目次 ・季節の便り・竹切りの日々 ・今月の面白探し ・近況報告・宇宙妖精『んが』? ・読書録 (今月は『チェンジリング』他です) ・オンライン小説感想録 (今月は『一角獣の虜』他です) |
季節の便り・竹取りの日々タケノコの季節です。普通、八百屋の店先にタケノコが並ぶ季節は春先ですが、うちの庭に隣接する竹ヤブにタケノコが生えてくる季節は、6月中今ごろから7月にかけてなのです。どうも、一般的に食用として出回るタケノコとは、竹の種類が違うようです。 先月もちょっと書きましたが、うちの庭は、南側が崖地に面しており、その、幅数メートルの斜面には、ちょっとした雑木林になっています。そこに木が茂りすぎると、何しろ南側なので家の日当たりが悪くなるばかりか、そこから、つる草や竹が庭に進出してきます。特に竹は、地下茎でどんどん進出してくるので、放って置くと、そのうち庭が竹ヤブになってしまいます! 時々、家の床を突き破って竹が生えてしまったというローカルニュースを見聞きしますよね(もしかして千葉県だけの話題?)。 うちも、うっかりすると、そうなりかねません。 そんなわけで、この季節、冬木は、毎日、竹ヤブに目を凝らしてタケノコが生えていないか見張り、数日おきに、タケノコを切りに庭に出ます。 雨が何日か続いて見回りが出来なかった時など、ほんの数日でこんなに、と呆れるほどにょきにょきと立派なタケノコが生えていることがあります。『雨後のタケノコ』とは、まさにこのことです。 何を隠そう、冬木は、子供の頃、『笹が育って竹になるのだ』と信じていたのですが、それはもちろん、勘違いです。竹は、木と違って、最初は細かったものがだんだん育って太くなるのではなく、大きくなる竹は最初から大きいタケノコ、小さな竹は、細い小さなタケノコとして生えてきます。 で、生えてきたタケノコは、そのままいきなり、最終的な高さ、太さにまで、一気に伸び切ってしまいます。 そうして、皮を被ったタケノコの状態のまま、見上げるほどの高さにまですくすくと伸びきった後で、おもむろに下のほうから皮を落として竹になり、ある日、突然、枝を広げます。枝も、幹から生えたものがだんだん伸びてゆくのではなく、竹全体が伸びている間に既に皮の下に準備してあるらしく、皮がむけると、束ねてあったものが解けたように、いきなりぱっと広がるのです。 その間、ほんの数日なので、2、3日雨が続いたり、うっかり見逃していたりすると、忽然と立派な竹が出現していて驚かされるわけなのです。 で、そういう時は、鎌の出番です! 竹も、完全に皮が剥けきって枝が広がってしまったような竹は、硬くて、ノコギリでないと切れませんが、まだ上の方に皮が残っているようなものは、下のほうを見ると立派な青竹だけど実はまだ半分タケノコなので、鎌の一振りで、わりと簡単に、さくっと切れます。 斜めにスパッと切り落とせば、瑞々しい切り口から樹液が滲んで、実に美味しそうですが、そんなに大きくなった竹は、食べられません。そもそも、タケノコの時でも、硬くてえぐくて、ちょっと食べるのは辛いです。もちろん、一度や二度は試してみて、その結果、諦めたのです。 そういう、一見竹に見えるタケノコ(というか、『まだ少しタケノコな竹』というか)の、かなり太いのなんかをすぱっとやると、まるで自分が剣豪にでもなったようで、ちょっと楽しいです。 そんなわけで、この竹切りは、この季節の冬木の苦労の種であると同時に、ちょっとした娯楽にもなってたりします。夫には危ないヤツといわれています(^_^;) でも、やっぱり、竹に見えるほど育ったタケノコを切るのは、楽しいけれど結構大変で、上のほうで既に枝が開いていると、周りの木や竹に絡まってしまって、切ってもちゃんと倒れてこないし、見極めを誤って、育ちすぎてすっかり固まった竹に、うっかりに力いっぱい切りつけると、鎌が壊れます。刃が曲がったり、刃と柄の付け根が外れたり……。去年はそれで、お金がないというのにシーズン中に3本も、鎌をダメにしました(T_T) だからタケノコのうちに足で蹴り倒しておけばいいのに、やっぱり、育って竹になったのを見つけると、「これはいけない、大変だ!」とか言いながら内心では「やったぁ!」と思い、嬉々として切りに行く私……バカです(^_^;) 近頃ではよその竹やぶの竹まで気になって、車で走っている時に道端の竹やぶで伸びかけのタケノコを見かけると、「早く切らなきゃ、あれじゃ、竹になってしまう! 地主さん、何で切らないの? ああ、私が代わりに切ってあげたい……」と、うずうずしてくるヘンなヤツです。 |
今月の面白探し☆夫と買い物に行ったら、店内放送が流れていました。「どれでも四つで1000円、四つで1000円、ご納得いただけるお値段です!」 その放送を何度も繰り返し聞いた後で、夫が突然、言いました。 「あ、『ご納得いただけるお値段』って言ってたのか! さっきから、『笑っていただけるお値段』ってどういうことだろうと思ってた。嬉しくて笑っちゃうほど安いって意味かなーとか、一生懸命考えてたよ」 ☆ゲームをしていた6歳の息子が、まだよく回らない舌で得意げに言いました。 「お母さん、ぼく、イケメンのボス、倒したよ!」 ……どうやら、『一面のボス』のことらしいですが、『イケメンのボス』なんていうステキな敵キャラがいるなら、私もちょっと戦ってみたいかも(*^.^*) ☆夫と、本の話をしていたときのことです。 夫の、「『梅田地下オデッセイ』って本があってさあ……」という言葉を聞いたとたん、私の頭の中に浮かんだ本のタイトルは『ウメダ・チカオでっせ!』でした。 そのとたん、『きっとそれは大阪出身のお笑い芸人『梅田近男』の書いたタレント本で、その芸名は、有名な繁華街『梅田』の近くの出身ということが由来であり、生粋の大阪人であることを売り物にしているコテコテの芸人さんなのに違いない……』と、そこまで一瞬のうちに想像してしまいました(^_^;) ちなみに、本物は、SFの本だそうです。 ☆テレビを見ていた息子、『はかせるオムツ、○ーニーマン♪』という紙おむつのコマーシャルソングを聞いて一言。 「ねえ、『泣かせるオムツ』だって」 それって、一体、どんなオムツでしょうね。とっても付け心地が悪いので赤ちゃんが泣いてしまうオムツとか、あるいは、かわいそうなお話や感動的なお話が印刷してあるオムツとか? |
近況報告・宇宙妖精『んが』?今日、車で走ってたら、前を走ってる車のリアウィンドウに、『んが乗っています』と書いてありました(・・;)どうやら、『赤ちゃんが乗っています』の『赤ちゃ』の部分が消えてたみたいなんですが、『んが』って何、『んが』って……?(ちょっと想像中……。なにやらヘンな生物が頭に浮んできました……ちょっと、ポケモンの『ソーナンス』を白くしたみたいな? こいつは、きっと、宇宙から落っこちてきて、たまたまあの車の持ち主の家に住み着いた謎の生命体なのです。きっと、宇宙生まれの妖精さんです。で、言葉は通じないけど『ンガ』と鳴くから、付けた名前が『んが』。ちょっぴり魔法を使って、やさしくしてくれた家主さんの願いをかなえてあげようとがんばるのですが、地球や人間のことを良く知らないので、やることがいつも裏目に出て、ヘンな騒動ばかり巻き起こしてしまうのです。……想像、終わり) * そういえば、以前、やっぱり車で走ってる時、前を走ってるバイクの人の背中のリュックに、歪んだ文字で大きく『バカ』と書いてあるように見えて、夫と2人で、「あれは何だ? そういうおちゃめなデザインのリュックなのか? それとも、いたずらで背中に落書きでもされたままなのか?」と目を凝らしてみたことがあるのですが、不思議なことに、信号で止まった時に近くで見ると、ただの、茶色の無地のリュックなのです。ヘンだなあと思いつつ、信号が変わって走り出すと、やっぱり、また、前方のリュックに『バカ』という文字が浮かび上がって見える! どうやら、リュックに皺が寄って陰になったところが、遠くから見ると、たまたまそういう風に見えてたらしいです。 * 皺と言えば、この間、息子が、突然、夫の後頭部を見て、「あ、お父さんの頭に『赤』って書いてあるよ!」と叫ぶので、何をバカなことをと思って見てみたら、本当でした。 暑くなって来たので髪を短く刈った夫の、頭皮の皺と髪の毛の生え際の流れのせいでところどころ地肌の色が透けて見える、その形が、たまたま『赤』という漢字の形に似ていて、後頭部に、うっすらと、『赤』という字が浮き上がって見えていたのでした。 しかし、よりによって、なぜ、頭皮の皺や髪の毛の流れが、そんな複雑な漢字の形に? 不思議ですねえ……。人体の神秘です。 実は夫は、赤ん坊の時に異郷に流されてきた異世界の『赤』国の王子様だったとか……? いや、どっちかっていうと、実は『筋肉マン』の仲間の正義超人『赤飯マン』で……(どんどん妄想中……) |
読書録★ 『チェンジリング・赤の誓約(ゲアス)』『碧の聖所(ネウェド)』 妹尾ゆふ子著(ハルキ文庫)下で紹介しているゆめのみなとさんの読書日記で知って読みたくなった本。面白かったです! 特に下巻! 中でも、下巻の中盤以降は圧巻。そこまでごくありきたりな定石どおりの展開と見せかけていたのが、思いがけない謎が次々と浮んでは、どんでん返しがあって、俄然面白かったです。 それに、なんと言っても、妖精王の地下世界のシーンがすごく好き! 神秘的な『碧の聖所』のシーンも好きです。 私、ファンタジーの中でも、架空歴史物に近い戦争や国家の興亡中心の物より、より幻想度の高い、魔法や妖精や神様なんかが出てくるような、コテコテに神秘的なものの方に惹かれるらしいのです。 何箇所か、簡潔ながらはっとするような描写もあり、いいなあと思いました。 それに比べて、上巻は、ファンタジーというより、ホラーに近かったです。 このお話、典型的な異世界落っこちモノなんですが、何と、上下巻のうち上巻丸々一冊分を使って、ヒロインが異世界に行くまでを描いているんです。 普通、もっとすぐ異世界に行くものじゃないですか〜! それを、異世界に行くかどうか悩んだり、無駄な抵抗をしたりするのに、丸々一冊。 そりゃあ、いくら人生に絶望している人間でも、いきなり異世界から迎えが来て、『あなたは実は異世界の王女様なのです』とかいわれたら、もしもお迎えの使者が、この世のものとも思われぬ金髪の超美青年とかで、跪いて手を取って『私はあなたの僕です』とかなんとか言われたとしても、普通は、はい、そうですかと、喜んでほいほいついていったりは、しないでしょう。たとえ、それが、今しも自殺しようとしていた人であっても、やっぱり、躊躇するんじゃないでしょうか。 だから、普通は、そういう時、作者はヒロインをいきなり問答無用で異世界に放り込んじゃうわけで……。 何かの事故で気を失って気が付いたら異世界に居たとか、ヒロインを命の危険にさらして逃げざるをえなくして、逃げられる場所が異世界しかなかったとか。『十二国記』の陽子だって、命からがら逃げるかたちで、いやおうなしにあっちへ連れて行かれたんですよね、たしか。 ところが、この作品では、異世界に行くまで、ヒロインには、さんざんぐだぐだ悩む猶予がある! ぐだぐだ悩んでるうちに、一冊、終わってしまう! あそこで1巻目が終わって、続きがあるって知らなかったら、読者、呆然としちゃいますね。 二巻目があって、よかった〜! 一巻目がホラーに近かったのは、異世界が舞台じゃないからでしょう。日常生活の中にじわじわと異世界が侵入してくるパターンは、ホラーに馴染みます。『十二国記』の中での『魔性の子』みたいなものです。また、パソコンの中にいたずら妖精が住みついていたり、暴走族が超自然の力に操られてヒロインを襲うなんて設定は、現代ホラー『妖魔夜行』シリーズを思わせます。 そういうわけで、面白かったんですけど、唯一の不満は、異世界に行くまでの上巻の分量に比べて、異世界に行ってからの話が短かったこと。ページ数でいうと、たぶん2対3くらいの割合だったかな。 異世界パートが一冊じゃなくて二冊分くらいあれば嬉しかったのに。 あれだけの分量を費やして、やっと異世界に行ったんだから、異世界のほうも、もっとたくさん、じっくり見せて欲しかった。 いきなり殺伐とした戦ばかりではなく、もうちょっと、エキゾチックな日常生活とか、ほっと一息つける心和むエピソードとか、美しい自然とか、そういうものでお話を増量して、せっかくの魅力的な世界を、もっとゆっくり観光させて欲しかった気が……。 本当は、あれでいいのだろうと思うのです。あの世界は、そんな生温い世界ではなく、切迫した戦いのさなかにある世界なんだから。殺伐としてるのは、しょうがないです。あそこで、無駄な遊びのシーンなんかをだらだらとやってたら、どう考えても、緊迫感を殺ぎ、作品の完成度を落とすでしょう。あれは、きっと、あれで正解なのでしょう。そもそも、商業作品ですから、枚数の指定もあったのでしょうし。 でも、どうやら私は、つくづく、『ぬるい』『ゆるい』ものが好きらしいのです。それに、戦いよりも何よりも、異世界というものそのものが好きで、それがじっくり見たいらしいです。(だから、自分が異世界モノを書いたときには、ここぞとばかり大喜びで無駄な遊びをやりすぎて大失敗……(^_^;) でも、書いてるときに本人が楽しんだんだからそれでいいやと開き直って、反省の色、全く無し(^^ゞ) ★『真夏の夜の魔法』 ジェイムズ・P・ブレイロック作(創元推理文庫) 昔大好きだった(今でも好きだけど)ブラッドベリを髣髴とさせる、カーニバル幻想もの。 『おもちゃ箱をひっくりかえしたような楽しさ……』という解説の文章や、まさにその慣用句どおりの楽しげなイラストのわりに、作品そのものは、わりと陰気です。 『夏至<ソルステイス>』のお祭りが舞台の割りに、季節はどうやら秋のようだし、物語の中では、冒頭場面からして冷たい雨が降りしきっていて、風景はあくまで陰鬱で寒々しく、舞台となる村は、自然豊かな『田舎』というより見捨てられた『辺境』の雰囲気で、人も自然も、どこか荒涼として寂れている感じ。 そんな村で、幽霊が出たり、人が死んだり、墓を暴いたり、不気味な人魚が取れたり、降霊術が行なわれたり、子供が鶏を殺したりという陰気な事件ばかりが、いろいろと起こります。 たしかに、いろんなものを放り込んだおもちゃ箱なんだけど、おもちゃ箱はおもちゃ箱でも、ノスタルジックな怪奇趣味のおもちゃ箱ですね。童心の小暗い部分といいましょうか。 ノスタルジックで幻想的な道具立てはいちいちブラッドベリを思わせるのですが、この人のノスタルジーは、ブラッドベリのそれとは、少し色合いが違う気がします。(もちろん、いくら道具立てが似ていても別の作家なんだから、違うのはあたりまえですが。) とても似ているけれど、ブラッドベリほどは、私の琴線には触れませんでした。 ところで、話はそれますが、この作品を読んで、私、ブラッドベリのほかに、やっぱり同じ頃に好きだったJ・G・バラードも思い出したんですけど……。 巨人の靴が海辺に流れ着くというシチュエーションが、バラードの短編『溺れた巨人』(巨人の溺死体が海岸に漂着してそのまま腐っていくだけという、『なんじゃそりゃ(・・;)?』な話……)を連想させたのです。 で、バラードって、昔好きだったんだけど、今でも、昔の作品は好きなんだけど、晩年の作品『太陽の帝国』は、悪いけど面白くなかったなあと思って。 そうえいば、ブラッドベリも、そうなんです。昔の作品は、たぶん今でも好きだけど、晩年は、ハードボイルドなどを書くようになって、それは何だかよくわからなくて、あまり面白くなかったです。 他にも、年を重ねてからつまらなくなった作家って、けっこういるような。 どうしてだか、不思議なんですけど。書き続けて年を取ってゆけば、それだけ上手くなるはずで、よりいっそう質の高いものが書けるはずだと思うんですが、なんでつまらないんだろう。 きっと、別に、彼らが下手になったわけではないんですね。あまりに高尚になりすぎて私に理解できなくなってしまったのか、また、高名な大家になるとエンターテイメント性を無視して自分の書きたいものを書く特権を手に入れ、その結果、一般大衆には受けないものになってしまうのか……。 もしかすると、私が、彼らの晩年の境地を理解するにはまだまだ青二才だからかもしれません。私の感性は、彼らの若いときの感性にはシンクロ出来るけど、晩年の感性には、まだシンクロできないのかも……。 だとしたら、もっと年を取ってからもう一度読んだら、私は彼らの晩年の作品に共感できるのでしょうか?? それとも、あれらがあまり面白くなかったのって、私だけ? 私のオツムが低レベルなだけ? 他の人には面白かったのかなあ。 ……話が支離滅裂になってきました(^_^;) とりあえず、『真夏の夜の魔法』に話を戻して、ブラッドベリを読んだときのような感傷的な共鳴はなかったけれど、これはこれで、なかなか面白かったです。特に、屋根裏のジプシー女のエピソードには、何か心惹かれるものがありました。女が屋根裏で小鳥の言葉のような歌を歌っていたとか、言葉を知らない子供が鳥と混じって暮らしていたとか。 それにしても、この本、もとは原題に忠実に『夢の国』というタイトルだったそうなのに、復刊に際して、なんでわざわざ『真夏の夜の魔法』などと改題したのでしょう。冒頭の場面に、はっきり『秋もさなか』って書いてあるのに。……謎です。 追記……今日、新聞の読書欄で初めて知ったのですが、S・クーパーの『コーンウォールの聖杯』が復刊されたそうで、嬉しいです\(^o^)/ (と言っても、どうせ自分じゃ買わないんだけど……(^_^;) でも、刊行されてるだけで嬉しいんです) よくやった、偉いぞ学習研究社! |
お気に入りオンライン小説感想録このコーナー、前回まで『オンライン小説読書録』というタイトルだったのですが、その時々に読んだものについての感想というのじゃなく、自分のお気に入りの小説を気が向くままに順不同で紹介していると言う感じなので、『読書録』という名前は似合わない気がして、タイトル変えてみました。今回は、 『一角獣の虜』他、ゆめのみなとさんの作品群です! ゆめのみなとさんの小説サイト夢の湊の作品は、サイトデザインの上品さも相まって、一見、ちょっと控えめな、地味な印象です(ゴメンナサイ)。 なんで『一見、地味』かというと、ひとつには、キャラ萌え系の作品じゃないから、もうひとつは、たぶん、抑えた文体が上品で大人っぽく、格調高い印象だから。 例えて言えば、『抑えた色使い、控えめなデザインで、派手な飾りもついてないけど、実は、とっても高価で上質な布を使って丁寧に仕立てられた、シックな大人のお洋服』……みたいな雰囲気なのです。 でも、読み始めてみると、実は、物語は波乱万丈、ハラハラドキドキの面白さ! 特徴は、徹底的に『お約束』を排したシビアな展開と、皮膚感覚にこだわった異世界のリアリティ。 絵空事の異世界の物語なのに、人間心理や世界の手触りに、現実以上のリアリティがあるのです。 シビアな展開とざらついた現実の手触りが、ことに際立っているのは、完結済みの連載長編『一角獣の虜』。 人質として戦勝国に嫁がされる敗国のお姫様が輿入れの途中で山賊に攫われて……と、ここで普通のロマンス系の小説なら、山賊だってちょっとロマンチックに、ほどよく奇麗事のフィルターを通して描きそうなものなのに、ゆめのさんの描く山賊たちの救いの無い下劣さと容赦ないむさくるしさと言えば、目が点になるほど。展開も、読者の期待なんか寄せ付けない、あっと驚く容赦なさ。 それが、あくまでも上品な筆致で淡々と描かれるだけに、いっそう衝撃的です。 とにかく一読あれ。『ええ〜、そんなのって有り〜!?』というもどかしさと衝撃をたっぷり味わえます(^_^;) きっとハマりますよ〜! (えっと、これは具体的なネタバレは含まないと思うのですが、この先、物語の結末について言及するので、作品未読の方で、結末について先入観を持ちたくない方は読まずにすむように反転させます↓) 残念なことに、この物語は、ちょっと中途半端に終わってしまっており、結末には賛否両論がありそうなので、作者のゆめのさんは、いつも、『最後まで読んでがっかりされるのではないか』と心配していらっしゃる様子ですが、私の考えでは、あの終わり方は、『これは許せない』という終わり方とは違います。 私の考える『許せない終わり方』というのは、最後まで読んで、そこまでのその作品の価値が台無しになってしまうような終わり方です。例えば、推理小説で『実は犯人は超能力者だった』とか、途中で話がぷつっと途切れて、『これは全部夢で、だから伏線に見えていたものには実は何の意味も無くて、目が覚めたから、もうおしまい』とか……(^_^;) その点、この、『一角獣の虜』は、ただ、いろんなことが解決されないまま途中で終わっていると言うだけで、決してそこまでの内容を台無しにはしていないので、いつか書かれるかもしれない、書かれないかもしれない物語の続きに思いを馳せつつ、最後のページをぱたっと閉じられるのです。続編が待たれる作品です。 いろんなことが未解決と言ったって、現実には、物事は常に連続していて、最後に何もかもがうまくいって丸く収まったりしないのがあたりまえなんだから、考えてみれば、あの終わり方は、あくまでシビアな現実味が身上のあの作品としては当然のことなのかもしれません。 ちなみに、別の短編として、ちらっと後日談が書かれているので、それを読めば、読後に取り残されてしまった疑問や好奇心が少し宥められます。 先月読んだ『海人の都』は、打って変わって十代の少年少女の冒険を描く、児童文学寄りの正統派ファンタジーです。 ラストのクライマックスの海人の祭りのシーンでは本気で鳥肌が立ちました。 『一角獣の虜』は架空歴史物に近い作品で、背景世界も現実の中世を思わせるものでしたが、この『海人の都』を含むシアとエスカのシリーズ(現在連載中の『妖魔の島』と、完結短編『月影の歌う木々』)は、もっと幻想的な、魔法に満ちた世界が舞台の、狭義のファンタジーです。でも、やっぱり、世界の手触りがリアルなのです。だからこそ、その世界に立ち現れる魔法や神秘もリアルに身に迫って感じられます。 あと、個人的に、『蜃気楼の影』も好き。 雰囲気重視の、耽美で大人っぽい幻想小説です。大学ではアラビア語を学んだと言うゆめのさんの面目躍如のエキゾチシズム満載で、道具立てがいちいちツボ! 『これぞ幻想!』という感じの、濃ゆ〜い、マニアックな世界です。 『何それ?』系(例えば井辻朱美さんの短編みたいな、読後に『え? 何、それ? だから何だったの?』とぽかんとしてしまうタイプの作品を指すのに私が勝手に作った(^_^;)用語)が大丈夫な、マニアな方には超お薦め! ちなみに私は、『何それ?』系、大好きです\(^o^)/ |