作:冬木洋子 原案・タイトル画像・方言指導:めらけんじ |
<後半>
NUTSの戦闘機は、砂採り場跡らしい開けた空き地に現れた巨人型怪獣を射程に捕らえた。
コックピットの大多喜隊員が、鼻歌まじりに照準を定めて上空からミサイルを撃ちこもうとした瞬間。
眼下の林の縁から、一人の老人が腕を大きく振り回しながら飛び出してきた。
「あ、危ない!」
大多喜は慌てて操縦桿を握り、急旋回して上昇した。
間一髪、狙いを逸れたミサイルはあらぬほうに飛んで、近くの山肌を抉った。
「な、なんだ!? 民間人か?」
肝を冷やして呟く大多喜。地上を拡大して見ると、老人が必死の形相で何かを叫んでいる。
その老人に、少年が追いすがり、林の中に引き戻そうとしているが、老人は少年を振りほどき、何事か叫び続けている。
大多喜は音声のスイッチを入れた。老人たちの声が飛び込んでくる。
「やめてくれ、それは怪獣ではねえんだ、アクルオー様だ」
「じいちゃん、だめだよ、危ないよ!」
「ええーい、離せ、リョウタ! NUTSさん、撃つな、撃たんでくれ〜!」
基地に残っている後方要員の県職員たちにも、その映像は中継されていた。
「……なんなんだ、あれは? 何を言っているんだ?」
画面の前で騒然となる職員たち。
大多喜と流山の眼下で、老人と少年に向かって怪獣が迫る。
「や、やばい、助けないと!」
コックピットで焦る流山。
しかし、上空の戦闘機が、怪獣の攻撃をかいくぐって地上の人間を救出するのは至難の技だ。
老人たちの目の前に巨人の巨大な足が踏み降ろされそうになった、その時。
「ああっ、なんだアレは!? 雪崩か!? 鉄砲水か!? いや、羊の群れだ!」
突如、地響きと共に猛スピードで山を駆け下ってきた羊の大群が、織姫と彦星を隔てた天の川の濁流のように、あっという間に老人たちと巨人の間を隔てた。
もうもうと土煙を上げて砂採り場を横切る暴れ羊の大行列。
なすすべもなく上空を旋回する戦闘機。
さしもの怪獣アクルオーも、とつぜん足元に現れたモコモコむくむくの濁流を前に立ち往生し、きょろきょろと眼下の光景を見下ろしてとまどっている様子だ。
「な、なぜ、あんなところに羊の群が……?」
基地で見守る職員たちが、画面の前であっけにとられている。
そこに、通信が入った。
『大変です! ファーザー牧場の羊が暴走しました! 突然暴れだした約百五十頭の羊が、牧場の柵を破って山を駆け降りていったとのことです!』
ファーザー牧場とは、鹿野山の尾根一帯に広がる広大な観光牧場である。羊という動物ののどかで平和的なイメージを根底から覆す驚愕のスペクタクル・ショー、『羊の大行進』で有名だ。
「そうか! ファーザー牧場の羊か!」
「うわ〜、羊って、あんなに足が速いんだ……」
「すごい迫力……」
「『怒涛の羊』とはこのことか……」
職員たちは思わず事態を忘れ、画面の向こうの大暴走に見入った。
その時、ナノカが運転するNUTSの公用車『ミルフィーユ号』が林の縁から飛び出して砂採り場に突っ込んでゆき、助手席から飛び降りた松戸が、抱き合って震える老人と孫をまとめて荒っぽくひっ抱え、後部座席に押し込んだ。
松戸が助手席に飛び乗ると同時に、ドアを閉める間もあらばこそ、急なターンにタイヤを鳴かせてダッシュで逃げもどるミルフィーユ号。
その直後、今まで老人たちが居た場所に、羊の濁流を跨ぎ越した巨人の足が踏み降ろされた。
混乱に乗じた間一髪の救出劇にほっと息をつく、基地の職員たち。
コックピットの大多喜・流山は、ふたたびミサイルの照準を怪獣に合わせた。
「うぉをををを〜ッ! くらえ、熱き千葉魂!」
用もないのになぜか絶叫しつつ発射ボタンを押す熱血流山。
再び鼻歌まじりで上機嫌の大多喜。彼は、ミサイルが撃てさえすればいつでもご機嫌である。
地上からも『ナッツ・バズーカ』での狙い撃ちが始まった。
少し離れた林の中。
停車したミルフィーユ号のそばで、船橋が老人の打ち身の手当てをしている。その隣ではナノカが少年の膝っ小僧の擦り傷を消毒してやっている。松戸が救急箱を持って脇に控えている。
「さあ、打ち身の方はこれで大丈夫でしょう。ところで、おじいさん、なんであんなところに飛び出したりしたんですか」
船橋隊員の穏やかな詰問に、老人は、縋りつかんばかりの必死さで事情を説明し始めた。
阿久留王が自宅裏の社に葬られていたという老人の言葉に、松戸が首をかしげて言葉を挟む。
「しかし、阿久留王の首は鹿島台遺跡のお八つが塚に葬られたんじゃないんですか? あの遺跡は、確か、高速道路の建設予定地にかかっているということで、最近、発掘調査が行われたはずだが……」
老人は自分たちの先祖が密かに亡骸を一箇所に集めて弔ったという事情を、さらに説明した。
「というわけで、隊員さん、どうか、アクルオー様を撃たんでください。あれは、怪獣などではねえです! そのことを、戦闘機の人にもに伝えてください」
経験豊富で温厚な船橋は、それまで、老人の話を一切否定せず、黙って頷きながら聞いていたが、ここで初めて、穏やかに口を開いた。
「なるほど。お話は分かりました。しかし、もしあれが伝説の阿久留王なり、貴方の家のお社の神様だとしても、現に、ああして暴れておるのです。目に見えない神霊や幽霊などではなく、形のある怪獣です。それが、山を降りて町に向かおうとしている。止めないと危険だ」
老人は血相を変えて船橋に詰め寄った。
「アクルオー様は怪獣じゃねえ! 六手の守り神様だ! ただ、何かで正気をなくしておられるだけなんだ! きっと、みなが長年アクルオー様を鬼呼ばわりしてきたから、本当に鬼の姿になってしまったんだ。でも、あれは本当の姿ではねえんだ! 神様というものは、人が正しく祀り、敬い、感謝し、慕っていれば人を守ってくれるけんが、蔑ろにしたり憎み恐れたり恨んだりすっと、悪鬼怨霊に変わって祟りを成す。神様は、人が思うとおりのものになるんだ。頼む、俺をもう一度、アクルオー様のそばに連れてってくれ!」
「それは無理だ。危険すぎる。あれに言葉が通じるとは思えない。貴方だって、さっき、危なく踏み潰されるところだったでしょう? 貴方の気持ちは分かるが、例え神様であろうとも、あれがあのまま市街地に降りては、現実として大きな被害が出る。NUTSとしては、止めないわけにはいかんのです」
「こ、こんっ、わからずやどもめ!」
老人は突然、船橋に殴りかかろうとした。松戸が慌てて老人を取り押さえるが、老人は渾身の力で暴れて松戸の手を振りほどき、老人とは思えない身のこなしできびすを返すと、
「もうおめらには頼まん! 俺は一人でアクルオー様のところに行く!」と叫び捨てて林の中に駆け込んでいった。
「おい、待て、そっちは危険だ! 松戸、後を頼む!」
老人を追って林に駆け込む船橋。
ピーナッツを象った携帯無線機『ナッツシーバー』で基地に連絡を入れ、追跡と増援を要請する松戸。
「じいちゃん、待って!」
ナノカに絆創膏を貼ってもらっていたリョウタ少年も、慌てて立ち上がろうとしたが、ナノカに押し止められた。
「待って、リョウタ君。大丈夫、おじいちゃんのことはおじさんたちに任せておいて。ほら、ジュース、飲む?」
ナノカは少年を座らせ、ジュースを手渡すと、自分もかがみこんで目線を合わせた。
「……ねえ、リョウタ君。あの、おじいちゃんの話は本当なの? あの怪獣が君んちの神様だって話」
「うん、アクルオー様はウチんちの神様だよ。ぼく、小さい頃、アクルオー様の姿を見たことがあるんだ。お社にお祈りしてたら、目の前に、テレビに映るみたいにして神様が現れたんだ。大昔の人のかっこうをして、変わった形の剣を持った、強そうな男の人だった。強そうだけど、優しそうだったよ。あの人は、大昔の、このへんの王様だったんだって。強くて優しい王様だったって。六つも手があるんじゃないかと思うくらいすごく強くて、その強い手で、村の皆を守ってくれていたんだって。大勢で攻め込んできた人たちに負けて殺されたけど、今も、お社の中で僕たちを見守ってくれているんだって、おじいちゃんが言ってた。あの怪獣がアクルオー様だっていうのは、ぼく、知らなかったけど――だって、ぼくが前に見たアクルオー様とはぜんぜん姿が違うから――、でも、じいちゃんがああ言うんなら、本当にそうなんだと思う。じいちゃんは、嘘なんかつかないもん。……でも、みんな信じてくれないんだね」
「私は信じるよ」
ナノカはじっと少年の目を見て優しく微笑んだ。
「本当?」
「本当よ」
「じゃあ、 ぼくをアクルオー様と話させて。アクルオー様は悪くないんだ。じいちゃんが言うとおり、鬼じゃないんだ。良い神様なんだ。そのことを思い出したら、きっと暴れるのをやめてくれるよ。あのね、アクルオー様は、僕が言うことを、ちゃんと分かってくれるんだよ。だって、ぼくが前にサッカーのボールが欲しいってお願いしたら、次の誕生日にボールがもらえたし、犬が欲しいってお願いしたら、次の日、迷子の子犬が庭に迷い込んできて飼えることになったんだ。前にじいちゃんが病気になって入院した時も、助けてくださいって、毎日一生懸命お祈りしたから、じいちゃんはちゃんと元気になったんだよ。心を込めてお願いすれば、ぼくの言葉が分かって、願いをかなえてくれるんだ。だから、ぼくをアクルオー様のところに連れて行って」
「分かった。お姉さんと一緒に行こう!」
ナノカは少年の手を引いて立ち上がり、つかつかとミルフィーユ号に向かって歩きだした。
ミルフィーユ号の運転席のドアには、松戸が、腕組みをしてもたれかかっていた。
ドアの前で向き合う松戸とナノカ。
松戸は、その場を動かず、腕を組んだまま険しい眼差しをナノカに向けた。
「松戸さん、そこ、どいて」とナノカ。
「だめだ」と松戸。
「おねがい。リョウタ君やおじいさんの言ってることは本当だと思う」
「なぜ分かる?」
「私の、千葉県民の血が、そう言ってるの」
しばし無言で睨みあう二人。
ややあって、松戸が根負けしたように腕組みをといてドアから身を離した。
「……懲戒免職は、退職金が出ないぞ」
ニヤリと笑うナノカ。
「覚悟の上よ」
「……リョウタ君の安全確保のために俺も同行する」
「退職金、出ないよ?」
「覚悟の上だ」
ため息まじりに人差し指で眼鏡を押さえ、助手席に回る松戸。
助手席に松戸、後部座席にリョウタ少年を乗せて、ナノカはミルフィーユ号のアクセルを踏みこんだ。
一方、戦闘の舞台となった砂採り場跡では、NUTSが怪獣に苦戦していた。
数発の弾を身体に受けた怒れる巨人は、弱るどころか、ますます見境無く暴れ狂っている。
戦闘機を払いのけ、海に向かって山を降りてゆこうとする巨人。
流山の『千葉《せんよう》ニ号』が、巨人の腕の直撃を受け、近くの林に墜落する。
「うわっ、流山〜!」
流山機の行方を気にかけながらも、大多喜も自分が巨人の攻撃を交わすのに精一杯だ。
「あ、危ないっ!」
さすがの大多喜も、もはや鼻歌の余裕はない。額に汗を浮べ、必死に操縦桿を握る。
しかし燃料が尽きそうだ!
そこに、ウルトラマン登場!
『チヴァッ!!』
ウルトラマンと巨人型怪獣がとっくみあう。
今回のウルトラマン・チバのフォルムは、陸上戦に適した力強い『上総タイプ』だ。その逞しい姿は、麦藁帽子を被った農夫に少し似ている。
ウルトラマンに当たるのを恐れて射撃を中止するNUTS。
二体の巨人は、激しい攻防を繰り返す。六本の腕が繰り出す絶え間ない攻撃に、苦戦するウルトラマン。
激しい戦いの中で、ウルトラマンは、ふいに、声にならぬ想いを聴き取って戸惑った。それは、怪獣に触れたときに、己の中に流れ込んでくるのだ。
――敵ハ、ドコダ、やまとたけるハ、ドコダ……痛イ、苦シイ……目ガ見エナイ……敵ハ、ドコダ――
それは、混乱した、虚ろな想いだった。まるで、傷ついた獣が血を流しながら戦うように、怪獣アクルオーは、見えない泪を流しながら戦っているようだった。
ウルトラマンは戸惑い、アクルオーの腕が離れた一瞬の隙に、後退さった。
アクルオーとウルトラマンは、互いに攻撃の構えを解かぬまま、無言で対峙する。
アクルオーがあげる声無き咆哮が、ウルトラマンに届く。
――痛イ。苦シイ。敵ハ、ドコダ。敵ハ、オ前カ。オ侵略者メ、憎ックキ、侵略者メ……!――
再び猛然とウルトラマンに襲い掛かるアクルオー。
その時、林の縁から老人が飛び出してきた。
アクルオーに向かって叫びながら走り寄ろうとする老人。
「アクルオー様、おやめください。もう戦わなくて良いのです。もう大丈夫です。ヤマトタケルはいないのです。今、この地は平和なのです。鬼泪山が削られてしまったことは残念です。阻止できなかったことを悲しく思っています。でも、削られた山肌には、また木が生えました。植林をしてくれている人たちもいるのです。どうか、ここで暴れて、せっかく育った木を倒さないでください。あなたの領地をこれ以上破壊しないでください!」
周囲で戦いを見守っていた隊員たちも、基地でモニターを見ている隊員たちも、騒然となった。
「うわっ、またじいさんが出たぞ!」
「なんてこった!」
「結局誰も捕まえられなかったのか? 何て足の速い年寄りだ」
「誰かじいさんを捕まえろ!」
「ダメだ、ヘタに追うと、かえって危険な方に追い込むことになりかねない!」
その騒ぎは、まだ砂採り場に向かう途中だったミルフィーユ号の無線からも流れ出た。
「しまった、間に合わなかったか……」と松戸。
「ねえ、おじいさんは何を言ってるの? 鬼泪山が削られたって何の話?」
「東京湾横断道の建設のために、阿久留王の墓のある鬼泪山の山砂が採取されたんだ。由緒ある伝説の山でもあるから、自然保護団体だけでなく民話保存会などからの反対運動もあったらしいが、結局、山のほとんどが削られてしまったらしい。このへんは山砂の産出地で、高度成長期からバブル期にかけて、すっかり風景が変わるほど盛んに山が削られ、ひどい場合は、山が一つ丸ごと削られてなくなってしまうようなケースも珍しくなかったそうだ」
「あの怪獣――アクルオーは、それで怒っているのかしら……?」
「さあな。なんにしても、じいさんが危ない。止めに行こう」
話しているうちに砂採り場にたどり着いた三人は、隊員たちが気付いて止めるまもなくミルフィーユ号を飛び降りて老人の元に駆けつけた。
「じいちゃん! この人たちは味方だよ! 一緒にアクルオー様にお願いしてくれるんだ!」
隊員たちが取り押さえに来たらすぐに逃げるはずだった老人も、リョウタの姿を見、叫びを聞いて、一瞬、行動を迷った。
そこに、すかさず駆け寄った松戸が老人の腕を取った。
「おじいさん、ここは危険です、戻りましょう」
松戸が老人を抱えて戻ろうとする。抵抗する老人。
「松戸さん! どうして?」とナノカ。
「誰も君たちに協力するとは言っていない。俺はじいさんとリョウタ君の安全を確保しに来ただけだ。さあ、君も戻れ」
「アクルオー様〜、話を聞いてくだされ〜!」
松戸に引きずって行かれながら叫ぶ老人。
「こんにゃろ、じいちゃんを放せ!」
松戸に掴みかかるリョウタ少年。
老人の身柄を確保すべく背後から忍び寄っていた隊員たちが林から飛び出して、一人が松戸からリョウタを引き剥がし、もう一人が松戸の手から暴れる老人を引き取った。
が、その隙に、ナノカが、一人、砂採り場に向かって駆け出した。
「あっ、おいっ、ナノカ隊員!?」
なにが起こったのかわからず、面食らう隊員たち。
「待て、ナノカ君!」
ナノカを追って、松戸も駆け出す。
「ええいっ、放せ、放せ〜!」
喚く老人。暴れるリョウタ。
「あ痛ッ!」
リョウタを抑えていた隊員が叫んだ。リョウタが腕に噛み付いたのだ。
思わず緩んだ腕から、するりと抜け出すリョウタ。
砂採り場では、ウルトラマンと怪獣が、ますます激しい取っ組み合いを繰り広げている。
「お願い、ウルトラマン、戦いをやめて!」
ナノカの叫びは、喧騒と怒号にかき消される。
もう、辺りは大混乱となった。
と、そこに。
ウルトラマンと怪獣の戦闘現場に向かうナノカの往く手を遮るように、突如、轟音と共に竜巻状の水柱が吹き上がり、しりもちをついて呆然とするナノカたちの前で、見る見るうちに、九つの頭を持つ巨大な龍の姿を取った。
それは、水で出来た、透き通る龍だった。年経た龍の形をした巨大な水の塊が、中空低く浮んでいる。絶えず流れ動く水の身体を通して、向こう側の景色が透けて見えている。
その場に居た全員が、みな、魂を抜かれたように一切の動きを止め、声を無くし、この奇跡に見入った。
九つの首が、背後の空を透かして薄蒼く透き通る十八の瞳をいっせいに開き、僅かに首を下げ、威厳を湛えて人間たちを睥睨した。
ひっと息を呑む隊員たち。
ぽかんと口を開ける老人。
「き、鬼泪山の九頭龍《くずりゅう》様……?」
龍は、老人とリョウタ少年の前にしなやかな動きでそれぞれ首を差しのべた。天上の湖のような、青空を映す水鏡のような、薄蒼く透き通った美しい巨大な瞳が、半眼に開かれて、人間たちの目前に迫る。心を吸い込むような、恐ろしくも優しい、その不思議な輝き。
老人とリョウタは、夢を見ているような顔つきでふらふらと首に向かって進み出た。隊員たちの誰も、それを止めようなどと思い付きもせず、ただ、畏怖に打たれて姿勢を正した。
別の首が、ナノカの前にも優しく差しのべられていた。
『私の頭にお乗りなさい』
清らかな水の流れのような、流れの上を吹き渡る風のような、涼しく優しい神寂びた声が囁いて、気がつくと、ナノカと老人とリョウタは、それぞれ、龍の大きな頭の上、左右の枝角の間に座っていた。
水の九頭龍は、三人を乗せてふわりと飛び立ち、向きを変え、静かにアクルオーの前に立ちはだかった。
龍は、慈愛を込めて優しく呼びかける。
『アクルや、アクル、私の息子……』
戸惑って立ち止まるアクルオーとウルトラマン。
『幼き日に、この鬼泪山を駆け巡り、わたしの浅瀬で遊んで育ったあなたは、私の息子です。ここで育った生き物は、人も魚もけものも虫も、みな、私の愛しい子供たち。アクル、あなたの苦しみは知っています。山を削られ、塚を壊され、鬼と呼ばれて……。痛いでしょう、苦しいでしょう。けれど、アクルや、それでも私たちは、この地を守るもの。害をなすものではない』
竜の頭の上で、ナノカも叫んだ。
「アクルオー、あなたは悪くない、悪鬼なんかじゃない。思い出して!」
怪獣が龍とナノカに向き直り、きしむように口を開いた。
『……そこを、どけ。俺は、侵略者を追い払うのだ。己の国と己の民を守るために戦っているのだ……』
それは、どこか虚ろな響きではあったが、先ほどまでの、痛みに狂った獣のような、朦朧とした断片的な意識とは明らかに違う、人間らしい言葉だった。
『敵は、もう、いないのですよ。西からやってきた者たちも、遠い昔にここに住み着き、この地の水を飲み、この地の土を耕して、今では、ここのものとなりました。みな、仲良く暮らしているのです』
アクルオーは、ウルトラマンを見やった。
『では、こいつはなんなのだ。侵略者ではないのか』
『この人もあなたと同じ、千葉を守る戦士です』
「ウルトラマン、これは怪獣じゃないの。土地の神様なの。ここを守ろうと思っているだけなの。あなたを侵略者と勘違いしているだけなの!」
ナノカの言葉に小さく頷くウルトラマン。
老人がアクルオーに呼びかける。
「アクルオー様、あなたの、その六本の手は、破壊のためではなく、この地と領民を守るためにあるはずです。あなたは、六本の大きな頼もしい腕で優しくこの地を抱く王であるはず。どうか、鎮まりくだされ……」
手を合わせて拝む老人。
リョウタも負けじと声を上げる。
「アクルオー様、ぼくのこと忘れちゃったの? ぼくたち、前に、会ったことあるよね?」
とまどいつつ、ぎこちなく首を曲げ、少年に視線を移すアクルオー。
やがてその眼から凶暴な色が薄れて、一筋の泪が、乾いてひび割れた巨人の頬を伝ったかと思うと、怪獣アクルオーの姿は、ふいに光に包まれ、光に溶けて見えなくなった。
白い光の中から、声が聞こえた。
――俺は、ずっと眠っていた。眠りの中で、常に痛みに苛まれていたが、常にそれを宥めてくれる祈りがあったから、俺は静かに眠ってこられた。夢の中で、幾度か、その少年と会った気がする。――そうして、それから、誰か、小さなものたちが俺を呼んだ。恐れ、怯え、傷付いて恨みと怒りを抱いた小さな獣たちの声が合さって、俺に助けを求めた。――それは、ずっと昔から聞こえていた声だった。が、今までは、扉が閉ざされていたから、遠く、小さくしか聞こえていなくて、俺は目覚めることなく眠り続けてきた。それなのに、扉が開いて、俺は目が覚めた。目が覚めて、戦わなければならないのだと思った。俺の領地に住む生き物たちが、俺に助けを求めている……、ならば、敵が居るのだと思った。自分の領地を守るために、侵略者を追い返さねばと思った。この地に住むものは、人も、獣も、みな、俺の愛しい領民だ。俺は、領土と領民を守らねばならない。……そして、立ち上がったら、痛みに霞む目の前に、お前が現れた。だから、お前を敵だと思ったのだ。許してくれ――
静かに頷いて合掌するウルトラマン。
光が収束すると共に六本腕の巨人の姿は消えて、その後には、勇壮な太刀を佩いた、逞しい古代の戦士の幻が浮んでいた。
いかめしい髭面の中で、目は優しい。
古代武人の幻は、老人と少年にひとつ頷きかけると、ウルトラマンと九頭龍に頭を下げて、すっと消えて行った。
老人たちを地面降ろした龍は、たちまちに形を失い、流線型の水の塊となって一直線に空中を翔け、向こうの森の一点に吸い込まれていった。そこには、川が流れる谷があるのだ。
みな、呆然とそれを見送る。
水の龍が飛び去った後の空には、大きな虹が出ていた。
「あ、虹。きれい……」
うっとりと呟くナノカ。
「九頭龍様は川に帰られたんだ……。ありがたや、ありがたや……」
手をすり合わせ、頭を垂れて、龍が飛び去った方角を拝む老人。
『チヴァ!』
ウルトラマンが、虹を背に、飛翔のポーズを取る。
「ウルトラマン、ありがとう!」
手を振るナノカに頷きかけ、虹を越えて飛び去るウルトラマン。
『チヴァッチ!』
「ありがとう、ウルトラマン!」
揃って手を振ってウルトラマンを見送った皆が車に帰ろうとしているところに、息を切らして流山が駆けてきた。
「おお〜い!」
「あれっ、流山? そういえば、今までどこに行ってたんだ!」
「それが、戦闘機が林に不時着してさ、藤づるに絡まって、抜けられなくなっちゃって……」
「もう、流山君ったら、いつも大事な時にいないんだから!」
「ごめん、ごめん。いやぁ、さすが、千葉の藤づるは丈夫だねえ!」
翌日、NUTSの基地。
テレビからニュースが流れる。
「怪獣呼称委員会では、浦安に現れたネズミ型怪獣を、ネズミーランドのマスコットであるネズミのキャラクターにちなんで『ミキラス』、また、鹿野山山麓に現れた巨人型怪獣を、出現地点の地名である『六手』と六本の手にちなんで『ムテオー』と呼称することに決定しました」
流山隊員がテレビを消した。
「いつものことだけど、今さら名前を付けたってなあ……」。
「『ムテオー』か。知らずに付けたにしては、正しい名前をつけたものだな」と、松戸隊員。
「あれが阿久留王だったってことは、私たちとあのおじいちゃんたちの秘密ね」と、ナノカ隊員。
「そういえば、あの、水の龍には、名前をつけなかったのかしら」
「ああ、あれは、あの時現場にいた俺たちしか目撃していなかったらしいからな。しかも、出現したといっても、周囲に被害を及ぼしたわけでも、俺たちを攻撃したわけでもないから、怪獣とは認定されなかったらしい。NUTSの戦闘記録にも公式には残らないことになりそうだ」
「あれってさあ、幻だったのかなあ。基地のモニターには映っていなかったらしいぜ」と大多喜。
「ううん、幻なんかじゃないわ。私、頭に乗せてもらったもの! あの龍は、なんだったのかしら」
「あれは鬼泪山の守護神である九頭龍らしい。じいさんがそう言っていた。俺も、あの後で調べてみたんだが、確かに鬼泪山には九頭龍の伝説があったようだ」と松戸隊員。
「実は神様だった怪獣に、伝説の龍か……。しかも大ネズミが大発生して注連縄を齧ったとか何とか、何だかよくわからない事件だったな……」と大多喜。
「そのことだが、俺は、浦安のネズミ型怪獣と、注連縄を切ったネズミは関係があるんじゃないかと思うんだ」
「どういうことだ? そりゃあ、どっちもネズミだけど?」
「ナノカ君には話したが、東京湾横断道は、主に、阿久留王の墓のある鬼泪山を削った山砂を使って建設されたんだ。横断道に限らず、千葉の山砂は、長年、東京湾の埋め立てに使われたり、コンクリートとしてビルの建材に使われてきた。東京のビルは千葉の山砂で出来ているんだ。千葉の山が東京のビルになったようなものだ。ネズミーランドの埋め立てや建材にも、千葉の山砂が使われていたとしても不思議はない。その山砂に、採土のために住処や命を奪われた山の小動物たちの怨念が宿っていて、その怨念が、たまたま東京湾に落下してきた宇宙生物に取り付いて巨大化・凶暴化させて人間への復讐を図った――、浦安の怪獣騒ぎは、そういうことじゃないかと思うんだ。そして、そのミキラスが倒されたことによって、怨霊はミキラスの身体を離れたが、いったんミキラスに宿ったことでネズミの姿を得、故郷の鬼泪山に戻ってきて、自分たちの領主である阿久留王に助けを求めようと、社の封印を解いたんじゃないか。それが、俺の想像だ」
「おいおい……。俺たちは『科学特捜隊』のはずなのに、いつから『オカルト特捜隊』になったんだ?」と、苦笑する船橋。
「松戸はもっと科学的で合理的な人間だと思っていたんだが、怨霊だの何だの、そんなオカルト話を信じるのか?」
「実際に神様やら龍やら古代武人の幻やらを目の前で見たら、信じないわけにはいかないでしょう」と松戸。
「そうだよなあ……」
「俺も見たもんなあ……」
それぞれに頷く隊員たち。現実派の船橋も、それは否定できない。
「まあ、なあ……。俺も、まさかそんなものを自分の目で見ることになるとは夢にも思わなかった神様とやらを見ちまったからなあ……」
「それにしてもさあ、宇宙からの侵略者なら退治するなり追い返すなりするけど、怪獣を、土地の神様だと言われちゃうとなあ……。自分のしていることが正しいのかどうか、自信がなくなってくるよなあ……」と、珍しく考え込む様子の流山。
「でも、ほんと、神様が怒るのも無理もないかも……」
神妙に呟くナノカ。
「いろいろと工事をして、新しい道が出来て、便利になるのはありがたいことよね。私たちだって、横断道のお陰で、ずいぶん助かってるもん。でも、東京湾の埋め立てのために無くなってしまった山もあっただなんて……」
「ああ、仕方のないことかもしれないが、山の動物たちから見れば、きっと、我々も、宇宙怪獣やヤマトタケルと同じ『侵略者』なんだろうな」と松戸。
「同じではないさ」と、船橋。
「どんな大きな宇宙怪獣も、山を一つ丸ごとなくしてしまうほど壊しはしなかった。そう思うと、人間が一番恐ろしい怪獣かもしれないな」
そう言って、船橋は、窓の外の山野に遠く目を向けた。みな、一瞬、黙り込む。
重くなった空気を払うように、ナノカが明るい声を上げた。
「ねえ、いつかまたリョウタ君たちと会いたいわね。私、今度、非番の日に、阿久留王のお社にあさり煎餅でもお供えしに行こうかな」
「おっ、だったら俺も一緒に行くよ!」と流山。
「おおっ、デートか?」と、すかさずチャチャを入れる船橋。
「違いますよ〜。ぜんっぜん、まーったく、そんなんじゃありません。ねっ?」
「えっ? あ、ああ、まあ……」
なんとなく、ちょっと意気消沈する流山。流山の想いがナノカに届く日は遠そうだ。
こうして、今日も、千葉の平和は守られた。ありがとう、ウルトラマン・チバ。ありがとう、千葉県。
……終……