カノープス通信
2003年5月号−2

目次
・季節の便り
・今月の勘違い
・近況報告『拾った寛永通宝』
・読書録
(今月は『真世の王』・『水晶玉と伝説の剣』他です)




季節の便り

 子供たちが裏山から不思議な花を摘んできました。
 直径3センチほどの小さな花で、ちょっと花とは言い切れないような、『花に進化する途中』みたいな(^_^;)、奇妙な形をしています。色も、変わっています。花びらのように見えるのは、たぶん、花弁ではなく『がく』片だと思うのですが、お碗を伏せた形で、枚数は2枚か3枚、色は灰色がかった微妙な赤茶色。かたつむりの角が枝分かれしたみたいな奇妙な雌蕊はブルーグレイで、その先端は赤紫。なんとも不思議な色彩です。
 ……何かの色合いに似ているなと思って、気がつきました。そういえば、全体的に、熟れたあけびの実みたいな色あいなのです。

 もしかして、これはあけびの花?
 さっそくネットで調べてみました。
 やはり、あけびの花でした。五葉あけびの雌花です。
 あけびの花は、あけびの実の色をしているんですね。

 言葉で説明するよりも見ていただいたほうが早いと思うので、こちら(別窓で別サイトに飛びます)。
 これがあけびの花です。
 これだと、光の加減か、少し明るい、澄んだ色合いに見えますが、家の中で見た実物は、もうちょっと暗めで濁った、渋い色彩でした。

 次の日、犬の散歩に行った裏山で、その花が咲いているのを見つけました。たしかに、あけびの蔓に咲いていました。一回り小さくて一見違う種類の花のように見える雄花も一緒に咲いていましたが、雌花のほうが大きくて目立つので、子供たちは雌花だけ摘んできたんですね。



 今月の勘違い

★うちでは、町内会の回覧板を回すのは子供たちの仕事になっています。
 気の小さい子供たちは、いつもは、まだ明るくても1人で家から出るのは怖いと言って、兄弟で連れ立っていくのですが、ある日、たまたま下の子が1人で回覧板を回してきて、
「ぼく、1人で回覧板持ってった!」と自慢しました。
 それを聞いた夫は、
「えっ、トイレで身体磨いた!?」と、びっくり。
(汚いなあ!)と思ったそうです。

★勤め先の大型スーパーで、クレジットカードのCMのテープを流していました。
 この店内CM、カセットテープが痛んでいるのかラジカセの性能が悪いのか、いつも音が割れ気味で聞き取りにくいのです。
 去年の夏なんか、お中元シーズン中ずっと、
「お中元に、夏の定番・ゴーメン!」という放送を流しており、
「『ゴーメン』ってなんだろう。いつのまに、そんな聞いた事もない商品が、お中元の定番になったんだろうか」と、ずっと不思議に思い続けて、お中元シーズンが終わる頃になって、突然、
「あっ、そうか、あれは『そうめん』だったのか!」と気がついたりしたのです。
 今回もかなり聞き取りにくい放送だったのですが、たまたま耳に入ってきた言葉にびっくり。
「いろいろ使える便利な○○カード。お買い物に○○カード、海外でも○○カード、野良犬にも○○カード!」と言っているではありませんか!
 犬にカードって、どういう意味??
 ……まさかと思って、もう一度、よく聞いてみたら、『野良犬』ではなく、
ドライブにも○○カード」だったのでした。



 近況報告・拾った寛永通宝

 先月、子供が蛇の抜け殻を拾ってきた話をしましたが、蛇の抜け殻を持っていると金運がつくというのは本当のようです。
 蛇の抜け殻を大事に瓶に入れておいた息子は、そのおかげか、今度は裏山で寛永通宝を拾ってきたのです! 正確には、友達が拾ったのをもらったらしいですが。
 いや、びっくりしました。寛永通宝なんて、そのへんに普通に落ちてるものなの?

 念のためネットで調べてみたところ、裏側に『文』と刻まれているそれは、いろんな種類のある寛永通宝のなかでももっとも一般的なもので、コレクション的価値は二束三文らしいですが(でも、ほんのちょっと枠線が太かったりすると、その微妙な違いで値段が高騰する場合もあるらしい)、でも、子供たちにとっては、そんなこととは関わりなく、自分たちが山で見つけた昔のお金なんて、すごい宝物でしょう。しかも、そんな宝物を、なかよしのお友達が友情の印に自分にくれたのですから、なおさら宝物でしょう。
 息子はそれをきれいに洗って自分の宝箱にしまいました。

 ところが、後になって、夫が怖いことを言い出しました。
 以前、地元の人に、「この辺の山に落ちてた古いお金は拾ってはいけない」と言われたのを思い出したというのです。
 夫が聞いた話によると、このへんではわりと最近まで土葬が行われており、その際、遺体の胸に硬貨を置く習慣があったのだとのこと!! だから、山に落ちていたお金は、何かの拍子でお墓の中から出土したものである可能性があるから触らないほうがいいとのこと!!

 ひえ〜! じゃあ、このお金は、死体の上に乗ってたお金かもしれないってこと?(@_@;)
 うわあ、怖い! 
 触るなと言われたって、もう触っちゃいましたよ! 何か変なバイキンとかついてたらやだなあ……と思ったけど、今更取り上げるわけにも……。もう、どうせ散々触っちゃったんだし(子供たちは、ちゃんと外の丁寧に水洗いしてから持って帰ってきたのです。その際、当然、散々触ったはず!)。
 とりあえず、子供たちにはもう一度石鹸で手を洗わせましたが……。

 あ、みなさん、怖がらないでくださいね〜! バイキンはコンピュータウィルスと違ってパソコン経由では感染しませんから(……たぶん^_^;)



 読書録

(注・この読書録は、あくまで私の備忘録・個人的な感想文であって、その本を未読の人にマジメに紹介しようという気は、ほとんどありません(^^ゞ (……たまに、少しだけ、あります)。 ただ、自分の記録のためと、あとは、たまたま同じ本を読んだことのある人と感想を語り合いたくてアップしているものなので、本の内容紹介はほとんど無いことが多く、ものによってはネタバレもバリバリです。あまり問題がありそうな場合は、そのつど警告するか、伏字にしています。)


『真世の王 上・下』 妹尾ゆふ子作(エニックス)
  〜和製ファンタジーの金字塔だと思う!!〜

 おもしろかった!! 私がここ一年くらいで読んだ本(『ここ一年で出た本』じゃなく……(^^ゞ)の中でのベストワンかも!! 

 おもしろい本、素晴らしい本は、たくさんあったんだけど、まとまりというか品格と言うか端正なたたずまいというか志の高さというか――何か他の本とは一線を画する、『出たとたんに古典の仲間入り』みたいな超然たるオーラを、この本は放っているような気がするのです。

 格調高い本格異世界ファンタジーです。まさに本格、まさに正統。重厚にして繊細、幽玄であると同時に堅固な異世界が眼前に活き活きと立ち現れます。壮大で、幻想的で、かつ、リアルな世界の手触りが感じられます。

 私、先月、別の本のことで、『少女漫画の絵が目に浮かぶ』というのを褒め言葉として使いましたが、これは、その逆です。漫画イラスト(格調高い素敵なイラストです)がついているにもかかわらず、本文を読んでいる時に、頭の中でリアルな人間が動きます。
 ちゃんと、戦えば汚れたり時間がたてば無精髭が生えたり時には汗臭かったりもする本物の人間たちが、映画『ロードオブザリング』のセットみたいな、陰影のある重厚な舞台の中で息をして動いているのが見えるのです。

 たぶん、『出たとたんに古典』みたいな感じがするのは、ものすごくオーソドックスなファンタジーだからでしょう。こんなにもオーソドックスなものは古典にしかありえないという気がしてしまうほど、とことん正統的なハイ・ファンタジー。
 オーソドックスといっても、決して古臭いわけじゃない。オリジナリティがないとか、そういう意味じゃないです。時代に媚びない孤高の本格派。風格を感じます。

 十代の頃に『指輪物語』などの外国ファンタジーを読んだ時に感じた、神秘に圧倒されるような感覚、異世界の息吹に心が慄くような新鮮な驚きを、思い出させてくれました。

 そういうドキドキわくわく感って、やっぱり十代の方が強く感じることが出来たと思うのです。
 往時の名作だって、今読み直して同じときめきを感じられるかと言うと、かならずしもそうとは限らないかもしれない。
 今でもそういう気持ちがすっかりなくなってしまったわけじゃないんだけど、やっぱり鈍っているんですね。
 そのかわり十代の頃には感じられなかったこともいろいろ感じ取れるようにはなっているんだけれど、でも、やっぱり、ファンタジーを読んで、異界を垣間見たことにおののき、この世にはありえぬほどの美や醜、光の眩さや闇の濃さに目を見張り、壮大さや神秘に圧倒されて心が立ちすくむ、あのめくるめくような胸の高鳴りは、今は昔ほど簡単には訪れてくれなくて、ちょっと損なのです。

 そんな、ちょっと鈍くなってしまった私にも、この物語は、もう一度あの胸躍る気持ちを体験させてくれました。
 特に、<悪夢の王>(このネーミングからしていい! ぞくぞくします!)が潜む大地の裂け目を越えるあたり。裂け目に潜む形のない力と対峙するジェン。あれはすごかった。あの迫力、あの神秘。これぞファンタジーの醍醐味という感じでした。本気でドキドキしました。

 ところで、この本には実は前日譚があって、それが、この下の本なんですが……。


『異次元創世記 赤竜の書』 妹尾ゆふ子作 (ハルキ文庫)
(ついでに『ファンタジーにおける<悪>論』)

 私、こっちを先に読むつもりだったのに、なぜか間違えて『真世の王』を先に読んでしまったんです。
 それでも話は十分わかったのですが、『真世の王』のラストの草原のシーンを読んで、(ああ、やっぱりこれは、これだけでも一応まとまっているけど本当は三部作だったんだなあ、このラストシーンはきっと『赤竜の書』の冒頭と呼応しているんだろうなあ)と思いました。
 その後、あらためて『赤竜の書』を読みましたが、たしかに、しっかり三部作なんですよね。
 何らかの事情で、同じところから続けて出すことが出来なかったのだと思われます。
 そして、他社からやっと続編が出たときには、第一部にあたる『赤竜の書』は絶版になっているなんて……なんて薄幸な作家・作品でしょう……。世はファンタジーブームのはずなのに、なぜこういう名作に、もっと光が当たらないの……?(T-T)

 ちなみにこちら(復刊ドットコム。別窓で開きます)で復刊希望投票やってます。(でも、私、何度やってもユーザー登録画面でエラーが出て投票出来なかった(T-T) それって私だけでしょうか……)

 というわけで、『異次元創世記・赤竜の書』。
 これは、一応これだけでもまとまった作品として読めます。
 でも、やっぱり壮大な物語のプロローグだから、それだけではやっぱり小粒な感じ。
 でも、自分の人生を見つけられずに戸惑っているばかりの何も知らない田舎の少年が運命にめぐり合うまでを描くこの物語は、王様や騎士やお姫様たちが世界の危機を救うために活躍する壮大な『真世の王』とくらべて、より身近な感じがして、それはそれでいとおしい作品です。『真世の王』がとことん格調高くストイックなのに対して、こちらのほうがやや親しみやすいし。

 『墓森』という設定がよかった。この世界の人の考え方って、基本がわりと日本的なのかも。『穢れ』とか『祓う』とか、そういう思想があるんですね。

 ちょっと、この本とは関係ない一般的な話になりますが、日本のファンタジーって、『絶対的な悪を徹底的に滅ぼす』という発想がないことが多いと思うんです。悪役だって実はかわいそうな人だったんだよ、心の傷が癒されれば立ち直れるんだよ、とか、モンスターだってなんだって打ち負かした後で慈悲をかけて助けれやれば仲間になってくれるとか、そういうのが多いですよね。
 それって、穢れ・祓いの思想と関係があるんじゃないかと思っています。

 日本では、荒ぶる神様は、祓い清めて鎮め奉れば、よい神様に戻ってくれるじゃないですか。
 『悪』というのは、物事にくっついている穢れなのですね。変わることのない本質ではなく、かりそめの現象なのです。だから、くっついている穢れさえ祓い落として流し去ってしまえば、それまで『悪』がくっついていた本体のほうはそれで清められて、『悪』ではなくなることが出来るのです。
 つまり、『完全に本質的に悪である存在』がいるわけではなくて、『何らかの不幸な事情で穢れである悪がくっついてしまった存在』がいるだけなのです。

 だから、悪がくっついてしまっているものも、その本体まで徹底して否定し、滅ぼしてしまう必要はないのです。くっついている悪さえ取り除ければ、それで事足りる。

 日本には、『悪』というものは存在しないのかも。ただ、禊(みそぎ)によって落とすことの出来る『穢れ』があるだけ。どんな悪人も、究極の禊である死を経れば、もう、尊く有り難い仏様ですしね。

 その点、西洋のファンタジーでは悪役は完全な絶対的な悪であることが多いというのは、よく言われることですよね(もちろん、全部がそうとは限らないと思いますが)。悪い神様や悪のモンスターや悪の魔法使いは、本質な悪であって、それを徹底して攻め滅ぼすのが正義なんです。

 ファンタジーを内的な『象徴』として捉えれば、それはそれで正しいことのはずだと思いますが、私なんかは、つい、『なにも殺さなくても……』とか、『こいつだって赤ちゃんの頃はかわいかったはずで、本当は少しくらいいいところもあったのかもしれないのに……』とか、ちらっと思ってしまうことが多いです(^_^;)

 一人の人間の心を『正義と悪』『光と影』などの二つに分けて、それらに形を与えたものたちを物語の中で戦わせるというシンボリックなタイプのファンタジーでは、悪役は、純粋な悪の象徴なんだから、『人間には誰だっていいところもあるはず』とか『どんな悪人にだって更生の余地はあるはず』とか、そういうレベルの問題じゃないはずなのですけどね。
 人間の中の悪の部分だけを純粋に抽出した『悪の象徴』に、さらに『人間的ないいところ』なんか見出そうとするのは、勘違い、お門違いでしょう。

 でも、それはわかっていても、私は、悪役が人間やそれに近い姿をしていると、感覚的に、もうダメです。『絶対悪の象徴』とはみなせずに、ついつい『いいところも悪いところも併せ持つはずの人間』として見てしまいますから。何かもやもやした黒い影……みたいな実体のない敵ならいいんですけど。
 ……いや、私が自分でファンタジーを書くとしたら、そういう『形のない、象徴的な絶対悪』すら、最後には、『倒されました・滅ぼされました』じゃなくて『清められて光に変わって拡散していきました』とか、そういう結末にせずにはいられないでしょうね、たぶん。


『水晶玉と伝説の剣』 ヴィクトリア・ハンリー作 (徳間書店) 
  〜十三歳の私に読ませてあげたかった本〜

 これもおもしろかった! はらはら・わくわく、波乱万丈の児童(特に少女)向けファンタジー。ページをめくる手が止まらない、理屈抜きで楽しめる物語です。

 これまたある意味非常にオーソドックスな、タイトルからしていまどき珍しいくらい『いかにも』なファンタジーですが、同じオーソドックスでも、『真世の王』とはまったくタイプが違います。
 舞台がこの世界の過去のいつかではないという点では異世界なんですが、狭い意味での異世界ファンタジーではなく、ジャンルで言えば架空歴史ファンタジーというものでしょうか?
 いえ、どっちかというと、『おとぎ話』というほうがふさわしいような気もします。
「むかしむかし、ある国に王様とお姫様が……」という、あの、西洋のおとぎ話の世界です。

 この世界にはいくつもの国があって、滅ぼしたり滅ぼされたり、同盟したり戦争したりしているのですが、あまり政治的な生々しさは感じません。また、生活も具体的に描写されるはするのですが、主人公やその周りの日常生活や皮膚感覚は具体的に描かれていても、世界自体の生活感というものは、あまりないように思えます。やっぱり、おとぎの国なのです。

 これは、決して悪く言っているのじゃないのです。そういう舞台が用意されていてこそ成り立つものがたりもあると思います。本物と見まごうリアルなセットじゃない、単純化・抽象化された平面的な書割りの前で演じられてこそ際立つドラマもあると思うのです。
 そういえば、ちょっと前に感想を書いた『アンブラと五人の王子』の世界も、『昔々あるところに』な世界だったように思います。
 そういう世界を書くのって、かえって結構難しいのでは……と思うのは、自分がそれをやろうとしても上手く出来たためしがないからでしょうか(^_^;)

 これ、今読んでも十分おもしろかったけど、子供の頃(中学1・2年くらい?)に読めたら、もっともっとおもしろくて、それこそ寝食忘れて夢中になれたんじゃないかなあ。
 はらはらドキドキ、手に汗握るストーリーに、ほのかなロマンスの香り。そりゃもう、本好き、ファンタジー好きの、恋と冒険を夢見る十三歳が夢中にならなかったはずがない。
 これで、美形の悪役ヴェスピュートがもっと少女漫画的に危険な魅力を漂わせてかっこよく描かれていれば、年上好きの冬木・十三歳のドキドキ度がさらに上がったことも疑いなし(*^^*)
 いや、ホント、ヴェスピュートは惜しい! 描き方によっては私の中の永遠の十三歳がときめけるキャラになりそうだったのに。(←ランドンはどうでもいいらしい) 

 私の場合、よく、自分の中の永遠の十七歳の部分で楽しむ本ってあるんですが(コバルトなどの少女小説は、だいたい、それ)、これは、私の中の永遠の十三歳が喜ぶ本ですね。
 今現在ローティーンの女の子には、ぜひお薦めしたい。(でも、内容的にはローティーンにお薦めだけど、今、実際にローティーンでこれが読める読書力のある子って、少数派かも……?)

 ただ、十三歳の私だったら、この上さらに望むものは何もなかったかもしれないけど、今の私は、この上さらに贅沢を言えば、もっと、神秘性や幻想性や壮大さか、あるいは生活の匂いや世界の手触りの、どちらか(または両方)があって欲しかった気もします。予言の水晶玉とか伝説の剣とかのファンタジーなアイテムが出てくる割に、あまり魔法や神秘の香りがしないのがちょっとだけ残念なんです。

 十三歳の頃は、ページをめくる手が止められないだけで大満足だったけど、今は贅沢になってしまって、『ページをめくる手を止められない』タイプのおもしろさだけじゃなく、『あえて手を止めてじっくりあじわいたくなる』タイプのおもしろさも求めてしまうんですよね。欲張りです。


『イリヤの空 UFOの夏3』 秋山瑞人作(メディアワークス 電撃文庫)

 これ、文庫が出たのは去年の9月、雑誌連載はもっと前なんですが、このあいだ、ちょうど海の向こうで戦争が起こっているときに読んでいて、なんかタイムリーだなあと感じてしまったのがちょっと悲しいです。
 この物語の世界は、現代日本とほぼ同じだけど、一般人には見えないところで『北』との戦争が密かに続いているというパラレルワールドな日本なんです。
 そして、今回、今までは見えないところで動いていた危機が、ついに目に見える形で噴出し、日本は、平和な日常と言う皮一枚の偽装を脱ぎ捨てて厳戒態勢に入ります。その様が、非常にリアルで、怖いです。

 実は軍の関係者である保健室の先生が言い放つ、「この世にタダのものはないのだ。この戦争は、お前たちがエロ本を読んだりテレビを見て笑ったりする時間を稼ぎ続けるための戦争だ」という意味のセリフに、リアルな重みを感じてしまいます。
 このお話の世界が非現実的で突拍子もない絵空事の世界に見えないのは悲しいことですね。

 しかしこの人の描く中学生たち(特に中学生男子)のおバカぶりは、妙にリアルだ……。


 今月はなんだか読書録の量が多くなってしまったので、このへんにしておいて、他に
『ブギーポップ・スタッカート ジンクスショップへようこそ』 上遠野浩平作 (徳間デュアル文庫)
腐敗の帝王 メモリー・オブ・レイン』 『腐敗の帝王 ヒューマンファクター ファクトオブヒューマン』 久美沙織作 (角川ビーンズ文庫)
 などを読みました。久美沙織さんの独特の文体の持つパワーはすごい!

 あと、今、『流血女神伝 砂の覇王』の2巻目まで読みかけたところで、感想は来月まとめて書きますが、とりあえず、一言、叫んでおきます。
「ドーンお兄様〜〜!! お慕い申し上げております〜〜!」

 ……以上、愛の雄叫びでした(*^^*ゞ 

 ……今月は、何かいっぱい本読んだかも? あ、でも、『真世の王』は先月読んだんですが。


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