カノープス通信
2002年12月号−2

目次
・季節の便り
・今月の勘違い
・近況報告『いのしし鍋の真相?』
・『息子が石を持ってきた話』
・『石の話・続報』
・読書録
(今月は『私は虚夢を月に聴く』他です)
(オンライン小説感想録はお休みです)



季節の便り『しらたき凍結事件』

 寒くなってきたので、冷蔵庫が、よく冷えます。
 先日、しばらく前に買って冷蔵庫の奥に押し込んでおいた『しらたき』を取り出したてみら、袋ごと凍ってしまっていました!
 温度調節つまみを夏場に『強』にしたまま、『中』に戻すのを忘れていたのです。
 とりあえず自然解凍して、袋を開けてみたら、水の中に、水分が抜けて縮んでしまったしらたきが、食器洗い用スポンジ状の長四角の塊になって漂っていました。ほんとに、手でぎゅっと握ると、ちょうどスポンジのような感触で、スポンジを握ったみたいに水が出てくるのです(^_^;)

 面白いので、家族みんなで一度づつ水をかけては握ってみて遊んだ上で、もったいないので、一応、予定通り、鍋物に入れてみました。すっかり固まってしまってほぐれないので、しかたなく、塊のまま輪切りにして……。もしかして、煮てみたら少しはなんとかなるかもしれないと思ったのです。

 でも、鍋に入れて、いくら煮てみても、いったん水分が抜けて固まってしまったしらたきは、もう、やわらかく戻らず、お湯の中でほぐれることもなく、ずっと『スポンジの輪切り』状態のままでした。
 勇気を出して食べてみたら、硬くてぽそぽそして、まるで食器洗いのスポンジを食べているような不気味な食感で、これといった味がするわけでもないのに、なぜか、えもいわれず不味かったです(T-T)
 でも、夫も子供も、不味かったら残してもいいよといったのに、もったいないからといって食べてしまったので(うちの子供たちは、なんて偉いんでしょう!)、私だけ残すわけにもいかず、必死で完食しました! プラスチックを食べたような気分でした(^_^;)
 ……これって、あんまり季節の話題じゃなかったですね(^^ゞ



今月の勘違い

★PTAの会合に出られなくなったので電話をしなければといった私に、夫が、
「ちゃんと連絡しないと、『冬木(仮)さん、二段ベッド!』って言われちゃうよ」と言いました。
 えっと思ったら、
無断で休んだ!って言われちゃうよ」の聞き間違いでした。

★私:「この荷物、明日、車で持って行くんだけど、どうしよう?」
 夫:「(車の)後ろに積んどけよ
  私:「え? アンニョンハセヨ?」
 ……子供たちの学校で国際交流の集会が開かれて以来、子供たちの間で『アンニョンハセヨ』という挨拶が流行っているのです。

★夫:「新井素子の新刊が出たよ」
  私:「え? 洗い物とかの何が出たって?」

★夫:「甘いお茶が飲みたい」
  私:「えっ? なまはげ?」

★ドラッグストアで買い物がしたかったのに、その時間がなかった日の夜、たまたま、車で『ヤックス』というドラッグストアの前を通った時の会話。
  夫:「ひょっとして、まだヤックス開いてるかも……」
  私:「えっ? アロエ・エキス入ってるかも? 何に?」

★家事をしながらテレビの音声だけ聞いていたら、CMで、『タロとジロとのキムチ鍋』といったような気がしました。
 私の頭の中に、一瞬にして、
(『タロとジロ』って、あの、『南極のタロとジロ』という本や映画になった犬のことだろうか。いや、そんなはずがないから、きっと、たとえば『ク○アおばさんのクリームシチュー』みたいにキャラクター戦略で売ってる商品で、『タロとジロ』というのは、そのマスコットキャラクターなんだろう。田舎っぽさ、素朴さ、懐かしさを売り物にしたネーミングで、可愛らしくデフォルメされたお百姓の兄弟のキャラクターとかなんだろう。膝丈の着物姿の可愛いお百姓のこせがれか、それとも『カ○ルおじさん』みたいな農夫の兄弟か……)と、さまざまな想像が駆け巡りました。
 が、後でもう一度そのCMを見たら、実は、『タラとキノコのキムチ鍋』だったのでした。



近況報告『いのしし鍋の真相?』

 このあいだ、近所で、地元の産業フェスティバルのようなものがありました。
 私は仕事があったので行かれませんでしたが、市の広報にお知らせが載っているのを見たら、農業コーナーでの催し物の一つに『いのしし鍋』の無料配布というのがありました。
 この手の催し物の時には、よく、豚汁やお汁粉、甘酒など、また、農業関係の催し物の場合なら、さらに牛乳や焼肉などが無料で振舞われることがありますが、『いのしし鍋』とは、珍しいですね。
 たしか、以前は、この催し物でも豚汁を配布していたはずなのですが、なぜ、今年に限って『いのしし鍋』なのでしょうか……と、考えて、ふと、しばらく前に回覧板で『近隣某地区の山にいのししが出没して畑を荒らしているから猟友会が駆除する』というお知らせが回ってきたのを思い出しました。
 もしかして、この、『いのしし鍋』というのは、そのときに駆除されたいのししの肉だったのではないでしょうか? だったら、すごい有効利用です!

 それと、もうひとつ、目を惹いたのは、やはり農業コーナーの催し物で、『乳しぼりが体験できる搾乳体験車』。
 こういう公的な催し物のときには、よく、『地震体験車』がやってきますが、『搾乳体験車』というのは初めて聞きました。いったい、どういう車なのでしょうか。
 夫の想像によれば、ゴムの乳首のついた牛乳タンク等からなる『搾乳練習マシーン』のようなものを搭載した車だろうというのですが、もしかすると、ただの、牝牛を積んだトラックだったりして?
 ……本当のところはどっちだったのか、ちょっと見てみたかったです。

 ところで、ネットで日記や近況報告を書くようになって初めて気がついたのですが、そういえば、私の住んでいる市は、なにやら、やけにお祭りが多いです。
 市民夏祭りに公園祭り、図書館祭りに公民館祭り、農協祭りに消防広場、れんげ畑を開放してのれんげ祭り、酪農フェスティバルに産業フェスティバル、市内にたくさんある養護学校や老人ホームなどのお祭り、挙句の果てには、○○地区の××さんが自分ちの田んぼで催している『○○おもしろフェスタ』なんてものまで、ナントカ祭り・何々フェスタ等と名のつく大小さまざま公私さまざまの催し物が、年がら年中、あっちこっちで開催されているのです。
 そのたびにバザーやフリーマーケットが開かれたり、いろんなものが無料配布されたり、地元団体が模擬店を出したりします。
 お祭り好きの住民が多いのでしょうか? それとも、子供がいなかったときはそういう催し物の類に注意を払わなかったというだけで、これが普通なのでしょうか。



近況報告『息子が石を持ってきた話』

 小学四年生の息子が、ある日、なぜか、学校から、大きな石(というか、岩のかけら?)を持って帰ってきました。
 子供にとってはけっこう一抱えもある、かなり大きな石です。しかも、最初は、子供が学校からずっと抱えてきたくらいだから、ブロック塀に使うブロックか何か、比較的軽い石だろうと思ったのですが、よく見れば、花崗岩です。たぶん、何か、石碑とか石垣とか庭石とかの石材の欠片でしょう。
 で、その石を大事そうに抱えたまま家に入ってくるなり、
「ほら、これ、お父さんに持ってきたよ!」と、得意げに言うのです。

 なんでも、校庭で拾ったそうなのですが、なぜ、校庭にそんなものが落ちていたのでしょうか? 謎です。そして、なぜそれを、わざわざ拾って持ち帰ったのでしょうか?
 学校まで、子供の足だと20分以上かかるので、その距離を、あの石を抱えて歩いてきたら、かなり重かったはずです。そうまでして石ころを持って帰ってきた理由は何でしょうか。

 なんでそんなものをお父さんにあげようと思ったのかと尋ねると、どうも、先生が、その石を見て、かけらを教室に飾ろうかというようなことを言ったらしいのです。
 先生は、何でまた、そんなことを言ったのでしょう? 鉱物標本として教材にしようという意味でしょうか? 置物として飾ろうということだったのでしょうか? それとも、ただ冗談でいったのでしょうか? ……謎です。

 で、とにかく、それを聞いた息子は、先生がそう言うからにはこれは何かしら『良いもの』なのだろうと考え、それで、大好きなお父さんのために持ってきてあげようと思ったらしいのです。
 
 まあ、いろいろ腑に落ちない話だったのですが、それはともかく、そんなものを、家の中に持って入られても困ります。
 でも、せっかく苦労して持ってきたものを頭ごなしに捨てて来いというのもかわいそうです。
 それに、夫は絵描きで、時々オブジェのようなものを作ったりもしますから、もしかすると、石を何かに使おうかというようなことを、私が知らない間に息子に話したことがあるのかもしれません。あるいは、庭に敷石でも敷こうと思って『石があれば……』と言ったのを、息子が小耳に挟んでいたとか。

 で、私は、とりあえずそれを、お父さんが帰ってくるまで、汚いから家の中ではなく外に置いておくように言いました。

 ところが、その夜、暗くなってから帰ってきたお父さんが、玄関先においてあったその石に、けっつまづいてしまったのです!
 で、事情を知りませんから、当然、入ってくるなり、
「誰だ、あんなところに石なんか置いたのは!」と、思いっきり怒鳴りました。

 石に躓いて転びそうになったという夫も気の毒ですが、せっかくお父さんに喜んでもらうつもりで、重い思いをして石を持って帰ったのに、褒められる代わりに怒られては、息子がかわいそう。
 私は慌てて、夫に事情を説明しました。
 息子はそれを何かいいものだと思ってお父さんのために持ち帰ったのだということ。学校からの長い道のりを、重いのにがんばって抱えてきた(と思われる)ということ。私が外においておくように言ったのだということ。
 ……それを聞いているうちに、自分がかわいそうになったらしい息子の目から涙が……Σ( ̄ロ ̄|||)

 夫は慌てて息子を慰め、事情も聞かずに怒ったことを詫びて石のお礼を言いましたが、どうやら、夫にも、息子に、石を何かに使いたいと話した等の心当たりはなかったようです(^_^;)
 子供って、やることがシュールですよね(^_^;)



近況報告『石の話・続報』

 さて、この、石の話には、さらに後日譚があります。
 せっかく親を喜ばせようと石を持ってきた孝行息子をうっかり泣かせてしまった夫と私は、このことを深く後悔し、反省し、その後、息子を抱きしめて謝ったりお礼を言ったり、スーパーで買ってきたお菓子を、実はたまたま安売りだったから買っただけなのに『お父さんが健太郎に石のお礼に買ってあげたいって言うから買ったんだよ』などと特別めかして与えたりして、怒鳴ってしまった埋め合わせをするべく散々機嫌を取りました。

 そのかいあって、息子はすっかり機嫌を直しました。もともと、立ち直りが早い子供なのです。(だいたい、我が家は両親共に平素から子供には大変厳しいので、子供たちは叱声には慣れっこで、よっぽどの勢いで怒鳴られても、たいがい、直後にはケロっとしています^_^;)
 が、立ち直ったのはいいのですが……。私たちがあんまり下手に出てせっせと機嫌を取ったので、息子は、今度はすっかり勘違いして、やっぱり自分はすごく親に喜ばれる良いことをしたんだと思い込んでしまったらしいのです。

 で、翌日。息子はまた、学校から、さらに大きな石を、しかも二つも、持って帰ってきたのです!
「だって、花壇に使うんでしょ?」と、それはそれは善意いっぱいの顔で。
 たしかに、前日、私は、息子の気持ちを傷つけないために、
「あの石は花壇の縁取りに使わせてもらうからね、ありがとうね」と言ったのです。そして、後日、言ったとおりに実行するつもりだったのです。でも、本当に花壇に縁石が必要だったわけじゃないのです……。
 でも、まさかいまさら、『本当は要らないんだ』とは言えません。

 それにしても、あんなのを二つも、どうやって持ってきたんでしょう……。
「お母さんは石より健太郎の方が大事だからね、重たい石なんか持ってて健太郎が交通事故にあったら大変だから、もう学校から石を持ってこなくていいからね」と言い聞かせましたが、息子の気持ちを考えると、『ほんとは石なんかいらないんだよ』とは、言えませんでした。

 そうしたら、さらに、その後。我が家の玄関先に、突然、瓦礫の山が……(@_@;)
 息子が、よその家の裏庭に転がっていたという建築廃材のタイルを、大量に運んできたのです!
 その家の人にきいたら要らないからあげると言われたそうなのですが、たしかに、壁財の余りらしいので、残ったから庭先に放置してあったのでしょう。
「こういうのも花壇に使うよね! 学校から持ってきちゃ危ないから駄目だけど、近所からなら平気でしょ?」と、嬉しそうに言う息子。
 なんてこったい……。
 いくら近所といったって、あんなにたくさん、きっと何往復もしたはずです。
 ドアを開けたら玄関先に積みあがっていた瓦礫の山を前に、怒るわけにも行かず、私は途方にくれました。

 さらに後日譚。
 このタイルは、夫が、何とか息子の意向を尊重して何かに役立ててやろうと、庭先に敷きつめてみました。
 が、舗装用のタイルではなく壁財なので強度が足りず、また、下地を作らずに地面に直接置いただけだったので、私が乗ってみた時は大丈夫でしたが、夫が乗ったら一度で割れてしまったのでした……(夫は、体重が私の二倍くらいあるのです^_^;)

 ところで、ぜんぜん関係ないんですけど、息子からの贈り物の玄関先の瓦礫の山を見たら、昔、野良猫に餌をやったらお返しにネズミを貰った『猫の恩返し事件』を思い出しました。
 学生の頃、アパートの部屋で野良猫に餌をやり、コタツにあたらせてやったのです。そしたら、夕方に出て行ったその野良猫が夜中にまた尋ねてきて、ドアの外で妙な声でしきりに呼ぶので出てみたら、猫さんは既に立ち去った後で、ドアの前に、捕りたてほやほやと思われるネズミが置いてあったのでした。猫さんからのお礼のプレゼントだったのでしょう……。猫も、一宿一飯の恩を返すのですね。



読書録

『わたしは虚夢を月に聴く』上遠野浩平・著 (徳間デュアル文庫)
 子供の頃、よく、この世界は本当は誰かの夢の世界なのではないかと想像しました。
 あるいは、この世界は自分が思っているのとはぜんぜん違うものなんじゃないかとか。

 そういうような想像をしたことのある人、妄想を抱いたことのある人って、実はとても多いのではないでしょうか。ちょっと空想癖があったり、感受性の強すぎるような子供なら――いえ、別に、そうじゃない子供でも――、たいてい、一度や二度は、そういうことを考えるのではないでしょうか。
 だからこそ、『どら○もん』の世界は実は昏睡状態にあるのび太君の夢なのである、などという都市伝説が子供たちの間で説得力を持ってしまったりするのでしょう。

 私が最初にそういうことを考えたのは、ゴムボールで『あんたがたどこさ♪』などとまりつきをしていた幼少期でした。たぶん、6、7才の頃でしょう。
 私たちが地球だと思っているものは、本当は巨人の子供が遊んでいるボールで、巨人の子供には、小さすぎる私たちは目に入っておらず、私たちはそのボールの表面のわずかなでこぼこを山や谷だと思って生きているのではないか。
 あるいは、逆に、今私がついているこのボールが、実はひとつの地球のようなもので、目に見えないほど小さな人間が、そこを世界のすべてだと信じて、ボールの表面で暮らしているのではないか。
 だとしたら、その、小さい人たちにとっては、私たちは神様のようなものではないか。神様は、大きすぎて見えないのだろうか。私たちにとっては、この、地球というボールを何も知らずに手にしている巨人の子供が神様ではないか。きっと、神様というものは、人間の存在など、知りもしないのに違いない。
 もしかすると、ボールだけでなく、そこらの砂の一粒一粒が、みんなそんなふうに、ひとつの世界なのかもしれない。そして、みんな、その世界を唯一の現実と信じていているのかもしれない。今、私がいる、この世界も、どこかもっと大きな別の世界の、巨人の子供のための砂場の砂の一粒にすぎないのかもしれない――。

 中学生の頃にも、また、考えました。
 今、私が生きているのは、実は夢で、現実ではないのではないか。自分はただ、目覚めて動いているという夢を見ているだけで、私の周りで起こることのすべては、夢の中の出来事なのではないか。
 その頃は、ほとんどいつもそう思っていて、そうじゃないと思うことのほうが難しかった気がします。どうしたって、今、自分が生きていることが現実とは思えなかったのです。周囲の出来事は、何もかも、まるでガラス一枚隔てたところで起こっていることのようで、現実感を欠いていました。いつもぼんやりと夢の中にいるような、自分が自分でないような、世界が本物でないような、そんな漠然とした違和感・離人感を抱えたまま、それでも普通の日々をすごしていました。

 そして、高校生の頃には、その空想は、とうとう、ひとつの物語を、そして具体的な光景を獲得していました。

 どこか知らない、宇宙の果ての、荒涼とした惑星の、地表に並ぶ、幾つものガラスの箱。幾本もの奇妙なチューブ類が取り巻く箱の中にひとつづつ入っているのは、剥き出しの脳である。でなければ、手足の萎縮しきった弱弱しい異形の人間の裸体であるかもしれない。それぞれの箱は、チューブやコードで複雑に連結され、連絡を保っている。
 その、ガラスの棺の中で、脳は、あるいは畸形の人間は、それぞれ夢を見ているのである。自分たちが、眼を覚まして、地球で生きている夢を。夢の中で、彼らは、健康な肉体を持ち、幸せだったり、ちょっと辛かったりもするそれぞれの人生を送っている。
 その夢は、電気パルスとなって、それぞれの棺を繋ぐコードを伝い、ひとつに絡み合い、ひとつの世界を作り上げている。夢の中で、彼らは、会話し、手を触れ合うことができ、互いに関わりあったり、あるいは互いに知らないままで、同じ社会を生きる。彼らは、夢の中の世界を共有しているのだ。
 でも、本当は、地球は既に滅びているのだ。もしかすると、彼らは、地球を脱してやっと別の星に辿りついたものの、そこで生き延びることが出来ないと知って自ら眠りについた人類の最後の数人かもしれない。あるいはもともと、意に沿わぬ肉体を捨て、永遠に夢を見続けることを選んで地球を捨てていたものたちの成れの果てかもしれない。
 外にはすでに人間の社会はなく、眠れる同朋たちを守る装置をメンテナンスするものもない。彼らはいつか眠ったまま死んで行くしかない。
 ある日、地表に小さな隕石のかけらでも落ちて、棺のひとつが割れる。そして目覚めてしまった、ただ一人。自分の人生が夢であり、自分の身体も、自分を取り巻く世界も偽物であったことを突然知ってしまい、そのまま、なすすべもなく死んでいくしかなかった彼の、その、死ぬ間際の一瞬に脳裏を駆け抜けた、驚愕、衝撃、絶望、孤独――。

 当時、私は、この物語をいつか小説として書いてみたいと、漠然と思わないでもありませんでした。
 が、私の中にあったのは、物語とは言っても、ほとんどイメージだけの、漠然とした妄想です。
 私には、それをちゃんとSFとして整理できるだけの知識も、小説を書く技量もありませんでした。その頃は、ほとんど詩しか書いたことがなかったのです。(そういえば、たぶん十二、三の頃、なぜか『物語詩』の形でSFを書こうとして当然ながら挫折したこともありました。これは、今にして思えばかなり前衛的な試みだったと思うのですが、当時は、文学史的な知識など一切なかったし、何か書くといえば詩しか思いつかず、物語が思い浮かべば何でも無理やり詩の形に押し込もうとしていたので、SFはさすがに詩の形式では書きにくいだろうということに気がつかなかったのです)

 しかも、もし、書く力があったとしても、はっきりいって、ガラスケースの中の脳味噌とか、生命維持装置の中で眠り続ける人間などというのは、もっと昔ならともかく、当時としても既に、SFとしては、まったく陳腐と思われました。その脳が、夢を現実だと思って、自分に体があるつもりでいるというのも、あまりにも、誰もが一度は考えそうなことすぎて、いまさら、そんなものをそのまま書いてはいけないような気がします。(今は、そうは思いませんが。要は切り口だと気がついたので)

 そんなこんなで、作品として形にすることこそなかったものの、この物語のイメージは、ずっと、心の中に眠りつづけ、時には姿を変えて詩の中に登場したりしてきました。『目覚めることなく眠りながら人生の夢を見続ける人々』と『荒涼とした惑星の地表に並ぶガラスの棺』のイメージは、今でも私の心の根底にある根源的なイメージかもしれません。何度も繰り返し思い描き、書かずにはいられない、私の妄想の基本です。

 その後、私が小説を書くようになったときに、この想像からSF的な設定を取り去ってしまったイメージだけをファンタジー作品の中に取り入れることが出来ましたが(サイト未公開作品です)、今でも、あの空想をSFとして書くことは、私には不可能です。

 ところが、私には力及ばず具現化できなかった、この、かなり虚無的なイメージを、ちゃんとSF作品として結実させてくれる人が現れたのです。自分には小説の形では書けなかったものを、書いて見せてくれた人が。

 私は前々から、上遠野浩平という作家が好きなのか好きでないのか、よくわからないと思い続けていました。このコーナーでも、そう書いたことがあったと思います。ヤングアダルト系の若い作家に多い、ケレン味のある文体が、あまり好きでないのです。でも、それでも何か、微妙に惹かれるものがあったのです。
 そして、どこか惹かれるものがあるというその思いは、『ぼくらは虚空に夜を視る』というSF作品を読んだときに、『やっぱり』という確信に変わりました。
 というのは、この作品が、中高校生時代の私の空想にそっくりだったからです。もちろん、私だけでなく多くの人が空想したことにそっくりなのでしょう。

ここから、ネタバレです↓
 『ぼくらは虚空に……』は、この世界は実は宇宙船の中でコールドスリープについている人間たちの共有する夢である、という物語です。地球を捨てて新しい星を目指して宇宙船で旅立った人類が、コンピュータに管理された夢の中で、それが夢であることを知らずに生活しているのです。彼らが信じている現実の世界は、既に滅びた地球の人間社会に似せてコンピューターによって演出された偽りの夢の世界、いわば、バーチャルリアリティの世界なのです。
 そういう、とても多くの人が想像するけれど、でも、あまりに青臭いので、それをそのままの形で作品にしようと思う人はあまりいないだろうという、よくある妄想を、そのままちゃんとした作品の形にしてくれた、少女時代の私の妄想を代弁してくれたような作品です。
 
 あれを読んだとき、ああそうか、私はこの人の、この部分に共感していたのかと理解しました。私は、この人の作品の中に、部分的に過去の自分と相通じる感性を嗅ぎつけていたらしかったのです。

 そして、このシリーズの二作目、『私は虚夢を月に聴く』で、私の、この思いは、決定的になりました。
 ここには、さらに、少女時代の私の想像に近い世界があったのです。

 特に、道具立てはちゃんとSFでありながらまるでおとぎ話のように描かれている、第三章。
 『冷たい月の下で』と題されたこの章は、人類が既に忘れてしまったほどの遠い昔から人知れず月面をさまよい続けているうさぎ型の月面探査ロボットのお話です。

 この作品では、新しい星を目指して旅立ったはずの人類は、宇宙船への正体不明の敵による攻撃によって既に再び挫折し、いったん壊滅に近い状態を経て、かつての高度な技術を失った退化した状態で細々と生きのび、いくつかの陣営に分かれて、狭い月面で、おろかな争いを続けています。
 そのさなかのある日、かつて人類の黄金時代に作られて以来、その後の人類の運命などとは関係なく、自分の存在理由である月面探査を営々と続けていたうさぎ型ロボットが、月面に、井戸のような竪穴を見つけます。好奇心のままに穴に飛び込んだロボットうさぎは、そこで、死に絶えて霜に覆われた地下のドームと、そこに並ぶ無数のガラスケース、そして、その一つの中でただ一人だけ生きて眠り続けている少女を発見するのです。
 地下ドームは、やはり前時代の人類の遺産であるファウンデーションプラントの一つですが、そこで、いつか目覚めるべく冷凍睡眠についていた多数の人間は、プラントの故障によって、たった一人を残して既に死に絶えていたのでした。

 この、月面に(正確に言うとその地下ですが)延々と並べられたガラスの棺と、その中で眠り続ける(あるいは死んでいる)人々という光景は、まさに、私がずっと抱き続けてきたイメージそのものです。

 そして、これは第三章で、第一章、第四章の舞台になる『現実』世界は、実は、眠り続ける人々の夢の世界です。コンピュータが管理する仮想の世界です。
 管理コンピュータのプログラムに守られて自己完結していた夢の世界に、外部からの侵入者が現れ、世界は、ほころび始めます。
 そんな時、学校の屋上に通じる扉を開けると、そこには、荒涼とした月面が広がっている。実は、それが、この世界の、本当の姿なのだ――そんなイメージも、かつて私が常に想い描いていた、まさにそのとおりのものです。(このイメージも、私は、詩には書きましたが、SFとして書くことは出来ませんでした)

 そして、そんな偽りの世界で生きている少女の、『……わたしは長い長い夢を見ているような気がする。(中略)けだるい微熱に取り憑かれて、ずっとぼーっとしているような、わたしにとって生きているというのはそういう感じがしてならない。どこかでひどくずれている。そんな気がしてならないのだ』とか、『わたしのこれまでの生活には、どこかでなにか白々しいものが、浜辺で食べる焼きそばの中の砂利のように混じっていて……』という、漠然とした虚無感と違和感・離人感も、まさに、かつての私の気持ちそのものを、すごく的確に言葉にしてくれていると思えます。(『』部分は本文からの引用です)
 そして、たぶん、そう思うのは私だけじゃなく、多くの人が、この感慨に対して、自分の気持ち、あるいは過去の自分の気持ちを代弁してくれていると感じるだろうと思います。かなり普遍的な思春期の心象風景を、とてもストレートに描き出してくれている作品なのです。そこが青臭くもあり、でも、やっぱり惹かれるところでもあり……。

 リアリズムの青春物ではなく、寓話的なSFという形をとっているからこそ、こういう、思春期の漠然とした虚無感を、かえってストレートに語ることができたのかもしれません。

 私が、この人の作品が好きなのかどうかさえ判らないまま、それでもずっと目をつけていたのは、この作品に出会うためだったらしいです。この人はいつか、私には力がなくて形に出来なかったものを私の変わりに形にしてくれる人かもしれないと感じていたのでしょう。そして、それは、期待通りだったらしいです。これを見届けるために、私はこの人の作品を読んできたんだと思います。
 うさぎロボットが夢の中で一瞬本物の兎になるところは、ちょっと泣けました。

『遠く時の輪の接する処』 松本零士・著(東京書籍)

 掲示板などでは前々から言っていることですが、何を隠そう、私は松本零士ファンです。
 自分がファンだと自覚したのは『銀河鉄道999』からですが、実は、その前から、ファンだったらしいです。
 小学生の頃、親戚のお兄さんの本棚や床屋の待合室などでたまたま手に取る機会があった少年漫画誌で、私は既に松本零士作品とめぐり合い、強い印象を受けていたのですが、その頃はまだ子供だったので、作品が印象に残っても、タイトルも覚えず、作者の名前など気に留めなかったのです。

 覚えていたのは、ただ、『縦だか横だかわからんステーキ』だの『サルマタケ』だの、ゴミ捨て場に布団が捨ててあってどうこうというエピソードだのと、断片的なことばかり。

 ただ、とにかく、その作品が、自分にとって、ものすごくインパクトが強く、他の作品とはぜんぜん違う特別なものに思えたということは、確かだったのです。
 何しろ、下宿のおばあさんが『縦だか横だかわからんステーキ』を焼いている絵などは、今でも忘れられないほどの並々ならぬ強烈なインパクトがありましたから。
(そのとき、おばあさんは、20センチ四方はありそうな立方体のステーキをフライパンで焼きながら、「この、縦だか横だかわからんステーキってやつね、焼けてるんだか焼けてないんだか、わたしにゃさっぱりわからないよ」とか言っていたのですが、私は、子供ながらも、心の中で、「あんなに大きいのじゃなくても、さいころくらいの立方体だって『縦だか横だかわからない』ことに違いはないと思う。もっと小さいのでいいのに」と屁理屈をこねていた覚えがあります)

 そして、もう少し後になって、『銀河鉄道999』と出会ってから、はじめて、小さい頃に自分が強い印象を受けていたあの漫画は『男おいどん』というタイトルで、松本零士の作品であったと知ったのです。

 余談ですが、大学時代、私の部屋に『男おいどん』単行本全巻(古本屋でそろえた)があるのを見た友人に、「あなたがこんなものを好きだなんて、イメージに合わない、すごく意外だ」と驚かれた覚えがあります。
 そういえば、後に別の人に「『銀河鉄道999』が好きだ」といったときには、「なるほど〜、冬木さん、メーテルみたいなイメージで(←これは、当時は髪がすごく長かったためと思われます)、そういう雰囲気ありますね〜」と言われたのに、「あと、実は『男おいどん』とかも好きで……」といったら、今度は、「それはイメージ違う〜」と大笑いされたし。
 あまり笑われるのも心外ですが、「なるほど、あの作品はあなたのイメージにぴったりね♪」なんて言われるよりはマシですね(^_^;)

 でも、一見『男おいどん』の世界とはかけ離れたイメージであるらしい私ですが(似てたらコワイ^_^;)、『おいどん』こと大山登太の思考パターンには、実は、ひそかに非常に共鳴できるものを感じるのです(^^ゞ
 おおらかで前向きで純情でナイーブで、プリミティブな生命力に溢れる登太君、ある意味、私の理想の男性かも?(あれで、サルマタケとイン○ンタムシさえ培養していなければ……(^_^;) いや、パンツにキノコを生やしていようとイン○ンタムシをわずらっていようと、とりあえず、文明が滅んだ後にもしぶとく逞しく生き残るのは、ああいう男に違いありません!)

 というわけで、松本零士の自伝エッセイを読みました。
 まず思ったのは、やっぱりプロは違うなあということ。構成がうまいです。
 いきなり、記憶も定かでない幼少期の思い出や、戦中戦後の貧乏苦労話から始めるのではなく、まず、最初に、駆け出しの漫画家として東京の下宿で活動していた頃の話で始めるのです。
 描かれるのは、まるっきり『おいどん』そのままの下宿生活。そして、ちばてつやとか手塚治虫とか、他の有名漫画家の名前もいっぱい出てきて、読者の興味を惹きます。
 そうやって、いったん引き込んだ後でなら、幼少期の話も、戦時中の話も、もう大丈夫。さすがです。
 
 この本で一番印象に残ったのは、なんといっても、サルマタケは実在して、しかも、図鑑で調べたところ、食用キノコであったということ!
 しかも、松本零士は、サルマタケをラーメンに入れてちばてつやに食べさせたことがあるそうです! (自分は食べなかったそうです(^_^;))

 あと、もう一つ、友達の部屋にくの字型に曲がった一円玉がたくさん並んでいて、それは、彼女と喧嘩したら、怒った彼女がかじって曲げて行ったのだったという話……(^_^;)
 その彼女さん、いくら怒ったからって、なんでまた、そんな不思議なことをしたのでしょう……(・_・;)

 何か、私、すごくくだらないところばかり面白がって読んでますね(^^ゞ

北野勇作・著『どーなつ』(早川書房)
 好みが分かれる作品だと思いますが、私は面白かったです。
 SF的な要素と叙情性と日常性の結合がいいです。
 『火星に雨を降らせようとした女の話』という章などは、四畳半的フォーク・ソング(具体的には、往年の名曲『神田川』など……^_^;)か私小説か純文学のようです。主人公が住んでいる部屋は、なんとなく、湿った畳のある西向きの四畳半であるが似合いそうなのです。
 バリバリにSFなアイディアを包む、どこか懐かしい、ウェットな空気がいい感じでした。

 他に『西の善き魔女』外伝『真昼の星迷走』も読みましたが、時間がないので感想は来月。とりあえず、面白かったです! 発行ペースが早すぎてすっかり置いていかれてしまっていたグインサーガも、ちょっとづつ追いつきつつあります。でも、きっと、本当に追いつく前に、また引き離されてしまうでしょうけど(^_^;)


『月刊カノープス通信12月号』前ページ(今月の詩)
『月刊カノープス通信』バックナンバー目録
→ トップページ