「いや、違うんだ。人ごみや夏の暑さなんかじゃない。・・・周囲の視線が君へ注がれる事に、ずっと君に触れられない事に・・・何よりも君自身に。誰にも見せなくないんだ、どうか俺の前だけでと・・・そう願うから」
次第に握る力が籠り、鼓動の高まりと共に熱さを増していくのが手の平から感じる。君のものか、俺のものか。
ゆっくりと隣の香穂子へと視線を向ければ、火を噴出しそうな程顔を真っ赤に染めて、俺をじっと見つめていた。
香穂子?と優しく呼びかけると、我に返って困ったように小さく照れて微笑み、内緒話をするように顔を寄せくる彼女へと、俺も身を屈めて髪を触れ合わせた。
「仲良さそうなカップルを海で見る度に、ちょっと憧れてた。いつか私も大好きな人と一緒に海へ行くんだって。でも本当はね、海でなくてもいいの・・・・一緒にいられればどこだって。だって・・・蓮くんに、私の水着姿を見てもらいたかっただけだから」
「どこでも・・・。例えば、俺の家でも?」
「え!? う、うん・・・・恥ずかしいけど・・・ね。蓮くん素敵だから、海に行ったら他の女の人に囲まれちゃうかも・・・そんなの嫌だし。それにね、ずっと触れてもらえないのは、私だって寂しいんだよ」
「香穂子・・・」
どこか甘えて拗るように擦り寄って、照れくささに頬を赤く染めながら、俺だけに聞こえる内緒話をするように。
言葉を詰まらせながらも必死に形にしてくれた、青い海のように透き通る想いの欠片たちが、白い波飛沫を上げながら押し寄せてくる。
君の事を思うたびに胸いっぱいに膨らんでゆく想いが、隣にいるだけで溢れ出してしまう。
寄せては返す波のように、どうか俺の想いも大切な君にも、大きなうねりとなって届いたらいい。
「海は、またいつか。誰にも邪魔されず、ずっと二人きりでいられるところへ行こう」
「本当? 約束だよ。じゃぁ代りに、今度蓮くんの家に行った時、広いお庭の花に水あげてもいいかな?」
「別に構わないが」
「お花と一緒に、私たちもお水をいっぱい浴びようね。海の気分でずぶ濡れになったらきっと楽しいし、私が水着でも蓮くんと二人っきりだよ」
頬を綻ばせて眩しく弾ける笑顔は、俺の心にも夏の太陽となって熱く照らし焦がしてゆく。
テーブルの上に重ねられた手はそのままで、微笑で覆い隠しながら甘く視線が絡まれば、優しく語りかける小波の音に引寄せられて、どちらともなくパンフレットの中に広がる南国の海原へと注がれた。
君と一緒ならば、気分はいつでも白い砂浜と、コバルトブルーの青い海で。
※後日談はこちら 「光りと二次のシャワー」