カノープス通信
2003年7月号−2

目次
・季節の便り
・今月の面白探し
・近況報告『猫がニャーニャー』
・読書録
(今月は『ミス・ビアンカの冒険』『アースシーの風』『光をはこぶ娘』他です)




季節の便り

 いつもの犬の散歩道に、今年もホタルブクロが咲きました。同じ場所でも、株によって花が白っぽいのとピンクっぽいのがあって目に楽しいです。

 6月終わりから7月前半にかけては、雑草だらけのうちの庭が一番華やかになる季節です。
 普通、庭に一番たくさん花が咲くのは4〜5月頃の春の盛りだと思うのですが(関東地方の気候では……)、一年草の花は春に咲くものが多いけれど、ウチの庭に多いハーブや多年草は、たいてい6〜7月に咲くのです。
 オレガノにベルガモット、ミントにセージ、ローズマリー……。雑草を自力で押しのけて逞しく繁茂しているハーブたちが、いっせいに花をつけています。(ローズマリーは冬から今までずっと咲きっぱなしですが。)

 このハーブ、花の時期以外はただの雑草に見えるので、ただでさえ草ぼうぼうのうちの庭を実際以上にますます草ぼうぼうに見せており、たまに訪ねてくる姑などに毎回呆れられ、心配のあまり草取りをしてやろうかと申し出てもらったりして、その度に、これは雑草ではなくわざと植えてあるのだと言い訳するはめになるのですが、一年のうちでこの短い時期だけは、「そうか、あの家の庭はいつも雑草ぼうぼうで廃屋みたいだと思っていたら、あれは実はわざと植えてある草花だったのか」と傍目にも分かるだろう状態になります(^_^;)

 問題は、その、花の咲く時期が一年のうちの一ヶ月だけで、あとの十一ヶ月(というか、真冬は除く約八ヶ月位?)はひたすら草ぼうぼうに見えるということですね(^_^;)
 私が常日頃から草取りをサボっているのも事実ですが、雑草が茂っているように見えるものの中には雑草でないものも沢山混じっているのも本当なんですけど……。




 今月の勘違い

★この間、ちょうど父の日だった日の夕食時のこと。
 もらい物のお惣菜が塩辛いという話をしていて、別のお惣菜を食べた夫が、
「これのほうがもっと辛いよ。父の日じゃないよ」と言いました。
(え? 今日は父の日なのに?)と思ったら、『そっちの比じゃないよ』の聞き間違えでした。


★子供たちがテレビでアニメを見ていました。
 主婦同士の集まりに出た奥さんが、夫に『帰りは遅くなる』という電話をするシーンをやっていたらしいのですが、その、奥さんのセリフにびっくり。
「今日は遅くなるわ。これもキョンシーの付き合いなの……」
 えっ、キョンシーの付き合い? この奥さんたち、キョンシーだったの? これ、キョンシーの集会なの?
 あわててテレビに目をやりましたが、別に誰もキョンシーではなさそうです。
 よく考えなおしてみたら、たぶん、このセリフは、『女同士の付き合いなの』だったと思われます……。

★姪が産まれたので、子供たちを連れて産院にお見舞いに行きました。
 そのとき、姪にはまだ名前がついておらず、命名の話をしていたら、子供が口を出しました。
『かおでか・かおる』がいいな!」
 えっ、『顔デカ・かおる』!? 何、それ?? ぜんぜん顔がデカくなんかないのに……。
 ……と思ったら、本当は、「『かおり』か『かおる』がいいな」だったのでした(^_^;)
 どうやら、彼らにも、女の子の名前について、ちゃんと好みがあるようです。もしかして、好きな女の子の名前だったりするのでしょうか……?

★毎月、『月刊カノープス通信』に『今月の勘違い』を載せるために、常日頃から聞き間違いをメモしています。が、そのメモ、すぐに使わないと、後で、どういう状況でその言葉が発せられたのか分からなくなってしまうことがあります。
 例えば、今、一ヶ月くらい前のものらしいメモに、『蹴ったよ、今、お茶漬けけったいな受け付け』という聞き間違いが記録されていたのですが……。
 これは、私と夫と、どちらが聞き間違いをしたのでしょう?
 そして、何より、なぜ、どういう状況で、『蹴ったよ、今、お茶漬け』などという不思議なセリフが発せられたのでしょう……? お茶漬けを蹴ったって、どういう状況? 今となっては、もう、さっぱり分かりません(^_^;)
 
 あと、『これ、変形しないよねキン消し(キン肉マン消しゴム)ないよね?』というメモもあったんですが、これも状況が良く分からない……。
 言葉だけじゃなく、ちゃんとその時の状況もメモしておけばよかった(^_^;)

 それから、こんなメモもあったんですが……。
 『岩石の巨神兵大好きな巨神兵
 なんか、かわいいですね。どんな巨神兵なんでしょう?
 これは、多分、子供が遊戯王カードかなにかの話をしてるのを私が聞き違えたのでしょう。
 そういうキャラのカードがあるなんて知らなかったのに『巨神兵』などという特殊な用語は間違えずに聞き取れる私の脳みそって、ちょっと特殊……?




 近況報告・猫がニャーニャー

 先月、私は、ウチの猫には人間の食べ物は一切食べさせていないと威張っていましたが、実は、例外がありました。いつも、ツナ缶を開けたときには、缶の蓋の裏側と、空いた缶を猫に舐めさせてやることになっているのです。

 もとはといえば、ツナ缶を開けているとき、猫が、ねこ缶と間違って飛んでくるので、あまりにもかわいそうなので、せめて蓋と缶を舐めさせてやるようになったのです。
 塩分や油分がきついから身体に悪いとは思うのですが、缶についてる油ぐらい、たいした量じゃないからいいかと思って……。

 そんなわけで、今ではすっかり、ツナ缶を開けたら猫に缶を舐めさせる習慣が定着してしまっています。

 で、最初のうちは、缶を開ける音を聞くとすっ飛んできていたのですが(ツナ缶とは限らないのに……^_^;)、最近では、缶を見ただけで飛んでくるし、それどころか、ツナ缶の予備を仕舞ってある床下収納庫を開けているのを見ただけで飛んでくることもあります。「ツナ缶じゃなくてジャガイモを出すつもりだったのに……(^_^;)」ということも多々あります。
 さらに最近では、サラダボウルやマヨネーズを出しただけで飛んでくるようになりました。それを見ると、これからサラダを作るんだと、分かるんですね。でも、毎回ツナサラダとは限らないのに……(^_^;)

 そして、さらに、先日は、私がジャガイモをゆでてザルにあげていたら、猫が飛んできてニャーニャー言い出しました!
 ただのジャガイモですよ。薄い拍子木切りにして、さっとゆでたジャガイモ。
 確かに、私は、そのジャガイモで、我が家の定番メニューである『ツナいもサラダ』を作ろうと思っていたのです。薄切りにしてゆでたジャガイモとツナをマヨネーズで和えたサラダです。
 でも、まだ、ツナ缶もマヨネーズもサラダボウルも出していませんでした。

 それなのに、猫は、ジャガイモをザルにあけているところを見ただけで、私がこれから何を作ろうとしているかを予測したらしいのです。だって、ジャガイモを丸ごとゆでた時には、飛んできませんもん。でも、薄切りにして、ザルにあけたら、飛んできたのです。びっくりです!

 ついでに、我が家の定番メニュー、『ツナいもサラダ』の作り方を紹介。
 ジャガイモを厚さ1ミリ程度の拍子木切りにして、熱湯でさっと茹でてザルに上げ、塩少々と胡椒、お酢少々、あれば粉末乾燥セージとタイムも少々で下味をつける。
 胡椒は、この料理の場合は、私は白胡椒か、白黒混合のいわゆる『テーブル・コショー』が合うと思うけど、夫は粗挽きブラックペッパーがいいらしい。どっちでも、お好みで。
 下味をつけたら、熱いうちに軽く油を切ったツナ缶と混ぜ合わせておき、粗熱が取れたらマヨネーズで和え、冷蔵庫で冷やす。以上、出来上がり。
 コツは、ジャガイモを茹ですぎないことと、熱いうちにツナを混ぜることです。とても簡単で美味しいですよ!




 読書録

(注・この読書録は、あくまで私の備忘録・個人的な感想文であって、その本を未読の人にマジメに紹介しようという気は、ほとんどありません(^^ゞ (……たまに、少しだけ、あります)。 ただ、自分の記録のためと、あとは、たまたま同じ本を読んだことのある人と感想を語り合いたくてアップしているものなので、本の内容紹介はほとんど無いことが多く、ものによってはネタバレもバリバリです。あまり問題がありそうな場合は、そのつど警告するか、伏字にしています。)

『ミス・ビアンカの冒険』シリーズ マージェリー・シャープ作 (岩波書店)
 しばらく前から、夜、子供たちが寝る前に、少しづつ読んでやっています。
 私も子供の頃に夢中になった本なんですが、今読んでも、やっぱり、これは面白い!

 子供の頃に面白かった本でも、今、子供に読んでやると、意外とあまり面白くない場合もあるんですよ。
 自分の感性が変わったからである場合もあるかもしれないし、今読むとさすがに古めかしかったりととか、子供には面白いけど大人には面白くないらしいという場合もあるし、子供の頃は気にならなかった作者の主義主張が鼻につくこともあるし、また、自分が子供の頃は自分で読んだけど息子たちには声に出して読んでやっているという読み方の違いのせいもあるようです。
 黙読する分には気にならなかったり、かえって魅力を増す効果がある描写や述懐が、黙読より時間がかかる読み聞かせの場合は、すごく拡大されてまどろっこしく感じられたり、なかなか話が進まずに子供が退屈してしまったりするのです。

 でも、ミス・ビアンカシリーズは、黙読しても物足りなくないと同時に読み聞かせても冗長でなく、古い作品だけど今でもぜんぜん色あせていないし、子供が読んで楽しいのはもちろん、むしろ大人になってからの方が楽しめる部分もあったりして、子供が夢中になっているのだけでなく、読んでやってる私も、あらためて楽しんでいます。

 はらはらドキドキのストーリーに、超お嬢様ネズミ、ミス・ビアンカの気品とかわいらしさ、実直素朴なバーナードのユーモラスな味わい、ふたり(?)の間に漂うほのかなロマンスの香り、節度ある上品な諧謔と風刺のスパイス、そして何より、マッチ箱の机や胡桃の殻の椅子、酒樽の会議室に切手の壁紙といったネズミたちの暮らしぶりのディテールの楽しさ、愛らしさ。どこをとっても、楽しいです。
 さすがロングセラー。今も昔も、大人も子供も楽しめる、不朽の名作です。
 特に、小動物好きの人には超お薦め! ネズミたちが、もう、かわいいのなんのって……v


『ゲド戦記5 アースシーの風』 アーシュラ・K.ル・グィン (岩波書店)
 自分がいかに『ゲド戦記』前巻までの内容を覚えていないか、思い知らされた一冊(^_^;)
 やっぱり前作までを読み返しておかないといけなかったかな。
 せめて、『これまでのお話』か『登場人物一覧』みたいなのを付けてくれればよかったのに。

 私、『ゲド戦記』の第一巻『影との戦い』を読んだのは、たぶん、小学校高学年か中学生の時なんですよ。これはもう、強烈な印象を受けました。
 その時の、「世の中には、こういう本がったんだ〜! 私はこういうのを読みたかったんだ〜!」という衝撃と、熱に浮かされたような耽溺は、今でも覚えていますもん。
 でも、すごくわくわくして夢中になったことは覚えているけど、具体的な内容は、あまり覚えていない……(^_^;)
 二巻、三巻も、たぶん続けて読んだんだと思いますが、第一巻が一番印象的でした。

 でも、あの、少女時代の衝撃があまりに大きかったので、私は、その後、かえって『ゲド戦記』を読み返す気になれなくなってしまったのでした。すっかりすれっからしてしまった今の気持ちで読み返してしまうと、今も私の中に残っているあの純粋な感動が薄れてしまうような気がして。

 で、第四巻が出たときは、もう社会人でした。図書館に勤めていました。
 でも、あの第四巻には、実は私は、どうにもこうにも理解できませんでした。
 一言で言うと、「……なんじゃ、こりゃ?」。(ル・グィン先生、第四巻が好きな皆さん、ごめんなさいm(__)m 別に悪いというんじゃないのです。ただ、私には理解できなかっただけ……)
 今読めば、あれはあれでまた面白いのかもしれないですが、当時の私には、まだ、受け入れられなかったのでしょうか。それとも、今読んでもやっぱりわけわかんないんでしょうか?
 ……あえて読み返して試してみる気にはなれません。

 そんなわけで、四巻目までを全く読み返すことなく取り掛かった、十年ぶりの第五巻(ただし、二年位前に番外編が一編、アンソロジーに入ってたのを読んでいるので、完全に十年ぶりのゲド戦記というわけじゃないですが)。
 第一巻を読んでからだと、もう二十年以上経ってます。

 読み始めて、まず最初の印象は、「やっぱり私は『ゲド戦記』の世界が好きだ〜!」というものでした。
 もう、冒頭、船が港に入ってくる情景描写からして、独特の雰囲気があるんですよ。

 アースシーの風が、空気が感じられる。匂いや手触りがある。ファンタジーの世界の『色』が見える。
 
 とても直感的な感想ですが、それは、極彩色の色の上に白い薄紙を重ねたような、鮮明でありながら少し霞んだ、微妙な色合いです。
 たとえば、褪せた緑とくすんだピンク。霞んだ青と沈んだ金。やわらかなあんず色と儚い砂色。魔法の靄がかかった、異国の色彩。手が届きそうで届かない、近くて遠い夢の中の光景。

 実際に作品の中でそういう色が出てくるとか、そういう問題じゃなく、 その物語を読んでいると、そんな神秘的な色彩が、私の頭の中にイメージとして浮かんでくるのです。

 ゲドがいいおじいちゃまになってるのも素敵だし、ゲドの暮らす海辺の崖の上の家の夏の夕暮れは鮮やかで、現実的でありながら幻想的。幻想的でありながら現実的。

 いろいろと、もっと華やかだったり動きがあったりして絵になるシーンは他にもあるんだけど、私の頭の中では、この作品全体のイメージの基調となる光景は、田舎の丘の上の小さな家の夕暮れの庭の光景です。

 物語の一番最初で、今回の主人公となるハンノキがここを訪れてゲドと出会い、庭の木陰で語り合い、そこから旅立って、やがてすべてが終わったときには、一分始終を見届けたゲドの妻テナーが、ゲドの待つその家に帰り着いて、すべての顛末をゲドに語る――(そう、そういえばゲドは、今回、ただ、自分の家で家事をしながら奥さんの帰りを待ってただけなんですね(^_^;) すっかり『ご隠居』ですね)。
 そういうふうに、ゲドとテナーのささやかな家が物語の最初と最後に出てきて、物語全体の額縁のような役割を果たしているために、この物語全体が、『崖の上の小さな家の夕暮れの庭で老人がゆったりと語る昔語り』のように感じられるのです。

 そして、その、片田舎の質素な家の、スモモの熟れる夏の庭の穏やかな夕暮れという、平和で平凡な光景が、それはそれは美しく、色彩豊かで、しかも、そんな穏やかな世界の裏側に隠された神秘を予感させて、わくわくさせてくれるのです。
 しかも、そこに住んでいる素敵なおじいさんは、元魔法使いで大賢人なのです。なんて素敵。
 『元、魔法使いだったおじいさん』という存在は『魔法使い』と同じくらいロマンチックな気がします。

 というわけで、しょっぱなからファンタジーを読む喜びにどっぷり浸って幸せをかみ締めていたのですが……。

 でも、ストーリーの方は、やっぱり、いまいちよく分からなかった(汗)
 何しろ、今までの話をすっかり忘れてるし(^_^;)

 しかも、なんだか、ゆるやかに物語が紡ぎ始められて、ゆるやかに広がっていき、さあ、これから高まっていくのか……と思い続けているうちに、いつのまにか収束してしまったというか……。

 実際には、ちゃんと物語は動いているんですけど。世界全体の根幹に関わる大きな決断がなされて、最後には、世界のありようがこれ以上ないほど根本的に大きく変わるんですけど……、ただ、その変化は、普通に生きている人間には全く眼に見えない変化だし、なんだか、大きなことが起こっているわりに、話の展開の印象が淡々としていて。
 なんでだろう? 竜は飛んでくるし、航海はするし、ロマンスもあったし、ちゃんといろんなことが起こってるんですけどね。

 ところで、名作ファンタジーの外伝を集めたアンソロジー『伝説は永遠に・ファンタジィの殿堂 3』(ハヤカワ文庫)に収められていた外伝『ドラゴンフライ』は、この巻の内容に、とっても深く関わっていたんですね。

 あの外伝、途中まではすごく面白かったのにラストが唐突で、「いったいこれはなんだったんだろう……。きっと私が今までの話を覚えていないから理解できなかったのに違いない」と思っていたんですが、なるほど、こういうふうに次の話に繋がるんだったんですね……。あれだけではよく分からなかったわけです。

 この外伝、これからゲド戦記の外伝集みたいなのが岩波から出るらしく、その中にも入るらしいです。

 すみません、ここから先、結末に関わるネタバレです。しかも、『ゲド戦記』だけでなく、『ライラの冒険』シリーズ(P・プルマン 新潮社)の結末も明かしてしまいますので、『ゲド戦記・5』だけでなくそっちを未読の方もご注意ください(両方読んだ方は、なぜここで『ライラの冒険』のラストについて言及されるのか分かると思います)。



 それにしても、『ゲド戦記』と『ライラの冒険』という全くカラーの違う作品の、それぞれのシリーズの最後での最終的な結論がほぼ同じだったのには意表をつかれました。
 『ゲド戦記』は、死者たちの魂が空虚で乾ききった死後の世界から解放されて大地に還るというのが最終的な結末だったのですが、『ライラの冒険』も、シリーズ最終巻のクライマックスは、死者の魂の、膠着した死の国からの解放だったのです。
 で、ここでもやっぱり死者の国は生者が思っているような永遠の楽園などではなく、暗くて空虚な永遠の停滞であり、死者たちはそこに囚われているせいで本当に死ぬことも出来ずにいたのです。
 そして、たしか、死者の国を脱出した魂は、光だか塵だかになって自然の中に溶け込んで消えていったのだったと思います(よく覚えてないけど)。

 どちらも、キリスト教的な(?)『死後の楽園』を否定して、死して後も『個』としての存在を保つことに固執するのではなく『個』としての存在を解消して大地に還り、自然の一部となって転生するのだというアニミズム寄り(?)の方向にたどり着いていたような気がします。
 『アースシーの風』と『ライラの冒険』のどっちが先に書かれ、発表されたのか知りませんが、もしかして、今、欧米では、こういう思想が時代の流行なのでしょうか……??


『光をはこぶ娘』 O.R.メリング (講談社)
 メリングの妖精シリーズ(?)の最新刊。今までよりちょっと主人公の年齢が低めで、より児童文学風?
 最初、音楽家の父子家庭の日常とか自然保護運動とかインド料理屋さんとかの、ちょっと往年のヒッピー文化を思わせるこっちの世界の話になかなか入り込めなくて、いまいち引き込まれきれなかったのですが、最後のクライマックスは、やっぱり、メリング。
 雨上がりの山の描写とか、狼の死のエピソードとか、引き込まれる魅力がありました。
 前作のキャラも出てきたりして、ちゃんと話が繋がってるみたいです。


『あの夏にかえれなくても』 久美沙織 (光文社)は、めったに読まない現代モノ。ひたすらしゃべりまくりつついつのまにか話が進んでいる一人称がすごい。そうか、一人称の小説はこうやって書くのかという感じで。
 例えば、リストラされて田舎の実家に出戻ったヒロインが地元の職安に行くのに、「私はリストラされて実家にいる。今日は職安に行った」なんて、書かないんです。ストーリー展開に関係ありそうなこと、なさそうなこと、べらべらしゃべっているばかりで、ストーリーが始まっているんだかいないんだかわからないうちに、いつのまにか、ヒロインの置かれた状況が明らかにされ、もう職安に行っている(@_@) ただしゃべってるだけで、いつのまにか、ちゃんと話が進んでる。すごい。職人芸だなあ。

 それから、ディテールのリアリティがすごい。料理が原因の親子喧嘩とか、絶対、自分か知り合いの実体験を元に書いているとしか思えないほどだけど(^_^;)、別に、そうじゃないんですよね。例えば、その、料理がどうのという話は、後書きによると、何でも、雑誌の投稿記事から想像を膨らませたものらしい。

 作り話にこれだけのリアリティをもたせるってすごい。
 ファンタジーより現代モノの方が、かえってリアリティを出すのって難しいんじゃないかと思うんですよね。別の世界や別の時代・知らない国の話ならごまかせることでも、みんなが知ってる現代日本が舞台では、ちょっとでもうそ臭い不自然な部分が混ざっていると、読者に全部分かってしまうから。
 とにかく、あの、情けないまでのリアリティはすごいです。


『流血女神伝 砂の覇王 5・6』 須賀しのぶ (集英社コバルト文庫)
 ネタバレです。未読の方はご注意を。ネタバレといっても、書店の店頭でシリーズタイトルや表紙をずらずら眺めたとき程度のものだと思うので、文字反転はさせませんが、一応、この下、数行開けときますので、見たくない人はここまでにしておいてくださいね。
(未読の方にはこの感想はそもそも意味不明だろうから、ネタバレがどうのと以前の問題かも……^_^;)



 砂漠のハーレムの次は、海賊船だよ〜(@_@)
 エステ三昧の次は、帆柱登り! 香油の次に、硝煙。いくらなんでも波乱万丈!
 なんでそんなに次々といろんな展開を思いつくの?
 どうして、あの状況からこの状況へ、話が繋げられるの? すごいなあ……。

 サジェの最後は天晴れだったと思う。
『あたしは自分で選んできた』『苦しいけど、あんたの手なんか借りない』とは、よく言った! 合掌……(-人-)
 イウナちゃんも天晴れ。泣ける……(T-T) この子は将来、大物になるぞ! 生き延びられれば……。

 ところで、私は、議会でキレて乱闘するお兄ちゃんを、噂話じゃなくて実況中継で見たかったぞ!
 あのドーン兄上が、帝国議会で議員たちと大乱闘……(^_^;)  怒号飛び交う会議場で髪を乱しておやじどもと掴み合い、とか……? いいかも……。なんか、萌える……(妄想中……。うっとり……)。ドーン兄上なら、きっと、何をしても素敵v
 眉間に皺を寄せて苦労してるお兄ちゃんも、逐一、実況で見たい〜! グラーシカとラブラブ(?)なお兄ちゃんも、もっと見たい〜! グラーシカ、かわいいv

 でも、お似合いの二人だけど、ドーンの元カノのサラが出てきて、何かヤバそうだ! まさか、清算したはずの昔の恋が洋々たる前途に一点の影を……? さあ、どうする、お兄ちゃん!?(自分のまいた種だぞ!)
 それにしても、なんでまたロイはわざわざドーンの昔の恋人を結婚式に呼び寄せるなんていう危なっかしいことをしたのかなあ? 彼に限って、単なるセンチメンタリズムでそんなことをするとは思えないんですが……。何か企みがあってのことなのか……? それって私の考えすぎ?


その他いろいろ

 他に『血を啜る偽りの魔剣』(対馬正治 富士見ファンタジア文庫)、児童書の『冥界伝説・たかむらの井戸』(たつみや章 あかね書房)などを読みました。

 それから、妹尾ゆふ子の『真世の王』(エニックス)の前日譚で、『真世の王』出版時には既に絶版になっていた『異次元創世記・赤竜の書』(角川書店)を、新古書店でゲット。どうして『真世の王』が出るとき、これ、再版しなかったのかなあ。別の出版社だから? それでも『真世の王』がすごく売れれば、きっと再版されたんだろうけど、それほどは売れなかったんでしょうね……(T-T) 

 そして、同じく新古書店で前に入手してあった『三つの魔法』(ジェイン・ヨーレン ハヤカワ文庫)
 
子供向けの体裁をとりながら子供から大人まで楽しめる民話風のファンタジーです。いいなあ、こういうの。憧れです。
 たぶん、これももう絶版なんでしょうね。古い本を全部残していては新しい本が出せないんでしょうけど、残念ですね。でも、新古書店では、オークションに出せば定価以上で売れそうな貴重な絶版本が100円で売ってたりすることがあって、狙い目かも。



『月刊カノープス通信7月号』前ページ(今月の詩)
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